十・十一、後嗣/范曄評
10.
子褒嗣。十三年,帝嘉歙忠節,復封歙弟由為宜西侯。褒子棱,尚顯宗女武安公主。棱早歿,褒卒,以棱子歷為嗣。
(訳)
子の来褒が嗣いだ。
十三年(37)、
光武帝は来歙の忠節を嘉して
復た来歙の弟の来由を封じて
宜西侯とした。
来褒の子の来棱は
顕宗(明帝)の娘の武安公主を娶った。
(天子の娘を娶ることは「尚」と表現)
来棱は早逝し、来褒が卒すると
来棱の子の来歴が後嗣となった。
(註釈)
そして三国志の来敏に
繋がっていくわけです。
変わり者だったようで、たびたび
仕事をクビになりましたが、
97歳まで生きた指折りの長寿マンです。
10年ほど来歙に
寿命分けてあげてくれんかね。
また、隋の時代の来護児は
来歙の18世孫だそうな。
唐の来俊臣もかなぁ?
11.
論曰:『世稱來君叔天下信士。夫專使乎二國之間,豈厭詐謀哉?而能獨以信稱者,良其誠心在乎使兩義俱安,而己不私其功也。
(訳)
論にいう、世間では
来君叔は天下の信士と称えられている。
そもそも二国の間で使者を専らとすれば
どうして詐謀を厭えようか。
(汚い手を使わざるを得ない外交官の中で)
来歙のみが信義を以て称えられたのは
彼に誠心があり、両国の義を倶に安んじて
その功績を自分のものに
しなかった事が良かったのである。
(註釈)
李通のことはけなしてた范曄も
来歙のことはほめております。
さすがねっ。
最後にンバの個人的な来歙評です。
戦闘 ★★★★★★★★ 8
〜来歙の戦績〜
○略陽(VS隗囂)
○天水(VS田弇、趙匡)
○落門(VS周宗、趙恢)
○金城(VS西羌)
○襄武(VS傅栗卿)
○河池・下弁(VS王元・環安)
7戦7勝無敗
河池は蓋延伝だと
勝てなかったとありますが。
動き始めるのは後半からですが、
隴西や巴蜀の攻略に大車輪の活躍。
暗殺されてなければ
功臣の筆頭クラスだったでしょうに、
惜しいなぁ。
戦略 ★★★★★★★★ 8
外交官としても優秀で、
隗囂に任子を送ることを了承させた。
隴西の地理に詳しく、
木を切ってルートを開通し
略陽への奇襲を成功させているほか
隗囂配下の王遵へ引き抜き工作を仕掛け
主導権を終始に渡って握っていた。
さらに穀倉を開放して人心を収攬するなど
西州平定はマジで来歙の力である。
内政 ★★★★★★ 6
隗囂への調略がメインで、
民政手腕を本格的に
発揮する前に終わってしまった。
穀倉開放や資財のばらまきを見るに
もっと長生きしていれば
この項目も★7か8になっていたかと。
人格 ★★★★★★★★ 8
南陽で劉氏の挙兵があったときに
王莽に捕まってしまったけれど、
賓客たちが来歙を助けに来た他、
地元でない西州でも人望があり
王遵の引き抜きに成功している。
来歙が刺客に襲われたとき
蓋延が常態を失するレベルで
泣いているのがとても印象的。
蓋延は脳筋で不良っぽい印象があるが
来歙にはすごく懐いている。
死後も子孫が国を除かれずに
栄達しているっぽい。
彼の遺徳によるところも大きいとして
★8とします。




