10話 保育士ボランティア
「本当にすまなかったね。このアホ、可愛い女の子を見かけるとす~ぐナンパする癖があって……」
男性に対して一通りの説教を終えた後、ショートカットの女性がノアとモニカに向かって頭を下げた。隣で男性も、女性に頭を鷲掴みにされ深々と頭を下げている。
「あ、い、いえ。びっくりしましたけど……」
モニカが二人に頭を上げるようにお願いし、お互い向き合った。
「はぁ……今まで何度これで通報されかけたか……」女性がため息を吐き頭を抱える。
「ふむ、おかしい……人間の女性は皆、褒められると頬を赤く染めて喜ぶと聞いていたのだが……」
「全員が全員そう単純じゃないんだよ。まったく、乙女心を何だと思ってるのか……」
「えっと……」
ノアの声に、女性が「あっ」と呟く。ノアが言いたいことを察してくれた女性が、二人に真っ直ぐ向き直る。
「ごめん、自己紹介がまだだったね。──私は“コスモ”。この街の保育園で、保育士として働いているよ。よろしくね」
「我の名は“マインド”だ。よろしく頼もう、可愛いお嬢さんと少年」
「なんであんたはそういつも偉そうなんだい……。自己紹介くらい普通にしなよ」
「うむ、この我らだからな!」
「理由になっていない」
「コスモさん、マインドさん、よろしくお願いします。私はモニカです。冒険者兼魔法使いをしています」
「はじめまして、俺もモニカと一緒に冒険者をしています。名前はノアです」
「モニカとノアね、よろしく」
「モニカ殿とノア殿か、いい名前だな! 流石は我が見込んだだけある!」うんうんと首を縦に動かすマインド。
「見込んだ?」ノアが聞き返す。
モニカとコスモも、怪訝そうな視線をマインドに向けた。
「そうだ。──モニカ殿、ノア殿、もし時間があるなら、少し手を貸してほしい要件がある」
マインドが、突然真剣な表情でノア達の顔を交互に見た。引き締まったその表情には、先程までのヘラヘラとしたマインドの雰囲気は一切なく、ノアもモニカも自然と体と表情を強ばらせた。
「今日一日だけでいい。コスモの保育園を、手伝ってはくれないか──?」
「「……えっ?」」
マインドの口から出た予想外のお願いに、ノアとモニカは一瞬言葉の意味を理解することができなかった。
◇◇◇
コスモとマインドの背中を追いかけ、ノアとモニカは一つのカラフルな建物の門の前で立ち止まった。
門から入った場所には少し狭いグラウンドがあり、そこに滑り台やブランコ、シーソーや鉄棒がある。遊んでいる子供の気配はない。そんなグラウンドの中央に生えている一本の大樹には、青々とした若葉がふさふさに生い茂っていた。
「ここがコスモさんが働いている保育園ですか?」
ノアは門の横に掘られた『テディ保育園』という文字を見ながら尋ねる。この街の名前が“テディ”というから、テディ保育園なのだろう。
「そうだよ。しかし、本当にいいのかい? 人手が足りなかったから手伝ってもらえるのは凄くありがたいけど、折角のデートの時間を潰すようなことをしてしまって……」
「「デッ……?!」」ノアとモニカの声が重なる。二人に揃って顔を赤らめながらぶんぶんと首を横に振った。
「おや、違ったのかい? これはこれは失礼」コスモが笑いながら言う。
「我もよく保育園を手伝ってはいるんだが、何しろ子供は元気がよくてな。少ない人手だと、仕事も何も回らないのだ」
「今日は私以外の二人の保育士さんが、体調不良で休んでいてね。お昼寝タイムのこの時間まで、目が回るように忙しかったよ。そんな時に、マインドが急にいなくなるものだから……」
「それで、子供たちを寝かしつけた後で探しに来たというわけですか」
「そういうことだよ。そうしてやっと見つけたと思ったら、ナンパなんかしていて……」
