20話 セイラの悪夢
「一体誰に命令されたんだ? 相手は一人なのか? 誰に脅されてるんだ?」
セイラの口から、ゆっくりと言葉が紡がれ始める。彼女が示した、その、名は──
「……魔族──“アガレス”よ」
「──!?」
思ってもみなかった名。
その場にいる全員が、その名を聞いて、固まった。
「なっ!? えっ……なっあ!?」
一番最初にリアクションを起こしたのはマインドだった。語彙が崩壊している。
アガレスという名、ノアもどこかで聞き覚えがあるように感じたが、今のマインドのリアクションを見て思い出した。
アガレスとは、行方不明になっているマインドの部下の名前だ。
「そこのマッチョ、もしかして、アガレスを知ってるの?」セイラが驚いた口調で訊く。
マインドはポカンと開いた口を閉じ、咳払いをした。
「マッチョではない、マインドだ。……ああ、アガレスは、我の部下だ」
「部下?! じゃあ、あんたのせいで──!」
セイラがマインドに掴みかかろうとした。その勢いに、セイラの左腕を掴んでいたノアは体を引っ張られた。
セイラがマインドの胸倉を掴む寸前、ずっとただ話を聞いていただけのカイルが、珍しく動き、二人の間に入ってセイラを落ち着かせた。
「何があったかは知らないが、マインドは何もしていない。アガレスは、昨年から突然消息を絶って、マインドも探していたんだ」カイルがマインドを庇うようにして言う。
「それでも……そいつがちゃんと部下のことを見ていれば、もしかしたら防げたかもしれないじゃない! あいつのせいで、あたし達がどれだけ苦しい辛い思いをしたかも知らないで──!」
「──っ!」マインドが身を固くする。セイラの言葉が響いたようだ。
「待て待て待て! ……セイラ、教えてくれ。何があったのか」
「……これ以上、あんた達に話して、何になるのよ。犯人は教えたでしょ」
「分からない。でも、知ればもっと力になれるかもしれない」
「はっ! 自分を殺そうとした奴に手を貸すつもり? 馬鹿じゃないの?」
「でも、お前の意思じゃなかったんだろ? お前には、自分を偽ってでも、守りたい人がいるんだろ? だったら、逆に手を貸さないなんてあるか?」
モニカもうんうんと頷いた。
「それに、言っただろ? 俺がなんとかしてやるって。お前はそれで、俺たちにアガレスの名を教えてくれたんじゃなかったのかよ」
「あ、あれは……ちょっと、情緒が不安定だったというか……」
「今更押し黙るっていうのは問屋が卸さない。なあ、俺は助けたいんだ。だからセイラのことをきちんと知りたいって思ってる。頼むよ……」
懇願するようにセイラの手を握り、ノアは顔をぐいっと近づけた。ちゃんと相手の目を見て話した方がいいと思ったからだ。
「うっ……ちょ、近い……」セイラが困惑した様子でノアから視線を逸らした。頬が赤らんでいる。
「じゃあ、教えてくれるか?」
「うぅ……わ、分かったわよ……! だから離れてっ!」
「──ありがと、セイラ」
そう言いノアはセイラから離れた。
「凄い……」
あれだけ頑なに事情を話したがらなかったセイラを一瞬で説得したノアを見て、モニカは感服した。
まあ確かに、ノアの純粋な瞳があれだけ近くに来れば、モニカでもノアにすべてを話してしまいそうだ。あの目は反則だと思う。うん。
「……で、あたしはどこから話せばいいわけ?」
「そうだな……お前がアガレスにつくことになった経緯を教えてくれると助かる」
「……分かったわ。無駄なところは色々省くけど。……じゃあ、話すわよ──」
そうして、セイラは語り始めた。
その、悪夢のような日のことを──
◆◆◆
あの日の朝は、空がすっごく晴れてて、雲一つない快晴だった。まるで、海と空が反転したみたいに、空は青かった。
いつもどおりの、平和な朝だった。
兄は仕事で家にいなくて、父と母と一緒に朝食を取っていた。
外からは子供の笑い声も聞こえた。
あいつが姿を現したのは、丁度太陽が南中に来た頃。
空には少し、雲がかかっていた。
その雲を破るようにして、あいつは空から現れた。
その時あたしは街の住宅街の方にいた。
広場の方から突然、ドーンッと、まるで隕石が落ちてきたような音が街中に響き渡った。ほんと、鼓膜が破れるかと思った。
あたしは急いで衝撃音がした広場へ向かって走った。
あたしがついた時、広場には大きなクレーターができていて、生きている人は誰もいなかった。
クレーターの周りには、血を流して倒れた人々が大勢転がっていて……吐き気がした。
その次の瞬間には、どこかから誰かに悲鳴が聞こえた。
声がした方向を振り返って……そこにいたのが、あいつだった。鋭利な爪を光らせた魔族──アガレス。
アガレスは街の人々を次から次へと手にかけて、笑いながら殺戮の限りを尽くしていた。
女・子供も例外じゃなくて、あちこちで次々に、容赦なく、命が消えていった。
たった十数秒の間に、何十人という人々が犠牲になった。
まるで地獄のようだった。世界がひっくり返ったように感じて、突然のことで、何も頭が回らなかった。
あたしは国の中でもそれなりに強かったし、丁度その時剣も持ってたから、咄嗟に背後からアガレスに斬りかかった。
