三・四、劉元鎮魂/おめでとう、僕
3.
更始立,以晨為偏將軍。與光武略地潁川,俱夜出昆陽城,擊破王尋、王邑。又別徇陽翟以東,至京、密,皆下之。更始北都洛陽,以晨為常山太守。會王郎反,光武自薊走信都,晨亦間行會於巨鹿下,自請從擊邯鄲。光武曰:『偉卿以一身從我,不如以一郡為我北道主人。』乃遣晨歸郡。光武追銅馬、高胡群賊於冀州,晨發積射士千人,又遣委輸給軍不絕。光武即位,封晨房子侯。帝又感悼姊沒於亂兵,追封謚元為新野節義長公主,立廟於縣西。封晨長子汎為吳房侯,以奉公主之祀。
(訳)
更始帝は立つと、鄧晨を以て偏将軍とした。
光武帝とともに潁川を略地し
倶に夜間に昆陽の城を出て
(周囲の郡県に呼びかけをおこない)、
王尋、王邑を撃破した。
また、別れて陽翟以東を徇り、
京、密に至ると、
これらの拠点をいずれも下した。
更始帝は北のかた洛陽を都とし、
鄧晨を以て常山太守とした。
ちょうど王郎が反き、
光武帝は薊から信都まで逃げた。
鄧晨もまたその間に鉅鹿にて合流し
自ら邯鄲攻撃への従軍を請願した。
光武帝は言った。
「偉卿(鄧晨)は一身を以て我に従い、
我が一郡を以って北方の主となるに
越した事はないと考えていたのだ」
そこで、鄧晨を郡へ帰らせた。
光武帝が銅馬や高胡といった郡賊を
冀州に追撃すると、鄧晨は
射手千人を集めて放ち
一方で補給部隊の派遣を絶やさなかった。
光武帝が帝位に即くと
鄧晨は房子侯に封じられた。
光武帝は一方で
姉が兵乱に没した事を悲悼し、
追封して劉元に新野節義長公主と諡し、
県の西に廟を立てた。
鄧晨の長子の鄧汎を呉房侯に封じ、
公主(劉元)の祭祀を奉じさせた。
(註釈)
昆陽の戦いの時、劉秀といっしょに
城を脱出した13人のメンバーの中に
鄧晨も入ってます。
「劉将軍は、いつも
少数の敵にビビってるくせに
多数の敵を前にして勇敢だ!
助けてもらおうぜ!!」
というセリフは
誰が言ったのか書かれてませんが
鄧晨だったり?
敵が弱いときも慎重を期し、
敵が強いときは
陣頭に立ってみんなを鼓舞する。
プレイボールで倉橋が言ってましたが
これはリーダーの鉄則なのです。
劉秀躍進のきっかけとなった
河北戦線では、序盤は大劣勢。
敵の追っ手を渾身のハッタリで躱し
飢えと寒さに耐えながら、逃げる逃げる!
鄧禹は火を起こし、馮異はお粥を作り、
王覇の嘘から出た誠で起死回生。
英雄伝説にありがちな
謎の老人(たぶん劉邦)に助けられ、
信都郡まで命からがら逃げると
だんだん各地の有力者が
劉秀の傘下に入る事を表明。
上谷郡・漁陽郡の太守が味方となり
2位呉漢、4位耿弇、5位寇恂、
10位景丹、11位蓋延、15位王梁など
頼りになる武将が
どんどん入ってきます。
鄧晨は蕭何よろしく補給を担当、
手厚いサポート!
「晨發積射士千人」の
「積」がちょっとわからない。
A.鄧晨は積み重ねた矢を千人の士に放たせた
B.鄧晨は(訓練)積んだ射手千人を放った
C.鄧晨は射手千人を集めて放った
Aはないかな?
Bは拡大解釈っぽいし
Cにしてあります
劉秀の
下の姉さん、劉元は死んじゃいましたが
上の姉さん、劉黄は健在です。
「糟糠之妻」のエピソードに絡みます。
4.
建武三年,征晨還京師,數宴見,說故舊平生為歡。晨從容謂帝曰:『仆竟辦之。』帝大笑。從幸章陵,拜光祿大夫,使持節監執金吾賈復等擊平邵陵、新息賊。四年,從幸壽春,留鎮九江。
(訳)
建武三年(27)、
征伐に出ていた鄧晨は京師に帰還し
旧交のある者と平時の事について語らい
歓びをあらわした。
鄧晨は従容(寛ぎ)の場で光武帝に言った。
「《《僕》》は竟にやりましたな」
光武帝は大いに笑った。
章陵への御幸に従って
光禄大夫に拝された。
節(独断専行権の証)を持たせて
執金吾の賈復らの
邵陵や新息における賊の平定を督戦させた。
四年(28)、寿春への御幸に従って
九江の鎮撫に留まった。
(註釈)
親族の鄧奉が反逆したわけですが
鄧晨にはお咎めなしみたいですね。
「《《僕》》は、ついにやったな!」
という言葉は、かつての劉秀の
「どうして《《僕》》じゃないってわかるのさ?」
というセリフへの意趣返しです♪
「僕」はマジで天子になっちゃったからね。
このエピソード大好き。
賈復はどんどん前に出て負傷するので
監視しておかないとやばい。




