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淡々後漢書  作者: ンバ
第二十二、朱祐伝
102/102

四〜六、大の字はいらない

4.十五年,朝京師,上大將軍印綬,因留奉朝請。祐奏古者人臣受封,不加王爵,可改諸王為公。帝即施行。又奏宜令三公並去『大』名,以法經典。後遂從其議。

5.祐初學長安,帝往候之,祐不時相勞苦,而先升講舍。後車駕幸其第,帝因笑曰:『主人得無舍我講乎?』以有舊恩,數蒙賞賚。二十四年,卒。

6.子商嗣。商卒,子演嗣,永元十四年,坐以兄伯為外孫陰皇后巫蠱事,免為庶人。永初七年,鄧太后紹封演子沖為鬲侯。

(訳)

 十五年、京師へ至って大将軍の印綬を返上し、そこで留まって朝請を奉じた。朱祜は、古代では人臣が封土を受けても王の爵位を加えなかったことから、諸王を改めて公とするよう上奏した。帝は即座に施行した。

 また、三公(大司馬、大司徒、大司空)から揃って「大」の名号を取り去らせて経典にのっとるべきと上奏した。その後、遂にはその議に従うこととなった。

 朱祜が長安へ遊学した当初のこと、光武帝は彼のもとへ向かって待っていたのであるが、朱祜は適時にその労苦をかえりみる事なく、先に講舍へ昇ってしまった。

 その後、車駕が朱祜のやしきへ御幸した際、光武帝は笑いながら言った。

「(この家の)主人は、我を捨て置いて講義を受けたりしないだろうね?」

 旧恩が有った事から、しばしば褒賞や下賜を蒙った。二十四年(48)に卒した。

 子の朱商が嗣いだ。朱商が卒すると、子の朱演が嗣いだ。

 永元十四年(102)、外孫の陰皇后が呪術を用いた事件に長兄が連座した事で、庶民に落とされてしまった。

 永初七年(120)、鄧太后は朱演の子の主沖に封地を継がせて鬲侯とした。



(註釈)

大司馬、大司徒、大司空



太尉、司徒、司空


と三公の名称が変化したのは、

朱祜の意見だったのか。


大司馬から大とって「司馬」だと

ただの一般軍事管理になっちゃうから

太尉になったんだろうね。


おしまい、席次8位の割に

思ったより短かったわね。


─朱祜の評価

戦闘 ★★★★★★★ 7


鄧奉に捕まってるイメージがよくない

賈復が大ダメージ受けてるくらいだから

鄧奉が強いんだけど。


戦略 ★★★★★ 5


内政 ★★★★★★ 6


人格 ★★★★★★★ 7

コーエー査定したら

魅力が一番高くなりそうな気がする。


これにて朱祜伝を終わります。


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