4. 炎
外はいつの間にか、すっかり真っ暗闇だった。
暗闇に、砲撃の炎と、オホートニクの放つ橙のヌミノーゼの発光が交錯する。
空は低く、暗く、戦闘の灯りと遠い火山の噴火だけが、光源となっていた。
目の前には、ロケットランチャーを構える、異国の兵士。
『……長! 隊長! こちら3番機、佐野結莉亜! 応答願います! 隊長!!』
半狂乱になりながら、涙声で助けを求める佐野の声。
何故、今の今まで、無線が入らなかったのか。
それはあまり問題ではなかった。
無線機器の不調は珍しくなく、ヌミノーゼの影響というものもいるが、そもそも、安物の無線機器しか最前線には配備されないのが悪いのだ。
動作温度:摂氏5度~35度とキリル文字で記載された通信装置に呪いの言葉を吐きかけながら、島田隊長と大村はカービンで異国の兵士たちを撃ち抜いた。
6.8mm弾を正中線に受けた彼らは、生命機能を維持するための臓器、あるいは、大動脈などに損傷を受け、程なくして絶命した。
持ち主の死とほぼ時を同じくして、ランチャーの無誘導弾は上空高く打ち上げられることとなった。
「大村、お前のオホートニクまで走れ! 俺と関で援護する、いいな」
「了解! しっかり頼みますよ!」
「佐野! 今から大村がそっちに行く!
撃つな、踏み潰すな、援護しろ! わかったな!!」
『う、うわあああ!! こっちに来ないでッ!!』
「佐野、落ち着け! 聞こえるか!」
佐野は完全に恐慌状態となり、闇雲に発砲を続けている。
仮に無線が届いていたとしても、彼女に隊長の声は届かないようだった。
彼女が撃つ先、目をこらすと、吹雪に紛れて微かに緑の光を認めた。
あの光。教本では知っていたが、この目で見るのは初めてだ。
自由主義同盟の主力機、M3A1 『レインジャー』は加工されたパワーマトリクスの緑の光を放つのだ。
雪原に我々の姿を認めた自由主義同盟は、制圧射撃をかけてきた。
おそらくは分隊支援火器を装備した者がいるのだろう。猛烈な銃撃の雨が襲ってくる。
僕たちは車両を盾に、散発的な銃撃を行うが、カービン銃2丁で軽機関銃と戦うのは絶望的だった。
大村はまだ気づかれていないようだった。
オホートニクまで、あと50m程度……
冷静に戦える者が一人増えれば、あるいは、戦況はまだ覆せるかもしれない。
死神の微笑みはすぐそこまで迫っていたが、まだ、僕の肩に手をかけてはいなかった。
あと30m。
20m。
その距離が、遠い。
僕は、佐野が暴れるその先に、スコープの輝きを見つけた。
次の刹那。
大村の胴体が大きくよろめき、真っ赤な血が飛び散る。
どっ、と彼は背嚢から倒れた。
雪原に見る見る赤い花が広がる。
雪景色に彼岸花が大輪の花を咲かせ、大村は動かなくなった。
「くそ、大村! 大村!!」
珍しく、島田隊長は取り乱していた。
この隊長の焦る顔に、うっすらと、死神の微笑みが重なる。
先程の少女の微笑み、真冬の微笑みと同じ顔だった。
僕にはその落ち窪んだ眼窩の奥の光が、橙色をしているように見えた。
呆気に取られた僕がしばらく動けないでいると、さらなる爆音が響く。
気づけば、佐野のオホートニクは緑色の光に左半身を飲み込まれていた。
淡い橙色の光は、その部分から失われていく。
対ヌミノーゼ膜弾頭が使われたのだ。
神秘の加護を失い、むき出しになった装甲板に、先程の着弾から正確に2秒後、砲弾が降り注いだ。
鋼鉄の砲弾が装甲板を、左の肩関節と股関節を撃ち抜いた。
左半身をもぎ取られ、鋼鉄の巨人は体の左半分を下にして、崩れ落ちるようにして倒れた。
『ああっ?! 助けて、たすけて!! だれかあああ!!!』
佐野は絶叫を続けながら、もう弾の入っていない20mmアサルトライフルのトリガーを引き続ける。
空虚な作動音が、寒空に響く。
僕は狙撃手がいるのも忘れ、駈け出していた。
何かできるわけでもない。
何もできない。
それはわかっていたのだ。
でも、そうせざるを得なかった。
幼馴染みが無惨に殺されるのを、ただ、見ているのが辛くないという人はいないだろう。
