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末裔のゼノグラフト  作者: 十八 弥七
第1章 朔北
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6. 死神

 刹那。拘束具を力任せに引きちぎり、白の隔壁を突き破ると、漆黒の巨人は吹雪のただなかに飛び出した。

 赤い、赤い燐光を纏う、黒き死神(スミェールチ)

 背部の翼は、蝙蝠の翼のようで、黒衣のようで、しかしそのどちらでもない不吉なシルエットを空に投影していた。

 細長く、光沢感のない黒の四肢は、金属ではない何か別の物質で覆われているようだった。

 胸部ブロックの突出は、操縦席とマトリクス格納のためであるが、どこか戦闘機のノーズコーンのようでもある。

 全体には女性的なシルエットに見えなくもなく、男性的なオホートニクとは、対照的な機体であった。

 頭部には、赤い炎のような単眼がゆらめいており、表情のない死神の怒りを代弁するように、妖しげに輝く。

 かくして、破壊の翼は空に舞い上がったのだ。


 僕は、遙か遠く、片腕のオホートニクが獣に踏みつぶされるさまを見た。

 背後には、擱坐した護送車。

 眼下には、荷台が壊れたトレーラーが横たわっている。

 僕はこの雪原を知っていた。

 つい先ほどまで、ここにいたのだから。

 ならば、あそこで今まさに屑鉄(スヴァルカ)と化した鋼鉄の狩人は、僕の機体に他ならないはずだ。


 あそこで倒れているのは大村だろう。

 既に、雪をかぶり、僅かほども動かなかった。

 佐野の機体は終末の煙を上げていた。

 彼女は助かったのか? あるいは、まだそこにいるのか。

 島田隊長はどうしたのか。

 通信は繋がらない。

 と、いうよりは、通信装置が搭載されていないようだった。

 状況の理解が追いつかないまま、僕は滞空していた。

 滞空……そうか。この機体は、飛べるのか。

 巨大獣は僕が攻撃を行うより早く、黒の死神に気づいたようだ。

 遠く、6つの光芒が放たれる。


――あぶないっ!


