8話 議論合戦
真っ暗な深海の底。何も見えず、何も聞こえず……けれども揺られていると、もうずっとこのままでもいいような、そんな風に思えてしまう。不思議だ。
────目を覚ますと、視界に広がったのは白い平面で、それが天井だと気が付いたのは、瞳の焦点が合ってきた頃だった。
体の上に何かがかけられており、頬に、少しざらっとした布生地が当たる。そこはベッドの上だった。
現世に戻ったことに気が付いた瞬間、ノアはガバッと身を起こした。
「ああ危なっ!? 今さっき三途の川渡りかけたんだけど!?」
顔を青くしながらノアが言う。というか、三途の川に沈んでいた気がするが……気のせいか。
「よ、良かった~! ノアさんが起きた~!」
その声で、初めてモニカが、ノアのすぐ隣にいたことに気が付いた。
モニカは安心からか、全身の力が抜けたようにベッドにしがみついていた。
「お、おうモニカ。なんか、心配かけたようでごめん……」
どうやら自分が寝ている間、ずっと傍で看病していてくれたらしい。モニカに礼を言い、気持ちを切り替えるようにノアが言った。
「──あの後、何があった? あの女は?」
「えっと、順番に説明しますね」
モニカは椅子に座り直し、姿勢を正した。
「まず、ここは病院の病室です。“回復魔法”が使えるお医者さんに頼んで、ノアさんを侵食していた毒を浄化してもらいました。なのでもう毒の心配はありません」
心臓の辺りに手を当てる。確かに、吐き気や目眩といった嫌~な感じはもうしない。改めて、毒魔法の恐ろしさを思い知らされた。
「そうか。ところで、モニカは回復魔法を使えないのか?」
モニカが頷く。「はい、回復魔法は、他の魔法と性質がまったく異なるので」
「えっ、どういうことだ?」
「あれ、もしかしてご存知ありませんか?」
「ありません」きっぱりと言い切る。
「あはは……では、ご説明します。
回復魔法というのは毒魔法から派生した魔法の一種です。普通、魔法の力は破壊を目的とした力なのに対し、回復魔法はそれらとはまったくの正反対、直す魔法であるため、他と比べ性質がまったく異なります。そのため、回復魔法を覚えた者は、もう二度とそれ以外の魔法が使えなくなるといわれているんです」
「な、なんで性質が異なると、それ以外の魔法が使えなくなるんだ……?」はてなマークがノアの頭の上をグルグル回る。
「諸説ありますが、一般では、体内から放出する魔力の経路が他の魔法と異なるから、だといわれています。回復魔法は魔力の流れが複雑なので、それに慣れてしまうと逆に簡単な魔力の放出が出来なくなってしまうんだと思います。
あとちなみに、回復魔法は普通の魔法と比べ魔力の消費が大きいので、扱う者はとても少数なんです。回復魔法が使える医者が丁重に扱われるのには、そういった背景もありますね」
回復魔法が使える医者が丁重に扱われるなんて話は初耳だったが、それは言わないでおこうとノアは心に決めた。
「成る程なぁ。ありがと、理解できた」
「それは良かったです」
「モニカの方は毒、大丈夫だったのか?」
「私は毒に耐性があるので大丈夫でした」
「えっ、耐性?!」
「はい。毒魔法が使える者の中には、稀に毒に対して耐性を持つ者もいるので」
「そ、そうなのか」
全属性の魔法が無詠唱使えて身体能力も高く、おまけに毒耐性持ち。なんだこのチートステータスは。
「そういや、俺はどれくらい寝てた?」
ちらっと窓の外に目をやる。
太陽の明るい光が、窓越しにノアの目に入ってきた。窓から下を見ると、数人の子供が追いかけっこをして遊んでいた。その笑い声が微かに聞こえてくる。
「えっと──ざっと半日以上は」
「半日?! マジか、そんなに寝たの、一週間ぶりだ……」