でも、あたしの殺気に気付いたアガレスに呆気なくかわされて、返り討ちに遭った。
その時、アガレスがあたしに言ったの。
「気が変わったよ。本当は、この国の奴ら全員皆殺しにしてやろうと思ってたけど……」
「い、嫌! それだけは止めてっ──!」
「じゃあ、僕と取引をしよう」
「……取引?」
「そう。君がそれに応じてくれたら、僕はこの国に何も手出ししないであげる」アガレスは血塗れの両手を掲げて言う。
そして、その取引の条件っていうのが──
「……あたしが、あんたに遣える?」
「そうそう。君、この国の人間の中じゃなかなかの手練れっぽいし。それに“あの方の計画”を進めるには、少々“特別な人手”が必要なんだよね~。どうどう? まっ、君に選択肢なんてないけどっ」飄々とした口調でアガレスは言う。
そう、あたしに選択肢なんてなかった。あるのは肯定。アガレスの提示した条件を飲むこと。
今、目の前に広がっているような惨状を、もう、これ以上見たくないから。
目を閉じて、頷く。
頬を優しく撫でる風からは、生臭い血の臭いがした。
◆◆◆
「……それで、あたしはアガレスの命令どおりに動いて……。ある時、アガレスに言われたの。力を与えてやる、って。それ以来、本当にあたしは見違えるように強くなった。でも、それと同時に、自制心っていうのも段々なくなって……。次第に、アガレスに従うことしか考えられなくなった。本来の目的であった。国の人たちのことも忘れて──ほんと、馬鹿みたい……」
セイラの瞳から一滴の滴が零れた。先程から、声も徐々に震えてきている。
「成る程な、そんな惨いことが……」ノアは呟いた。
けれど一つ、疑問に思ったことがあった。
「一体何が目的で、アガレスは、セイラの国の人たちを皆殺しにしようとしたんだ? なんか釈然としないなぁ……」
「それは我も同感だ。アガレスは、考えなしに行動するような奴ではない。それこそ、計画は秒単位で練ってから実行する」
アガレスをよく知るマインドが言うのであれば、間違いないだろう。
「それに、“あの方の計画”、“特別な人手”という言葉も気になります。あの方とは、誰のことなのでしょうか……」
「マインド……ではないよな?」ノアは小声でマインドに尋ねる。
「む? 我か?」マインドも小声で返す。
「ああ。ほら、一応アガレスの上司なわけだし」
「それはないと思うぞ」
「ん、どして?」
「アガレスは、我のことをまったく慕っておらんかったからな。魔王のくせに生ぬるいだの、人間と関わりすぎだの。そんな奴が、我のために何か行動を起こすなど考えられん」
「そ、そうか……」
そんな部下だったにも関わらず、それでもマインドは、アガレスの身を案じていたんだなと思った。
「…………力を与えてやるって、どういうことだ?」カイルがのそっと口を開いた。
その疑問は、ノアも同感だった。
しかし、同時に納得もしていた。
もしも、セイラのあの普通とは言えない身体能力が、何らかの方法を使ったアガレスによって与えられた力だったと考えれば、何も疑問に思うことはない。
「分かんない……でも私、分かってると思うけど、元々こんなに強くなかったのよ。なんだろう、アガレスの言いなりになってからこう……無理矢理力が増幅したというか……理性が働かなくなった? というか……」セイラは曖昧に呟く。
「ん……なあ、それって──狂暴化したモンスターと似てねーか?」
「どういうことですか?」
「いや、なんとなくそう思っただけで、ちゃんとした根拠もねーんだけど」そう断りを入れ、ノアは続ける。「俺たち、特に深く考えずに“狂暴化”って表現を使ってたけどさ、狂暴化っていうのは“狂ったように暴れる”って意味だろ? で、“狂う”っていうのが、いわば“理性を失う”って意味になるから、“理性を失って暴れまわる”っていうのが、セイラが今言ってたセイラの状態と一致するなあって思って」
「成る程。その考えは正しいかもしれぬ。となれば、セイラ殿はアガレスがモンスター達を狂暴化させたのと同じ方法で理性を奪われたと考えるのが妥当であろうな」
「セイラ。今はその理性、大丈夫なのか?」
「ええ。ちゃんと冷静な思考ができるようになってる。……あなた達にちゃんと話したお陰で、今の自分がおかしいって自覚できたからかもしれないわね……」
「でも、狂暴化だなんてどうやって……? 魔法だとしても、そんな魔法、聞いたことがありません。マインドさんは、その“方法”というのに心当たりがおありなんですか?」
「ああ、あるとも!」胸を張ってマインドが言う。
彼のこの疑いたくなる程の己への自信は、一体どこからやって来くるのだろう。自信の定期預金でもしているのだろうか。
「方法って何だ?」
首を傾げるノアの瞳を、力強く見開かれたマインドの瞳が見つめる。マインドはビシッと人差し指を前に突き出して、言った。
「ズバリ、“呪術”だ!」
「「あっ……!」」
「えっ……?」
納得した声と、訳が分かっていない声。
その時、その場に、異なる二つの声が重なった。
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