 真冬が、耳許で囁いた気がした。

 姿は見えないが、僕は確かに彼女の存在を感じた。

 彼女の見えざる手が、僕の手に触れる。


 光の速さに近いその破壊的脈動を、黒の死神は宙返りして上昇しながら回避した。


 仲間たちが逃げ切れたにしろ、そうでないにしろ、この恐ろしい怪物を放置する理由はどこにもない。

 僕は意を決し、本能的恐怖を振り払い、怪異に斬りかかった。

 ……その、つもりであった。


 この機体は、操縦系統はオホートニクと似ていた。故に、僕は、同じようなタイミングで動けばよいと思っていたのだ。

 だが、機体の出力が余りにも違いすぎた。

 想像を超えた急峻な加速で、黒い死神は赤い弾丸と化し、したたかにその機体を獣に打ちつけた。

 僕はその加速に反応しきれず、ただ、体当たりを食らわせた形になったのだ。

 速度の自乗の運動エネルギーは、獣が大きくよろめかせた。

 しかし、すぐに自由になる肢で、反撃を繰り出してきた。


――『鎌』を使って。


 巨人はとっさに、操り人形の糸が引かれたように、左手を振りあげた。

 引き裂かれた獣の腕が、攻撃のモーメントはそのままに、宙を舞う。

 切れ端は、漆黒の、闇。


 獣が呻く。その声は怒りか、苦しみか、判然としない。ただ、爆音のような咆哮が空気を震わせていることは確かである。

 切り落とされた獣側の断端にも、黒い闇がまとわりついていた。

 見ようによっては鎌のように見える刃は、赤黒い光を纏い、この世のものではないように揺らめく。

 巨大な物の怪は飛び退き、頭部から光の束を放つ。

 同時に、地面が揺らめき、火山からいくつも炎の塊が飛び出し、僕の機体を襲った。


 加速に任せて身を躱し、懐に潜り込んで縦に一閃する。

 青黒く、光沢を持つ胴体が切り開かれ、闇が切り口から入り込んでいく。

 今度は奴の咆哮には、明確な苦しみの色があった。


 奴は、体の中から別の怪異を放ってきた。

 空飛ぶ結晶体、あるいは目玉のような化け物。

 その見た目は目玉のようだが、同時に正確に多面体であり、パワーマトリクスが宙にそのまま浮かんだような姿だ。

 目玉どもは、まるで一つの意思に統一されているかのようで、等間隔に展開し、瞬時に僕を取り囲んだ。

 目玉同士が光の網を作る。

 僕は橙の多面体の中にいた。


 この目玉は、教本では原初的な種類であると解釈されていた。

 中枢の蛇の瞳のような切れ込みの部分から、破壊光線を放つ。

 遠距離からの光線は脅威ではあるが、耐久性は高くなく、かつ、単調な動きしかしない。

 故に、『(ズヴェア)』よりも厄介ではあるが、特殊弾頭の対空ミサイルを使って破壊できる分、人類の生活圏への脅威度は低いとされていた。


 ……一度にこれほど多数が現れるという話は、これまで聞いたことがなかった。

 まして、連携をとるなどとは。

 そして、この移動砲台の連携が、ここまで恐ろしいものであるとは。

 教本の書き換えが必要だった。

 そうだ。僕たちは、この異星人の軍勢について、何も知らないに等しいのだ。


 このままでは逃げられない。

 少なくとも、オホートニクではそうだった。

 邪眼の怪物の瞳の部分に光が宿り、一斉に僕の方を見ている。

 日本語の『蛇にらみ』という言葉を、僕は脳裏に浮かべた。

 奴らは、全周囲からの光の束で、勝負を決める気だ。

 僕は、光線が放たれる瞬間に、一気に高度を下げ、光の網を鎌で断ち切った。

 光線は遙かな後ろで収斂し、大気中に橙の爆発を起こす。

 躱せた。のはよいが、加速が速すぎた。

 目の前の地面は、残酷な相対速度で、僕は迫っていた。


――大丈夫。


 真冬の声が、先程とは打って変わった優しげな響きを持って届いた。

 漆黒の死神はこともなげに、片足だけで器用に地面を蹴り、低空飛行に移行する。

 すぐに目玉の群れは陣形を組み直し、光の束を撃ち下ろしてくる。

 破壊の光は雪原をかすめ、雪を瞬時に蒸発させ、大気中に水滴の膜を作り出す。

 僕は雪煙を利用して奴らの包囲の外側に飛び出し、手始めに最も近い眼球を両断し、返す刀でもう2つ、切り飛ばした。


 突然の背後からの奇襲にも、群体の対応は俊敏であり、機械的に反応した。

 すぐに光の雨が僕を狙って降り注ぐ。

 光柱のうち何条かは死神を捕らえるが、黒いマントルに阻まれ、僕には僅かほどの衝撃も伝わってこなかった。

 数では向こうが上だが、速力ではこちらが勝っていた。

 僕は高速で離れ、勢いのまま斬りかかり、たたき落とし、また離れた。

 が、きりがない。個体数が多すぎる。


――銃もあるんだよ。 お兄ちゃんなら、使えるはずだよ。


 右手には、黒の長銃が備わっている。

 20mmに比べ、重く、長く、それでいて氷柱のような流麗さを纏っていた。

 引き金を引くと、赤黒い光……もとい、闇の束が飛び出し、眼球の怪物を刺し穿った。

 発射から着弾までが、実弾ライフルより明確に速い。

 闇の槍に串刺しにされた目玉は瞬時に溶け、塵と化した。

 僕は足を止めず、右左にジグザグに飛行しながら、ライフルを掃射した。

 黒の槍は次々に命中し、30体程度の怪物を屠った。


 まだ足りない。

 まだ奴らはたくさん、宙に浮かんでいた。

 この怪異たちが死を恐れることはなく、機械的に僕を狙い続ける。

 その執拗さには恐れ入る。

 何より、本丸たる怪物には、ちっとも攻撃が出来ていないのだ。

 ふと目をやると、怪物は傷を塞ごうとしているらしかった。

 斬りつけた闇が、傷を塞ぐのに抵抗するように、傷口をえぐり続けている。

 が、怪物の回復力は、それに勝るらしかった。

 明らかに足止めされている。

 この輝く眼球の群れは、自らの仕事を完璧に成し遂げていた。


 速く、片付けないと。


 焦る気持ちのまま引き金を引いたが、何も出てこない。

 弾がもう無いのか?