「結構最近あるんですね……」呆れが混じった表情で苦笑される。
「あれ、そうだカイルは?」
「ここにいる」
「うわっ!?」
誰もいないと思っていた背後から声が聞こえたことに驚き、ベッドの上で体を仰け反らせる。振り返ると、カイルが椅子に座ってこちらを見ていた。
「びっくりしたぁ……まさか背後にいたとは……」呼吸を落ち着かせるように、胸を撫でる。
「リアクションが大げさだ。……どうだ、体の具合は」
カイルが表情を一切変えないまま尋ねてきた。これでも一応、心配はしてくれているらしいが、表情からそれを読み取ることは困難である。
「ん~……うん、大丈夫。特に苦しさも気だるさもない。──強いて言うなら、お腹減った」それと同時に、グーっと腹の虫が鳴る。
「あはは……そうですよね。ほぼ一日何も食べていないんですから」モニカが立ち上がった。「待っててください。売店で何か買ってきます」
「ああ。ありがとう」
部屋を出るモニカの背中を見送り、ノアは改めてカイルに向き直った。
「そういえば、ここってゲルマ森林の近くにあるっていう街の病院なのか?」
「ああ、そうだ。モニカに呼ばれて駆け付けてみれば、ノアがぶっ倒れて動かなくなっていて驚いた。そんな状態のノアを、ここまで運ぶのは大変だったぞ」
「あはは、まったまた~。そんなこと言って~、ほんとは然程苦労なんてしてないんだろ?」笑いながら言う。
「ご名答」
「はは、やっぱりな」
カイルなら人一人、いや、人三人くらいなら、担ぐのも容易いだろう。
「……ところでさ、カイル。お前に尋ねたいんだが──」
「うん? なんだ?」
「──この、俺がいつも首に下げているペンダントに、殺してでも欲しくなるような価値があると思うか?」
服の下に隠れていたペンダントを出し、カイルへ見せる。ノアの体温で、ペンダントは温かくなっていた。
真ん中に嵌め込まれた白い宝石が、いつ見ても映える。
「…………っ!?」
ペンダントをまじまじと見た後、カイルが何かに気が付いたように、目を見開く。いや、そういう風に見えた気がしただけかもしれない。
「どうした?」
「……いや。──特にこの白い宝石は綺麗だと思うが、殺してでも欲しいかと尋ねられれば……」カイルは横に首を振った。
「……やっぱそうだよなぁ。あの女──セイラはなんでこんなのを欲しがったんだろ」
こんなの、と言ったこと、ちんけなペンダント呼ばわりしたことと含めて、絶対後でキャロルにフルボッコにされるな、と思う。
「敵の狙いは、そのペンダントだったのか?」
「みたいだぜ」ペンダントを服の下に戻す。「でも、なんでセイラはあんな所にいたんだろ? ペンダントが目的なのは分かったんだが、俺たちがジャバウォックを討伐しにあそこへ行くことを知っていたわけじゃあるまいし……」
「もしかすれば、女はそのジャバウォックと、何か関わりがあるのかもしれないな」
「関わり? はっ──! まさかセイラは、ジャバウォックに育てられた野生児?!」
「いやそれはないだろ」
すると扉が開き、ビニール袋を提げたモニカが戻ってきた。
「軽食をいくつか買ってきました。お好きなものをどうぞ」
机の上に、おにぎりやつまみ物、ジュースのペットボトル等が並べられる。
「おお旨そう、サンキューな」
そう言い唐揚げを一つ摘まんだ。屋台で食べる物程ジューシーではなかったが、それでも空腹の体では何でも美味しい。
「そうだ、モニカは怪我大丈夫だったのか?」
「はい。そこまで大したことなかったので。……ただ、不意打ちだったとはいえ、もっと辺りを警戒しておくべきでした……」
モニカがしょぼんと肩を落とす。小柄は体が、よりちいさく感じられた。
「まあまあ、そう気に病むなって。あいつの実力での不意打ちは、俺でも避けきれないかもしれないしさ」
