八話
けたたましい怪鳥の鳴き声が食堂に響いた。それを合図に女将が叫ぶ。
「さぁさぁ陽六だ、お昼の時間だよっ! 注文札持って並びなっ!」
女将の声に従ってあっという間に行列ができ、あっという間に消化されてゆく。予め注文をしておき、この時間帯にちょうど必要数出来上がるようにしているようだ。
「ご注文の『絶品鴨燻定食大盛り』になります!」
「『安い! 美味い! 護国府扶桑うどん出張版』お待ちぃ!」
急に騒がしくなった受付から次々と大量の料理が運ばれてゆく。ざるにうず高く盛られたうどん、でなければどんぶりに山をなすご飯。たまに普通のお茶碗を見かけるかと思えば、その運ばれた先は小人だった。
「すごい光景ですねぇ」
気圧された様子であやめが言った。私はといえば死人のように声も出ない。
ここは三の丸の大衆食堂だ。夕月館は宴の準備に掛かりきりのため、昼食はここで摂るようお願いされた。私とあやめを含む賓客たちの居所には一般客とは別口で料理が運ばれてくるけれど、彼らの騒々しい様子も伺うことができる。
「このお店は町大工の溜まり場なんですよ。普段から食べてないと力を発揮できないとかで……ご多忙で今日はいらっしゃいませんが、領主様やご子息にもご利用いただいてます」
お茶を運んできた給仕の少女が言った。肩には白羽をたくましく盛り上げた小鳥が乗っている。
受け取ったあやめが返す。
「あの人、もう子息なんていう歳じゃないと思いますよ」
「だね。栄兵衛さんは今日でたしか二六だろう?」
「そうなんですけどね」
給仕が口許に手を当て苦笑する。
「領主様はご壮健ですし、ご子息も誰かを娶る気配がまるでありませんし。社会勉強だっていって、子供のころから警邏にずっとお勤めされてますから、跡継ぎって気がしないんですよ」
「確かにねぇ。古名を聞かなきゃ偉い人だって分からないかも」
「ふるな、ですか?」
給仕の少女はきょとんとした顔になった。古名と新名の区別に馴染みがないのだろう。
「古名ってのは連邦ができる前から貴族が使ってる珍妙な名前だよ。普通の人には『右』とか『左』とか付かないだろう?」
「遠白山の右の……。たしかに、領主様は姓と名の間に『右』の字が入ってますね」
「実のところ姓でもないんだけど、まあいいや。その『右』の字は本家を表してるんだ。対して分家の中で一番力のあるのが『左』で、他は苗字が変わることになるね」
「ほん……ぶん……えっと」
しまった。話についてこれなかったらしい。隣を見ればあやめは始めから聞くことを放棄していてお茶を啜っている。
「まぁ、昔のこととか調べてみても面白いかもしれないよ、ってことで」
適当に話を打ち切り、私もお茶に口をつける。ちょうど給仕が呼ばれた。
「おーい、なに長話してんのさ」
「あっ、すいません! 今行きます!」
それでは、と給仕の少女は仕事に戻っていった。
私たちもお昼を食べ終わり、夕月館に戻って、しばらくだらだらと部屋で時間を潰した。
夕方になった頃、あやめが部屋の白い障子、そして雨戸を開け放つ。身を寄せ合って外を伺った。
池に面した屋敷の二階、その窓からは昨日見た光景に似てやや異なる夕焼けと月が見られた。風に波立つ池の辺りには人だかりができて景観を楽しんでいるようだった。
ふいに袖を引かれる。
「ん。どうしたの、あやめ?」
「いえ、先に更衣室へ行きたいのですが」
外を見やる。客人が増え、それが外へ出ている今は風呂場も空いていることだろう。肌を見られたくないあやめにとっては着替えるのにうってつけの時間だ。逆に時間が経ってしまえば更衣室に人が増えてしまう。
「分かった。私もすぐ行くよ」
「ありがとうございます」
あやめはそそくさと部屋を出ていった。すぐに戻ってきた。
「すみません、鍵を……」
「はいはい」
鍵を受け取り、あやめがしていたように首に掛ける。すとんと低く垂れるのが悲しい。
今度こそ更衣室に向かうあやめを見送って、しばらく時間を潰す。意外に重かった雨戸を閉めるのに手こずり、額に汗をかいてやっと戸締まりを終えた。多少の達成感を胸に私も更衣室へ向かった。
着替えて待ち構えていたあやめに浴衣へと着せ替えてもらい、風呂場に入る。
風呂場には思わぬ先客がいた。
「あれ、栄兵衛さん?」
石風呂に肩まで浸かっていたのは、見覚えのある無精髭の男だった。藍の浴衣がよく似合っている。
