第5話 松原首相
「結城ミサオくん」
俺の隣に座る松原首相が口を開く。
「大学に合格するも四年間一度も通うことはなくそのまま退学。現在二十三歳で無職。ご両親と中学三年生の妹さんとの四人暮らし……で合ってるかな?」
老体に反して鋭い眼差しを俺に向けてきた。
「ええ、まあ……というか、あの、松原首相ですよね?」
もしかしたらそっくりさんの可能性もあるので念のため訊ねてみる。
すると、
「私のことを知ってくれているんだね。よかったよ。最近の若い人は私のことなど知らないんじゃないかと少々不安だったものでね」
松原首相は苦笑いをしてみせた。
「いや、さすがに日本の総理大臣の顔と名前くらいは誰でも知ってますよ」
「そうかな。だといいんだけどね」
そう言って幾分顔の表情が和らぐ。
「あの、ところで俺、何かまずいことでもしましたか?」
一国の総理がわざわざ俺みたいな若造に時間を割いて会いに来るなど普通は考えられない。
俺は頭をフル回転させ自分の過去の行いを振り返った。
「いやいや、まずいことなんてしてないよ。むしろその逆と言うべきかな」
「逆……?」
松原首相は俺の問いには答えずそう言ったきり口をつぐんでしまう。
車内にはクーラーの音だけが聞こえていた。
俺は沈黙に耐えかねて窓の外を見やる。
何をしてるんだろ、俺。
そんなことを考えた矢先、
パンッ!
大きな衝撃音とともに俺の後頭部に何かが当たる感触がした。
振り返り見ると松原首相が拳銃を強く握り締め、その銃口を俺に向けていた。
やや手が震えている。
「え? 今、もしかして撃ったんですか? 俺を?」
「き、聞いてはいたが……す、すごいな……あ、ああ、すまない。どうしても自分の目で確かめたかったんだ。いや、本当に申し訳ないっ。この通りだっ」
そう言いながら松原首相は深々と頭を下げる。
俺は一瞬頭の中が真っ白になってしまったが、気を取り直して松原首相に話しかけた。
「確かめるってどういうことですか?」
「ダンジョンがこの世界に生まれたことはもちろん知っているね」
「はい」
「そのダンジョンに世界各国の軍隊が派遣されたことも知っているかな?」
「ええ、ニュースでやってますから」
普段ニュース番組などめったに見ない俺だが、ダンジョン関連の話は普通に暮らしているだけでも耳に入ってくる。
「日本も多分にもれず自衛隊を派遣したんだけどね、どこの部隊もまともな成果は得られずに戻ってきたんだよ。その中には重傷者も多数いる、報道はされていないけどね。ああ、ちなみに自衛隊は軍隊ではないよ、一応ね」
「……そうですか」
話が回りくどくて要領を得ない。
結局何が言いたいんだろう。
「ダンジョンの中にはモンスターという未知の生物がいてね、そいつらが襲ってくるらしい。かなり強いみたいでね、こちらは銃火器も使えないし、自衛隊の幕僚長曰はく今までに死人が出ていないことが不思議なくらいなんだそうだ」
「はあ……」
「その中でも弱いと踏んでいたスライムというモンスターに体当たりされた自衛隊員の一人はね、まるで軽自動車に追突されたような衝撃だったと話したそうだよ」
「え、スライムがですか?」
スライムの体当たりが軽自動車?
俺にとっては蚊が触れたみたいなものなのだけれど。
「聞くところによるとミサオくんはそんなダンジョンから無事に、しかもアイテムとやらも持って戻ったそうじゃないか。それできみの強さを試してみたくなったわけだよ。いや、もう一度謝る、本当にすまなかった。申し訳ない」
「まあ、別にいいですけど」
拳銃で撃たれようが大して痛くもないし。
「でも俺が普通の人間だったら死んでましたよ」
「あ、ああ。でもね、ミサオくん、きみが普通の人間ではないことは知っていたんだ。実を言うとね」
すーっと静かに車が停まった。
どこかに到着したようだ。
「知っていた? どういうことですか?」
「きみは異世界で勇者だったんだろう? そして、その世界の魔王を倒して戻ってきた」
俺の目をみつめ松原首相が口にする。
「なんでそれを……?」
「さあ、着いたよ。続きはこの中で話そう」
黒服の男性によって外から車のドアが開けられた。
俺の目に飛び込んできたのはテレビで見たことのある外観をした建物、いわゆる首相官邸というやつだった。