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淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、来歙伝
32/102

東観漢記、来歙伝後

7.

光武使來歙監諸將。

8.

來歙征公孫述,詔於汧積穀六萬斛,驢四百頭負馱。

9.

隗囂破後,有五谿六種寇侵,見便鈔掠,退阻營塹。來歙乃大治攻具衝車度塹,遂與五谿戰,大破之。

10.

來歙與蓋延攻公孫述將王元。破之,蜀人大懼,使刺客刺歙,歙未死,馳告蓋延。延見歙,伏悲不能仰視。歙叱曰:「故呼卿,欲屬以軍事,而反效兒女子泣涕乎!」延收淚強起,受所誡。歙自書表,投筆抽刃而死。

11.

帝嘉歙忠節,復封歙弟由為宜西鄉侯。


(訳)

光武帝は来歙に諸将を監督させた。


来歙が公孫述こうそんじゅつを征伐すると

詔により汧(たぶん汧県のこと)に

穀物六万斛が積み込まれ、

驢馬四百頭が背載した。


隗囂が破られた後、

五谿六種の侵攻が有り

たちまちに略奪を受けた。

(夷狄たちは)退却し、

塹壕を築いて(光武帝軍を)阻んだ。


来歙はそこで

大規模な攻具の冶金を行い、

衝車を塹壕へと渡して

かくて五谿蛮と戦い、これを大破した。


来歙と蓋延がいえん

公孫述の部将の王元おうげんを攻めた。


王元が破られると、

蜀人は大いに懼れ、

刺客を遣わして来歙を刺させた。


来歙は死んではおらず

早馬を遣って蓋延を召したが、

蓋延は来歙に見えると悲しみで伏してしまい、

仰ぎ見る事ができずにいた。


来歙は呵叱して言った。


「卿を呼び寄せたのは、軍事を

嘱託しようと考えた故であったのに

反対に子供や女子に倣って

泣いているとは!」


蓋延は涙を収めてしっかと起ち上がると

来歙から教誡を受けた。


来歙は自ら上奏文をしたためると

筆を置き、刃を抜き放って

息絶えてしまった。


光武帝は来歙の忠節を嘉し

復た来歙の弟の来由を封じて

宜西鄉侯とした。


(註釈)

来歙が五谿蛮と戦った時に

衝車を使っているのが新しい情報。


范曄が、来歙刺された時のセリフ

かなり盛ってる事もわかりました↓


・東観漢記

「故呼卿,欲屬以軍事,而反效兒女子泣涕乎!」


・范曄後漢書

「虎牙何敢然!今使者中刺客,無以報國,故呼巨卿,欲相屬以軍事,而反效兒女子涕泣乎!刃雖在身,不能勒兵斬公耶!」


他の後漢書だとどう書かれてるんだろ。


来歙の記述はこれで終わりです。


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