パンの屑協力戦線
「昨日はお前が貰ったんだから、今日は俺だ!」
「何言ってるの!? 早い者勝ちでしょ!?」
「俺は魔法使いになるんだぞ!? 出世払いでいくらでも美味いパンをおごってやるから、ここは譲れ!」
「私は伝説の鍛冶士になるのよ! 出世払いどころか、最強の武器もおまけにつけてあげるから、ここは譲りなさいよ!」
「伝説の鍛冶士が無料で配ってるパンの耳を欲しがるかよ!? 嘘つくならもっとマシな嘘をつけ!」
「そっくりそのままお返しするわ! 魔法使いともあろう人が無料のパンの耳を欲しがるなんてありえない! あんたこそ嘘をついているでしょ!?」
互いの傷の抉りあいでしかなかった。
俺達は互いの言葉を聞いて、たまらず俯きながらため息をついた。
「そうなんだよなぁ……魔法使いがパンの耳とか何の冗談って話しだよなぁ……」
「そうなのよねぇ……伝説の鍛冶士がパンの耳を主食にしているってありえないわ……」
お互いに袋を掴んだまま、またため息をついた。
だが、俺は内心とても驚いていた。意外と力が強いことに。それに――。
まさか、不遇アピールをあわせてきただと!? 俺が折れた振りを見せ、相手が油断した隙に袋を奪い去る作戦を見破ってきたというのか!?
だが、先ほどのため息は布石。本命はここから展開する作戦、泣き落としだ。
涙が女だけの武器だと思うなよ!? ダメ男の泣き落としだってあるんだ!
「実は……俺、魔法を使おうとすると、魔法の杖が壊れてさ。魔法の実技試験が受けられなくて、退学しそうな上に、杖の弁償で借金しているんだ」
さぁ、どうだ? あぁ、この人は私が支えてあげないと。という母性本能が刺激されただろう!?
「そう……あなたも若いのに苦労しているのね……」
よし、来た! この流れは、なら、がんばって魔法使いになって。私応援するわ。の流れだ!
これでこの女は俺にパンの耳を譲ってくれるはず!
「実は私も親の残した借金があって……。借金を返すためにがんばって最強の剣を作ったのに、誰も買ってくれなくて、素材を買った時に借りた借金だけが増えていくの」
この女!? 俺の泣き落としに、泣き落としで返してきた……だと!?
バ、バカな!? 本気の涙!? いや、そんな訳あるか!? 親の残した借金なんて、よくある結婚詐欺の常習手口だろ!? 金だけ受け取った後、消息絶って消えちゃうやつ。
この女、パンの耳を求めてそこまでやるのか!?
パンの耳だぞ!? 廃棄する物を好意で配っているだけなんだぞ!?
それをこんな必死に求めるというのか!?
だが、俺はこんな安い涙になんか騙されんぞ。毅然とした態度でパンの耳を奪い取るのだ!
「うぅ……ぐすっ……お前も大変だった……んだな」
俺はもらい泣きしていた。
「……うん。もう最近ちゃんとしたパンは一ヶ月食べてないの……」
「そうか……。本当に辛い目にあっているんだな……」
何を言っているんだ俺は!? 泣き落としされてる場合じゃないだろ!?
騙されないと言った直後に何で同情してるのさ!?
しかも、この女、今、笑った!? この男、案外ちょろいわね。とか思われたのか!? このままでは俺が……負ける!?
ダメだ! 思い出せ! パンの耳すらない日の食事をっ! 塩をなめて、水だけを飲む夕食をっ!
「俺……昨日の夜、水と塩だったんだぜ……。お前はパンの耳食えたんだろ?」
「っ!?」
彼女の目が一瞬憐れみの色に変わったのを俺は見逃さなかった。
いや、彼女だけじゃない。何かもう店の中にいる人全員から憐れみの視線を感じる。
だが、それがどうしたというのだ?
ここから決着まで女の鉄の心を突き崩す。パンの耳は渡さない!
「えぇ、分かるわ。塩と水だけの夜は本当に辛いわよね。眠るのすら苦痛に感じるわ」
「あぁ……だから、頼む。今日はゆっくり眠りたいんだ。だから、このパンの耳を俺に譲って欲しい」
「でも、あなたは今夜、塩と水以外にもパンを食べられるはずよ?」
「なん……だと……?」
この女は……一体何を言っているんだ? 俺はパンを買えないからパンの耳を貰いに来たんだぞ?
「あなたの上着のポケットに入っている袋。金貨が入っているはずよ? 隠してもムダ。音で分かるから」
「な、音は出していないはず!? ハッ!? お前まさか!?」
「えぇ、カマをかけたら本当にあったとはね? ちなみに私は正真正銘無一文よ! タダで配られるパンの耳を貰いに来ただけと言っても過言では無いわ! でも、あなたはお金があってパンを買える。私に譲るべきよ!」
迷惑この上ない宣言だ。客というかただの物乞いでしかない。
だからこそ、俺は負けられない。俺にも譲れない思いがある!
