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めぐり、めぐり

作者: ひらけるい

全て淡い光で包まれていた。


イチョウ並木のくすんだ黄色の世界で傾き始めた太陽が優しく目を細めさせ、めぐりの柔らかい微笑みをより一層、淡く印象的に記憶に残した。


私は恋をしたことがなかったが、胸の奥から溢れて止まない苦しい喜びに抗えずとうとう降参し、めぐりを強く抱きしめたのだ。


「しぇんぱぁい……」


私の胸の中で小さく泣いていためぐり。

私たちはこうしてありきたりな恋人同士となったのだ。




めぐりは真面目で思いやりがあって優しく賢い、でもどこかおっちょこちょいな可愛らしい女性だ。


容姿は取り立てて美人でもないが、微笑んだ顔はなんとも言えない色気と、妖しさがあった。


こうしてめぐりのことをあげつらってみると、どこにでもいる女みたいだ。

男が自分の女を説明すると皆同じ事を言いそうだ。


しかし、私はめぐりに心底惚れている。

どこに?と問われたら返答に困るが、まあ、そうだな、めぐりの佇まい……存在そのものに惚れてしまっていると言えば私の惚れ具合を理解してもらえるだろうか。


欠点は色々ある。


私との約束をすぐ忘れる。

時間にルーズ。これは私とのデートの際のことだ。仕事に遅刻はしない。

誰に対してもどこか無防備で危なっかしい。

部屋が汚い。

私の都合などおかまいなしで我儘を引っ込めない時がある。


正直、うんざりする。

それでも少し間を置いてしおらしくなっためぐりの顔を見ると、不思議に許してしまう。


私にだってもちろん欠点は山ほどあるし、めぐりの欠点は手に負えないほどのことでもないから、許し許された後は今まで以上に仲は深まるのだった。


年月を重ねてゆくと最初の頃のような溢れて止まない気持ちは凪いで、めぐりとの時間は日常に落ち着いた。


自然と結婚を意識して、めぐりもそのつもりのようだった。


仕事が休みの日は新居を探したり、お互いの実家へ挨拶に訪れたり、結婚式はやめて写真だけにして新婚旅行を奮発しようと決めたり。


苦しいほどの喜びはもうないけれど、めぐりと一緒の未来があることが私の生命力を潤し、輝かせていた。


めぐりのウエディングドレス姿はとても綺麗だった。

あのイチョウ並木で見た微笑みと同じくらい私の心を貫いて釘付けにした。


薄いベールをめくり上げれば、私を見上げるめぐりの瞳はどの宝石よりも輝いて私を魅了する。


カメラマンが支持する前に私はめぐりに誓いのキスをした。


一生、私はめぐりのものだ。





私たちはありきたりな夫婦になった。


子供は上が女の子、下が男の子の二人。


共働きだったので私はもちろん家事と育児を手伝って、めぐりの指示に極力従った。


めぐりはたまに耐えられず家を飛び出していたが、二、三時間すると必ず帰って来た。

それに飛び出す時は私が家に居る時だけだ。


ありきたりな夫婦はけっこう大変なことがよくわかった。


しかし、子供は成長する。


小学生になれば急に楽になった。


めぐりも家を飛び出すことはしなくなって、事前にこの日は外出すると予定を立てるようになった。


この頃、私はそれなりに出世し、それなりに忙しくなり子供たちにあまり手がかからなくなったこともあり家族との関わりが少なくなってしまう。


夜遅くに帰宅すると子供たちは子供部屋で大の字で寝ているし、めぐりはダイニングでパソコンとにらめっこしているか、映画をほろ酔いで観ているかだった。


めぐりも仕事をしているのでそれとなく近況とか、負担がかかり過ぎてないが私は問う。


「別に、大丈夫……カカカ」


ケタケタと笑ってめぐりは寝室に引き上げた。


酔っているのだろうと私は気にもせず、まとまった有休を取るべくもうしばらく忙しい日々を送った。




一週間の有休をやっと取ると、今度はめぐりが夜遅くまで仕事をするようになった。


私は有休を子供の食事の世話と家事と、家の修繕に費やした。


それでも土日はどこかに出掛けようと提案すると、めぐりは一人で家でゆっくりしたいと言い、子供たちを連れて私は一泊のキャンプへ出発したのだった。


川遊びや、飯ごうでの米炊き、降るような満天の星空に子供たちは感動して、今まですれ違っていた時間を埋めるには充分な親子のふれあいができた。


遊び、疲れ果てた子供たちと帰宅するとめぐりは男を家に連れ込んでいた。


正確には連れ込んでいた形跡だ。


リビングには飲んで食べ散らかした残骸、寝室には抱き合った痕跡だらけ。

ゴミ箱にはご丁寧にも剥き出しの避妊具が捨てられていた。


まだ小学生な子供たちは、誰か来てたの?と一言訊いただけで子供部屋へ行って宿題をしている。


「……どういうこと?」


私は呆然として、しかし、めぐりを許すことへと早くも筋道を組み立てようと脳内はせわしなく働いていた。


「………」


めぐりは何も言わず、ただ、荷物をまとめて出て行こうとした。


「出て行くことは絶対に許さない!!!」


私はめぐりの頬を叩き叫んだ。

廊下へ倒れ込んだめぐりは頬を手で押さえたまま顔を上げなかった。


「おまえはあの子たちの母親だ!そのことからは絶対に逃げられないぞ!!」


私は車の鍵をめぐりからひったくり、家を出た。


今の精神状態で車の運転は絶対に無理だと判断して、車庫の奥にある埃をかぶったマウンテンバイクを引っ張り出す。


パンクしていないことを願いながらそれにまたがりヨタヨタとペダルを踏み込む。


パンクはしていないらしく、順調にスピードが出た。


頭が煮えている。


めぐり、めぐり。


どうして?


