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第7話

「女官たちが……妊娠をしているのですか? でも……そのような不浄な女は内裏には……」

「だから困っておる。女官だけではない。女房、侍女たちも妊娠したと言って暇乞いをする者があとを絶たない。まだ桐壺内だけで話を収めているが、そのうち人の口の端に上り宮中内に知れ渡ることだろう。帝の耳に入る前にどうにかしないと、女たちが手打ちにされてしまう!」

「東夷、今回の任務は前回よりも危険だぞ? なんたってヤヤ子は男がいないとできないからな!」

「だが……だったら紅鬼、おまえが女装して潜入するのか?」

「おれが女装だあっ? 無理に決まってんだろが!」

「小桃、妊娠したという女たちは皆、かどわかされたわけではなさそうなんだ。小桃は怪しい男がいたら知らせてくれるだけでいい」

「東夷様! わたくしも何かお手伝いできませんか?」

「美咲にはたいへんな役目があるぞ! 見た目が小桃に似ているから、この襲芳舎の奥に陣取り胡蝶のふりをするのだ。夕顔、補佐してやってくれ」

「はい」

「ええーっ! わたしが小桃のふりを?」

「おまえは口を開くとすぐばれるから、ずっと黙ってろ! それがおれたちのためでもある」

「紅鬼! あんたは黙ってて! 東夷様のご命令とあれば、わたくし美咲が胡蝶の代わりを立派にやり遂げます!」

「うむ。期待しておるぞ。では小桃、さっそくだが明日の早朝から桐壺宮に行ってくれるか」

「はい、わかりました」


 これはわたしにしか出来ないわたしの仕事だ。

 やり遂げればお給金が出て、長正の露草殿の維持費に当てられる。

 すぐに荷物をまとめ、明日からの桐壺宮での仕事に備えた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「淑景北舎、久しぶりだわ……」


 淑景舎には桐の木が植えられているので桐壺とも呼ばれている。

 淑景北舎は、桐壺宮の女房や女官たちの詰め所として使用されている。

 女官の頃にときどき行く機会があった。

 あの当時は葵の上がお住まいで、ぐうぜん長正に会えないかといつもそわそわしていた。

 そんなうれしい機会は一度もなかったが。


 あの頃とは今の自分は、見た目も様子もだいぶ違う。

 それに、あの当時の女官や女房たちは、葵の上が出て行くときに一緒に出されたのでいないはず。

 だれも和歌所の女官だった胡蝶だとは気がつくまい。

 今日は白い小袖の上に露草の柄の単衣を着て、頭の上から撫子柄の単衣を被り顔を隠したまま淑景舎の門をくぐった。


「おや? あなたはこの前の侍女殿ではないですか?」


 突然、声を掛けられ飛び上がってしまった。

 振り返ると冬嗣が長正と共に門の陰に立っていた。

 2人とも内裏に出仕する黒の装束と冠を身につけていた。

 早朝から、どうして彼らがこんなところに?


「…………」

「冬嗣! その侍女殿は口が利けぬのだ。頭の中将、東夷様の襲芳舎にいる小桃殿だ。そうですよね? すみません、あのあと葵の上の屋敷の者から名前を教えてもらったのですよ」

「おお、雷神像騒ぎのときに出会った侍女とはこの娘か? 雷神像は見つからないのか?」

「あれきりだ……鬼火騒ぎにわたしが目を離した隙に箱の中から……あれ? 小桃殿は?」


 長正たちが話している間にそそくさと淑景北舎の中へ入り大きな柱の陰に隠れた。

 よかった。

 2人は胡蝶だと気づいていない。

 すっかり小桃という東夷の侍女だと思い込んでいる。

 今日の長正は宮中に出仕する黒の長衣姿で凛々しい姿を披露していた。

 しばらく見ないうちに痩せたせいか頬もそがれすっかり大人の男へと変貌を遂げていた。

 朝の光のなかにいると、更に輝いて見えた。

 

「この間もそうだが、あの娘はいつの間にかいなくなってしまうのだ。やはり、口が不自由なのが気になるのかもしれんな……。葵の上の屋敷の者たちは、働き者で気立てがよいとほめていたのだが……」