「む、今回のはナンパではない。ボランティア募集をしていたのだ」
「ウォークドライブをしようじゃないか! な~んて誘ってたくせに?」
「そういえば結局、ウォークドライブって何なんですか?」
「あぁ、マインド流の“散歩デート”の言い換えだよ。ダサ過ぎて笑えるだろ?」
「ダサいとは失敬な」マインドは不服そうに頬を膨らませた。
そんな会話をしながら、グラウンドを通って保育園の教室の前までやって来る。教室と外はすりガラスの引き戸で隔てられているため、まだノア達から教室の様子は見えない。そしてそれは、向こう側からも同じだ。
コスモの話では、子供たちはまだ寝ているという。
「こっちからじゃ子供たちを起こしてしまうから、裏の職員玄関から入ろうか」
右へ迂回して、文字どおり保育園の裏側に回ると、そこに金属製の重そうな扉があった。壁の色と同色で同化しているため、パッと通り過ぎただけじゃ、そこに扉があることに気が付かないかもしれない。
コスモがドアノブに手をかけ回すと、扉はギィーー……と錆びた音を立てて開いた。保育園の入り口というよりは、廃墟の入り口と言われた方がしっくりくる音である。
「さあ、どうぞ入った入った」
マインドに続くかたちで、ノアとモニカも園内へ体を滑り込ませる。
出た場所は、木目タイルが一面に貼られた廊下だった。
廊下の両端にはチェストが置かれており、その上に花瓶に生けられた花が飾られてある。さらにその花瓶の横には、天使と悪魔の指人形が置かれたいた。
「あの花瓶、倒れたりして危険じゃないんですか?」
「大丈夫。ああ見えて、花瓶はチェストにがっちり固定されてあるから。結構自然に置かれてるように見えるだろう?」
「コスモは、自然に見せる装飾が得意だからな」マインドがどこか誇らしげに言う。
廊下を左に進み、教室を目指す。
左の壁にロッカーがあり、そこに子供たちのものと思われるスモッグや鞄、帽子などがフックにかけられていた。どれもお人形のように小さくて、まだ子供に一人も会っていないのに、ここが保育園なんだということを実感させられる。
思えば、保育園という場所に来たのは、生まれて初めてだ。
“空組”と書かれたプレートが吊るされた教室の前で、コスモ達が足を止めた。
廊下と教室の間には、外と違って隔てりがなく、そこにはスヤスヤと眠る子供たちの寝顔があった。
眠る子供たちに向かって、コスモが『パンパン』と手を鳴らした。
「皆~、そろそろお昼寝タイム終了だよ~。さ~、起きて~」とても通る声だった。
子供たちが、次々に眠たそうな瞼を擦って起き上がる。
カイルよりも寝起きが素直だな、と思った。
ノア達の方を見た一人の男の子が「その人たち誰~?」と、寝起きとは思えない程大きな声で言った。
その声につられるように他の子供たちも目を覚まし、ノア達の方へ大きくつぶらな瞳を向けてくる。
こんなに大勢の子供から一気に注目を浴びたことがなかったせいで、少しどぎまぎしてしまう。隣のモニカは、ノア以上に固まっていた。
「あとでちゃ~んと説明するよ。さあ! その前に、まずは布団を畳んで片付けよう!」
「「「はーーい!」」」子供たちが元気よく返事を返した。
全員が布団を片付け終えると、ノア達も教室の中へ入り、コスモに促されるまま前に出た。
そんなノア達を囲むように、子供たちが三角座りをしてこちらを見上げている。
「こちら、ノア先生とモニカ先生。今日一日だけ、臨時の先生として来てもらったんだ。皆、二人の先生の言うことをちゃんと聞くように」
コスモに紹介され、ノアとモニカは子供たちに向かって一礼する。例え相手が、年端もいかない子供であっても、こういった礼儀は必要だと思う。