栄兵衛さんも私達に気がついたようだ。
「おっ、司式の嬢ちゃんどもか。無事に来られたみてぇだな」
「はい。でも栄兵衛さんは仕事があったんじゃ?」
「言ったろ? あれ以上は進展もねぇだろってんで、後始末は部下に押し付けてきたんだよ」
思い返すと、たしかにそんなことを言っていた。まさか本気だったとは。
「なんせ俺とお前の誕生日だ。宴に主役が欠けてちゃ締まらねぇさ」
栄兵衛さんはふんぞり返って空を仰ぎ、喉を鳴らして笑った。
ことは一年近く前、私の成人の儀まで遡る。来賓だった栄兵衛さんはそこで私と誕生日が一緒だと気が付き、どうせなら一緒に盛大に祝おうと言い出したのだ。酒が入ったその場では冗談のようなものだったのだけれど、最近になって改めて提案され、断る理由もなく、今この場へと至る。
湯を浴びて汗を流し去り、栄兵衛さんの向かいに腰を下ろす。背後の大きな岩にもたれた。心地よい湯だ。
「識神府じゃ誕生日を祝う風習なんてないんですよねぇ。毎年祝ってくれてたのは母とあやめくらいで、皆に祝われるなんて成人の一度きりだと思ってましたよ」
「勿体ねぇよなぁ。俺としちゃあこっちの風習を広めてみてぇんだが。来年は嬢ちゃんの方でやるか?」
「実家はともかく、我が家はそんなに広くありませんよ」
そのだだっ広い実家も、勘当とはいわずとも放逐されている身には誕生会なんて開いてくれるかどうか。母と須々要はのりのりで賛同してくれるだろうけれど、他の反応は冷めたものになるだろう。
しかし栄兵衛さんが言うには、我が家で催したっていいらしい。
「わざわざでっかくやらなくたっていいのさ。世間一般じゃささやかでも楽しくやるもんだ」
「そういうものなんですか?」
「じゃねぇか? 俺はささやかにやったことはねぇがな」
おどけた調子で栄兵衛さんは肩を竦めた。あてにするなということだろう。
話に交ざらないあやめがどうしていたかというと、私の隣で潜っていた。急浮上して頭を振る。
「ところで、このお湯の効能ってどんなのがあるんですか?」
あやめが尋ねると、栄兵衛さんは思案顔をして無精髭を撫でた。
「何だったっけかな……。親父は筋や節に効くって言ってたか? 他には眉唾だが、肌が若返るとかって聞いたことが……」
「へぇ! 今度訪ねるときは楡も誘ってみましょう」
「本人に聞かれたら叱られると思うよ?」
叱られる場面を想像したのか、あやめは青い顔をして獣の耳を垂らした。耳の先から雫が滴る。
「しっかし、生尾人か。その耳も鼓膜が張ってるわけでもねぇんだろ?」
「? ええ、そうですけど……」
そう言ってあやめは側頭の髪を掻き上げた。人の耳が露わになる。あやめいわく、生尾人の獣の耳は飾りなのではないかという。神経も血も通った体の一部ではあるけれど、音を拾う機能なんてないらしい。
その時、更衣室への扉が音を立てて開かれた。現れたのは女だ。外を見ていた人たちがそろそろやってきたのだろう。
「私はお先に上がらせていただきますね」
あやめはそそくさと更衣室へ向かった。その後ろ姿を目で追って、栄兵衛さんがため息をつく。
「……やっぱ、目の前に生尾人がいるってのは信じがてえな」
「似たようなことを昨日も言われた気がします」
人間への近さ、という乱暴な尺度で妖精は分類される。だから人に近い第一種妖精の中にもいろいろな者がいる。例えば小人族。あるいは獣頭鬼。共通することといえば、子から育ち親となって次の子を成す、種族としての性質だ。
生尾人は、種族として成立していない。
有史以来、文献や伝説を総ざらいしても生尾人は十と少しばかりしかいないとされている。出生の記録はなく、死ねばどこからともなく獣が現れ遺骸をさらってゆくという。腑分け解剖の記録はなく、その性質は彼らの語る証言と不確かに残る伝承でしか推し量れない。獣の耳が聞こえないということさえ、あやめの証言で初めて分かったことなのだ。
生尾人については謎だらけで、故に付き合い方も分からない。
「そろそろ俺も上がらせて貰うよ。お嬢ちゃんも早えとこな」
栄兵衛さんも上がっていった。今日は私も長風呂せずに上がることにした。
予定より一日遅れての投稿。
次々回には識神府へ帰って本編が始まるはずですが、第一章が今年中に終わるんでしょうか。