「なんだ、なんだ? もう他の娘に気があるのか? ようやく胡蝶殿を忘れる気になったか?」

「妻を名で呼ぶな! 胡蝶の名前はわたしだけのものだ!」

「長正……おまえの妻だった女は、すでに東夷様の元におられる。上官の女房に、懸想はよくないぞ」

「しかし……東夷様は胡蝶を正室にはしておらぬのだろう? だったら、わたしにも望みはあるはずだ!」

「東夷様に捨てられるのを待つのか? おまえは葵の上といい、本当に未練がましい男よな!」

「葵の上? あの方は……」

「どうした? すっかり葵の上の話をしなくなったではないか?」

「実は……雷神像が盗まれた晩に寝所で手を取られた」

「おまえにしてはやったな! よかったではないか。それで?」

「それが……思ったより骨ばって筋張っていた。体も痩せ細っていたし、掌も薄く……」

「仕方あるまい? 宮中に居た女だ。痩せ衰えているだろうし、年齢からしてそうだろう」

「それに……文が……」

「文がどうした?」

「改めて最近いただいた文を読み返してみた。どうも調子が前とちがうようだ……素晴らしい歌が詠まれてはいるが……」

「そうか? では、代筆ではないか? 書体はどうだった?」

「書体は一緒だった……。例え代筆だとしても、内容が別人のように感じる……。実際に会った葵の上のは、記憶とぜんぜんちがった。もっとたおやかで美しい印象を持っていたのに……。目つきがいやらしく、口調もきつい。香の趣味も合わないし……」

「だから言ったろう? 思い出の女などそんなものだと。わたしも……」

「やはり! 記憶力の悪い男の話は、冬嗣の体験談だったのだな?」

「……とにかく、葵の上はあの歳だ。容貌が衰えているのは最初からわかっていたろう?」

「年齢の問題ではない! 歳が上でも、胡蝶はもっと初々しかったぞ! 若々しくて可愛らしかった……」

「ハハハハ……長正はまだ、ゆうべの酒が抜けてないとみえる!」


 柱の陰で長正たちの話を聞きながら、葵の上の屋敷での長正のことが思い出された。

 では長正は、本来の葵の上に対面して失望したということか。

 溜飲の下がる思いで長正たちの前から立ち去った。


 ◇ ◇ ◇ ◇


「おまえが東夷様のところにおる小桃か? 宮中には来たばかりで何もわかるまい。言われたことだけ素直に聞いてまいれ」

「はい……」

「ところでおまえ、葵の上の屋敷にいたのだろう?」

「はい……」

「ここだけの話……たいへんだったであろう?」


 どう答えたらいいのか迷ったが、他の女房や女官たちも一様に同情的な目で見ているので曖昧にうなずいておいた。


「あのお方は桐壺におられるときも、さんざんわたしたちの手をわずらわせていたのだ。見た目も中身も平凡なのに、自分を上に見せるのが上手なお方でな。わたしたちの才能をことある事に使うのだ。人を操る術だけは長けておったわ。帝も歳を取り要望の多くなった葵の上をもてあまして、次の更衣を見つけてきて強引に追い出したのだ。罪悪感で、今も葵の上には頭が上がらない。縁も切り血も繋がらないが、義理の妹だったこともあるからな……。帝はたいへん情が深くてあられる御方だから……」


 その後は新しい桐壺の更衣がいかに葵の上と比べて慎ましやかで立派な女性かについて力説された。

 桐壺の更衣は長正の母親を彷彿とさせる容姿で、性格その他もよく似ているそうだ。

 旧桐壺の更衣の再来と呼ばれていた。


 ずっと和歌所の奥で勉強ばかりしていたので知らなかったが、女房というのは宮中の女の愚痴を聞いてやるのが仕事らしい。

 自分に仕えていた者たちもこんな話をしていたのかと思うとぞっとした。


 仕事の説明を受けながら片付け物などをして忙しく立ち働いているうち、あっという間に日が暮れてきた。


――バタバタバタバタッ!


