23話 反撃
『ザクッ』
耳を塞ぎたくなる鈍い音と共に、アガレスの剣がセイラの胸に深く突き刺さった。
傷口からゆっくりと、まるで花が咲くように血が滲み出す。
機能を停止させた体は、そのまま重力に従って、地面に倒れた。
「セイラッ!」
「アハハハハハ! ざまあみやがれ! 僕に歯向かうからこうなるんだ! あ~あ、素直に言うことを聞いていれば、あともうちょっとの間は生かしておいてあげたのに……」
「ッテメー!!」
「アハハハ♪ 大丈夫。すぐに君たちも向こうに送ってあげるから。だからそんなに悲しまなくてもいいよ」
「……っ!」
心底胸糞が悪かった。
彼からは、一切の罪意識が感じられない。他人の命というものに対して、何も思っていないのだ。寧ろ、命を奪うという行為を楽しんでいる。
消えた命は、もう元には戻らないというのに。
…………そう、一生……。
「……」
「あれ? そんなに彼女が死んだことがショック? アハハ、もうまともに口も利けないみたいだね」
相手を嘲るような口調で言う。
その時、後ろからノアの両隣を、二体の電気の竜が通り過ぎた。モニカの魔法だ。
二体の竜は一直線にアガレスへ向かって行く。
「おっと」
アガレスは一度地面に剣を突き刺し、それを弧をえがくように思い切り抜き取った。たちまち、竜巻のような砂埃が、アガレスと電気竜の間に発生する。
電気竜は砂埃の竜巻にのまれ、消失した。
「電気を金属の剣で受け止めるわけにはいかないからねぇ。君の魔法属性は、大方電気と大地かな? その年で二つの属性の魔法を操れるなんて凄いね」
「……」
アガレスの言葉には一切反応せず、モニカは大地魔法を発動させ、彼の足元に先の尖った岩の柱を出現させた。
しかしこれも容易くかわされる。
「視線が地面に向いてる。バレバレだよ」
ノアは詠唱を唱え炎を宿した剣で、再びアガレスへ斬りかかった。
刃が勢いよくぶつかり合い、カーンと甲高い金属音が響く。
炎を宿して攻撃の威力を上げたにも関わらず、アガレスとの斬撃戦の状況は、先程と何も変わらなかった。
それでもノアは剣を振るい続けた。
剣がぶつかる度、金属音が頭に直接響いて痛い。
五秒が経過し、ノアは地から足を離し、後ろに大きくバク宙をした。
それと同時、ノアがいた後ろから、地を割りナイフのような岩がアガレスへ向かってきた。
モニカとマインドが発動させた大地魔法だ。
ノアはこれらが地を割って向かってくる音を誤魔化すために、わざと激しい斬撃戦を行い、剣の音で大地の音を掻き消していたのだ。
ついでに、アガレスから見れば、向かってくる岩の柱はノアの体で隠されて見えない。
「うわっと」
アガレスはギリギリで体を捻らせ、岩の直撃を免れた。
ノアは目を見開く。まさか、既に眼前にまで迫ってきていた岩を避けるとは……。
「はあ……成る程、君は囮だったんだね。これはちょっとしてやられたな」
おちゃらけた様子でアガレスが言う。言葉とは裏腹に、驚いた様子は少しもなかった。
「……お前、気付いてたな?」
ノアはアガレスを睨み付けた。
「あはは、それだけ強大な魔力を宿したお嬢さんがいたら、魔法を警戒するのは当然だろう?」
確かにそうだ。
いつどこで相手が巨大な魔法を放ってくるか分からない状況では、それを警戒するに決まっている。
「ふふ、君たちの立ち位置は、魔力を感知すれば容易に分かる。立ち位置さえ分かれば、そこからどんな攻撃を仕掛けてくるのか、ある程度は予測できる。それが分かっていれば、あの女も死んで、三人だけになった相手をさばくのに、それほど苦戦はしないさ。まあ元から、あの女が戦力に入っていたのかは怪しいけどね」
「……っ」
ノアは唇を噛んだ。
悔しいが、アガレスは強い。
人間より遥かに優る身体能力を持った、魔族という種であることも大きいが、何より戦闘経験や戦闘知識が豊富にある。それらを生かして、自分の身体能力を完全に把握している。
ノアはまだたった16歳の人間、戦闘経験も、千年以上を生きたアガレスと比べれば乏しいものだ。
だから、ノア一人では勝てないかもしれない。
そう、彼、一人なら──
『ザクッ』
肉を貫く鈍い音が聞こえた。
「ガハッ!?」
同時にドスッと、誰かが膝から崩れ落ちた音がした。
音がした方向へ視線を向ける。
そこにあったのは、貫通した剣の先が胸から顔を出した、アガレスの姿だった。
アガレスの後ろに立った人物が、彼に刺した剣をブズリと抜く。
すると彼の傷口からは、おびただしい量の血が噴き出した。
アガレスは胸の傷口と、血を吐く口を押さえて、そのまま地面に顔をつけて蹲る。
