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ある日、アマノの家族が僕の住む村に引っ越してきた。村を何らかの理由で出て行く人間は少なからず存在していたが、村にやって来る人間はとても珍しい。さらに言うと、この村に移住し、生活を始めようとする人間は本当に稀だった。
それでもこの村に住んでいた人間はアマノの家族を歓迎し、親切に接するように心掛けた。僕はアマノと同じ歳ということもあり、周りの大人たちからは仲良くするように、とだけ言われた。僕が初めてアマノと顔を合わせたとき、彼は僕に興味がない、と言った様子で顔を背けた。大人たちが仲良くしろ、と言っているにも関わらずに。
でも、彼がそうする気持ちが少し理解できた。僕のような何もない特徴のない人間なんて興味がないのは当然だ。それにしても、それを大人たちの前で堂々とそれを表現できる彼を僕は凄いと思った。
村の人間は、村で生活する為の説明書に記載されているかのように、アマノの家族に森の事を教えた。決して森の中には入ってはいけないと。
「なんでですか」とアマノの父親は興味がなさそうに重たく低い声で聞いた。
「恐ろしい魔女が住んでいるからです。魔女を見た人間は姿を消す。男に至っては無事に帰ってこれたとしても確実に命を落としてしまう」
「ふーん」
アマノの父親は、大きいけれど、くぼんでこぼれ落ちそうな目をギョロつかせた。不健康そうで、どこか常に苛立っているようなその大人を、僕は子供ながらに危険な人間だと察知した。
「おい、悪ガキ。次に悪さをしたらテメェをあの森の中に放り込んでやるからな。よーく覚えておけよ」
アマノの父親は、ギョロついた目をアマノに向けて言った。アマノは父親の発言に対して特に返事をしなかった。
「魔女かぁ。どんな女なんだろうなぁ」
アマノの父親は森に対して恐怖を感じている様子はなかった。この村で育った僕には理解ができない感覚だ。
「なんだか怖そうな大人…」
隣にいたトモエが顔をしかめて僕の耳元で囁いた。そんな僕らの方をアマノの父親はギョロリと目を動かして見てきた。僕とトモエは思わず逃げ出してしまった。
風変わりであるアマノの父親の発言は村の人々との距離を少しずつ離していった。どう見ても仕事をしている様子もないし、森の周辺をうろつくこともあったからだ。
僕は後になって理解することとなったが、村の外からやって来た人間はそれほど森を恐れないらしい。アマノと仲良くなってからの話だが、そう教えてくれたのだ。
アマノと僕はすぐに仲良くなった。きっかけがあった。
僕がまたいじめられているときのことだった。その時のいじめはいつもより激しかった。原因は何となく理解できた。
アマノだ。
彼はスポーツ万能で学校に通うどの子供よりも足が速かった。僕らより背の高い子供よりも圧倒的に足が速い。他にも野球やサッカー、何をやらせても一番だ。それで女の子たちはアマノの話題で持ち切りになり、男の子たちにとってそれはストレスとなっていた。アマノを直接攻撃しようにも、そんなことをすれば女の子たちの敵になるだろうし、何よりもアマノに勝てるなんて思えないのだろう。それで僕がそのストレスの捌け口になるわけだ。
六、七人くらいの子供たちに囲まれ、殴られ蹴られ。ボールを投げつけられる。投げ飛ばされたり、砂をかけられたり。
いつもより激しく、ここまで痛いのは初めてだった。助けてほしい。どうしてこうなってしまったのだろう。僕は大人しくしていたいだけなのに。誰にも迷惑をかけるつもりなんてないのに。
早く終わってくれ。痛くしないでくれ。
その願いも空しく、一人の男の子が大きい石を持ち上げて、倒れる僕を見下ろした。笑っている。悪意に満ちた笑顔。悪意というものを知ったのはこのときが初めてだったかもしれない。
もしかしたら死ぬかもしれない。痛いのは嫌だったけど…仕方ない。おじさんやおばさんは悲しんでくれるだろうか。それとも、やっと足手まといが消えたと喜んでくれるだろうか。
僕は目を閉じて子供なりに覚悟をした。だが、その時だった。
「おい」
子供たちが動きを止めて、一斉にその声の方に向いたのが分かった。
僕も目を開けてその方向を見る。
アマノがいた。いじめっ子たちを無感情に見ている。
「何してんだよ。そいつ、ぼろぼろじゃないか。殺す気か?」
「そんなことない。別に遊んでいるだけじゃないか」
いじめっ子たちは平然とそう答えた。これは遊びだったのか。確かに彼らにとっては嘘ではない言葉かもしれない。
「ふーん、お前らの遊びって殴ったり蹴ったり、そういうのなんだ。俺も混ぜてよ」
アマノが口元に笑みを浮かべた。いじめっ子が僕に見せたあの悪意に満ちた笑顔よりも迫力があった。アマノはとにかく強かった。一人で何人も相手をしているのに、圧倒的だった。いじめっ子たちは、アマノに勝てないと分かると、走って逃げ出した。アマノは逃げ遅れた男の子の背中に襲い掛かり、無理やり引っ張って転ばせた。その逃げ遅れた男の子は僕に石を叩きつけようとした、あの子だった。
彼は助けを求めるように泣き叫ぶ。だけど、仲間たちはもう見えなくなるくらい遠くまで逃げていた。
アマノは泣き叫ぶ男の子を殴る。
「おい、知っているか。人間ってずっと痛い目に合うと死ぬらしいぞ。こいつ、あと少しで死ぬところだったんじゃないか」
アマノが抑揚のない声で質問した。いじめっ子は泣きながら「あれくらいで死ぬわけないじゃないか」と反論する。