「この金貨は俺が学費を払うためにあるんだ! だから、俺も実質無一文なんだよ! このパンの耳を貰うためだけに来たんだ!」
――俺も等しく屑だった。
「だから、俺に渡せよ!」
「いいえ、あなたが譲りなさいよ!」
結局子供のようにお互いが駄々をこねてわめく喧嘩になる。
店の人達はもはや俺達から視線を反らして、何も見ないように振る舞っている。
だが、そんな中、一人だけ俺達に近寄る巨体がいた。
熊みたいなおっさんだが、パン屋の店長だ。
「お前達いい加減にしろ」
ドスの効いた低い怒鳴り声で、俺と女の口喧嘩は止まった。
声も怖いし、顔が怖いし、腕も丸太のように太くて、ラリアットを食らえば首でも折れそうだと思うぐらい怖い。
そして、こんな腕と見た目で猫の形をしたパンとか犬の形をしたパンといった可愛らしいパンを焼くのが怖かった。見た目に反して可愛すぎだろ。
「エスト、てめぇ、今失礼なこと考えただろ? てめぇのリリカル・マジカル・ベアナックルとかいう魔法の拳と俺の拳、どっちが良い拳か比べるか?」
「滅相もない!? というかその非常識な名前広まってるの!?」
あぁ……もう一度この人生をやり直したい。色々な意味で……。もう一回転生したいです神様……。
「まぁ、良い。それとシャリー。お前もお前だ。爺さんの工房の存亡がかかっていて、焦るのは分かるが、落ち着け。人に八つ当たりするんじゃねぇ」
知り合いから叱られたようにシャリーと呼ばれた少女はしょんぼりと俯いた。
鍛冶士とか借金というのは嘘だと思っていたのだが、どうやら、嘘じゃないようだ。
まさかとは思ったが、こんなに境遇が近いというのも実際なってみたら非常に驚いたし、妙な親近感が湧いた。
「で、てめぇら、これ以上騒ぐと店追い出すぞ? パンの耳もおかないぞ? 二人仲良くするなら明日も置いてやる」
殺し文句というか脅しだった。そんなことをされたら俺の息の根が止まる。
シャリーの方もどうやら同じ事を思ったようで、真っ青になった顔を俺の方に向けてきた。
そして、同時に俺達の腹の虫が音を立て、不快なデュエットを始める。
「シャリー……だっけか? 提案がある」
「エスト……だっけ? 私も提案があるわ」
良かった。どうやら考えていることは同じなようだ。
同じ借金持ち、パンの耳で飢えを凌ぐ仲間だ。言いたいことはさっきの腹の虫の声で伝わっていたんだろう。
俺達はタイミングを合わせるように一緒に大きく息を吸い込み、最高の笑顔を見せてこういった。
この一瞬で芽生えたちょっとした連帯感と友情を信じて。
「俺に譲ってくれ」「私に譲ってくれない?」
そう言った瞬間に俺達はパン屋の店長に首根っこを掴まれて、店を放り出された。
「お前さっきのはないだろ!?」
「あんたこそあそこは譲る場面でしょ!?」
もうお腹が空いて頭が互いにおかしくなっていたんだろう。
単純に分けるという発想が出てこないほど、俺達はお腹を空かしていた。
「うるせえ! これでも食って! 帰って寝ろ!」
そんな俺達に槍投げのような勢いでバケットが二本飛んできた。
俺達はフリスビーを投げて貰った犬のようにバケットに飛びついて、貪るように口の中に詰め込んだ。
そのバケットはやけに硬くて、廃棄する予定だったんだなとすぐ分かったけど、今の俺達にとってはごちそうみたいに感じた。
「良い人だな……この店主」
「そうね。小さい頃からずっとお世話になってるわ」
「……また明日、パンの耳置いてあるかな?」
「あると思うわ。だから、また会える」
俺達はパンを食べ終え、パン屋を眺めながらそう呟くと、互いの顔を改めて見合わせた。
そして、手を差し伸べて、ともに戦った戦友を労うようにガッチリと熱い握手を交わす。
「良いのか? シャリー。だって、俺達はパンの耳を取り合ったんだぜ?」
「えぇ、むしろ、あなたが来るのを待ってるわ。エスト、明日こそは仲良くパンの耳を貰いましょう。パン屋さんもパンの耳だけを作る訳にはいかないしね。たくさん美味しいパンを焼かないといけなから」
そうか。嬉しいな。俺も同じ気持ちだ。きっとシャリーが先に来てなかったら俺がシャリーを待つだろうから。だって、俺達は同じパンの耳を食べる仲なのだから。
俺はフッと笑うと、シャリーの気持ちに応える誓いを立てた。今度は争うことなく、一緒に分け合おう。俺だってこのお店からパンの耳がなくなったら困る。
「そうだな。まさか店長がその大事なパンを投げてくるなんて思わなかったもんな。全く何やってるんだろうな俺達は」
パンの耳をタダで配ってくれる優しい店長がバケットを投げるなんて思わなかった。
そこまでさせてしまった原因は間違い無く俺達なのだろう。
だから――。
「明日また騒ごう。またバケットを投げて貰うために!」
「ええ、でも、明日は食パンが良いわ!」
「そうだな! 廃棄で多少硬くなってもここのパンは美味いからな!」
「えぇ! 廃棄品でも良い仕事するわ!」
俺達はどうしようもなく酷い客だった。というかパンに群がる屑だった。パン屑だ。
「帰れ! てめぇらがそのつもりなら! マジでパンの耳も置くの止めるぞ! この屑どもめ! パン屑野郎どもめ!」
俺達の熱い結束はその一喝であっさり解かれ、ともに泣きそうになりながらその場を逃げ出した。