背後で制止する隊長の声も、もはや、遙か遠くに感じられていた。
死神の姿はいよいよはっきりとしてきた。
あの笑顔を浮かべ、佐野のオホートニクに手をかける。
しかし、その目だけは、ずっと、僕の方を見つめたままだ。
残った右半身に、緑の閃光が降り注ぐ。
神秘の防護を失った佐野のオホートニクは、もはや、屠られるのを待つ家畜に等しかった。
緑と橙色の光の粒が、雪に落ちて消えてゆく。
僕らも、まもなくそうなる運命だろうか。
体は自分でも信じられないくらい、素早く動いた。
自分のオホートニクに飛び付き、直ちに火を入れる。
巨人の狩人は、直ぐに輝きを取り戻し、獲物を探し始める。
「佐野! 今から前に出る、待ってろ!!」
通信には何の返答もなかった。
こちらに気づいた狙撃手が、無意味な7.62mm弾を放ち、神秘の膜に阻まれる。
僕は大村の仇に対して、容赦なく20mm砲弾を撃ち込んだ。
雪煙が舞い上がり、狙撃手からの射撃は、それ以降なくなった。
僕は重力制御跳躍を行い、佐野の機体の、正確にはその残骸の前に、仁王立ちとなった。
佐野の機体は、既に動くことを止めていた。
――佐野は、死んだのだろうか。
わからない。
わからない以上、まだ生きているかも知れない。
僕が時間を稼げば、彼女は助かるかも知れない。
――何かあったらすぐ戻るから、大丈夫。
――心配しないで。必ず来るから。
つまらない、その場しのぎの口約束のつもりだった。
だが、今の僕の行動原理には、それで十分だった。
ただ一つ、心残りは妹のことだが……
僕は傍から見れば、その心がどうであれ、国のために死んだのだ。
後のことは、生きている人間に任せよう。
僕はこの時点で、死を覚悟した。
今はこの命で、どれだけ時間を稼げるか、それがすべてだ。
「突撃します! 島田隊長……佐野をお願いします!」
返答はわずかな雑音しかなかった。
上官に勝手な願いを突きつけ、僕は通信を切った。
遠く、降りやまない雪の先に、緑の光が3つ。
例の攻撃を食らえば不利だ。
近代戦において、戦力は砲門の数の2乗で決まる。
だが、それはお互い好き放題に撃てる場合に限ってだ。
乱戦に持ち込めば、戦力比は1対9から1対3まで改善する。
何より、僕の目的は勝利ではない。時間を稼げればそれで良かった。
僕は、距離を詰めて飛び込んだ。
隊長が禁じた接近戦を、敢えてやろうというのだ。
どういうわけか、それが出来るという確信が、僕にはあった。
全身に加速の衝撃がたたきつけられる。
マトリクスの力で軽減されているとはいえ、無防備にこの加速を行えば失神必至の出力だ。
脳への血流を保つべく、心臓は必死の抵抗を試みていた。
全身の臓器が、くまなく、今の僕の目的を支えるために動いている。
最後の抵抗は、僕の体も、望むところのようだった。
無限にも思えた加速の果て、敵の姿が、漸く見えてきた。
緑の光を湛えた、鋼鉄の巨人が3体。
銃口は一様に僕に向いている。
1機は支援用の砲撃機、2機は僕のオホートニクとそれほど変わらない装備に見えた。
砲撃を紙一重で躱し、銃撃を盾で受け流し、僕は彼らの近くに着地する。
直ぐにブースターを使い、一気に接近する。
先程僕がいた場所には、例の緑の閃光が炸裂していた。
右手の20mmライフルでやや遠い近接型を狙う。
鈍い金属音がHMDを通じて僕に伝わる。
射撃は盾で阻まれ、有効打とはならない。足が止まれば、それでいいのだ。
左手のブレードを抜き放つ。
橙色をした死の刀身が、獲物を探し始める。
こいつは獰猛だ。ひとたび抜けば、血を吸うまで止まらないだろう。
その元々の持ち主、獣の牙がそうであったように。
勢いのまま、砲撃型に飛びかかる。
もう一機の近接型がすかさず飛び込んでくる。
盾での一撃。これをこちらも盾で受けた。
「どけよっ!」
気合いとともに、横一閃になぎ払う。
いきなり斬りつけてくるとは思わなかったのか? あるいは、あちらも素人なのか。
防御の下に潜り込んだブレードは、ヌミノーゼ膜を裂き、敵の上半身と下半身を離断した。
僕らの機体とコクピットが同じ場所なら、操縦者を殺せてはいないだろう。
