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伝説の魔女に恋したら俺が闇落ちした件  作者: 葛西渚
第一章 トキノ
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その数日後、リナさんの家を尋ねると彼女はずっと窓の外を見ていた。雨が降っていた。ただ、ぼんやりと雨の風景を見ているようだった。彼女の表情は見えないが、暗い気持ちのように思われた。


「最近、村で何かあった?」とリナさんは僕らに背を向けたまま言った。


僕はアマノの方を見た。アマノが喋るかと思ったからだ。でも、アマノは肩をすくめるだけで、話すことはないという意思表示をした。


僕は例の芸術家の男が死んだという出来事を伝えるべきかどうか迷った。トモエが言っていたこともあるからだ。リナさんに好意をもった人間が、自分のせいで死んでいることを辛く思っているかもしれない。でも、リナさんは知りたいと思っているはずだ。どうなってしまったのか、結果を知らないままの方が辛いのではないだろうか。


「この前のあの人が、死体で発見されたそうです」


僕の言葉にリナさんは何も反応しなかった。何秒か待ってみたが、やはり沈黙したままだったので、僕とアマノは荷物の運び入れを始めた。


「……この森で死ななかっただけ、よかったのかもしれない」


雨音にかき消されそうなほどに小さな声でリナさんが言った言葉を僕は聞き逃さなかった。でも、僕は何も言うことができない。


「もう帰ろう」

アマノがそう言うが僕はリナさんのことが気になって、躊躇していた。

「先に帰る準備をしておくからな」


アマノは呆れるように言って先に外へ出て行ってしまった。


「私は…」とリナさんが言った。アマノが出て行ったことを意識したタイミングなのかどうかは分からない。


「また人を殺してしまった。いつまでこんなことを続けるのかしら…」


暫く雨の音だけが部屋の中に響いた。

僕は戸惑った。彼女はきっと暗い気持ちでいるのだ。何か元気づけられるようなことを言わなければいけない。


「あの…僕はリナさんのせいではないと思います。だから気に病まないでください」

「うん…」


僕の言葉に一度返事をしたきり、リナさんは黙ってしまった。失敗したかもしれない、と僕は思った。もっと良い言葉のかけ方があったのではないか。何年もこの呪いを背負い続けているリナさんからしたら、僕が発した言葉なんて取るに足らないものだったかもしれない。でも、何と言うのが正解だっただろうか。


僕の言葉では彼女の気持ちを楽にしてあげることはできないのだろうか。なんでもいいから彼女の心を軽くしてあげたい。何か言わなければいけない。沈黙の時間は僕を悩ませたが、先に彼女の方から口を開いた。


「私を愛してくれた人はたくさんいた。でも、そんな人たちを全員…殆どの人を殺してしまった。そんな人たちの殆どが、私に愛情を注いでは満足そうに笑った。でも、彼らは私がそれで満足だったのか考えたことはあるのかしら。彼らは愛情を注ぐことで私を悩ませることに気付いていたのかしら。彼らは確かに私を愛していたのかもしれない。でも私が求める愛し方をしてくれた人なんていなかった…私を正しい形で愛してくれる人なんて」


彼女は言い終わると僕の方を見て、いま初めてここに僕が存在していることに気付いたかのような驚いた顔をした。まるで独り言を聞かれたことに気付いたみたいだった。それを誤魔化すように彼女は柔らかい笑顔を作った。


「ごめんなさい、こんなことを言って。私は最低で自己中心的な人間なのよ。人を振り回すだけ振り回して殺しているのに…そんな私が人のことを非難できるわけがないのにね」


「僕はあの人たちが悪いと思います。あの人たちはリナさんのことを少しも理解していなかった。それなのに自分の気持ちだけを押し付けようとした。本当ならリナさんの気持ちをもっと理解して、その気持ちに応えるように行動するべきだった。それができないなら、リナさんのことを好きだなんて言えないし、命を落としたのも自業自得だ」


必死に吃りながら僕は言った。そんな僕の様子を見てリナさんは目を丸くして驚いたようだった。だが、時間をかけてその言葉を理解したかのように、ゆっくりと笑顔を見せてくれた。いつもの優しいけど少し寂しそうな笑顔。


「貴方は本当に優しいのね。昔、貴方に少し似ている人がいたの。その人もいつも私の愚痴を優しく聞いてくれて、最後には必ず私のことを肯定してくれる言葉をかけてくれた…。貴方もそんな感じ。私はあの人のことを本当に信じ切っていたわ」


