1. 始まり
西暦2051年10月6日。
僕に、3回めの出撃命令が下った。
幸いにして、これまでの2回は、それほど困難な作戦ではなかった。
故に、僕のような、不慣れな者にも生存の機会があったのだろう。
今回はそうではなかった。
基地の上官から任地を聞いて、僕は思わず指令書を取り落とした。
カムチャツカ半島での、輸送部隊の捜索と、救援。
明日の明け方から、捜索を開始せよ、との命令である。
比喩でなく、目の前が真っ暗になるのを感じる。
「どうした。関雅也伍長、佐野結莉亜伍長。国家の名誉を掛けた任務だぞ。胸を張りなさい」
基地司令、洪容弼大佐は、書類から目を上げると、僕たちを見据えて言った。
「そもそも戦犯国の末裔の君達が、いやしくも我らの旗印を背負って戦っているのだよ。これ以上の名誉があるかね?」
有無を言わさぬ様子で、大佐は駄目押しのように、僕らを軽く罵った。
元々薄い唇をさらに薄く歪ませて、この士官は笑顔を作っているつもりらしい。
おそらく、この世には、笑顔を作る才能が無い人間というのもいるのだろう。
目の前の立派な軍服を着た士官は、そのうちの1人だった。
ちょうど20年前に、南極に落ちてきた巨大隕石。
隕石が落ちることは、長い宇宙の歴史でみれば、そう珍しいことではない。
が、この隕石は……この隕石だけは、話が違った。
いや、歴史を思い返せば、そうでもないのかもしれない。
地質学調査では、6550万年前の隕石の落着により、それまで地球を我が物顔で闊歩していた恐竜は、絶滅の道を辿ったとする説がある。
人類も、かつて恐竜がそうしたように、万物の霊長としての地位を確たるものとし、地球の支配者として名実ともに君臨していた。
そう、20年前までは、そうだったのだ。
そうだったらしい。
……僕の生まれる前のことなので、正直、そこまでよくわからないのだが。
学校の歴史の授業で習うところによれば、地球の各国家は連合し、協力してこの人類の災厄に当たった。
僕達が住んでいる、かつて日本と呼ばれていた地域も、その一つ。
今は、『地球連邦』と呼ばれる、巨大国家の一部となっていた。
末端のいち国民として、僕にも兵役・労役といった義務が課せられている。
僕は、自慢ではないが、学校での成績はいい方だった。
座学、体育、軍事教練。クラス委員も何度もこなしていた。
学校での成績がよければ、兵科もある程度、選ぶことができる。
数少ない選択肢であったが、僕は、機動兵器のパイロットを志した。
自由主義経済の物質主義の享楽に耽っていた僕達の国が、異民族の支配する全体主義国家の、末端の末端に組み込まれるというのは、やはり、往時を知る人にとっては屈辱的なことではあったのだろう。
僕の父が、民族独立運動に密かに協力し、秘密警察に逮捕され、母とともに労働改造所に送られた時にも、学校の先生は僕をかばってくれた。
危うく、極寒の強制収容所で生涯を終えるはずだった僕にとって、教育委員会にもパイプのある、関先生は、今でも感謝してもしきれない存在だ。
無論、僕が、すくなくとも、表面上は、いい子でいたというのが大きいだろうが。
それにしても、僕を養子にまでしたのは、並大抵の覚悟ではなかっただろう。
そんなこんなで、学業成績優秀者の僕は、(反革命分子の子供という汚名がありながらも)栄えある機動兵器パイロットに選ばれた。
なぜ、機動兵器のパイロットを志したのか、というと……
兵科のなかでは、一番死亡率がマシだから、という、非常に単純な理由からだ。
歩兵などは、戦場に出るというのと、死ぬのはほぼ同義だった。
督戦隊に撃ち殺されるか、怪物の餌になるか、そのくらいの選択の自由はあるが。
それに比べ、恐るべき怪物に対する、おそらく現状唯一の解決策である機動兵器のパイロットは、「運が良ければ生き残れる」くらいの死亡率だ。
実際、数年間パイロットをしているベテランもいるのだ。
彼らのようなもので、思想的に問題がないとされたものは、基地に戻り、訓練教官の役につくことができる。
絶望の戦場に立たなくてもよいというだけで、現状のこの国では、十分、特権階級だと言っていい。
あとは、運をものにするだけだ。
