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夜の河川敷は、恐ろしいほど静かだった。昨晩の雨で流された桜の花弁が音もなく流れている。

車のライトと、街灯が遠くに光って、向こう側はキラキラまぶしい。その少し先にはごみ処理場の煙突の赤いランプ。

ぽつんと立った大きな桜の樹と、僕と、彼女しかいなかった。


「桜も散っちゃえばただのごみね。」


彼女は恨めしそうに言った。

桜の樹の下には屍体が埋まっている!

かの文豪は桜の美しさに不安を感じて屍体が埋まっていることでやっとその美しさを素直に楽しむことができたと書いたが、彼女もその類なのではないか、と僕は思った。


「私、桜なんて嫌いなのよ。私綺麗でしょ、可愛いでしょ。なんて厚かましい顔して、それをちやほやする人間も人間よね。」


彼女はまたも恨めしそうにストロングの缶チューハイをぐっと流し込んだ。彼女はまだ言い足りないらしく、続ける。


「それでもって〈わたし、みんなに大切にされてるの。〉って傲慢で。散り際なんて汚くて迷惑で夏は毛虫だらけで。それでも当たり前だって顔しちゃってさ。一年に一週間だけ綺麗でかわいいからって花見だなんだって浮かれすぎなのよ。それならセミだって一週間しか生きられないんだからセミ見もしたらいいのよ。カゲロウ見もよ。なんでしないのかしら。」


彼女はつまみのイカを食べ始めた。くちゃくちゃとイカをかむ音、びち、とイカをかみちぎる音だけが僕と彼女の間にはあった。


「でもあんたと花見に行ったときはさ、本当に綺麗だと思っていたのよ?本当よ。」


よかった。僕と花見をしていた時の彼女の笑顔やはしゃぎっぷりが本当でなかったとしたら、彼女は完璧な詐欺師だ、ペテンだ、大女優だ。

でも大抵の女というものはその時の感情で動いているから、その時がとても楽しかったとしても、のちの心境の変化によってそれは簡単に捻じ曲げられたりしてしまう。最後にうっかり喧嘩なんてしようものなら、あんなに楽しそうだったのに、「あの時荷物が重かった」だとか、「ヒールがずれて痛かった」だとか、「そもそもあんなとこ、興味なかった」だとか。

後々言われる僕ら男からしたらもうどうしようもない。「ごめん」としか言えないのだった。


「でもね、本当に桜が綺麗だから綺麗って思ったんじゃないのかもしれない。たぶんあんたが好きだったからだよ。」


彼女はかじっている酢イカと同じくらい耳を真っ赤にさせてそんなことをいう。かわいい。なんてかわいいんだろう。


彼女はまたぐっと缶チューハイを流し込んで、のこったものを桜の根にかけた。

ぱちぱちと炭酸がはじける。


「じゃあ、またくるね。」


彼女は立ち上がって雑草でひんやりしたお尻をぱんぱんと払い、空き缶とイカの入っていた袋を持って、帰っていった。

僕は、うん。と頷いて彼女を見送る。


僕は彼女に何もできない。2年前、僕はここで死んだ。

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