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淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、来歙伝
23/102

三、隗囂と公孫述はワイにまかせぇ

3.

帝見歙,大歡,即解衣為衣之,拜為太中大夫。是時方以隴、蜀為憂,獨謂歙曰:『今西州未附,子陽稱帝,道里阻遠,諸將方務關東,思西州方略,未知所任,其謀若何?』歙因自請曰:『臣嘗與隗囂相遇長安。其入始起,以漢為名。今陛下聖德隆興,臣願得奉威命,開以丹青之信,囂必束手自歸,則述自亡之勢,不足圖也。』帝然之。


(訳)

光武帝は来歙に見えて大いに歓び、

即座に衣を脱いで彼の衣とした。

拝されて太中大夫たいちゅうたいふとなった。


当時はまさに隴右ろうゆう巴蜀はしょくに憂患があり、

(光武帝は)獨り来歙に謂った。


「今、西州は開府しておらず、

子陽しよう(公孫述)が称帝しており、

道里は阻遠、諸将はまさに関東に務め、

西州の方略を思案しようにも

任用する所がわからない。

その謀について、なんじはどう思う?」


来歙は自ら請願して述べた。


「臣は嘗て隗囂かいごうと長安で遇い、

彼が(隴西に)入りた始起は

漢を以て名目と為しておりました。


今、陛下の聖なる御徳が

隆興しております。

どうか臣に威命を奉じさせ

丹青たんせいの信を開かせてください。


(※赤と青の絵の具。転じて

一個人が数々の手柄を立てるという比喩)


隗囂は必ずや手を縛って自ら帰順し、

則ち、公孫述は自ずと敗亡の勢いとなり

囲むには足りませぬ」


光武帝は来歙の意見も尤もだと考えた。



(註釈)

孫権と魯粛の時もそうだったけど

二人だけの密談なのに史書には載っている。


河北を基盤として洛陽らくようを攻伐、

呉漢ごかん蓋延がいえんが梁王・劉永りゅうえいを平定。

大樹将軍・馮異ふうい関中かんちゅうの赤眉を平定。

斉で抵抗を続ける張歩ちょうほ

2代目国士無双、耿弇こうえんが撃破。

鄧奉とうほう龐寵ほうちょうなど、

味方から反逆者も出ましたが

関東や関中を平定してゆく劉秀陣営。


残るは関西側、

隴西の隗囂かいごう、蜀の公孫述こうそんじゅつ

(あと匈奴に属する盧芳ろほうなど)

が、光武帝の天下統一ロードを

最後まで遮ろうとしました。


隗囂は変転常なき姿勢ながら

光武帝の軍勢を二度退けており

かなり侮れない相手です。


隗囂を放置しておくと、

蜀を攻めるにしても

挟み撃ちにされちゃう懸念があるので、

光武帝としては一刻も早く

これを処理しておきたかったはず。


その調略を、

関中にゆかりのある来歙と

馬超ばちょうの祖先の馬援ばえんが担当します。


どちらも、外交官としても

武将としても優秀な万能型です。

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