第10話
「少納言が見つかっただと!」
「はい! 露草殿の裏庭の露草の中で倒れていました! どうやら自分で裏の木戸から入り、そこで気を失ったようです!
「なんという……それで? 容態は?」
「命に別状はありません。少しぼうっとしていますが……ただ、ここ何日かの記憶が曖昧です。それと……」
「それと?」
「桃の木で出来た剣を持っていました」
「桃の?」
「はい……。本人も憶えがないそうです。あの……小桃殿は……?」
「まだ見つからない。昨日の夜、牛車で迎えに行かせた。御者の話だと、小桃を乗せてたしかに白拍子の家を出たそうだ。御所で降ろしたそうなのだが……。露草の単衣を頭に被っていたらしい」
「小桃はたしかにその柄の単衣を持っておりました。小桃……どうか無事でいて……」
「美咲殿も小桃殿に会っていないのか?」
「はい……御所のなかを皆で手分けして捜しましたが、小桃はどこにも……」
冬嗣と美咲が神妙な面持ちで目を見合わせた。
長正は見つかったが、今度は小桃が行方不明になってしまったのだ。
「玉鐸、どう思う?」
「真夏……どう考えても白拍子が怪しい。紅鬼は穴を掘り終わったのか?」
「もう少しだ……。これ以上は小桃を捜しようがない。どちらにしても、明日は薪能だ。何もなければよいが……」
「薪能には先帝をはじめ帝に縁のある人物がおおぜい集まる予定だ。中止に出来ないのか?」
「国中の重鎮が集まり我が国の繁栄を祈る大事な行事だ。帝は何があっても強行なされるおつもりでいる」
「そうか……。では、用心するしかないな……」
◇ ◇ ◇ ◇
そして遂に仁寿殿の中庭にて薪能が開催された。
夕闇と共にあちらこちらから人が集まり、庭に設置された能舞台には4つのかがり火が焚かれている。
広い仁寿殿に灯かりはそこだけで、なんともいえない幻想的な雰囲気を醸しだしていた。
「長正、出てきて大丈夫なのか?」
「ああ、迷惑をかけて悪かったな……」
「いままでいったい、どこに居たんだ?」
「それが、はっきりとしないんだよ……。仕事終わりに露草殿にいったん戻り、歩いて1人で出掛けた。伝言して行かなかったので、屋敷の者たちはわたしが出掛けたことに気づかなかった。白拍子の元へ聞き込みに行ったはずなんだが……。白拍子の屋敷の者は、わたしは来なかったと言っている。何がなんだか……」
「桃の剣はどうした?」
「念のために持ってきている。代わりに桃の短刀が無くなっていた……。わたしはな、冬嗣……夢の中で胡蝶に会ったぞ……」
「胡蝶殿だと? 胡蝶殿は東夷様と襲芳舎に居るだろう?」
「だから、夢の中でと言ったろ? わたしが贈った露草の単衣を羽織りこちらを見ていた。三日月がとてもきれいで……」
「少納言! 頭髪からまだ香の匂いがしてくるぞ。アヤカシに化かされてるな!」
「玉鐸様!」
長正のうしろにいつの間にか玉鐸が立っていた。
相変わらず中国風に頭髪をゆるく結び、長衣を着崩している。
並み居る女御や皇后が彼の男ぶりに惚れ惚れとしている。
東夷と並ぶといつも圧巻の男前だ。
「本当に胡蝶に会ったのか? どこで?」
「それはわかりません……」
「夢の中でとか言うなよ? 桃の剣は誰の物だ?」
「そういえば……胡蝶の短刀を持ち出すときに、同じ布の中に剣もあったような……」
「それだ! 少納言は本当に胡蝶に会ったんだろう!」
「ですが玉鐸様……胡蝶は襲芳舎に……」
「そっちの胡蝶じゃないほうだ! まあ、いい! 真夏!」
「おい、玉鐸! おまえは目立つのだから、勝手に出歩くなよ!」
「侍従の欠員は葵の上のせいだったんだろ? しかもその侍従は吉野の例の神社の神主の息子だ。今夜は葵の上は?」
「来ているぞ。そして今、紅鬼から吉報が届いた。葵の上の西対の床の脱出通路が開通したそうだ。出た先は……」
「白拍子の屋敷であろう?」
「玉鐸、どうしてそれを!」
「おまえは自分で動かないから、なんでも詰めが甘いのだ! だから小桃を危険に晒すことになったんだぞ!」
「小桃を? 玉鐸、何か知ってるのか?」
「シーッ! 白拍子の登場だ!」
――ピーッ……!
いつの間にか現れた白拍子が、能舞台の真ん中で横笛を吹いている。
いつものごとく能面をつけ、真っ白な衣装を身につけている。
その姿はさながら幽霊のごとく不気味であった。
「あれが……有名な面の白拍子……」
「少納言、あの女を見た憶えはないのか?」
「玉鐸様……ないです。ここ数日の記憶がないのです……」
「そうか……」
皆が静まり返るなか、白拍子の周りで露草を手にして緑色の衣装を身につけた、小柄な娘たちが3人踊り始めた。
本来なら春先に行われる有名な胡蝶の舞だ。
3人はかわいらしく非常に正確に踊っている。
全員が面を付け頭にすっぽりと頭巾を被っていた。
ひとり、特に上手に踊る舞子がいた。
「…………! あれは……胡蝶だ! 胡蝶に違いない!」
「なんだって? 長正、どうしてそう思う? 胡蝶殿は東夷様の御簾の中にいらっしゃるのだぞ?」
「いいや、絶対にそうだ! あの髪、背丈、仕草や足運び……手つき……」
舞子たちはとりつかれたように白拍子の周りを踊り狂っている。
胡蝶の舞いとは、このように目まぐるしい踊りであっただろうか?