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、お前が言っていることが本当か試していようかな」
アマノが握った拳を振り上げる。いじめっ子はこれから何をされるのか理解したらしく、さらに泣き叫び何度も謝った。アマノはそれを聞いて彼を開放した。
いじめっ子が逃げていく背中をアマノはぼんやりした顔で見つめている。たくさん、怪我をしているように見えた。
「助けてくれて、ありがとう」
「ああ? ああ…別にそんなんじゃないよ。転校してきてさ、色々ストレスたまってたんだ。だから、あいつらでも殴って暴れて憂さ晴らししたかっただけ」
「……結果的に僕は助かったよ。だから、ありがとう」
「やり返せよ。そうじゃないとずっと続く」
「いや、僕は……君みたいに強くないし。それに、迷惑かけたくないんだよ」
「誰に?」
「分からないけど、僕がいじめられなかったら、あの子供たちのバランスが崩れる。そしたら、きっと僕以外の誰かが大変なことになるじゃないかって…それが嫌なんだ」
「……」
アマノはしばらく僕の言っていることを理解しようとしてくれているのか考えているようだった。
「お前、難しく考えているんだな。でも、きっと勘違いじゃないか。お前だけ我慢して暮らすなんておかしいじゃないか」
「……そうかな。でも我慢できるところまで…我慢するよ」
「変なやつだな」
アマノはそういって笑った。
それから僕とアマノは一緒に帰ったり遊んだりして、周りから仲が良いと思われるようになった。僕自身がどう思っているのかというと…わからなかった。これが友達と言って良い関係なのだろうか。
アマノと一緒にいるようになってから僕はいじめられなくなった。全部、アマノのおかげだ。
だが、僕の嫌な予想は的中しまうことになる。今度はカネタがいじめられるようになってしまった。いつだか僕が小屋に閉じ込められたときに、こっそりと助けてくれたあのカネタだ。
「お前が言う通りになってしまったんだな」とアマノは言った。
「暴力では何も解決しない、とか偉そうなことを言えるわけじゃないけど、根本的な解決は難しいんだろうね」
アマノはその後、何度かカネタがいじめられている瞬間を目にしたが、僕の時のように手を出すことはなかった。きっと、解決にはならない、という僕の言葉を気にしているようだった。でも気にしているのは確かだ。彼が苛立っているのもよく分かった。
そして、ついにアマノは彼らを殴り飛ばしてしまった。イジメに加わったやつらを全員、怪我だらけになるまで殴った。しかし、イジメっ子たちはアマノが突然殴り掛かってきた、と先生に伝えたのだった。本当はイジメられているカネタを助けるためにアマノは彼らに立ち向かったのに。
アマノは先生に叱られ、アマノの母親が学校に来て謝り、いじめっ子たちの親にも泣きながら謝っていた。僕は大人が泣いているところを見たことがなかったので、本当に大変なことになってしまった、と感じた。アマノは悪くないのに。
その次の日は目の辺りに大きな痣を作って学校にきた。
「どうしたの?」
僕が聞くとアマノは不機嫌そうに答えた。
「親父に殴られた。昨日のこと、先生が親父に言ったみたいでさ」
僕は今まで感じたこともない気持ちに襲われた。この結果は間違っていることなんだ、と僕は頭の中で何度も繰り返した。イジメっ子たちはもちろん、先生もアマノのお父さんも。アマノに助けられたはずのカネタだって。みんな間違っている。でも、僕はその気持ちをどうやって、誰に伝えればいいのかも分からなかった。
「アマノ、次にカネタがいじめられていたら、もう一度助けてやってほしい」
僕がお願いをアマノは理解できないといった様子で「でも、また俺が悪いやつになるんだろ」と言った。
「大丈夫、僕を信じて」
次の日のことだった。僕はイジメっ子たちが、いつどこでカネタをイジメるのか分かっていた。それだけ、僕もイジメられていたからだ。僕はイジメっ子たちがカネタを連れていくだろう時間になると、アマノにそれを伝えた。
「五分たったらカネタを助けに行ってくれ」
「なんで五分なんだ?」
「良いから」
そう言って僕はすぐに先生を呼びに行った。僕が先生を連れてカネタのところに行くまで五分かかるのだ。僕はイジメの現場から少し離れた校舎の二階に連れ出した。
結果、すべて僕の計算したとおりに事が進んだ。
「先生、カネタくんがいじめられているよ!」
先生がカネタがイジメられているところを目撃し「なんてことだ!」と大声を出した。
そして、先生がその場に駆けつけると、カネタを助けるためにアマノが奮闘しているのだった。タイミングはばっちりだ。
先生が大声で止めるといじめっ子たちは「遊んでいたらアマノが突然殴り掛かってきた」と主張したが、もちろんそれは無意味だった。
先生はアマノに謝罪し、いじめっ子たちもアマノとカネタに謝罪をすることになった。その後、僕とアマノは二人で一緒に帰った。アマノは僕に言った。
「お前の仕業だな」
僕は「なんのことだろう」と、とぼけてみせた。
「カネタがやられる前に先生を呼ぶことだってできたろ、本当は」
「できたよ。できたけど、僕はあいつらはアマノに殴られるべきだと思ったし、カネタも少しはアマノに感謝する必要があったと思うんだ。だから、先生を呼ぶタイミングを少しだけ遅くした」
「ふーん、お前って凄いやつだよな」
「そんなことないよ」
この日から僕たちは一緒に遊ぶようになった。友達になったのだ。また、カネタも僕らに混じって遊ぶようになり、三人で遊ぶことが当然になっていった。