絶望しかないよりは、ずっと良い。
先程の、『怪物』という表現は、あまり適切でなかったかもしれないが。
僕達には、討つべき相手がいた。
20年前、地球に舞い降りた僕らの敵……異星人。
『自由主義同盟』―これまた、僕らの敵であるのだが―は、異星人を『ディセンダント』と名付けた。
『降り立つもの』という意味以外に、『末裔』の意味もある。
なぜ、彼らがそんな名前をつけたのかはわからないが。
ともかく、ディセンダントは強靭な肉体を持っていた。
そもそも、彼らの肉体は、炭素化合物ですらない。
ケイ素を主体とする化合物を主体とする彼らは、その身のうちに宿す、超自然的なエネルギー体……
『パワーマトリクス』という多面体から力を得ていた。
重力を捻じ曲げ、また光の膜を展開し、光の爪で敵を切り裂く。
最も末端の、一般に『獣』型と呼ばれる彼らの尖兵ですら、通常兵器での破壊は困難を極めた。
なにせ、奴らは120mm滑腔砲の直撃にすら耐えるのだ。
当然、大量破壊兵器を使用する発想は、大国の権利として当然であり、アフリカ大陸や南米、オーストラリア地域を中心に幾度も核攻撃が行われた。地形そのものを変えてしまうほどに。
しかし、地球上の核弾頭を使いきっても、まだ、彼らを止めきることはできなかった。
数多の犠牲の上に、人類はついに、彼ら自身の力により、彼らの神秘の防壁を貫けることを理解した。
しかし、パワー・マトリクスを安定して動作させるには、現代の技術力では不可能であった。
ただ、ひとつの解決策をのぞいては。
その解決策とは、人間の側を変えること。
怪物の体組織を人体に移植し、マトリクスの制御権を奪う。
この禁忌の技術、通称・ゼノグラフト(xenograft;「異種移植」を指す、医学用語らしい)は、『同盟』で開発されたが、程なくして、情報を得た僕らの『連邦』も、同じような技術を開発した。
……どれだけの収容所の囚人たちが犠牲になったのかは、想像にお任せする。
とはいえ、彼らの尊い(と、言ってしまっていいのだろうか?)犠牲の上に、少なくとも、今はある程度安定した方法で、手術が可能となった。
僕も、パイロットになるに際し、その手術を受け、無事成功していた。
現在は拒絶反応を抑制する薬を毎日飲んでいる程度だ。
少し、免疫力が落ちる程度で、そこまで不便はなかった。
軍学校で訓練を積み、機動兵器を操り、僕は配属以来、すでに2回の出撃から生還していた。
同期の数は随分少なくなった。
僕は、2回とも、運がよかったのだ。
任務は近場の『獣』の討伐であったし、同僚や上官にも恵まれていた。
しかし、今回のは訳が違う。
現実に戻ってみると、隣の佐野も固まっていた。
彼女は、色素が薄く、子供の頃から起こるとすぐ顔が赤くなった。
そんな彼女であるからこそ、顔面蒼白となっているときも、わかりやすい。
幼なじみだから、というのもあるかもしれないが。
事ある毎に、僕に突っかかることが多い彼女だが、どういうわけか、――いや、その理由は薄々、分かっていたのだが――彼女は、僕と同じ、パイロットとなっていた。
司令室をあとにした僕は、基地内の自販機の前にいた。
外はもう真っ暗で、人通りもまばらだ。
2人分のコーヒーを持って、佐野が座るベンチに腰掛けた。
「またコーヒーかあ……」
「ん、嫌いだっけ?」
「カフェインって、お肌によくないの。ほんと、気が利かないんだから……この基地も、あんたも」
明日の出撃で死ぬかもしれない、というこの状況で、脱脂粉乳と砂糖――一般では贅沢品だ――をたくさん入れたコーヒーをすすりながら、目の前の混血児は、あろうことか、肌の心配をしていた。
そもそも、コーヒーは自分で選んだもののはずなのだ。
まあ、未成年の僕達が、蒸留酒をあおるわけにもいかない。
少ない選択肢のなかで、不本意な選択だ、ということなのだろう。
それにしても、さっき、やけくそみたいに砂糖を入れていたな……
少しでも温度が下がったら、すぐに析出しそうだ。
砂糖とコーヒーの溶解度曲線を夢想していると、彼女がじっとこちらを見つめてきた。
「明日……失敗は出来ない。わかってるの?」