誰もがそれを不審に思いはじめたころ、長正はあることに気がついた。
「雷神……! 雷神像が……!」
胡蝶舞が奉納されている能舞台の前に雷神像が置かれた。
「本当だ……どういうことだ? ちょっと聞いてくる!」
玉鐸が雷神像を運んできた従者の元へ走って聞きにいった。
少し話し込み、すぐに戻ってきた。
「ハアハア……葵の上がさきほど見つかったと持ってこられたそうだ」
「玉鐸様、雷神は本来、宮中には禍々しい物では……」
「長正、雷が襲芳舎に落ちたことがあるからそう思われるだけで、雷神像は本来は梅と同じく雷除けだ。露草殿にも植えてあるじゃないか? 無くなった雷神像が見つかったことが、帝にとっては反対に吉兆と感じたのだろう」
「それもそうか……」
「おい! おまえたちおかしいと思わんのか? 少納言が盗まれた雷神像は箱の中からだろ? なんで箱ごと雷神像が見つかるんだ!」
「玉鐸の言うとおりだ! では、あの雷神像は……」
4人の麗しい貴人たちが、一斉に雷神像を見つめた。
それは人間の上半身ほどもあり、木で作られた大変りっぱな作品だった。
怒りに満ち満ちた鋭い目つきと吊るしあがった太い眉が、あたかも生きているかのごとくこちらを睨みつけている。
「ぞっとするほどの憎しみを感じる。真夏、そう思わんか?」
「作品自体は素晴らしい出来栄えだが……」
「長正、箱の中身は見ていなかったのか?」
「ああ。葵の上から決して開けるなと言われていたので……これほどまでに立派な物とは知らなかった……。それよりも胡蝶だ! 東夷様! あれは胡蝶ですね?」
「あの舞子がか? わからん……だが、おまえが胡蝶だというなら、胡蝶なのだろう……。胡蝶のことをいちばん理解しているのは、少納言、おまえだ。また、おまえのことをいちばん理解しているのも胡蝶だからな……」
「東夷様! あなたと胡蝶は……」
「その前に、おまえは胡蝶と小桃、どちらを選ぶ?」
「胡蝶と……小桃殿をですか? それはいったい……」
「真夏! 嫉妬にかられておかしなことを申すな! 少納言、事情は聞いている。胡蝶にしたことを反省しているようだな?」
「玉鐸様! その前に! 東夷様! わたくしは胡蝶が好きです! 最愛の女性です! 小桃殿にも惹かれていましたが、それはあくまで胡蝶が東夷様のものと知ってのこと。小桃殿の心を惑わしてしまった罪は必ず償います! わたしは迷わず胡蝶を選びます!」
「……その言葉が聞きたかったのだ。玉鐸、少納言は心から反省しているようだぞ」
「そうだな……。若気の至りという言葉がある。胡蝶はとっくにおまえを許しているよ。葵の上と帝の手前、復縁できないだけだろう。それも少納言を想ってのことだ。胡蝶という女性は、相当に聡い人物とみえる」
「はい……胡蝶は素晴らしく優秀な女性です。わたしの手元を離れ、あんなにも美しく立派に舞っています……」
あらためて4人は、かがり火に照らされた能舞台に目を向けた。
特別素晴らし舞子に皆の注目が集まっていた。
その舞いはこの世のものとは思えないほど美しく、幻想的な雰囲気に仁寿殿の中庭に集まった全員が夢と現の間を漂っていた。
「帝の御前では手が出せない……。少納言、胡蝶の舞が終わったら胡蝶を確保しろ」
「はい、東夷様……」
「真夏、おまえは面の白拍子が男だと気づいていたか?」
「なんだって? どうしてそう思う?」
「長正のような男に勝てるぐらい力強い琵琶が女に弾けるものか? このまえ白拍子に、男かとカマをかけて聞いてみたが、ひどく動揺していたぞ」
「玉鐸、それは本当か?」
「たぶんな……今、わかった……。なあ、真夏……あの舞台に、女は何人いると思う?」
「なんだと?」
東夷は改めて舞台を見据えた。
そして、あることに気がついた!
「しまった! 玉鐸! これは胡蝶の舞ではないぞ! 帝が危ない!」
「なんだって!」
驚いた玉鐸が東夷を振り返ると同時に、胡蝶の舞子たちが一斉に露草を投げ捨てかがり火に近づいていった!
「胡蝶! 止めろ! 正気に戻れ!」
長正が叫びながら能舞台に駆け寄る!
東夷たちも一斉に舞台上の白拍子たち目がけて走り出した。
ざわざわと仁寿殿の中庭が騒がしくなり、なかには悲鳴を上げて逃げ出す者たちもいた。
「これは胡蝶の舞ではない! 平家の恨みが最高潮に達したときに白拍子に踊らせた有名な舞いだ! 平家はそのときどきの気持ちを言葉に出来ない分、舞で表現するのが常だった……その証拠に、舞子が3人だ! 本来なら胡蝶の舞は4人で舞うものぞ! そして、最後に舞子が火を……」
東夷の叫びも虚しく、舞子たちはかがり火を手にするや、一斉に帝の御簾の前にある雷神像めがけて放り投げた!
「やられた! 真夏! あの雷神像には火薬が仕掛けられているんだ! 爆弾だ! 皆、伏せろー!」
玉鐸の絶叫が仁寿殿の中庭に響き渡った!
一瞬のち。
――ズッガアアアアーンンンンッ!
凄まじい爆音と共に、すべてが白い煙のなかへと沈んでいった。