 そろそろ襲芳舎へ帰ろうと撫子の単衣を羽織り帰ろうとしていたら、ざわざわと人が騒ぐ声をしてきた。

 走りまわったり声を上げたり、宮中の女たちにはしてはやけに焦っている。


「どうかされましたか?」

「それがたいへんなのよ! 桐壺宮から清涼殿に行く途中の渡り廊下が泥水で汚れていて、更衣様がお渡りできないの! 中宮の嫌がらせだと思うわ!」

「まあ……たいへん……!」


 すぐに渡り廊下へと走っていった。

 桐壺宮の入り口に更衣らしき人物と女官や女房たちが困りきった様子で佇んでいた。

 咄嗟に前に進み出て頭に羽織っていた撫子の単衣を取り廊下に敷いた。

 更に露草の単衣も脱ぎそこに重ね泥水が染み出ないようにした。


「更衣様どうぞ、水が沁み込まない内にお渡りください」

「おお! これはでかした! 更衣様、どうぞ。予定時刻をとうに過ぎております」

「まあ……すみませぬ。では、通らせていただきますぞ」


 桐壺の更衣を先頭に女官や女房たちが露草の単衣の上を歩きはじめた。

 露草のような小さな自分が帝の更衣の手助けができたことがうれしかった。

 それが、長正の母に似ている桐壺の更衣のためならなおさらだ。

 初めて見た更衣のやさしげな大きな瞳は、長正にどことなく似ていた。

 たおやかで控えめな印象の女性だった。


 皆が通り過ぎるのを待ち、廊下を掃除した。

 濡れた単衣を持ちどうやって帰ろうかと考えていると、ドタドタと人がやってきた。


「おや? 暗くてよくわからぬが、小桃殿か?」

「…………!」


 長正だった。

 騒ぎを聞きつけてやってきたらしい。

 回れ右をしていそいで逃げようとする肩に、フワリと何かが被さられた。

 長正が着ていた黒の長衣だった。


「小袖しか着ていないではないか。おや? その単衣は……」


――バタバタバタバタバタッ……!


「あっ! 小桃殿!」


 いそいで逃げ出した。

 

「ハアハア……」


 気が付くと襲芳舎の門前まで着ていた。

 

「いけない……!」


 露草の単衣が無くなっている。

 どこかに落としたらしい。

 見つけに戻るわけにもいかず、仕方なく長正の長衣を羽織ったまま襲芳舎の中へと入っていった。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 それからは数日は長正や冬嗣に合わないよう細心の注意を払っていた。

 だが、彼らが桐壺宮を訪れることはなかった。

 桐壺の更衣は自分のために廊下に単衣を敷いたわたしの行為にいたく感激してくれた。

 わたしを更衣付けの女房にさせてくれた。


 これにより妊娠騒動の聞き込みがしやすくなった。

 更衣の信用を得たわたしに、女官たちの口は軽い。

 ぺらぺらと聞いてもいないのにいろいろな噂話をしてくれた。


 女官たちの妊娠は本当だった。

 男子禁制のこの後宮で寝起きしていた女房たちが妊娠した。

 それも1人や2人ではない。

 十人以上がこの数ヶ月で妊娠を理由に辞めていった。

 ちょうど葵の上が去られた後からということで、彼女の怨念ではないかと噂されているそうだ。

 

 ある日、葵の上の侍女と懇意にしている女房から耳寄りな情報を得た。


「小桃は葵の上の屋敷に居たのだろう? 知ってるかい? あそこの西対には脱出口があるって噂を?」

「いいえ」

「屋敷を造った大工から侍女が聞いた話だよ。どこかのお屋敷の近くと繋がっているらしい。屋敷ってのは緊急に備えて逃げ道は確保してあるものだど……。葵の上の屋敷に白鬼が出る噂があったろ? それも西対なんだよ。ただし、鬼火は決まって東対の方から出るんだ。皆が鬼火に気を取られている間に白鬼はいなくなってしまう。なんだったんだろうね……」