「……やっぱり、ノアさんから見ても強かったんですか?」
「ん~まーな。勝てないような強さではなかったけど、ただの人間が出せる力じゃなかったことは確かだ」そう言いペットボトルのお茶を飲む。
「彼女は、何故あんな場所にいたのでしょうか?」彼女とは、無論セイラのことを指す。モニカも唐揚げを一つ口に入れた。
「それはさっき、俺たちも話してたところだ。カイルがいうには、ジャバウォックと何か関係があるんじゃないかって」
隣でカイルが頷いた。
「関係?」モニカが首を傾げた。「もしかして、ジャバウォックに育てられた野生児とか──」
「なんでお前らは揃いも揃って……野生児なわけないだろ」横からカイルが口を挟む。確かにこれは、挟まずにもいられない。
「あ、あはは……ですよね……」
「じゃーカイルは何か案あるのかよぉ」
「ある」カイルはきっぱりと言い切った。「考えられる可能性は三つだ」そして右手の長い人差し指,中指,薬指を立てる。
「三つもあんの?! お前の頭の回転どうなってんだ……」
「ノアがアホ過ぎるだけだ」
「なんっ……!」
「モニカも、大方の検討はもうついただろ?」
「あ、はい。一応は……」
「え、待ってモニカもこの短時間で?!」一人だけ会話に置いてけぼりにされ、焦るノア。
「まず一つ目の可能性は──」ノアを無視して、カイルが話を続ける。「特に理由はない、セイラが偶然あの場にいただけという説。二つ目の可能性は、森にいたジャバウォックがセイラの手下だった説。そして三つ目の可能性が、何らかの方法でノアの居場所を知り、あの場で待っていたという説だ」
「あの、セイラというのが、あの女性の名前なんですか? あと、なんでノアさんを待つ必要が?」
「あれ、もしかしてモニカ、俺とセイラの会話聞こえてなかった?」
「はい。距離があったのでよく聞き取れなくて」
「──そうだ、あいつの名前がセイラっていって、セイラの目的は、俺のこのペンダントらしい」
服の下からペンダントを取り出し、モニカにも見せた。
白い宝石がキラリと光り、それにモニカが見とれているのが分かる。
「綺麗……」吐息のようにそう呟いた。「どうしてセイラさんは、このペンダントを狙っているんですか? 確かに綺麗ですけど……」
「さぁーなぁ、俺らにも分からねーよ。これにそんなに価値があるのかねぇ……」
「そのペンダントは、ノアさんの物なんですよね?」
「そうだ。一応両親の形見」
その瞬間、一瞬場の空気が凍りついた。
「……ご両親、亡くなられてるんですか?」
「──そ~。すげー優しい人たちだったってのは何となく印象に残ってるんだけど、正直言って、顔とかの記憶はまったくない。……だからこのペンダントが本当に両親の物なのかどうかも、実際には分からないんだよなぁ。俺が施設に預けられた時から持っているらしいから、多分両親のだと思うけど……」
「それ、ノアの両親の形見だったのか。俺も初耳だ」
「カイルさんもなんですか?」意外そうに、モニカが驚いた表情を見せた。
「まあそんなこと、話すような機会がそもそもなかったからな」
……これが両親の形見なら、キャロルはノアの両親のことを知っているのだろうか──そう思い、以前に尋ねたことがある。しかし、反応は目ぼしいものじゃなく「はあ? 知らないわよ。私だって、気が付いたらこのペンダントの中にいて、それをあんたが持っていたんだから。とゆーか、それより前の記憶とか、私ないし」と言い返された。キャロルの、“記憶がない”という言葉が引っ掛かったが、それ以上はキャロルが面倒臭そうにしたため聞くことを止めた。それ以来、キャロルと両親に関する話はしていない。