彼は顔だけをなんとか後ろへやった。
彼の表情からは笑みが消え、ぞっとするような憎悪だけが残っていた。
自分を刺した人物を見て、アガレスは目を見開いたことだろう。
「げほっ!? ごほ……な、なんで……?! そっちには、誰も……! はっ……はっ……それにお前、なんで生きて……?!」
「……魔法攻撃を恐れて魔力を警戒したお前は、逆に魔力を感知しなかった方向への警戒を怠る。そこを狙ったってわけさ」
ノアは、這いつくばるアガレスを見下ろして言った
“彼女”には、モニカがかけた“認識阻害の結界”が張られていた。
だからアガレスは、“彼女”の魔力を感知できず、後ろに人がいることに気が付けなかった。
「──セイラさんは、あの時殺されてなんていなかったんですよ」
モニカは淡々とした口調で告げた。
血のついた剣を持ち、アガレスの後ろに立っているセイラは、冷酷な瞳をしてアガレスを見下ろしていた。
「何故だ……? 僕はあの時確かに、心臓に剣を刺してお前を殺したはず……!」
アガレスの表情から、先程まであった余裕が消える。
「そちらが“呪術”を使うなら、こちらは“呪文”を使ったまでです。“幻覚呪文”。あなたがノアさんとの戦闘に意識が向いている間に、カイルさんの姿がセイラさんに見える幻覚呪文をかけさせていただきました」
「カイル……? まさか、あの勇者もどきもこの場にいたのか……?!」
「──いた、じゃなくている」
そう告げると同時に、カイルはアガレスの前に姿を現した。
アガレスがセイラを刺し殺した瞬間、正確には、アガレスに剣で刺されたのはカイルだったのだ。
カイルは今回、その瞬間が来るまでずっと茂みに身を潜め、アガレスの前に姿を現さなかった。だからアガレスは、相手が四人だと思い込んだ。
それに、セイラの代わりに剣で刺されて殺されようとする人がいるなど、誰にも予想できない。
ノアは、今回大役を果たしたカイルに声をかけた。
「名演技だったなカイル。さっすがは不老不死、あれだけ深く剣が刺さったのに、もう傷口が塞がってる」
服は破れたままだが、負傷した跡はもうどこにも見当たらなかった。
「……痛いことにかわりはないからな」
カイルは不満そうにぼそっと呟いた。
「いやー大義であったぞカイル、モニカ殿。我もすっかり騙された」
「いやお前は前もって知らされてただろ」
相変わらずなマインドに、思わずツッコミを入れた。
何はともあれ、カイルのお陰で、アガレスの不意をつくことに成功した。
……そういえば、戦闘中にカイルが起きていたのはこれが初じゃないか?
ノアは身を翻し、傷口を押さえて動けないでいるアガレスへと近づいた。そして問う。
「まだちゃんとした理由を訊いてなかったな。お前、なんで俺のペンダントを狙ったんだ?」
アガレスはノアの質問に答えない。気絶したのだろうか。
そう思った瞬間、ぴくりと動いたアガレスの口角が、不気味に吊り上がった。
ぞっとする悪寒が、ノアを襲った。
「っ?! セイラッ! 危ないっ!」
「えっ」
戦闘不能にしたはずのアガレスが、起き上がり、セイラに鋭利な爪を向けようとしていた。
咄嗟にノアはセイラを庇って横に跳んだ。
反応が遅れたせいで攻撃をかわしきれず、鋭い爪がノアの右腕を引っ掻いた。
「ッタ……!」
勢い任せに横へ跳んだ反動で、二人は地面に身を擦りながら倒れこんだ。
「ノアさん! セイラさんっ!」
「クッククク……アッハハハハハ! この程度で、本気で僕に勝ったと思ってたの? クッハハハハハ!」
「な、なんでお前、立ち上がって……?!」
顔に手を当て高笑いをするアガレスに、ノアは驚愕の声を上げた。
確かに胸を剣で貫いて、戦闘不能にしたはずだ。それなのにアガレス今は、平然とした様子でノア達の前に立っている。
「アハハ、ああ、胸の傷のことかい? それなら魔力で補強して、とっくに完治したよ」
「なっ……?!」
「ククク、僕が“回復魔法”を使うことがそんなにおかしいかい? 毒属性を操る者は、回復魔法も使えるんだよ。まっ、もう毒魔法は使えないけどね。でもあんなちんけな魔法、あってもなくても変わらない。なにせ僕には今、最強の力が備わっているからね」
「最強の、力……?」
その途端、アガレスの顔に黒いヒビが入った。
「んなっ?!」
黒いヒビはどんどん広がり、アガレスの体を侵食する。アガレスは狂喜に満ちた表情で、顔のヒビを指で撫でた。
「これが僕の持つ最強の力ですよ! アハハ♪ あのお方のお陰です。今なら魔王様、あなたにだって負けない自信があります。どうです? 最強の魔族となった僕に、魔王の席を譲ってくださいませんか?」
