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淡々後漢書  作者: ンバ
第十七、岑彭伝
39/102

三、報恩

3.

會舂陵劉茂起兵,略下潁川,彭不得之官,乃與麾下數百人從河內太守邑人韓歆。會光武徇河內,歆議欲城守,彭止不聽。既而光武至懷,歆迫急迎降。光武知其謀,大怒,收歆置鼓下,將斬之。召見彭,彭因進說曰:『今赤眉入關,更始危殆,權臣放縱,矯稱詔制,道路阻塞,四方蜂起,群雄競逐,百姓無所歸命。竊聞大王平河北,開王業,此誠皇天祐漢,士人之福也。彭幸蒙司徒公所見全濟,未有報德,旋被禍難,永恨於心。今復遭遇,願出身自效。』光武深接納之。彭因言韓歆南陽大人,可以為用。乃貰歆,以為鄧禹軍師。

(訳)

ちょうど舂陵しゅんりょう劉茂りゅうもが挙兵して

潁川えいせん郡を下そうと略っており、

岑彭は潁川太守の官を

保持できないと考え、

そこで麾下の数百人とともに

河内かだい太守で同郷の韓歆かんきんに従った。


そんな折に光武帝が河内を循行し、

韓歆は河内の城を守ろうと議した。

岑彭は止めたが、韓歆は聞き入れなかった。


光武帝が懐(県)に至ってから

韓歆は慌てて投降し、迎え入れた。


光武帝はその謀を知ると大いに怒り、

韓歆を捕えて軍の刑場へ置き

彼を斬ってしまおうとした。


岑彭はそこで進み出て、こう説いた。


「今、赤眉せきび関中かんちゅうへと入りて

更始帝が危機に瀕しておりますのに、

権臣は欲しいままに

天子の命を詐称しております。


道路は塞がれ、四方では

立て続けに挙兵が起こり、

群雄が角逐し、百姓は

命を帰す所すら知れぬ有様です。


密かに聞き及んだ所では

大王は河北にて王業を

創始されたそうですが、これは

誠に皇天が漢王室をたすけたという事で

士人にとっての幸福にございます。


彭は幸いにも司徒公(劉縯りゅうえん)から

命を救っていただきましたが、

恩徳に報いぬうちに禍難に遭遇され

永らく心残りとなっておりました。


(劉秀と)

こうして再びお逢いできたからには

(劉縯から受けた恩を返す為に)

我が身を擲ち、全力を尽くす所存にございます」


光武帝は岑彭を深く受け入れた。


岑彭はそこで、韓歆は南陽の大人であり

用いるべきであると述べた。


かくて韓歆はゆるされ、鄧禹とううの軍師となった。


(註釈)

王莽おうもうの王朝はあっさり瓦解し、

南陽反乱軍の(建前上の)ボスであった

更始帝の時代が来るかと思われましたが、

更始帝もまた、関中の赤眉軍や

部下の手綱をうまく握れず

あっという間にガタガタになります。


岑彭は河内を通りかかった劉秀に

降伏を申し出ます。


「お兄さんから命を救われた恩を

返せずに終わってしまった事が

ずっと心残りでした。

なので、あなたに恩返しをしたい」と。


劉秀は快く岑彭を受け入れ、

若き天才・鄧禹とううの軍師としました。


洛陽には、伯升兄貴の仇である

朱鮪しゅいが立て籠もっていますが、

彼を下すには、岑彭の力が必要です。

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