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末裔のゼノグラフト  作者: 十八 弥七
第11章 侵食
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85. 願い

 西暦2052年7月6日、19時41分。

 ひと気のほとんどない、夜の大学病院の外来棟。

 病院の診療時間はとうに過ぎており、救急外来を除けば、人影はまばらであった。


「そうだ、君。夕食は?」

「ええと、まだ食べてません」

「最後に食べたのは?」

「お昼ご飯ですね」


 そう言われてみて、はじめて、僕は空腹を自覚した。

 変なもので、気がついてしまうとなにか食べたくなってくるものだ。


「……そうか。まあ、検査に障るから、一通り終わってからにしようか」


 レッドフォード医師は優しそうな微笑みを浮かべた。

 薄暗い大学病院の検査室には、ぱっと見て用途が全くわからない機械が多数並んでいる。


「とりあえず、ここで待っていなさい」


 僕は促されるまま、検査室の前にある待合室に佇んでいた。

 どうも空調が効いていないらしく、室内はむわっと蒸し暑い。

 なかなか準備ができず、呼ばれない手持ち無沙汰に、貸出用の端末を手に取る。

 支配者が『連邦(ソユーズ)』から『同盟(アライアンス)』に変わったことで、こうして配信されている雑誌の報道する内容も大幅に様変わりしていた。

 僕も読んだことがあった週刊誌も、以前は共産主義体制を礼賛していたものだが、今やすっかり自由主義の支持者のような顔をしていた。

 それはそうだ。2052年にもなって、スターリングラードの映画のような戦いを下っ端の兵士に命じていて、実際僕もそれで一度死にかけているわけで、そんな体制が好きになれるわけがなかった。

 いや、スターリングラードではライフルは2人で1丁だったというが、今の機動兵器パイロットは1人に1機だから、少なくともパイロットに関しては随分待遇改善がなされているというべきだろうか。


 くだらないパルプ雑誌の記事の中でも、僕の目を引いたのは、首都付近での戦闘の様子だ。

 僕は記事を読んだ瞬間、軽く吹き出してしまいそうになった。


 天駆ける黒の騎士、連邦軍の精鋭を討つ――そう題された写真には、間違いなく、僕のスミェールチの姿が克明に映し出されていた。

 中空から左手の鎌でオホートニクに斬撃を食らわせるスミェールチ。吹き飛ぶ腕の断面まで、キレイにピントが合わせられており、控えめに言っても大迫力の一枚と言ってよいだろう。

 ……いつの間にこんな写真を撮影したのだろう。あるいは、同盟軍の誰かが横流ししたのか?

 妙にヒロイックなポーズで、マトリクス・ブレイドを構えながら真横に立つフラン少尉のカスタムレインジャーも、なんとなくシュールな笑いを誘う。

 ついでに言えば、別に連邦軍のオホートニクは通常型であり、別に特別精鋭が乗っていそうな感じでもなかった。

 「『連邦』の圧政を叩く、同盟軍の英雄たち」……この写真に、そんなキャプションをつけた編集者が、中のパイロットたちの残念さを知らないのは明らかだった。


 僕が端末を見ながら薄ら笑いを浮かべていると、ちょうど検査に呼ばれた。


 数十年間、基本構造の変わらない、レトロな1024列マルチディテクターCT検査は、比較的手早く終わった。

 病院の付き添いで、真冬の検査にも何回も付き合っていたので、この手の検査は覚えがないわけではないが、自分で受ける機会といえば、グラフト手術を受けたとき、エリア51で検査を受けたときにつづいて3回目だと思う。続いて、MRI検査など、いくつかの画像検査が行われた。珍しいものといえばヌミノーゼ素子の量を調べる検査くらいで、これもパイロットなら経験はあるはずの検査だ。