「……お主のような腐った心を持った者に、魔王の席を渡すわけがなかろう……!」
「腐った心、ですか……ククク、あなたに言われるなら、それは褒め言葉ですよ」
アガレスの姿が、徐々に変化していく。
体から黒い枝のようなものが生え、爪や牙も更に鋭さを増した。目は黒く染まり、筋肉で腕や足が変形する。もはやアガレスの原型はほぼなかった。
「っ──! あいつまさか、自分にも狂暴化の呪術をかけてたんじゃ……?!」
「アハハハハハご名答! もう今の僕を邪魔できる存在はいない! 理想を実現させるためなら、僕はどんな手段でも使いますよ!」
アガレスを纏う黒い枝が伸びて、ノアを攻撃してきた。
咄嗟に右手で持った剣でそれを防ぐが、傷の痛みでうまく剣に力が入らず、後ろへ弾き飛ばされてしまう。
「がっ……!」
背中を地面に叩きつけられ、ノアは乾いた声を上げた。
「あ~あ、可哀想。利き手がそのざまじゃあ、もうろくに剣も振るえないね」
「ノアさん……!」
涙目になったモニカが、倒れたノアの元まで駆けつけてくれた。
そんなモニカを安心させるために、努めて軽い口調で言う。
「だ、大丈夫。見た目ほど大した傷じゃないから」
だがアガレスの言うとおり、この傷では右手で剣を振るうことは難しそうだ。
左手で傷口を押さえるが、出血がなかなか止まらない。
血が腕を伝い剣を伝い、赤い滴が剣先からぽたりと落ちた。
「……ノアさんは少し休んでいてください。ここからは、私とマインドさんでなんとかします」
「なっ、でも……」
「大丈夫ですよ。私だって、最高位のSランク冒険者ですから」
「うむ、我も魔王だ。部下の失態は、上司である我が方を付けさせよう」
気付けば、ノアの前にマインドが立っていた。
相変わらず、近づかれるまで気配を感じ取れない。
アガレスと対峙するモニカとマインドの背中を見て、ノアは思った。
今は一人じゃない。自分が戦えない時には、代わりに戦ってくれる仲間がちゃんといる。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「……あたしもやらせて」
後ろからセイラが言った。
モニカとマインドが振り返る。
「あたしはあんた達みたいに強くないし、役立たずかもしれない。でも──」
それを聞いたモニカが首を振った。
「役立たずなんかじゃありませんよ。一緒にやりましょう!」
「っ! ……うん」
微笑むモニカに、セイラは小さく頷いた。
「ね~、話は終わった~? こっちは、その足手まといが戦いに加わろうがなかろうが、どっちでもいいんだけど~」
アガレスが言う。
「あなたに──勝ち目はありませんよ」
モニカは淡々とした口調で言った。けれど少し、悲しそうに。
アガレスは興味なさそうに、「ふ~ん」と呟いただけだった。
ノアはカイルに体を引きずられ、戦場から避難した。一応怪我人なんだからもうちょっと丁重に扱ってほしいものである。
ノアとカイルは、アガレス達から50m近く離れた場所で腰を据えた。
視力のいいノアにとっては、戦場がよく見える特等席だった。
「……第三者視点から改めて見ると、アガレスの奴もスゲー魔力してんな。あの膨大な魔力の増加も、狂暴化の影響か?」
「……いや、恐らく狂暴化は関係ない。もっと他に、要因がある……」
「要因? 狂暴化が原因じゃないなら、アガレスはもとからあんな魔力をしていたわけじゃないのか?」
カイルは首を振った。
「マインドが言っていただろう。アガレスは、呪術を何度も行使できる程の魔力を持っていない。つまりは、あれ程の魔力を元々持っていなかったということだ」
「ん~? てことは、アガレスの魔力をあんなにした“何か”があるってことか?」
「そうだ。というか、初めからそう言っている」
「わ、悪かったな理解が遅くて」
「別に、今に始まったことじゃない。それに……何か、嫌な予感がする」
カイルはいつになく真剣な瞳で、アガレス達を見た。
カイルの言う嫌な予感は、ノアも感じていた。
さっきから、胸の奥がモヤモヤする。
この嫌な予感が、モニカ達に対するものでないことをノアは祈った。
「それでは始めましょうか。ふふっ……初めはペンダントを手に入れるだけのつもりでしたが、ここで今から魔王様を殺して、僕が新たな魔王になるというのもいいかもしれませんね♪」
アガレスは、勝利を疑わぬ余裕の笑みを浮かべる。
理性を失った瞳は、この世の闇だけを写していた。
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