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淡々後漢書  作者: ンバ
第十八、蓋延伝
34/102

三・四、劉永討伐

3.

建武二年,更封安平侯。遣南擊敖倉,轉攻酸棗、封丘,皆拔。其夏,督駙馬都尉馬武、騎都尉劉隆、護軍都尉馬成、偏將軍王霸等南伐劉永,先攻拔襄邑,進取麻鄉,遂圍永於睢陽。數月,盡收野麥,夜梯其城入。永驚懼,引兵走出東門,延追擊,大破之。永棄軍走譙,延進攻,拔薛,斬其魯郡太守,而彭城、扶陽、杼秋、蕭皆降。又破永沛郡太守,斬之。永將蘇茂、佼彊、周建等三萬餘人救永,共攻延,延與戰於沛西,大破之。永軍亂,遁沒溺死者大半。永棄城走湖陵,蘇茂奔廣樂。延遂定沛、楚、臨淮,修高祖廟,置嗇夫、祝宰、樂人。

(訳)

建武二年(26)、

改めて安平あんへい侯に封じられた。


南方へ派遣されて敖倉ごうそうを撃ち、

転じて酸棗さんそう封丘ほうきゅうを攻め、

これらの拠点を全て抜いた。


同年夏、

駙馬都尉ふばとい馬武ばぶ騎都尉きとい劉隆りゅうりゅう

護軍都尉ごぐんとい馬成ばせい・偏將軍の王霸おうは等を

監督して、南の劉永りゅうえいを伐ち、

先ず襄邑じょうようを攻め落とすと

進軍して麻鄉まきょうを奪取、

かくて劉永を睢陽すいように包囲した。


数ヶ月で

野の穀物を悉く回収して

夜に梯子車で劉永の城へ攻め入った。


驚き懼れた劉永は

兵を引き連れて東門から脱出したが、

蓋延は追撃をかけてこれを大破した。


劉永が軍を放棄してしょうへ逃走すると

蓋延は進攻してせつを抜き

劉永の任命した郡太守を斬り

彭城ほうじょう扶陽ふよう杼秋ひしゅうしょうといった拠点を

すべて降伏させた。


一方で劉永の沛郡はいぐん太守をも破り、

これを斬った。


劉永の部将の蘇茂そも佼彊こうきょう周建しゅうけん

三万余りが劉永を救援して

共に蓋延を攻撃してきたが、

蓋延ははいの西で彼らと戦い、

これを大破した。


劉永軍は潰乱し、遁走中に没したり

溺死した者が大半であった。


劉永は城を棄てて湖陵こりょうへ逃げ、

蘇茂は広楽こうがくへ奔走した。


蓋延はかくて

沛・楚・臨淮りんわいを平定し、

高祖廟を修復すると

嗇夫しょくふ祝宰しゅくさいを置いて人々を安んじた。


(註釈)

虎牙将軍となった蓋延、

勝手に天子を名乗る

元梁王・劉永の討伐に乗り出し

援軍もろとも

コテンパンにやっつけました。


さすがに強いっ!


4.

三年,睢陽復反城迎劉永,延復率諸將圍之百日,收其野穀。永乏食,突走,延追擊,盡得輜重。永為其所殺,永弟防舉城降。

(訳)

三年(27)、睢陽すいようが再び反き

城に劉永を迎え入れると、

蓋延もまた諸将を率いて

百日これを囲み、

その地の野穀を刈り取った。


食糧が欠乏してしまった劉永は

囲みを突き破って逃げ、

蓋延は追撃して輜重の悉くを得た。


劉永が殺害される所となると

劉永の弟・劉防りゅうぼうは城を挙げて投降してきた。


(註釈)

しぶとい劉永を兵糧攻めで撃破。


劉永の残党の張歩らは

4位の耿弇こうえんが片付けました。

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