 ◇ ◇ ◇ ◇


「では小桃、葵の上の屋敷の西対に脱出口があり、それがどこかの屋敷と繋がっているというんだな」

「はい……」

「ふうむ。そうであるなら、雷神像が無くなったからくりも理解できるな。なんとかして葵の上の屋敷を調べられるとよいのだが……。紅鬼、どうだ、できそうか?」

「今は無理だ。西対は特に検非違使共が見張りを強化してる。ほとぼりが冷めてからでないと無理だ」

「そうか……。だが、でかしたぞ小桃! 妊娠した女たちの名も調べてきてくれたのだな」

「はい。ほとんどが地方の実家に帰りましたが、何人かこの界隈におります」

「では、そのうち調査に参ろう。それと……小桃、文が届いておるぞ」

「…………!」

「誰かは聞かぬともわかるのか?」


 夕顔の差し出す文には露草が添えられていた。

 小桃宛のその文は、胡蝶に宛てた長正からのものだった。

 裏に三日月の絵が描かれていた。

 

「……今夜は美咲と部屋を交替するがよい。夕顔を侍らせ、裏門は開けておこう」

「ですが、東夷様……」

「どうするかは小桃、いや胡蝶の判断に任せよう。今夜はゆっくりと休め」

「はい……」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 日がすっかり暮れた。

 夕顔に手伝ってもらい湯浴みをして長正の好きな香を焚き、自身も着飾り長正の訪問を待った。

 文にはいつかの三日月の歌が詠まれていた。

 露草の単衣を洗って返したい事と、どうして東夷の女房になったのかを会ってお聞きしたいと書かれていた。

 落とした露草の単衣は、長正に贈られた物だった。

 では、あれを拾ったのは長正だったのか。

 

「胡蝶さま……少納言様が来られました」

「どうぞ……」


――カタンッ!

 

 御簾を上げて長正が入ってきた。


「胡蝶……どんなに……会いたかったことか……」

「長正様……」


 長正が胡蝶を抱きしめた。

 

「胡蝶……わたしは浅はかだった……。葵の上が正室なったら、妻を離縁するなどという条件を出して……。あのときは軽い気持ちで提案したのだ。まさか、そんなことが本当に起きるとは思わなくて……」

「長正様……ですが……事実は事実でございます。わたくしたちは帝の命令で正式に離縁しました。わたくしは東夷様の女房になりました。2人は別々の道を行くしかないのでございます」

「いやだ! 帝に進言する! 葵の上にも謝る! なに、2人ともわたしの兄姉だ。話せばわかってくれる」

「長正様、だめでございます! わがままは通りません。あなたの言葉一つで、親戚家来一同が路頭に迷うのです! なりませぬ」

「胡蝶……そんな強い言い方をする人ではなかったのに……。東夷様のせいか? あの男とどこで? 吉野の里の逢瀬のときからあの男と? やはり、あのときの文は……」

「長正様……東夷様はあなたが葵の上を想うと同じように、わたしにとってもようやく逢えた初恋の君です。裏切ることはできませぬ」

「胡蝶の夢の本を……だからいつまでも手元に置いてあったのか? 胡蝶にとってわたしは夢の男で、東夷様こそが現実なのか?」

「その反対もありましょうが……。長正様、この世とはそういうものなのです。帝の命に従いましょう」

「では、これも運命サダメとあきらめろと……?」

「はい」

「胡蝶……!」


 その晩も三日月夜で、忘れられない情熱的な床となった。

 こんなにもお互いが惹かれあっているのに別れなければならないのか。

 わたしの頬をとめどなく涙が流れ落ち、長正はそれをいつまでも指先で拭っていた。


――ピピピピピピッ……チュピッ!


「朝だ……ここには露草どころか、草1本生えておらぬな……」

「長正様……露草の単衣は……」

「桐壺宮でちょっとした騒ぎが持ち上がっていてな。冬嗣と調査に訪れていたおり、小桃が去り際に落としていった。似ているとは思ったが、やはりわたしの贈った露草の単衣であった……。あれは胡蝶との思い出に持ち帰り、次の妻に渡す」

「…………」

「おや? 桃の剣がある。わたしは胡蝶の短刀を肌身離さず持ち歩いているんだよ。胡蝶といつも一緒にいるような気分になるから……」

「…………」

「何を言ってもだんまりか……。元はと言えば自分が蒔いた種だ。悔やまれるよ。あのような戯言を……言葉というのは人の口の端に上るといつか本物となり己の身に舞い戻ってくるものなのだな。身に沁みてわかったよ……。今宵の逢瀬は東夷様の餞別だろう。ありがたく受け取り、潔く胡蝶の前から立ち去るとしよう。いろいろとすまなかった……。東夷様と幸せになってくれ。さらばだ」

「長正様……」


――パサッ!