めぐり。


なんで?


私が何か悪いことをしたのか?


めぐり。


私が嫌いなのか?


めぐり、めぐり、めぐりめぐりめぐりめぐりめぐりめぐりめぐりめぐりめぐりめぐり!!!!


住宅街を疾走しているとズボンのポケットに入れたスマホが鳴る。


ブレーキをかけて弾む息のまま着信画面を見ると自宅だった。


めぐり?


出ると娘が大泣きして私を呼んでいる。


「お母さんが出て行っちゃうよーーー!!」


娘の泣き声の向こうでは息子がめぐりを必死で止めている様子が伺えた。

子供たちは分かっていたのだ!!


すぐ帰る、と電話を切り急いで引き返す。


家に着くなりマウンテンバイクを道路へ投げ出し玄関へ飛び込む。




汗と混乱でぐちゃぐちゃになった私はどうかしていたのだ。


そうでないと、泣き叫ぶ子供たちを振り払いブーツを履こうとしているめぐりが、私を見上げた途端、微笑んだ顔に胸を貫かれ、何も言えず何もできないはずはなかった。



「いってきます」



めぐりはそう言ってこの家を出て行った。



私は三和土へ座り込み、抱きついてきた子供たちをただ両手で抱えるだけだ。



めぐり、めぐり。


私はおまえのものだ。


これからどうすればいい?


めぐり。


私と子供までつくって、私をその気にさせてこの仕打ち。


めぐり。


どんな意図がある?

きみは賢い女だろう?

意味のないことはしないはずだ。


めぐり。


私はめぐりのものなんだ。

これからどうやって生きていけばいい?





めぐりがいつか「ただいま」と帰ってこないことは分かっている。


めぐりは見事な悪妻になり、私は皆の同情を一身に買った。


めぐりの両親は土下座し、それでも孫との交流を求めた。


私は了承し、その代わり離婚うんぬんは今しばらく待ってくれと言った。


子供たちはあまり笑わなくなり、私との会話も減った。

色々と辛いだろうが、けしてめぐりのことを口にしなかった。


私は……抜け殻になってしまった。


子供たちがいるから仕事や家事はもちろんこなすが、私の中身は消えていた。


めぐりが浮気したことはもはやどうでもよくなっている。


ただただ帰ってきてほしかった。


焼けるような渇望だった。


普段は考えないように生活しているが、何ヶ月かに一度、狂いそうな焦燥感に自分が制御できなくなって、獣のように叫んだり、食器を投げて割った。


子供たちは部屋から出てこないが、怯えていたはずだ。


父親として、私という人間としてこういう行動はとりたくなかったが、抑えきれない衝動だった。


空っぽな私の中身は怒りと渇望で急激に満たされ、そして一気に消え去る。


「一番辛いのは子供たちだよ」


私の母はこの家へ手伝いに来るたびに私にそう言った。


そんなことは分かっている。

それでも、私はどうしてもめぐりを忘れられない。


しおらしい顔でこの家に帰って来てくれたら、私はもちろん許す。

そして私たちの仲はより一層深くなるのだ。




やがて子供たちは進学のためにこの家を出て、私一人が残された。


めぐり、めぐり。

今、どうしてる?


めぐり。

幸せか?


庭に出て柔らかい光に包まれ、私はめぐりを想う。


本当なら今、私の隣にはめぐりが居て、これから二人きりどんな生活をしていこうか、と楽しく相談していたはずなのに……


めぐり、めぐり。

帰ってきてくれ。


めぐり。

私はめぐりのものなんだ。


随分前に届いていためぐりの書く欄だけ埋められた離婚届へ私は涙をこぼした。




「ただいま」



心臓が止まって、再び動き出す。


娘は驚いたまま動かない私に微笑み、歩き始めた我が子を私の膝に座らせた。


娘は嘘のようにめぐりそっくりに成長した。


「今日からここで暮らすからね」


私は娘の離婚を望んでいた訳ではないが、嬉しさを隠し切れずつい、唇の端をあげてしまう。


娘はめぐりではない。

それでも、淡い光が私を包む。


「おじーしゃん……」


孫が私の腕の中でむずがる。


胸の奥から溢れて止まない喜びに、私は降参して孫をぎゅっと抱きしめた。

私の中身はあの頃とは違う喜びで満たされてゆく。


めぐり、めぐり。

きみに出会えてよかったよ。

今、心からそう思う。


めぐり。

私にたくさんの命を与えてくれてありがとう。


一生、私はめぐりのものだよ。


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[一言] はじめまして、アトリエスタです。 なろう、Twitterともにフォローしていただきありがとうございます!読ませて頂いたのでちっくと感想を。 離婚話のネット掲示板に出てくるような、仕事一筋・…
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