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淡々後漢書  作者: ンバ
第二十二、朱祐伝
100/102

一、光武の旧友

雲台二十八将、8位の朱祜しゅこ

後漢書では安帝の避諱で

朱祐しゅゆう」と表記されてます。

1.

朱祐字仲先,南陽宛人也。少孤,歸外家復陽劉氏,往來舂陵,世祖與伯升皆親愛之。伯升拜大司徒,以祐為護軍。及世祖為大司馬,討河北,復以祐為護軍,常見親幸,舍止於中。祐侍宴,從容曰:『長安政亂,公有日角之相,此天命也。』世祖曰:『召刺奸收護軍!』祐乃不敢復言。從征河北,常力戰陷陣,以為偏將軍,封安陽侯。世祖即位,拜為建義大將軍。建武二年,更封堵陽侯。冬,與諸將擊鄧奉於淯陽,祐軍敗,為奉所獲。明年,奉破,乃肉袒因祐降。帝復祐位而厚加慰賜。遣擊新野、隨,皆平之。

(訳)

 朱祜しゅこは(原文は安帝の避諱で朱祐)字を仲先ちゅうせん南陽なんよう(えん)県の人である。少くして孤児となり外家(母方)の復陽(県)劉氏に帰属して舂陵しゅんりょうを往来し、世祖せいそ劉秀りゅうしゅう)と伯升はくしょう劉縯りゅうえん)はいずれも彼を親愛した。

 伯升が大司徒だいしとに拝されると朱祜を以て護軍とした。世祖が大司馬だいしばとなるに及んで河北を討伐し、再び朱祜を以て護軍とした。

 常に世祖から寵愛され(軍?)中に停留した。朱祜は宴席に侍坐し従容(寛ぐ、寛ぎの場で)して言った。

「長安の政は乱れているが、貴公には日角の相がある、これは天命なのだ」

 世祖は言った。

「刺奸を召して、護軍(朱祜)を収監させるぞ!」

 朱祜はそこで二度と言おうとはしなかった。

 河北征伐に従い、常に力戦して陣を陥落させた。偏将軍となり、安陽侯に封じられた。

 世祖が即位すると拝されて建義大将軍となった。

 建武二年(26)、改めて堵陽侯に封じられた。

 冬、諸将とともに淯陽にて鄧奉とうほうを撃とうとするも朱祜の軍は敗北してしまい、鄧奉の為に捕われる所となった。

 翌年、鄧奉は敗れるとかくて肉袒し(肌ぬぎになって、いくらでも叩いてくれという謝罪の気持ちをあらわす)、朱祜を介して投降してきた。光武帝は朱祜の位を復旧させ手厚き慰労と下賜をくわえた。

 新野・随への攻撃に派遣され、これらを全て平定した。


(註釈)

朱祜は劉秀の旧友ポジション。

事あるごとに冗談を飛ばしている

遠慮のない間柄。


劉秀はおでこが出っ張っていて

太陽みたいに見える事から

「日角の相」といわれる。


朱祜「おお文叔よ、長安は乱れておる。デコが出っ張っているそなたにこそ天命があるぞ」


劉秀「おまわりさんコイツ逮捕してー」


みたいなノリ。


南陽で鄧奉が叛逆した時には

鄧奉に敗れ、捕まってしまった。

呉漢もやられてるし

賈復かふくも大ダメージ受けてるあたり、

これは朱祜が弱いんじゃなくて

南陽の精鋭率いてる鄧奉が強いんだよね。


光武帝が親征すると

鄧奉は結局、朱祜を仲介として投降した。


光武帝は、彼が叛逆したのは

南陽で略奪をはたらいちゃった

呉漢ごかんの手落ちであったとして

赦すつもりでいたけれど、

岑彭しんほう耿弇こうえんが反対。

とうとう鄧奉は処刑された。


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