――ザッザッザッザッ……。


 玉砂利を踏む長正の沓音が響いてくる。

 わたしはいつまでも、袖に涙を落とし続けた。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 それから数日経ち、例の葵の上の侍女と親しいという女房が、妊娠した女官の家を訪ねるというので一緒に連れていってもらった。

 ぐうぜんにも長正の寝殿近くの家だった。


――ギシギシギシギシッ、ギシギシギシギシッ……。


 女房と乗った牛車が長正の屋敷の前を通り過ぎていく。

 庭にぎっしりと露草がはびこっている。

 大工が大勢入っているので、屋敷の修繕が始まったようだ。

 よかった。

 わたしのお給金が少しは役に立ったようだ。

 しかし、嫌な考えも頭をよぎった。

 葵の上の屋敷から近くの屋敷に秘密の通路があるとしたら、それはまさか露草殿に繋がっているのではないのだろうか。

 

「そんなことがあるわけないわ……」


 ひとりごとを言いながら、無理矢理に気持ちを落ち着かせた。

 愛する人を疑いたくはない。

 

「どうかしたかい? そら、見てごらんよ。あっちの奥に建つ立派なお屋敷を。葵の上のお屋敷とほぼ同時期に出来上がったんだが、有名な白拍子の御殿だよ。知ってるかい? 常に面を被っている方だ」

「その名は聞いたことがございます……たしか、素晴らしい舞い手だったとか」

「いつも面を付けて踊っていらっしゃる、本当の巫女様だ。その方のお屋敷さ。ああ、そこの路地を入ったところが女官の家だ。参ろう」


 ◇ ◇ ◇ ◇


 妊娠したという女官は案外と元気そうで、ニコニコと幸せそうだった。

 だが、相手の男とは宮中で会ったきりということだ。

 熱に浮かされたように生まれてくる赤子の話をするのだが、お腹の子の父親のことはあまり覚えていないそうだ。

 顔もぼんやりとしか思い出せないようだ。

 中肉中背の平凡な男。

 それが女の話から連想できた妊娠騒動の犯人像だ。

 女からは独特の香の匂いがしていた。


 女房はついでだと言って他の妊娠した女の家も訪ね歩いた。

 どの女も一様に同じ話をした。

 妊婦らしい様子が見受けられる女はどこにもいなかった。

 本当に妊娠しているのだろうか?

 また、どの女も共通して同じ香を使っていた。

 桐壺北舎で流行っていたのだろうか。


 5人の女の話を聞いて出た結論は女房と一緒だ。

 どの女の相手もたぶん同じ男だ。

 しかも、宮中で逢引きしていた。

 現桐壺の更衣が来た時期と重なる。

 引き続き更衣の近辺を探ってみることにした。


 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 このことを報告しようと襲芳舎に戻ると、めずらしく東夷のところへ客が来ていた。


