第12話
「な……なぜ……葵の上が2人も……!」
「ほっほっほっほっ……! あなたも騙された? でも、安心してちょうだい。いままで露草の君と会っていたのは本当のわたくしだから!」
「本当の……? もしや……」
「そうだ。わしは葵の双子の兄。われらはそっくりなのだ! そしてこれは、わしの息子の白鬼だ!」
葵の上とそっくりな小角は、白拍子の真っ白な衣装を身につけている。
あとの2人は薪能の舞子が着ていた緑色の装束姿だ。
では、さきほどまで能舞台に立っていたのは、この3人と胡蝶だったのか?
帝の面前で犯人が堂々と舞っていたとは!
「叔母上……女を囮にあなたの意中の君がひっかかりましたね。中国まで連れていくのですか?」
「なんだと! 誰が……!」
「ははははっ! 我ら一族の秘儀、催眠術と胡蝶香で、おまえはすぐに葵の虜になるぞ!」
「長正殿……本当はそんな術など使わなくとも、あなたの心はわらわの元にあったものを……その女のせいで! 憎んでも憎みきれぬわ!」
「どうして……。葵の上、どうしてなのですか……? わたしはかつて、幻とはいえあなたに夢中だった。そのときに……」
「どうしてかですと? わらわの恋心は、平家の怨念を晴らすという大義の前には押し留めるしかなかったからです!」
「平家? あなたは……平家筋なのですか?」
「そうじゃ! 先の帝はわらわの母に懸想して、平家の父を亡き者にしたのじゃ! わらわと母は何十年かかろうと、この怨念を晴らす覚悟で宮中を生き抜いた! 双子の兄は不吉だということで中国に養子に出されていた。わが一族は双子の家系ゆえ、男子は大陸に出すのが常だった。先祖が中国人だからじゃ。だが、わたしたちはずっと通じていた。恨めしや帝! 京の都など無くなってしまえばいいのだ!」
「なんと恐ろしい……。あなたは子供の頃から源氏を恨み、復讐の機会を狙っていたのですね……」
「じゃが、わらわの長正殿を想う気持ちは、子供の頃から本物じゃ。たとえあまたの男に身を任そうとも、常に露草の君のことだけを……」
「……こんな女をわたしは……子供だったといはいえ、ずっと騙され続けていたとは……」
「なんですと? 女め! 和歌だけでなく、長正殿の心まで盗みおって!」
「葵の上、どういうことですか? 胡蝶の和歌が何か……」
「まだ気づかぬのか? わらわの和歌は最初からずっと、この女の作品だ!」
「なんですって! ほんとうに……?」
あらためて腕の中の胡蝶を見つめた。
白々と空けてきた朝日に照らされた胡蝶の顔が神々しく輝いて見える。
まだ正気ではなさそうで、うつろな目をこちらに向けていた。
「そうか……それで……」
すべての辻褄が合うような気がした。
だからこんなにも、この女に惹かれたのだ。
胡蝶をしっかりと胸に抱きなおした。
愛しい。
こんなに愛おしく想う人は他にいない。
「白拍子はわらわの紹介で大歌所へ入れた。自分で自分を紹介したわけじゃ。わらわは舞には自信があるでな。それも、この小娘にしてやられたわ! 思った以上に何もかも優秀なおなごじゃったわ! じゃが、それもこれまで! さあ、白鬼! 一思いにやっておしまい!」
「はい!」
「なんだと! やめろ! 胡蝶に手を出すな! 鬼め!」
――ガッ!
「大人しくしろ! 白鬼は本物の鬼ではない。わが一族にはときどきこのような子が生まれるのだ。だから、わが一族の物語の中には白い鬼が登場してくるのだ」
「は、はなせ! くそっ! 身動きできない!」
長正はいつの間にかうしろに回っていた小角に羽交い絞めにされた!
なにかの体術が使われているようで、一切の身動きが取れない!
「さあ、長正殿……。先日の催眠で下地は出来上がっておる。仕上げの術にとりかかろう。大陸で目覚めたときには、この女も宮中のことも、何もかも忘れてわらわと幸せに暮らしているであろう……」
葵の上のおかしな手つきを見ているうち、頭がぼうっとしてきた。
足元に転がる胡蝶の面影が薄れ、段々と遠ざかっていく。
目の前に蝶々が飛び交いはじめた。
わたしは今、どこにいるのだろう。
蝶の大群の向こうに女性が立っていた。
あれは――母上?
いや、あれは――。
「んっ……」
少し頭の中の霧が晴れてきた。
たしか長正が助けにきてくれたはずだ。
頭の脇に足が見える。
上を見ると長正がいた。
白拍子にうしろから羽交い絞めにされている。
暴れていると思ったら、急に大人しくなった。
両腕をだらりと垂らして目はうつろだ。
ぼうっと向かいに立つ葵の上の手を眺めている。
彼女は踊りのときのように腕をクルクルと大きく振り回している。
わたしもたしかあの動きをまいにち見ているうちに、ボウッとして何も考えられなくなってしまった。
目線を転じ仰天した!
白い鬼が天井近くまで長い剣を振り上げ、わたしに狙いを定めていた!
「胡蝶ー! あぶなーい!」