彼女は思い出を慈しむように遠い目で語った。僕に似ているというその人は彼女が先ほど言ったように、彼女のことを愛して死んでしまった人間の一人なのだろうか。


だが、僕はそうはならない。彼女が求める正しい愛し方を僕ならできるのではないだろうか。


「僕はアマノみたいに器用ではないし、運動神経も良くない。強くもない。アマノに比べたら何もいいところなんてないけど……あいつよりはリナさんに優しくできるつもりです。だから…何かあったら話して欲しい。自分の中だけで悩んだり悲しんで、苦しまないでほしいです」


「うん、ありがとう…でも、私はトキノくんがアマノくんに劣っているだなんて思わないわ。貴方がとても強いことを私は知っている。そうやって、自分の気持ちよりも人の気持ちの方を優先して受け止めることができる人は強い人だと思うわ」


「そんなことは…ないです」

「私には分かる。貴方は強い人だって」


彼女の言葉を聞いて、僕はもっと彼女の役に立ちたいと思った。この人の悩みをすべて解決することはできないだろうか。僕が彼女を幸せにしてあげることはできないだろうか。


この呪われた森から出してあげることは…。


「リナさんは、この森から出たいと考えたことはありますか?」


唐突な僕の質問にリナさんは首を傾げたがすぐに答えてくれた。


「何人もの人が私をこの森から連れ出そうとした。色々と研究した人もいたけど…みんな途中で死んでしまった。誰かを傷付けてまで、ここから出たいとは願わない」

「もし、無条件に出られるとしたらどうですか?」


彼女は少し考えてから僕の問いに答えた。

「想像が難しいけど…出てみたいかもしれないわね」

僕は頷いた。やはりそうなのだ。なら、いつか必ず僕がこの森からリナさん連れ出してみせる。


「じゃあ、僕は帰ります」

「待って」


僕はリナさんに引き留められて心臓が強く鼓動を打った。嬉しかった。何か言葉をかけてもらえるのだろうかと期待した。リナさんは扉の方を気にしながら、僕の方に近づいた。そして、僕の耳元に囁くように言った。


「私、当分はアマノくんに会いたくないの。これからは貴方一人できてもらることはできないかな?」

「え?」


僕は彼女がそう言った理由を知りたくて聞き返したが、彼女は自分の要求だけ口にして、あとは何も説明する気はなさそうだった。


「何か……あったんですか?」

「ただちょっと…会いたくないって思っただけ」


僕は帰り道、嬉しくてたまらなかった。僕は彼女に認められたのだ、と思った。彼女は僕と二人だけの時間を選んだのだ。


アマノにリナさんの要望を伝えると彼は首を傾げて言った。


「なんか嫌われることしたっけ? ……俺は別に良いけど、トキノは大丈夫か?」


僕は大丈夫だと答えた。本当は呪いの力を少しずつ受けていることに気付いているのに、嘘をついたのだ。大丈夫、自分なら耐えられる、と。


それから僕は一人でリナさんの家に行くことになった。


彼女は優しかった。本を交換しあったり、一緒に花に水を上げたり、お茶を飲んでゆっくりしたり、森を散歩したり…。ずっと、こんな時間が続くのだと思っていた。

しかし時折、彼女は僕を見て悲しそうな目をした。


「こうやって私は人の気持ちを消費して生きている。最低な女だ」


彼女は無表情でそう呟くことがあった。僕は彼女が言ったその言葉の意味を何となくだが理解することができた。だが、それを認めてしまえば、彼女と僕の時間は終わってしまう気がして、僕はリナさんのつぶやきを聞かなかったことにした。


聞かなかったことにしても、感じないふりをしても、呪いは力を強めていく。僕はそれを感じずにはいられなかった。彼女に僕の気持ちを伝えたいと思うことが何度もあった。その気持ちは自分の中から出てくると言うよりも、外側から入ってきているように感じた。

僕はそれに抗おうとするが、酷い苦痛を伴うものだった。僕はリナさんのことを思い、それを押さえつけようとして何度も嘔吐した。彼女がアマノのことを想っているのではないか、という妄想に駆られて食事に手が付かないこともあった。呪いは僕の精神をどんどん削っていく。気力が失われていく。




季節は冬に変わり、僕たちは高校三年生になろうとしていた。僕たちはあと一年もすれば高校を卒業して、それぞれの生き方を決めなければならない。


それなのに僕は呪いの力が進行していくのを止めることで精一杯だった。僕の中でぐるぐると黒い気持ちとリナさんへの気持ちが動いている。彼女に想いを伝えられないことがストレスになっている。この呪いは僕が思っていたよりもずっと強力なものだったのだ。


また、今の環境が良くなかった。僕は週に何度も彼女の家を訪ね、二人だけの時間を過ごすことが多かった。彼女は僕を受け入れてくれる、特別に扱ってくれている、と考えてしまうのだ。


そして、もう一つよくない感情があった。アマノへの嫉妬だった。リナさんはアマノに来ないでほしいと言った。だから、僕はリナさんはアマノのことが好きではないのだと思っていた。