「小桃、こちらはわたしの中国時代の悪友で玉鐸ギョクタクという者だ。母親が宗の人間でな。だが、国籍は我が国だ」

「よろしくおねがいします。小桃殿は例の、真夏の胡蝶の君だな」

「玉鐸、余計なことを言うな!」

「だってそうではないか。小柄なところ胡蝶の君に似ていると言って、紅鬼を召し抱えていたではないか?」

「ちぇっ! 東夷、ほんとかよ? おれは小桃の代わりか?」

「ばかを申すな! まったく、玉鐸は余計なことを……」


 玉鐸と呼ばれた男は名前の通り玉のようにピカピカとした美しい肌と女のような顔立ちをしていた。

 目鼻立ちはハッキリとしていて、楊貴妃かくありなんというような面差しと佇まいのある貴人であった。


「小桃、玉鐸はわざわざ中国から吉野の里にいた陰陽師の報告に来てくれたのだ。危険だから途中、女装して来たのだろう?」

「おお、おれは女装が得意だからな。なにしろ中国から入国するのはたいへんだからな……」

「雷神像のことも調べてきてくれたのだろう? どうだった?」

「それだが……この2つは繋がったぞ」

「ほんとうか?」

「あと陰陽師、平小角には子供がいる。肌も髪も真っ白で目が赤い十代の男の子だ」

「なんだって! 白鬼……」

「ああ、そのような風貌だ。小角はいつの頃からか中国の寺院で陰陽師を学び頭角を表わした。それを聞きつけた吉野の神社が彼を雇った。葵の上の雷神像はその小角のいた寺院の僧から贈られた物だ。これが人相書きだ」

「おお、これは助かる! これか……平凡な男だな。会ってもわからぬかもしれぬ」

「中肉中背でこれといった特徴のない大人しい男だったそうだ。ただし陰陽師の技や学問は誰よりも抜きん出ていた。頭が良くて軽業師のように身軽で優秀な男だったと評判だったらしいぞ。真夏、わたしの仕事はもう済んだから、京見物に行く。案内しろ」

「ずうずうしい奴め……でも、わたしもたまには遊びに繰り出してもいいかな? では、行こうか。紅鬼も来るか? 頭巾を被って付いて参れ」

「へいへい」


 東夷たちは行ってしまった。

 美咲が寄ってきた。


「美咲、さっきの人相書きと陰陽師は同一人物なのかしら?」

「ええ。そんな顔だったわ」

「白鬼は? 見たことある?」

「ないわ。そんな子がいたら、吉野中の噂になっちゃう! 田舎には連れて来られなかったんじゃない?」

「そうね」

「それより小桃、この前は長正様とどうだったの? きのう冬嗣様に、やたらと小桃と長正様のことを聞かれて困ってしまったわ」

「はっきりとお別れしたわ。もう、来ないから安心して」

「そうなの? 何度も辛かったわね……。小桃、元気出してね」

「うん。ありがとう。もう、泣いてるばかりのわたしじゃないわ。がんばって妊娠騒動の真実を突き止めなくちゃ」


 その後数日は何事もなく過ぎていった。

 桐壺の更衣は噂どおりにとてもやさしくて気配りのある女性で、わたしを実の妹のように可愛がってくれた。

 意外に快適な女房生活に楽しくなり、だんだんと長正との辛い別れから立ち直りつつあった。


 そんなある日、長正と冬嗣が桐壺の更衣の元へやってきた。

 廊下が泥水だらけになっていた事件が帝の耳に入り、事の真相を確かめるためにやってきたのだ。

 帝はまだ妊娠騒動について知らないらしい。


「……では、更衣様は気にはなさらないと、そうおっしゃるのですね?」

「はい……侍従殿、このことは追及なさらずに……帝にはわたくしからもそう申し上げます」

「そちらがその意向でしたら、このまま穏便に済ませます。こちらも侍従が1人欠員したままなので、仕事が減るとたいへん助かります」

「まあ、侍従殿は率直であられる!」


 冬嗣が持ち前の話術と明るさで更衣の口元に笑みをもたらした。

 この巧みさで、あまたの女を虜にしてきたのだろう。

 一瞬、わたしが初恋だと言っていた話を思い出した。

 もったいないことだ。

 たぶん、冬嗣はわたしを実際に知ったらがっかりすることだろう。

 そのとき、長正がこちらの御簾を見て頭を傾げはじめた。


「おや? そこに居るのは東夷様の侍女、小桃殿か? こちらに出仕しておられるのか?」

「小桃は以前に廊下を通らせるために自らの単衣を敷いてくださったのです。わたしの側仕えとして可愛がっております」


 どうやらわたしに気がついたらしい。

 撫子の単衣が御簾からはみ出ていたようだ。

 長正の黒の長衣を返しそびれたことを思い出し、とつぜん彼との別れの夜が頭の中に鮮明に甦ってきた。

 文も返さずに終わってしまった。


「それで、濡れた露草の単衣を落としていかれたのか……。小桃殿はあちこちの御殿で大活躍ですな。ところで桐壺の更衣様、辞めていった女房たちの件ですが……」

「……それに関してはわたくしも心を痛めております。なにより、帝に内緒事があるというのは辛いことです……」

「更衣様のせいではございません。そのおやさしき心が事件を早期解決に結びつけましょう。その後、妊婦の数は増えていませぬが、くれぐれもお気をつけてください。小桃殿、帰りは危ないから送って行きましょう。御所内は広くて、鬼が出るとの伝説もありますゆえ」