 その他、採血や心電図など、一般的な検査が行われたが、特別新しい検査があったようには思えなかった。

 どれも真冬も受けていたような検査だったからだ。

 帰りの車中、僕はそれを、率直にレッドフォード医師に聞いてみた。


「今日のはまだ検査の序の口だよ。本格的な検査は明日以降行う予定だよ」


 僕はそれを聞いて、気が滅入った。

 エリア51でもつまらない検査を連日受けたが、あの日々が帰ってくると思うと気が重い。


「ただ、一つ言えるとすれば……」


 そこで、先生は言葉を区切り、


「いや、やめておこう。不確定なことを話すのはあまりよくはないからね」


 どうにも気になる発言をしたレッドフォード先生と別れ、僕が研究所の中で割り当てられた部屋についたのは、午後10時を回ってからだった。

 経験上、こういうタイミングでご飯を食べると、明日がきつくなる。

 僕はその晩は何も食べずに眠った。空腹で何度か目覚めた。



 翌朝、西暦2052年7月7日。

 世間では七夕の日だというのに、そんなこととはなんの関係もなく朝6時過ぎに無理やり起こされた僕は、おそらく機嫌の悪さが周囲にも伝わるくらいだったのだろうと思う。

 ともかく、研究所のベッドはあまり快適とは言えなかった。硬くて枕が高い。

 7時間ちょっとの睡眠ですっかり腰が痛くなってしまった僕は、椅子に座りながら腰を円運動を描くように動かした。

 背骨がぽきぽきと小気味よい音を立てる。


「おはよう、よく眠れたかね」

「……あんまり、でした」

「そうか。それは済まないね、もう少し寝心地のいいベッドを用意させようか」

「いえ、それより早く検査が終わったほうが嬉しいです」


 僕は自分の意見を率直に述べた。

 あまり長居をするつもりはなかった。南方の戦線も気がかりだ。

 強力なディセンダントが現れたとき、特に再生能力の高い個体に対峙するならば、僕のスミェールチの力はきっと必要になるだろう。


「では、機嫌を直して、別の検査に付き合ってくれるかな」


 この、対ヌミノーゼ遮蔽が施された実験施設は、不思議な場所だった。

 機体に乗らずして、僕たちパイロットのパワー・マトリクスを活性化させ、ヌミノーゼとの反応を見ることが出来る、最新鋭の設備が備えられている。

 これらを使って、『連邦』はいかなる実験をしていたのか。

 ……あまり知りたくない気もした。


 検査の途中、僕が横たえられた部屋には、不思議な既視感があった。

 天井のしみ、ベッドの位置……周辺の機械などは入れ替わっているが。

 この部屋は、ついこの前見た夢――いや、あれは夢、だったのだろうか?――に出てきた部屋と同じ部屋らしい。

 当たり前だが、窓の外には、白いスミェールチの姿は認められなかった。


 僕はこの部屋の用途を、検査技師に訪ねた。

 連邦時代に正確にどのような用途で使われていたのかはわからないが、機動兵器の調整も行えるクラスの設備であることは間違いないという。

 窓の外から見える格納庫のような区画は、この2階と1階をつないで吹き抜けのようになっており、機動兵器を格納するのに十分なスペースがある。

 ちょうど、スミェールチをここに立たせたら、頭部がこの窓から出るくらいの高さであろうか。

 見れば見るほど、あの時の光景が思い出される。


 間違いない。この部屋は、あの部屋だ。僕はそれを確信した。


 検査自体は順調に終わった。

 僕に移植されたパワー・マトリクスの波形そのものに異常はないとのことであったが、一方で振幅が異常に大きいことが示されていた。

 通常のパイロットに比べて、適合率が高すぎる可能性がある。

 とはいえ、それが具体的にどう問題なのか、については、僕にははっきりわからなかった。


 その後、昨日行えなかった検査のため、再び大学の附属病院を訪れる。

 ここでも検査をいくつも受け、気づいて窓の外を見た時には、外はすでに暗くなっていた。

 病院のロビーに飾られた、七夕飾りの笹には、いくつも願い事が書かれている。

 病気がよくなりますように。

 お腹いっぱい食べたい。

 戦争が終わりますように。

 お父さんが帰ってきますように。

 世界が平和でありますように。


 僕も一つ、短冊を書こうとして、ふと手が止まった。

 僕の願いはひとつじゃない。

 真冬をスミェールチから解放し、佐野を連邦軍の魔の手から救出すること。

 二つの願いを同時に持つことは欲張りだろうか。

 強欲は身を滅ぼす。ならば、願い事は、胸の中に秘めておいたほうが良いのかもしれない。


 その晩からは、大学病院の部屋を借りることになっていた。

 明日の検査のため、一晩、絶食の上補液という絶望的な宣告をされた僕は、しょんぼりと窓の外を眺めていた。

 真冬はどうなっただろう。

 妙なことをされていなければいいが。


 附属病院の最上階、本来はVIPルームであったらしいこの部屋は、極めて広くて快適であった。

 限られた人員しか入れないことも、同盟軍にとっては好都合であった。

 あるいは、そこに慢心があったのかもしれない。


 消灯時間になり、僕は特に心配することもなく、眼鏡を外して、目を閉じた。

 ベッドは高エネルギー研の仮設ベッドと異なり、高級なものが使われているらしく、ふかふかとした弾力があり、泊まったことはなかったが、高級ホテルのベッドといえばこういう感じなのかもしれない、と僕は思っていた。

 点滴は右手に3回刺された跡があった。血管が破れやすいのが僕の悩みだ。

 それでも、何か必要な薬剤があるとのことで、チクチクとやられた跡がまだ生々しく青ずみっていた。

 何度か巡視が回ってくる音がしたが、はっきりと目を覚ますほどではなかった。


 どれくらい眠ったか、はっきりは覚えていない。

 しかし、僕は心臓が猛烈に高鳴っていることに気づき、目を覚ました。

 息苦しさといい、これは並大抵のことではなかった。

 ナースコールに手を伸ばそうとしてもがく。

 手は虚しく空を切り、橙色のナースコールに届かない。

 苦しい。

 息が出来なくなっていく。

 ようやく掴んだナースコールを握りしめる。

 しかし、反応はなく。


 そして、僕の意識は途切れた。

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