子供たちの間で、拍手が沸き起こった。
「わーい! 新しいせんせーだー!」
「私のお兄ちゃんと同じくらいだ~」
「“姉御先生”の子分なのー?」
その子が言った言葉が気になった。
「姉御先生?」ついノアは聞き返す。
するとコスモは頭を掻きながら、苦虫を噛み潰したような表情で苦笑した。
「ああ……何故か子供たちは、私のことをそうやって呼んでくるんだ。一体何故なんだろうねぇ……」どうやら本人も頭を悩ませているようだ。
コスモには悪いが、ノアにはなんとなくその理由が分かった気がした。
口調といい髪型といい頼りになる振る舞いといい、確かに“姉御”という呼び名がよく似合う。子供が大人相手に抱く自由なイメージというのは、面白いなと思う。
「それはコスモが姉御っぽいからだとも」ノアの心を代弁したように、マインドがはきはきとした声でコスモに言う。
「あ、姉御っぽい、ねぇ……」
「ねーねーお姉ちゃん先生、あっちでお人形遊びしよー?」
数人の女の子たちが、モニカの元へ十体の人形を持ってきた。どれもデザインがまったく異なる人形だ。
それらの人形を見て、モニカが何かに気が付いた様子で子供たちと同じ目線にまで屈む。
「この人形たち、もしかして、“九種族”がモチーフになっているんですか?」
「おおっ、正解♪」コスモが笑って言う。
「んー? 九種族って何?」緑色の服を着た少女の人形を持った女の子が、モニカに尋ねる。
「九種族、というのは、この世界に存在する主な種族の総称です。人間,魔族,獣人,妖精,吸血鬼,偶人,天使,悪魔,神明、これらの知能ある種族を、まとめて九種族、と呼ぶんですよ」モニカは、子供相手にも敬語で優しく答えた。
「ふ~ん、そうなんだぁ」女の子は頷いているが、イマイチよく分かってなさそうな表情だ。
「ふふ、ちょっと難しかったですかね。さて、じゃあお人形遊びをしましょうか」
モニカは両手を子供たちに繋がれ、教室の端にあるおままごとエリアに向かっていった。
そんなモニカの様子を見ていると、ノアは後ろから誰かに服の裾を引かれた。
「ノア兄ちゃんは、俺たちと一緒に外で鬼ごっこしよーよー!」
ぐいぐいとノアの服の裾を笑顔で引っ張る男の子が、今度はノアの手を直接掴んで、ノアを外へと連れ出す。
既に十人近い人数の男の子たちが、グラウンドに出ていた。
ノアも、自然と笑顔でそちらに顔を向ける。手を握る男の子の手が熱いくらいに温かくて、心がその温もりにほわっと包まれたような気がした。
「よーし! じゃあ鬼ごっこやるぞー!」
「「「おーー!!」」」
一人の男の子の掛け声に、他の男の子が皆でそれに答える。
「じゃーノア兄ちゃんが鬼ね。十数えたら追いかけてきていいよ」
「分かった」
ノアが両手で目隠しをしようとすると、「待って」とまた違う男の子の声がした。
「ノア先生、ちょっと準備するから目瞑ったまま待っててー」
(準備?)怪訝に思いつつも、言われたとおりにして待つ。
五分程して「いいよー」と声がかけられた。
ゆっくりと瞼を開ける。太陽の光が眩しかったが、特に子供たちに変わった様子はなかった。
「それじゃー今度こそ、十秒数えたら鬼ごっこスタートだよ!」
「ああ、分かったー!」既に逃げ初めている子供たちへ、声を大きくして伝える。そして
──1,2,3,4,5,6,7,8,9,10……
瞼を開けると、今度は子供たちが辺りにまばらに散っていた。
鬼ごっこのルールは、確か、鬼が逃げている人をタッチして、タッチされた人が次の鬼になる、だったな。
そう頭の中でルールを反響させた後、ノアは大地を蹴って、子供たちを追う鬼になった。
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