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淡々後漢書  作者: ンバ
第十五、鄧晨伝
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19/102

三・四、劉元鎮魂/おめでとう、僕

3.

更始立,以晨為偏將軍。與光武略地潁川,俱夜出昆陽城,擊破王尋、王邑。又別徇陽翟以東,至京、密,皆下之。更始北都洛陽,以晨為常山太守。會王郎反,光武自薊走信都,晨亦間行會於巨鹿下,自請從擊邯鄲。光武曰:『偉卿以一身從我,不如以一郡為我北道主人。』乃遣晨歸郡。光武追銅馬、高胡群賊於冀州,晨發積射士千人,又遣委輸給軍不絕。光武即位,封晨房子侯。帝又感悼姊沒於亂兵,追封謚元為新野節義長公主,立廟於縣西。封晨長子汎為吳房侯,以奉公主之祀。


(訳)

更始帝は立つと、鄧晨を以て偏《へん》将軍とした。


光武帝とともに潁川《えいせん》を略地し

倶に夜間に昆陽《こんよう》の城を出て

(周囲の郡県に呼びかけをおこない)、

王尋《おうじん》、王邑《おうゆう》を撃破した。


また、別れて陽翟《ようてき》以東を徇り、

京、密に至ると、

これらの拠点をいずれも下した。


更始帝は北のかた洛陽を都とし、

鄧晨を以て常山《じょうざん》太守とした。


ちょうど王郎《おうろう》が反《そむ》き、

光武帝は薊《けい》から信都《しんと》まで逃げた。

鄧晨もまたその間に鉅鹿《きょろく》にて合流し

自ら邯鄲《かんたん》攻撃への従軍を請願した。


光武帝は言った。


「偉卿(鄧晨)は一身を以て我に従い、

我が一郡を以って北方の主となるに

越した事はないと考えていたのだ」


そこで、鄧晨を郡へ帰らせた。


光武帝が銅馬《どうば》や高胡《こうこ》といった郡賊を

冀州に追撃すると、鄧晨は

射手千人を集めて放ち

一方で補給部隊の派遣を絶やさなかった。


光武帝が帝位に即くと

鄧晨は房子《ぼうし》侯に封じられた。


光武帝は一方で

姉が兵乱に没した事を悲悼し、

追封して劉元《りゅうげん》に新野《しんや》節義《せつぎ》長公主《ちょうこうしゅ》と諡し、

県の西に廟を立てた。


鄧晨の長子の鄧汎《とうはん》を呉房《ごぼう》侯に封じ、

公主(劉元)の祭祀を奉じさせた。


(註釈)

昆陽の戦いの時、劉秀といっしょに

城を脱出した13人のメンバーの中に

鄧晨も入ってます。


「劉将軍は、いつも

少数の敵にビビってるくせに

多数の敵を前にして勇敢だ!

助けてもらおうぜ!!」


というセリフは

誰が言ったのか書かれてませんが

鄧晨だったり?


敵が弱いときも慎重を期し、

敵が強いときは

陣頭に立ってみんなを鼓舞する。


プレイボールで倉橋が言ってましたが

これはリーダーの鉄則なのです。



劉秀躍進のきっかけとなった

河北戦線では、序盤は大劣勢。

敵の追っ手を渾身のハッタリで躱し

飢えと寒さに耐えながら、逃げる逃げる!

鄧禹《とうう》は火を起こし、馮異《ふうい》はお粥を作り、

王覇《おうは》の嘘から出た誠で起死回生。


英雄伝説にありがちな

謎の老人(たぶん劉邦)に助けられ、

信都《しんと》郡まで命からがら逃げると

だんだん各地の有力者が

劉秀の傘下に入る事を表明。

上谷《じょうこく》郡・漁陽《ぎょよう》郡の太守が味方となり

2位呉漢(ごかん)、4位耿弇(こうえん)、5位寇恂(こうじゅん)、

10位景丹(けいたん)、11位蓋延(がいえん)、15位王梁(おうりょう)など

頼りになる武将が

どんどん入ってきます。


鄧晨は蕭何《しょうか》よろしく補給を担当、

手厚いサポート!



「晨發積射士千人」の

「積」がちょっとわからない。


A.鄧晨は積み重ねた矢を千人の士に放たせた

B.鄧晨は(訓練)積んだ射手千人を放った

C.鄧晨は射手千人を集めて放った


Aはないかな?

Bは拡大解釈っぽいし

Cにしてあります


劉秀の

下の姉さん、劉元《りゅうげん》は死んじゃいましたが

上の姉さん、劉黄《りゅうこう》は健在です。

「糟糠《そうこう》之《の》妻《つま》」のエピソードに絡みます。


4.

建武三年,征晨還京師,數宴見,說故舊平生為歡。晨從容謂帝曰:『仆竟辦之。』帝大笑。從幸章陵,拜光祿大夫,使持節監執金吾賈復等擊平邵陵、新息賊。四年,從幸壽春,留鎮九江。


(訳)

建武三年(27)、

征伐に出ていた鄧晨は京師に帰還し

旧交のある者と平時の事について語らい

歓《よろこ》びをあらわした。


鄧晨は従容(寛《くつろ》ぎ)の場で光武帝に言った。


「《《僕》》は竟にやりましたな」


光武帝は大いに笑った。


章陵《しょうりょう》への御幸に従って

光禄大夫《こうろくたいふ》に拝された。

節(独断専行権の証)を持たせて

執金吾の賈復《かふく》らの

邵陵《しょうりょう》や新息《しんそく》における賊の平定を督戦させた。


四年(28)、寿春《じゅしゅん》への御幸に従って

九江《きゅうこう》の鎮撫に留まった。


(註釈)

親族の鄧奉《とうほう》が反逆したわけですが

鄧晨にはお咎めなしみたいですね。



「《《僕》》は、ついにやったな!」


という言葉は、かつての劉秀の


「どうして《《僕》》じゃないってわかるのさ?」


というセリフへの意趣返しです♪


「僕」はマジで天子になっちゃったからね。

このエピソード大好き。



賈復《かふく》はどんどん前に出て負傷するので

監視しておかないとやばい。

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