96. 傷顔の襲撃
どれくらい眠ったのかは、正確にはわからない。
ただ、僕が次に目を覚ましたときに確かだったのは、サイレンの音が鳴り響いていることと、外はまだ暗いという2点だけだった。
「准尉! 准尉!! 起きてくださいっ!!」
まだ若い男性の声とともに、誰かがが僕の身体を揺する。
「敵襲です! 准尉!!」
見るからに狼狽しているフライシャー伍長は、僕がメガネを取ろうとしているのに気づかないようで、思い切り身体を揺すっていた。
力がこもりすぎた右腕が、胸に当たって痛い。
粗末な毛布は全く緩衝材としての役割を果たしていなかった。
「あの……起きてます。痛いです……」
「あっ、し、失礼しました!」
伍長ははね飛ぶように両手を離し、気をつけの姿勢を取った。
「そんなにかしこまらなくてもいいんですけど。とにかくここから出ましょう、肩を貸してもらえますか?」
「はい、准尉!」
僕がフライシャー伍長の肩を借りて立ち上がろうとした、まさにその時であった。
橙の閃光が、窓の外を眩しく照らした。
ややあって、激しい駆動音とともに大地が激しく揺れ、粗末なプレハブ製の建築物の屋根がメリメリと音を立てて歪んでゆく。
間違いない。外では戦闘が行われていて、そして……
この建物の上には、何かが乗っているのだ。
おそらくは、僕たちに敵対的な何かが。
次の瞬間、屋根に凄まじい衝撃が加わり、屋根は大きくひしゃげて崩れ落ちてきた。
軽い建材とはいえ、それなりの大きさだ、
僕は痛みを覚悟して、せめて頭部だけは守ろうと、首をかがめて手で頭を守った。
揺れにより地面に倒れる、僕とフライシャー伍長。
直後に、ぐしゃり、と何かが潰れる音がする。
が、圧迫感だけで、不思議と痛みはない。
「……つっ……!」
圧力で鼓膜がやられたのか、耳がキーンとする。
回転する視野の中、ゆっくりと目を開ける。
伍長が僕に覆いかぶさって、崩落した屋根から僕をかばってくれていた。
「だ、大丈夫ですか……准尉」
「は、はい、おかげさまで……」
「そ、それはよかった……ぐっ……!」
今の今まで無理に作っていたらしい伍長の笑顔が、苦痛に歪む。
「伍長? フライシャー伍長!?」
周囲の塵埃が徐々に散っていくのと、時を同じくして。
背中に深々と、建材の断片が突き刺さっているのが、はっきりと見えた。
「僕は、僕は大丈夫です……それより、早く、敵を……!」
「は、はい!」
元気よく返事したはよいが、僕も動転していた。
なんと言っても、この身体でスチュアート・ハイウェイ横の露天駐機場まで移動するのには、どれだけ時間がかかるだろう?
どうにか、身体をよじってフライシャー伍長の身体の下から抜け出す。
合成繊維素材のパイロットスーツには、伍長の真っ赤な血が、べっとりと付着していた。
かなりの出血のようだ。おそらく、早めに手当をしないと危険だろう。
なんとか伍長の身体を引っ張ろうとするが、僕の腕力では、青年の身体を引きずるなど夢のまた夢だった。
「誰か、誰か手を貸してくださいっ!」
僕は声の限り叫ぶ。
が、足音と戦闘音にかき消されて、振り向くものはいなかった。
士官用の簡易宿舎は混乱の極みにあり、怒号と悲鳴、そしてけが人のうめき声が響いていた。
「誰か、誰か……くそっ!」
崩落した天井には、既に火が付いていた。
おそらく、遠からず、こちらまで火が回ってくるだろう。
それまでになんとか脱出して、伍長も連れ出さねば、二人とも死ぬことになるだろう。
「准尉、行って……行ってください!」
「だけど……!」
「僕はなんとか逃げます! だから、早く!!」
なんとか逃げる? どうやって逃げるつもりだろう。
こういうとき、嘘が下手な人というのは嫌だ、と僕は思う。
「……助けを呼んできます! 必ず、必ず戻ってきます!」
僕は這いつくばりながら、どうにかこうにか、まだ崩落していない廊下に出た。
廊下の先、2階から1階に降りる階段は、途中で途切れていた。
破壊された壁の向こうで、こちらに頭部を向けていた『獣』と目があってしまった。
……正確には目ではなく、頭部のマトリクスだが。
『獣』の頭部が輝く。
マトリクス・ビームを放つ構えだ。
……ここで、僕は死ぬのか。
真冬との約束も、佐野との約束も、果たせないまま。
次の瞬間、衝撃音とともに、『獣』の首が吹き飛んだ。