「当たり前じゃん。案外、なんとかなるかも……島田隊長もいるし、大村さんも一緒でしょ」
「バカ。カムチャツカっていったら、『同盟』との前線よ」
「そんなこと、わかってるけど。もう、決まったんだから、なるようにしかならないでしょ」
「……バカ」
あまりにバカ、バカと繰り返されるので、僕は苦笑してしまう。
そんな僕の顔を覗き込み、彼女は更に不機嫌そうに睨みつけてくる。
碧眼の大きな、吊り目がちの瞳で睨まれると、僕は良く萎縮していた。
最近は、ずいぶん慣れたが。
ガイジン、ガイジン、といじめられていたことと、今現在の無意味な勝気さとに、関係がないとは言い切れまい。
だが、「なるようにしかならない」というのは、嘘偽らざる僕の本音だった。
「……一緒に逃げようとでも、言えばよかった?」
「……」
彼女は黙して語らない。
僕には妹が一人いた。故あって、今は離れて暮らしているが。
そして、彼女は母親がいる。
家族を人質に取られている以上、国には逆らえない。
ただ、この状況から逃げ出してしまいたいというのは、おそらく、この基地にとどまる、ほぼ全員が抱いている感情ではなかろうか。
この網走基地には、なんともいえない陰鬱とした雰囲気が漂っていた。
かつて日本では網走といえば、刑務所が有名だったらしい。
今や、ここの収容所ならば、シベリアに比べればまだマシだ、というのが大方の意見である。
まあ、獣に食われて死ぬか、凍死するか程度の差でしか無いのだが。
だが、ひとつの考えとしては、死もこの苦痛から逃れる切符ともいえる。
パイロットとして実戦に配備されてから、出撃した日は必ず、眠れぬ夜を過ごした。
目前の死の恐怖を、脳が処理しきれていないのか、それとも、単純に交感神経が過度に興奮するためなのか。
生物学的にこの現象を説明したところで、なんの解決にもならないことを悟り、僕は空想をやめ、彼女に向き直った。
「じゃあ、約束でもすればいいかな? 僕が守るって」
「バカ、あんた、ほんと、バカ……成績だけのバカだって、みんな言うけど。本当だよ、このバカ!」
軽口では彼女の機嫌は治らなかった。
対応を間違えたのか。
だが、そんな手段はそもそも、どこにもなかったのかもしれない。
赤面したまま、彼女はどこかに立ち去った。
ベンチに残されたコーヒーのカップには、溶けきらない砂糖が、
中途半端に液状化した部分と、ざらざらした部分が混ざり合い、
混沌とした姿を見せていた。
僕はブラックコーヒーを飲み干すと、宿舎に戻った。
今更、うろたえても仕方がないことだ。ベストを尽くすしかない。
任地付近の地形図を簡単に確認する。
山岳地帯は平地とは全く勝手が異なる。
僕にとっては、初の山岳戦だ。
それだけではない。
初めて、『ディセンダント』の領域に立ち入るのだ。
ほぼ全てが未知に近いことだ。
恐怖していないと言えば、嘘になった。
機体のメンテナンスにも立ち会った。
しばらくの間、こいつに命を預けることになるのだ。
顔くらい、見せておくのが、礼儀というものだろう。
果たして、彼はそこにいた。
ZS-44 オホートニク。
『狩人』を意味する、鋼鉄の巨人だ。
全高5メートル近く、全装備重は10トン近くにも達する。
寒冷地仕様であり、青系統の迷彩パターンが塗られている。
人間よりもがっちりとした体格をしているように見え、更に、胴体にパワーマトリクスを内蔵する。
また、背部に操縦席への入り口があり、背中構造物が突出しているため
『同盟』の兵士からは、侮蔑的に『ハンチバック』のあだ名があるそうだ。
とはいえ、僕にはこいつしかいない。
年配の整備主任に軽く挨拶した。
彼は曖昧に返事をすると、格納庫の裏手に消えていった。
おそらく、喫煙の時間なのだろう。
当たり前だ。明日までにこんなものを仕上げろ、といわれて、嫌にならない人間などいないのだ。
邪魔しても悪いと思い、僕も格納庫をあとにした。
顔面をカバーに覆われた無貌の巨人は、僕をじっと見つめているようだった。
その日は早く床に入った。
配属されてから、ずっと眠りは浅かったが。
この晩は、これまでの人生で1、2を争うくらい、浅い眠りだった。