だが、少なくとも、この瞬間においては十分だ。
追加の銃撃があり、僕は構えを崩さず盾で凌ぐ。
隙を見せていれば、危なかっただろう。
剣道の訓練を積んでいたことを感謝したのは、この瞬間が人生で最初だったかも知れない。
ブースターの加速により、機体がきしむ。
僕はさらに加速した。
砲撃型はこの距離でも猛然と砲撃をしてくる。
今度は避けきれない。
緑の光に包まれ、盾の輝きが消える。
かまうものか――僕は勢いのままに突進する。
機体と僕が、どういうわけか、完全に一つのものになったように自由に動いていた。
マトリクスブレイドで左上から袈裟斬りにする。
奴も盾を構えて受けるが、勢いの付いた剣は盾ごと左腕を断ち切った。
胴体を狙い、ブレイドを突き立てる。
反撃の砲撃を受ける前に、そのまま横に切り払う。
砲撃型は不快な音を立て、軋みながら崩れ落ちた。
やがて胴体から光が失われ、動かなくなった。
……なんだ。やれるじゃないか……
そんな僕の夢想を、衝撃が打ち消す。
残った五体満足の1機と、上半身のみになった1機が銃撃を加えてくる。
死神がはっきりと僕の手を掴んだ。
ああ、連れて行かれる、のか。
後ろを振り返る余裕もない。
機体の警報がけたたましく鳴り響く。
一機が近づいてきた。恐ろしい速度だ。決着を付けるつもりなのだ。
互いのブレイドが鍔迫り合いの格好となり、橙と緑の輝きが溶け合い、曖昧な色を作り出す。
その間にも、上半身だけの巨人は銃撃をつづけ、装甲板に穴を開けてきた。
爆発。
コクピットが激しく揺れる。
機体の右腕は付け根からとれていた。
姿勢が崩れる。
目の前の機体は加速し、ブレイドを僕に押しつけようとする。
負けるものか。僕もペダルを踏み込んでいた。
だが、奴の狙いはそこではなかった。
コクピットに向けられたライフルが、装甲板を貫通した。
コクピット部分のヌミノーゼ膜も、既に失われていたのだ。
僕は全く気がつかなかった。
正面の機械類がはじけ飛び、破片が僕の四肢に突き刺さる。
「くっ、ううっ……!!」
猛烈な衝撃を受け、息が出来なくなる。
パイロットスーツの上から、爆発による熱波を感じていた。
苦痛に悶えつつも、操縦桿と意識は手放さない。手放してはいけない。
HMDの向こうでは、死神の微笑みがますますいびつに歪んでいた。
まだ、死んではならない。
まだ、お前にくれてやるものは何もないのだ。
片輪になった鋼鉄の狩人は、しかし、闘志に燃える橙の刀剣を残していた。
僕は死の瀬戸際で、まだ思考の力を辛うじて保っていた。
一番の脅威である砲撃型は仕留めたのだ。
僕は、ヌミノーゼ膜の回復を狙い、一気に跳躍し、距離を取ろうとした。
HMDのせいで見えないが、左足の感覚が鈍い。
ペダルをしっかり踏み込めなくなっている。
鼓動とともに、力が抜けていく感じがする。
おそらくは出血しているのだろう。
ブレーキを失った鋼鉄の巨人が、高速で飛びのく。
上半身のみの野伏せりはまだ、方向転換が出来ず、雪上でもがいていた。
この戦場で唯一五体満足の、もう1機のM3A1は、僕に向かって、腰だめで20mm砲弾をばらまいてきた。
近接防御用の50口径機銃も、正確にこちらを追尾してくる。
ヌミノーゼ膜を失ったオホートニクは脆い。
20mm砲弾はスカート部分のアーマーを吹き飛ばし、12.7mmは頭部にわずかな損傷を与えた。
カメラの故障により、視界が悪くなる。
まだ、致命傷ではない。僕はひたすら、距離を、時間を稼ごうとした。
雪原に着地した……つもりだったのだが、左足が言うことを聞かない。
狩人は雪原に倒れ込んだ。
僕はとっさに、左腕のブレイドで地面を突き刺す。
雪原に20メートル程の痕跡を残し、腹ばいのままようやく、狩人は止まった。
今、僕は敵に大きな隙を晒している。
この瞬間、やつが重力跳躍を行ってくれば、無防備な背中を刺し穿つのは容易かっただろう。
だが、敵はそうしてこなかった。
そうできなかったのだろう。
壊れかけの頭部で、鋼鉄の狩人がようやっと捉えた映像。
そこには、輝きを放つ巨大な獣が映っていた。