 戦場での弾切れは、何よりも恐ろしい。

 僕は、最初の出撃で弾を撃ち尽くしたことがあった。

 その恐怖は、骨身に、骨髄に染みわたっていた。


――任せて、お兄ちゃん。


 真冬の声とともに、背中の翼がいびつに歪み、漆黒の玉が放たれる。

黒い黒い、インクで塗りつぶしたような球体。

 この機体の肢体と同じく、一切の光沢感がなく、すべての光を飲み込んでいるようだった。

 闇の塊は、まるで意思を持っているかのように脈動しながら、獲物に襲いかかる。

 目玉たちは必死に逃げようとするが、遅い。そして、低い。

 上空に追い散らされた空飛ぶ目玉たちは、ついに逃げ切れず、闇の浸食を受ける。

 切り落とされた獣の腕の断端と、同じことをしているようだ。

 力を失い、朽ち逝く球体を見捨て、黒洞々たる宝玉はこの黒い死神に戻ってきた。

 機体は赤黒い輝きを取り戻していた。

 いや、むしろ、以前より強く、禍々しく輝く。

 総身に力がみなぎるのを感じる。


――今の私たちなら、やれるよ。


 真冬が耳許で僕を励ます。

 私たち。

 その表現は、不思議と心地よかった。


 飛び退いた獣は、今やほぼ傷を塞ぎつつあった。

 包囲の突破を悟ると、力のままに光の束を放ってくる。

 概ね、彼らの戦いは力任せだ。

 そして、人類を破滅に追い込むには、それで充分すぎた。

 化け物に随伴した邪眼もまた、一斉に光を放ってきた。

 橙の光の奔流が辺りを埋め尽くす。

 僕は、今度は思い切り上昇した。


 極地の夜を覆う厚い雪雲を切り裂き、赤い軌跡を残して、死神は天へと昇っていく。

 不思議なことに、これだけの急上昇でも、僕は体への負担を感じなかった。

 先程の機動からの予想通り、目玉が上昇できる高度は限られているらしい。

 下から散発的な砲撃をしてくるが、ものの数には入らなかった。

 星空は静けさに満たされていた。

 世界が破滅に瀕してからというもの、このような夜に飛ぶものなどいなくなっていた。

 雲海にぽっかりと開いた穴の向こう、高度2万メートルの高さから、死神は正確に、獲物を見据えていた。

 相対距離、17500メートル。

 目玉はまだ、僕をあきらめていない。光の束が追いかけてきた。

 僕は光線を躱しつつ、右手の銃を構え、正確に狙った。

 8本の闇の束は、残った8つの邪眼を正確に刺し穿ち、塵へと還した。

 後に残るは、死神と巨獣のみ。


 僕は急降下した。

 今や、眼下に豆粒のように見える怪物を目指して。

 豆粒のように、というのは、距離がそう錯覚させるだけではなかった。

 実際、僕は負ける気がしなかった。

 音速の壁を超えた黒の落下物が、表面に氷を張り付けながら、猛禽のごとく、赤い軌跡を描く流星のごとく、獣を襲う。

 獣は正面から迎え撃ち、6つの眼から光の槍を放つ。

 僕は鎌で攻撃をわずかに逸らし、そのまま鎌に力を込める。

 死神の鎌はより一層赤黒く輝きを増した。

 引き込まれそうな暗黒に、稲光のごとく赤黒い閃光が纏わり付く。

 途方もない破壊の力が、この空間には凝集されていた。


 時間の流れが遅くなったように感じられた。

 6つの目玉が、今はっきりと見える。

 奴に表情はない。

 奴は今、恐れているのだろうか?

 それとも、憎しみに燃えているのだろうか?

 僕にとっては、いや、もしかすると奴にとっても、それはもはやどうでもいいことだった。


 光の柱を避けながら、僕は奴の頭にあたる部分に刃を突き立てた。

 ずぶっ、と鈍い嫌な音がしたと思うと、切っ先からどす黒い何かが広がる。

 闇の刃は、奴の肉体を破壊し始めた。

 間近ですさまじい雄叫びを聞かされ、機体が揺れる。

 だが、僕は手を、加速を、止めなかった。

 ずぶ、ずぶ、ずぶずぶ、と肉が斬れていく感触が機体に伝わる。

 例えシリコン製と言っても、肉体は肉体なのだ。

 頭から胴体の末端まで、一閃で切り開いた。

 暗黒がまとわりつき、傷を広げ、再生を許さない。

 胴の内部に見えた巨大なパワーマトリクスの輝きに対し、僕はすかさず、右手の銃を放つ。

 闇が、生命の脈動を捕らえ、黒く染め上げる。

 やがてそれは自らの力に耐えきれないかのように、内側から割れて破片となった。

 ばらばらに散った破片は、辺りに光の雨となって降り注いだ。


 時間の流れが、普通に戻る。

 巨獣はもはや、その動きを止めていた。

 盛大な断末魔も止まり、いつの間にか吹雪も収まっている。

 後にはただ、死んだような静寂があるのみであり、雪原は穏やかな星の光に照らされ、神秘的に輝いていた。


 やった、のか?

 僕一人で、あの怪物を屠ったのか?

 いや、一人ではない……真冬と、二人で、か。

 僕は薄ら笑いを浮かべた。

 あの死体と、正確に同じ表情をしていた。


 すべてが終わったとき、僕は急激な脱力感に襲われた。

 全身の筋肉という筋肉が萎え、衰え、生命力を失っていくようだ。

 これが、死神の力の、代償なのか?

 目の前が暗くなっていく。

 暗闇の奥、誰かが僕を呼び止めている。


 しかし、妹の声も、今の僕には届かなかった。

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