巨大な鋼鉄のブレイドが、緑の軌跡を伴って、崩落した宿舎をまばゆく照らす。
「馬鹿野郎、やっぱりこんなところでチンタラしてやがったか!?」
聞き慣れた声が、スピーカーから響く。
フラン少尉の声だ。
「少尉!?」
「雅也、こいつをなんとかしろ! 私の機体にずっと付いてくるんだが!?」
フラン少尉の機体の真後ろには、スミェールチがぴったりとくっついていた。
……そうか。真冬には僕がどこにいるか、言ってなかったっけ。
階段の中途に差し伸べられたレインジャーの大きな手に、僕はなんとかしがみついた。
やや情けない格好だが、見た目を気にはしていられない。
通りに乱雑に僕を下ろしたフラン少尉は、ライフルを構え直した。
……肩から落ちてしまって、割と痛い。
「早くそいつに乗れ! 敵を押し返すぞ!!」
「そんなことより、負傷者がいます!」
「あぁ? そんなこと、だと!?」
「早くしないと死んじゃいます!」
「くそ、しょうがねえ。どこだ!」
崩落した屋根をメリメリと力任せに剥がし、フラン少尉はフライシャー伍長を機体の手に載せた。
「衛生兵がどこにいるかわからん。安全な場所まで置いてくるぞ、それでいいな!?」
「ありがとうございます、少尉!」
「そりゃいいから早く乗れ! 私の分はとっとけよ!」
スミェールチに乗り込んだ僕に背を向ける形で、フラン少尉は戦火の少ない地域に飛び立っていった。
――お兄ちゃん、大丈夫? すすだらけだよ?
「一応、ね。それより、フラン少尉の言うとおり、敵を何とかしないと」
――これからはどこに泊まってるか、必ず私に言うこと。いい? お兄ちゃん。
こちらは危うく死にかけていたのだが、そんなことを露知らない妹は、どこか自分のほうが保護者のような口ぶりで語った。
思い出したように腕時計を確認すると、日付はすでに7月13日に変わっており、まだ朝の3時過ぎであった。
疲労が残っているにもかかわらず、先ほどの襲撃で交感神経が過活動状態になっているのか、不思議と疲れは感じない。
HMDをすっぽりと被り、レーダーを確認する。
周囲にはいくつもの光点が――これは味方のものではない。敵の反応だ――映し出されていた。
無線は混乱していた。チャールズ・ダーウィン大学のキャンパスに置かれた仮設司令部からの命令と、戦闘中の部隊の怒号と、救援を呼ぶ悲鳴が渾然一体となり、もはや通信装置としての意味をほとんどなしていなかった。
状況把握は困難そうだ。
とりあえず、今のところは、敵の数を減らして混乱の収束に務めるほかはなさそうだ。
手近な『獣』に、ライフルを放つ。
道路に置かれた装甲車両への攻撃に夢中になっていた『獣』は、僕に完全に背中を見せており、驚くほど隙だらけであった。
正確に放たれた黒いエネルギー弾は、『獣』の胴体を刺し穿ち、頭部のマトリクスを貫通して即死させた。
仲間が斃れたのに反応したらしく、2-3体の『獣』が、こちらにゆっくりと接近してくる。
距離を保ったまま、頭部からのビーム射撃の構えに入る。
僕は跳躍して攻撃を回避しようとした。
――お兄ちゃん! 後ろ、人がいるよ!
真冬の警告に、後方を確認すると、逃げ遅れた兵士たちが通りを横切ろうとしているところであった。
1人は腰を抜かしている。新兵だろうか?
実際にこの『獣』を、生でその目でみたときの脅威は、未だに克明に思い出せる程度には僕の脳裏にはっきりと刻みつけられていた。
煌々と輝く橙の頭部と、禍々しい黒い胴体を持つ凶獣は、人類に本能的な恐怖を呼び起こすのだ。
今跳躍すれば、彼らは消し炭になるだろう。
僕は3体からの斉射を、黒い翼を広げて防御した。
ダメージがないわけではないが、本体に直撃を食らうよりは大いにマシだ。
翼を広げたまま、一気に距離を詰める。
一陣の風となった黒い死神は、通りの真ん中に陣取る『獣』の群れを通り抜け、反対側に着地した。
僅かな時間をおいて、3体の『獣』の胴体が真っ二つになり、絶命する。
近接戦闘において、左手の鎌の一閃は、圧倒的で無慈悲な威力を持っていた。
次の獲物を探そうとした僕の機体の集音センサーに、至近距離での爆発音が感知される。
廃墟の通りを1本隔てた向こうで、レインジャーA2型が爆発し、橙の閃光と粒子を撒き散らした。
そいつに爪を突き立てた『獣』、その顔には、見慣れた『傷』があった。