「まあ、怖い。小桃、こちらはもうよいですから、すぐに少納言に送っておもらいなさい」

「…………」


 桐壺の更衣の命とあれば仕方あるまい。

 黙ってうなずくと、あやめ柄の単衣を頭から被り御簾の中から長正たちの前まで進み出た。

 近くで見る長正はますますやつれ、悲しげな瞳の色をしていた。


「では、桐壺の更衣様。わたくしたちはこれにて失礼いたします。どうぞお健やかにお過ごしください」

「小桃をよろしくおねがいしますね」

「はい、失礼いたします」

「では、わたくしも失礼いたします。何かありましたらなんなりとお申し付けくだされ」


 背の高い2人の貴人のあとをちょこまかと付いていった。

 日の暮れと共に宮中が次第に暗くなりはじめていた。

 別れたばかりの男と一緒に歩かなければいけないのは、とても辛いことだった。

 襲芳舎が近づくと、冬嗣が長正に話しかけてきた。


「長正、日が暮れても京の都はまだまだ暑いな」

「冬嗣、これからが夏真っ盛りだろう。次の歌合せまでは猛暑が続くぞ」

「ときに長正、この間は胡蝶殿と……」

「きっぱりと別れを告げられた。本当は東夷様と胡蝶が別れるまで、待つつもりだったのだが……」

「そんな不確かなことはやめろ! それよりも、我と一緒に新たな女を探そうではないか! 三条の姫の噂を聞いたぞ。どんな男にも必ず返事を寄こすそうだ。それも、また見事な筆で! 文を交わすだけでも面白かろう?」

「そんな、戯言を……遊びの恋か? わたしはきちんと妻帯したい」

「ならば葵の上か? 向こうから正式に打診がきているそうではないか」

「……女と付き合うなら正式なものがいいということだ」

「長正……矛盾しておるな。葵の上と妻帯したくないのなら、なおさら適当な女と付き合っておいたほうがいいぞ。断る口実になる」

「そうか……?」

「胡蝶殿のことはもう忘れろ。それとも……胡蝶殿に似た東夷様の侍女に文を出すつもりか? 美咲殿に?」

「胡蝶の名は呼ぶなと言ったろう! 胡蝶のいる襲芳舎の女性に文など出せるものか! 胡蝶に失礼だ!」

「向こうはすぐに他の男のものになったのに? 胡蝶殿も罪よのう……露草の君ともあろう者の心を摘み取ったまま、東夷様の元へ行くだなどと……」

「胡蝶の悪口は言うな!」

「わかった、わかった……。それともあれか? また桐壺宮様に懸想するのか?」

「新しい更衣様のことか? 彼女がどうかされたか?」

「長正の母君に似ておられるとか」

「わたしに目元が似ているそうだな? 母親に恋などするか? 馬鹿馬鹿しい!」

「やれやれ……。葵の上はおまえにとって母親代わりの女性ではなかったのか?」

「よく考えてみれば……母が無く寂しかったわたしに、気まぐれに声を掛けてくだすったのが葵の上だった……。彼女も慣れない宮中で話し相手がいなかったのだろう。そのうちメキメキと頭角を現し社交的になっていったが……。寂しさを埋めてくれたのは、むしろ胡蝶だ。彼女との文のやりとりは、葵の上とのときよりも浮き足立って楽しかった。あのとき気が付けばよかったよ……。おまえにも散々言われていたのに……」

「長正……」


 長正の言葉を聞き心が痛んだ。

 彼はそれほどまでにわたしのことを。

 だが、今となっては後戻りはできない。

 まして葵の上が長正に婚姻を打診し出したとあってはなおさらだ。

 撫子の単衣の陰でそっと涙をぬぐった。

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