第11話
「……んっ……胡蝶?」
真っ白な視界。
長正は咄嗟に舞台上の胡蝶の上に覆いかぶさっていた。
バラバラと砕けた木屑が雨のように降り注いでくる。
胡蝶を守れたことに安堵していたのも束の間、己の両腕に人のぬくもりが感じられないことに気がついた。
ハッとして起き上がる。
手の中にあるのは胡蝶の着ていた緑色の衣装のみ。
その中から、一匹の蝶が舞い上がる。
ボウッとしながらそれを見上げた。
星空に白い蝶が飛んでいく。
いや、ちがう。
あれは蝶ではない。
あれは――灰だ。
焼け焦げた匂いが鼻を突いた。
「長正ー! 無事かー!」
冬嗣の叫びが、己を正気に戻らせる。
煙は次第に散っていき、視界がはっきりとしてきた。
舞台下には――地獄絵図さながらの風景が広がっていた。
爆発で怪我をして頭から血を流してさ迷う者。
真っ黒に焦げ大きな炎を上げている帝の御簾に向かいひれ伏し大声で泣き叫んでいる者。
逃げ惑い転がり恐怖に慄き腰を抜かし這いずり回っている者たち。
「火だー! 梨壺宮から煙が上がったぞー!」
どこからともなく声が上がった。
北東の方向から煙が上がっている。
「しまった! 真夏!」
「玉鐸! あちこちに火薬が仕掛けられていたんだ!」
――ドッカーンッ!
「爆発だー! 桐壺の方向だぞー!」
「早く! 帝を! 皇后さまを!」
「いそげー!」
上を下への大騒ぎとなった。
「胡蝶ー! 胡蝶ー!」
正気に戻った長正は、腕の中から掻き消えた胡蝶を捜しまわった。
「ハアハア……どこに行った?」
――ドッカーンッ!
「たいへんだー! 嘉陽門が破られたぞー!」
皆が一斉に北東の門へと走りはじめた。
長正も一緒に駆け出そうとして、ふと南の空に煙が上がっていることに気がつく。
京の町のあちこちから火の手が上がっていた!
◇ ◇ ◇ ◇
「真夏! どうやら爆発は囮だったようだな……」
「ハアハア、玉鐸……? だが、桐壺宮も梨壺宮も、嘉陽門もひどく破壊されているぞ?」
「東夷様! 皆、薪能に出払っていたため、両宮とも怪我人はおりません。ですが、帝が……」
「侍従、大丈夫だ。おれがさきほど雷神像のことを聞きに行った際、念のため帝に避難してもらっていた。帝の御簾の中はもぬけの殻だった。安心せよ」
「本当か? 玉鐸! でかしたぞ! だが、肝心の小角がいない……嘉陽門から逃げていったのか?」
「……真夏、爆発は囮だと言ったろ? 我々を御所の北東方向に誘き出し、その隙に逃げ出したのだ。例の鬼火騒ぎと同じ手口だ」
「火だー! 京の町のあちこちから火の手が上がっているぞー!」
「しまった! 京の町が……」
「真夏……これも囮かもしれん。いまごろ小角は帝をやっつけたとほくそ笑みながら、都の外へ逃げ出していることだろう。葵の上の白拍子と一緒に……」
「玉鐸、なんだって! 葵の上と白拍子は同一人物なのか?」
「そうだろ? だったらすべての説明がつく。小角はときどき白拍子とも入れ替わっていたはずだ。場合によっては葵の上とも……」
「面をつけた白拍子ならともかく、葵の上と小角がどうやって入れ替われる? いくらなんでも女官たちが気がつくだろう?」
「さあな……白塗りをして扇で顔を隠せばどうとでもなるんじゃないか? それよりも、真夏! さっきの舞台が胡蝶の舞ではないと、よく気がついたな?」
「……もっと早くに気がつくべきだった。今回の件はわたしの落ち度だ……。この平家の舞の物語には、その前に宮中で妊娠騒ぎが起こる段があるのだ。しかも、白い鬼の仕業だという内容だ……。鬼火も出てくる。最初から仕組まれていたのだ! なぜ、気がつかなんだ……」
「仕方あるまい? まさか帝の義理の妹が犯人だとは、おれだって予想できなかったぞ。女官たちは本当には妊娠していない。たぶん、香を使った催眠術で騙されていたんだ。小角は葵の上の男なのだろう」
「葵の上は、いったいどこで小角なんかと知り合いになったのだろう。調査してみなければ……。それにしても……葵の上も白拍子にまでなりすませるなら、どうしてもっと早くに帝を襲わなかったんだ?」
「そこが平家の美学なのだろう……。今回も物語りになぞって話を進め、帝以外の命は狙っていない。敵ながらあっぱれだ」
「東夷様! たいへんです! 長正がどこにもいません! 胡蝶殿も!」
「なんだと? 長正と胡蝶が行方不明? 玉鐸! 2人はどこにいるんだ?」
「まさか……小角たちに誘拐されたのでは?」
「小角に……!」
◇ ◇ ◇ ◇
南の京の町から火の手が上がっている。
御所の北東の宮や門からも。
北は内裏だ。
だとしたら――勘が働き西の門に向かうと、暗闇を不自然に1台の牛車が走りはじめた。
長正はすぐに近くにあった牛車を勝手に操りあとを追った。
◇ ◇ ◇ ◇
牛車は西へ西へ、暗い夜道をひた走る。
長正は少し距離を置きながら必死でついていった。
夜が白々と明けてきた。
不審な牛車は、1軒の寂れた寝殿の前に到着した。
屋根も落ち、あちこち草むらだらけでだいぶ前から住む人がいないようだ。
少し手前で牛車を乗り捨て、裏門から中へ入った。
――ミシッ……。
ほこりや塵で泥だらけの外廊下に沓のまま乗り上げた。
ソウッと進んでいくと、奥の部屋からくぐもった声が聞こえてくる。
――カタッ……。
破れた御簾を押し上げると、露草の単衣を着た胡蝶が倒れていた!
「胡蝶! 胡蝶!」
「んっ……」
すぐに駆け寄り抱き起こすと、胡蝶はゆっくりと目を開けた。
「長正……さま……? ここは……あの世なの……」
「ちがう! ここは現世だ! しっかりしろ! すぐに……!」
――カタン……ッ!
「ほんに……長正殿はこの女が好きなこと……!」
「葵の上……!」
御簾を上げ、葵の上が現れた!
そのうしろには――もう1人の葵の上と白い鬼がいた!