だが、それは違った。リナさんは時折、「アマノくんはどうしているの?」と言っては寂し気に笑うのだった。それは明らかにアマノに対して特別な気持ち持っているのだという様子だった。


リナさんはアマノのことが気になって仕方なかったからこそ、彼を遠ざけようとしたのか。


だとしたら、いったい二人の間に何があったというのだろうか。彼女はやはり彼のような人間が好きなのだろうか。


「ねぇ、話聞いてるの?」


学校からの帰り道、トモエと並んで歩いていた。


「ねぇってば」

「え、なんだっけ?」


僕はぼんやりとしていた。リナさんのことを考えていたのだ。トモエは目を細める。何を話していたのか知らないが、もう一度話してくれそうにはなかった。


「卒業したらどうするの、トキノくんは」

トモエが不機嫌そうに話を変える。僕は焦りながら答えた。

「決まってはないけど、村に残ろうと思っているよ」


「へぇー。成績良いんだから大学に行けば良いのに」

「村を離れたくはないんだ。それに最近は少し成績も下がり気味でさ」

「どうしてよ。前は早く自立したいって言ってたのに。村を離れて大学に行くのは良い機会なのに。何か悩みでもあるの?」


僕は首を横に振った。

「トモエはどうするの?」

話を変えようと、トモエに質問をしてみたが、彼女は僕を睨み付けた。


「さっき、それを話してたんだけど…本当に全く聞いてなかったんだね」

「ご、ごめん」

「もう…」


目を細めて怒っていることをアピールしてくるトモエだったが、表情を崩して微笑んだ。


「私の話は聞かなくていいからさ、せめてトキノくんの話を聞かせてよ。何をどんな風に悩んでいるのかさ。そしたら、許してあげる」


僕は戸惑った。トモエは優しい。だから、その優しさに甘えたくなるときもある。だが、それをしてしまったら、呪いに抵抗するために堅く強い気持ちを保とうとしている僕の心はすぐに崩れてしまうように思われた。


「最近のトキノくん、とても痩せた気がするよ。悩みがあるなら話してよ」

「そんなことないよ」

「話せないことなの?」


僕の気持ちをトモエに知ってもらうことができたら、幾分か楽になるのかもしれない。でも、気持ちを誰かに告げてしまったら、もう歯止めがきかなくなるような気がした。ずっと、徹底して僕の気持ちは抑え込むべきなのだ。


「自分の中で何かが濁っていくのを感じるんだ」

僕は自分の気持ちを遠回しに表現してみようと思った。

「僕は正しい気持ちでいたいのに、自分が気づかないうちに、何かが濁っていく。このままだと、僕は何か大きな間違いをしてしまう気がする」


「大きな間違いって?」

「…誰かを殺してしまったりとか」


呟くように言った僕の言葉に、トモエは声を失ったようだった。少しの間、黙ったまま二人で歩いた。


「例えばさ、綺麗な湖があったとして、魚たちが住んでいたり、周りの人たちもそこの水を飲んでいたりするじゃん」


トモエはゆっくりとした口調で話し出した。


「でも、悪い人が湖に汚いものを捨てたりして、どんどん濁っちゃうことがあると思うんだ。だから、綺麗な水と取り換えたり、汚れを掃除しないといけないと思うのね。トキノくんはもしかしたら、水の入れ替えができなくて、湖が濁る一方の状態なんじゃないかな」

「……そうなのかな」


僕はリナさんと話しているときは、心が癒されているような気がしている。しかし、その癒しがいつの間にか心の濁りに入れ替わっている。癒しを求めれば求めるほど、心が濁っていく。でも、あの人に会わなければ、この濁りはどんどん強くなってしまうのだ。


「どんどん濁っていくんだ。僕は水を入れ替えたいのに。どんなに入れ替えても、どんどん濁っていく。追いつかない。きっと僕はこのまま濁りきって、本当にどうしようもなくなるんだと思う」


「濁りのもとは断てないの?」

「うん」

「なら、私が濁りのもとを探してあげる」


「もとを?」

「そう、分からないけど。今は分からないけど、トキノくんの心を濁らせる原因を見つけて、それを取り除いてあげる。トキノくんの心が常に透き通った綺麗な水みたいな状態でいられるようにさ」


原因を見つける…ということは、つまりリナさんのことになる。トモエがあの人にあったら…そう考えると嫌な予感がした。


「大丈夫、僕は大丈夫だから」

「えー、本当に大丈夫なの?」


トモエは僕をからかうように笑っていたが、すぐに笑顔が消えてしまった。無理をして笑ったのだろう。それなのに、僕は本心では「余計なことをしないでほしい」と考えている。本当に自分自身がどんどん濁っていくのを感じる。

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