25話 独りぼっちだった怪物
全ては、一瞬の出来事。
マインドに剣で斬りつけられ、胸から腹にかけて大きな傷を負ったアガレスは、着地と同時に体を後ろによろめかせて尻餅をつき、地面に仰向けで倒れた。
マインドは空中で身を捻り、アガレスの背後に着地する。
アガレスは傷口を押さえ悶えながら、血を吐き出すような荒い呼吸を繰り返した。
傷が癒える様子はない。
茂みから彼らの激しい闘いを見ていたノアは、何が起きているのか訳が分からなかった。
「なんでアガレスの傷が塞がらないんだ?!」
ノアの疑問に、横で共に闘いを観戦していたカイルが答えてくれた。
「さっき、モニカがマインド達に何かを提案したような素振りを見せた。その後、マインドが積極的に前方へ出てモニカとセイラが後方に下がったことを考えるに、恐らくモニカは何かしらの魔法か術(=呪文)を発動させるために、魔力を貯めていたのだろう。普通の魔法の場合なら、魔力をイメージに合わせて放つだけでいいから、魔力量化け物のモニカに限ってそれはないだろう。術の場合は、放つ前に少し魔力を練って編み合わせる必要がある。だから、モニカは何かしらの術を発動しようとしていたと考えられる」
「お、おう……。説明長すぎて全然理解できねぇ……」
「じゃあ結論を言おう。モニカは“魔法無効化の術”を使ったんだ」
「“魔法無効化”? そんなのがあるのか? てか“術”って何?」
「術は呪文のことだ。覚えておけ。“魔法無効化の術”を使ったのだとすれば、アガレスが回復魔法を使えないことにも説明がつく」
「ほうほう……。てことはモニカ、自分の得意武器を捨てて、マインド達に命運を託したってことか? 凄いな、普通は躊躇うものだと思うけど」
「それだけモニカがこの闘いの中で、マインドとセイラを信頼したということだろう」
「……そっか」
マインドは剣を構えたままでいた。
いつアガレスが起き上がっても対応できるようそうしていたようだが、アガレスが起き上がるような様子はなかった。
彼の傷口から血が止まる気配はなく、下にできた真っ赤な水溜まりはどんどん大きくなり、緑の芝生を真っ赤に染めていく。
「クソ……が。なんで、僕が、こんなっ……! ──ムカつく。ムカつくムカつくムカつく……っ!」
笑みが消え、怒りと憎悪だけが残った表情は醜く歪み、それは何かに酷く取り付かれた哀れな怪物のようだった。
その怪物を焼き焦がすように、陽光が一番高い空から降り注ぐ。
悪態をつくアガレスへ、マインドはきちんと目を見て言う。
「お主の言う通り、弱者は強者に喰われ、強者が弱者を喰うのが、この世の摂理なのだとすれば──お主は今回、喰われる側だったのだ」
それを聞いたアガレスの表情は更に歪み、口調を荒げて次々と言葉を捲し立てた。
「僕を弱者と一緒にするなっ!僕は最強の力を手に入れてこの腐った世界を変えてやるんだっ!お前らごときに負けるなんてあり得ないっ!そもそも何故魔族の長が人間に手を貸すっ!お前は本当に何も分かってないっ!いいかこうなったのは全部全部お前のせいだっ!お前が使えない魔王だから僕がこうして動いて折角お前の代わりに僕が皆に魔族の誇りを思い出させてやろうとしたのにっ!なのになんで、なんでお前がそれを止めるんだよっ!なんで誰も僕の清高な理想を理解しようとしないんだよっ!!」
アガレスは「はあはあ」と、先程よりも苦しそうに息をした。
ほうっておけば、あと数分もしない内に出血多量で死に至るだろう。
アガレスの言葉を聞いたマインドは、その場で顔を伏せ動かなくなった。
仲間思いで優しいマインドのことだ。アガレスの言葉をそのまま受け止め、魔王としての自分の不甲斐なさを呪っているのだろう。自分が魔王として中途半端だから、アガレスはこんな最悪な行動に出て、セイラやたくさんの人が悲しい思いをすることになったと。
アガレスの最後の叫びは、駄々を捏ねる子供のようにも聞こえた。誰かに何かを懇願するような声。
──そうか。
アガレスも初めは、ただ理解してもらいたかっただけなのかもしれない。魔王マインドや彼以外の魔族たちに、自分の夢と理想を。
それが、何かをきっかけに捻じ曲がってしまって、こんなことになってしまっただけなのだ。
根拠のないただの想像だ。しかしノアは、何故かそう確信していた。
彼は、独りぼっちだった哀れな怪物だ。
「アガレス……確かに我は、お主のその理想を理解してやることはできなかった。だが、我はお主のことを大切な仲間だと思っておったぞ。……今更伝えても、もう遅いのかもしれぬがな……」
「……」
アガレスは何も言わなかった。
アガレスの呼吸が次第に細くなっていく。
まさに命の灯火が消えかかるギリギリの状態。そこで呟いた彼の独り言は、誰の耳にも届かぬまま消えて行った。
「──僕は“あの方”に、救われたんだ……」
突然、アガレスから生えた黒い枝が、猛スピードでセイラを貫かんと迫った。
「なっ……!?」
ぐったりとした様子の彼の身に、まだそんな気力があったとは思いもしなかった。
誰も反応できないような一瞬のうちに、黒い枝の先端はセイラの眼前にまで迫っていた。
しかし、そこまでで黒い枝は止まり、『パリッ』とガラスが割れるような音と共に、黒い枝の先端に亀裂が入った。
その亀裂はみるみるうちに大きくなり、なんと、その黒い枝を伝ってアガレス自身の身にも無数の亀裂が入った。
「っ──!?」
既に瞳を閉じた状態でいるアガレスは、もうピクリとも動かない。今彼が生きているのか死んでいるのかも分からない。
亀裂の入ったアガレスの身は『パリンッ!』を音を立てガラス細工のように粉々に割れ、跡形もなくその場から消えてしまった。
信じられないような光景に、全員が驚きで声も出せずその場で固まった。
しかし訳の分からないことはこれで終わらなかった。
粉々に割れて消失したアガレスが元いた地面の宙には、橙色をした美しい小さな水晶玉がフワフワと浮いていた。それはどうやら、アガレスの体内から出てきたもののようだった。
その物体が何なのか、ノアにはさっぱり分からなかったが、他の四人には思い当たる節があるらしく、そろって目を見開いていた。
最初に口を開いたのはマインドだった。
「何故、“大地のオーブ”がアガレスの中に……」
これが“大地のオーブ”?
やはり訳が分からない。訳の分からないことが起こり過ぎて頭が爆発寸前だ。
マインドの言葉のすぐ後、“大地のオーブ”は遠く彼方の東の方角へ飛び去ってどこかへ行ってしまった。
「な、何が起きたの……?」
セイラが困惑した様子で呟いた。
「分からない……」
ノアは首を振った。
マインドとカイルとモニカは、立ち尽くしたまま言葉を発しようとしなかった。
何か思い当たることがあるのだろうか。
重たい空気と共に風が吹く。この時期特有の乾いた北風だ。
照りつけていた太陽の光も、今は雲に隠されて届かない。
ペンダントは無事。アガレスも倒した。
にも関わらず、彼らの心にはモヤモヤとしたものが残ったままだった。
アガレスを閉じ込めていた電気の檻も、気が付けば消えていた。
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