「まあ俺の昔話はいいんだよ。議題は、セイラがこのペンダントを狙う理由だ。それと、セイラがあそこにいた理由。後者に関しては、頭脳明晰カイルさんが三つ案を出してくれたが、どれも判断材料に欠けるからこの議題は一旦置いておく。はい誰か~、ペンダントの方で考察がある人~!」
「ノアも考えろよ」
「俺のことをアホ呼ばわりしたのはどこの誰だったか」
「あ、じゃあ私から」モニカが手を小さく挙げた。「やっぱり、そのペンダントに何かしらの価値があると考えるのが妥当ではないでしょうか。価値がない物を欲しがるというのは考えにくいですし……」
「ふむ……それもそうだな。実はこのペンダントが、超有名な芸術家に手によって作られたっていう可能性もあるわけだし……」
無論、仮にそうだったとしても、美術知識皆無のこの三人の中で、その価値が分かる者がいるわけがなく、これも判断材料に欠ける。
「あとは、元々そのペンダントはセイラの物だったが、何らかのことが原因でノアの両親の手元に渡ってしまって、それを取り返すためとか、そんな感じか」
「あ~なんか劇とかでそういうのありそう」
「もしそうだったとしたら、何だか私たちが悪者みたいですけどね……」
「──よし、今度セイラに会ったら聞いてみるか」
「まぁ、答えを知っているのはセイラさん本人だけですしね」
「だけど敵に直接聞こうとするなんて、ノア程のアホしか考えないだろうけどな」
「お前さっきからアホアホうるさいぞ?? ポジティブシンキングと言ってくれ」
「それは、ちょっと意味が違うような……」
「あーー! やめやめギブ、議論終わり! 全員解散!」
結局何も答えは得られないまま、話し合いはノアのその一言で打ち切られた。
辺りの壁を見る。掛け時計を探そうとしたのだ。「え~と、今って何時だ?」
「大体9時前後ですね」ノアが時計を見つけるよりも先に、モニカが答えてくれた。
「結構丁度いい時間だな。この後どうする? 俺別にベッドで安静にしておく必要もないんだよな?」
「じゃあ、折角ですしこの街の観光でもしませんか? 最近、モンスター討伐ばかりで慌ただしかったですし、今日はのんびりしましょう」
「いいな観光、賛成! カイルはどうする?」
そう尋ねると、カイルは首を横に振った。「悪いが、俺は遠慮する。眠い……宿で先に休んでる」
「へいへい、相っ変わらずの省エネ主義だことで。──じゃあ行くか」
靴を履いてベッドから降り、寝ていた体をグッと伸ばした。
モニカがご飯の後始末をしてくれた後、病室を出て一階のカウンター窓口で手続きを済ませる。思っていたよりも、治療費は安いようで安心した。
病院の外に出ると、窓越しに見た時よりも太陽の光が眩しく感じられた。空は気持ちのいい晴天だ。
「俺はそこの宿にいるから……」
今にも瞼が閉じてしまいそうな微睡んだ表情でいるカイルが、宿にたどり着く前に寝てしまうのではないかとハラハラする。
「分かった。日が落ちる前には俺らも戻るよ」
「ああ…………たまには無邪気に楽しめよ」
「「えっ……?」」
「じゃあ……」くるりとノア達に背を向け、カイルは欠伸を漏らしながらその場を立ち去って行った。
「……あいつ、時々お母さんみたいなこと言うよな」
「性別的にはお父さんじゃないですか? でも、一緒にいるとお母さんみたいに安心するっていう意味では、よく分かります」
「まあ、年齢も含めて考えれば仙人だけどな」あのカイルが仙人だと考えると、おかしくて笑いが溢れた。
同じことを考えたのか、モニカもクスクスと笑う。
「んじゃ~楽しむか、久々のフリータイム!」
「はい!」
この後に起こる一つの出会いを、ノア達はまだ知らない。
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