七話
いつもの肌寒さに目を覚まして、布団を片付け、着替えを始めようとしたところで部屋の外から呼び掛けられた。女性の声だ。仕方なく帯を締め直し、内鍵を開ける。
「入っていいですよ」
応じると、静かに襖が開かれた。その向こうには皺の入った白髪の女性を先頭に四人の給仕人が控えていた。いずれも女性だ。
「お召替えに伺いました」
給仕たちは一礼してぞろぞろと室内に入り、あっという間に私たちを取り囲んだ。あやめに二人、私に二人がついている。妙齢の一人が抱えてきた大きな籠には、いかにも高級そうな色とりどりの着物が見えた。最後に入ってきた給仕が襖を閉め内鍵を掛ける。
「ええっと、あの……」
困惑しているうちに手際よく脱がされ始めてしまう。後ろで帯の解かれる感覚がするや否や、前に立つ妙齢の女性にするりと帯を抜かれて、襟許を開かれ肩がはだけてしまった。助けを求めるようにあやめに視線を向けるけれど、あやめも脱がされないよう服を押さえるので必死だ。
給仕たちの手は止まらない。下着までひん剥かれ、丹念に汗を拭われ、肌襦袢、長襦袢、長着、羽織まで重ね着させられた。羽織は淡い青に白の水紋。ご丁寧に赤熱色が映える色を選んだらしい。着付けが終わると髪も梳かされる。どういう技術か櫛の抵抗もなく髪が整えられてゆく。
そうこうしている間にあやめも解放されたようだ。給仕が来る前に着替えていたことを伝えた結果、上着だけを着替えさせられるという妥協に至ったらしい。私のとお揃いの青い羽織だ。髪や耳の毛並みはいつもより艶めいているように感じられた。
一通り終えると給仕たちは私たちの服が入った籠を持った。先程まで着ていたものばかりではなく、道中着ていたものもだ。
「お預かりさせていただきましたお召物は、こちらで洗濯し明日朝にお返しいたします。それから、ご朝食を一番広間にご用意いたしました。いつでもお食べください」
そう言って給仕たちが去っていく。
「……あ、嵐のような人たちだったね」
開け放たれたままの襖を見て思わず呟いた。襖を閉じていかなかったのは、私たちがすぐに階下に向かうとき手間が掛からないようにするためなのだろう。無礼なのか気が利いているのか。
「わわっ、ご丁寧に家紋まで入れてますよこれ」
先に部屋を出ようとしたところであやめが声を上げた。振り返って見るとあやめは羽織の背中側を向けてくれる。そこには雀の意匠と小さな楕円が三つ染め抜かれていた。確かに司式の家紋だ。
「ほんと手が込んでるね。いつから準備してたんだろ」
「素人目に見たって、染め抜きなんて昨日今日でできるようなものじゃないと思いますよ。鳩に手紙を結んで出したのがだいたい二十日ぐらい前ですから、その辺りから準備してたんでしょうか」
あやめの言った鳩という言葉に何か忘れているような気になったけれど、きっと大したことではないだろう。
一階の広間へ行くと、どうやら客人が増えつつあるらしく、昨日の夕食の時よりいくらか賑やかになっていた。一角に腰を下ろし、重い息を吐く。
「どうかしましたか? まさかとは思いますが……」
「……うん。服が重い」
下の階へ降りるくらいしかしていないのに少し疲れてしまった。今の格好のようにちゃんと重ね着するのは滅多にないことだ。冬だって軽い綿で膨らませたもこもこの半纏で凌いでいた。
「運動不足もここまでくると深刻だね。そろそろ体動かさないと不味いかな」
「栞様が何も出来なくたって私がお世話しますよ」
「あやめに頼り過ぎなのが運動不足の原因だと思うんだけどなぁ」
他愛ない話も程々に朝食に口をつける。漆のお茶碗から蓋が取り去られると途端に湯気が吹き上がり、汁椀も同様に白くくゆらせた。
澄まし汁を飲んで舌を洗い、ご飯を一口含む。山交の護国府側と識神府側とでは距離こそないけれど文化がはっきりと分かれていて、識神の甘い米とは違ってこちらの米は淡白だ。一方で焼き魚などは強烈な塩気で、舌に一欠片だけ乗せただけでご飯がいくらでも喉を通る程だった。
周りを見れば、護国府の人間だろう幾人かはがつがつとご飯を搔き込んで、空になったお茶碗を給仕に手渡しおかわりを頼んでいた。ああやって量を摂る料理なのだろう。少食の私には真似できそうにない。
ふと私たちに向けられた視線もあることに気が付き、目を伏せた。赤髪の口に第一種妖精が箸を差し込む姿なんてどうしても目を引いてしまうのだろう。
こんな奇異の視線はまだ良い方で、下町なんかに行くとこの視線は侮蔑のものに変わることがある。この辺りは貴族層と庶民層で差の出るところだ。
私はさっさと食べ終わり、あやめも瞬く間に食べ終わって広間を後にする。一度部屋へ戻り、小物や小銭を袂へ入れた。
「私はちょっと城下町へ出て、雀駕籠を葺き直せないか訊いてくるよ」
「ご一緒しますよ」
「あやめは駕籠から贈り物を出しておいてくれるかな。昨日はすっかり忘れてたでしょ?」
「あっ、そういえば!」
出発の時に積み込んだ贈り物の類は、駕籠に乗っているときには部屋が違うのもあって気にしたことがなかった。床に括りつけているから倒れていることはないだろうけれど、ただの荷室よりは城の貯蔵庫のほうが保存に向いているはずだ。
屋敷から出て、駐車場の前であやめと別れる。あやめは早速牛頭と馬頭を呼び出したようだ。荷運びのような力仕事は彼らの得意とするところだ。役人たちに頼るよりずっと速い。
私はしばらく歩いて、城門をくぐり水堀に架けられた橋を渡った。この先は城下町だ。
街道は荷車がゆうにすれ違える程広かった。両側に商店や居酒屋が並ぶ落ち着いた街並みだ。どの店も焦茶色の看板を掲げ、軒から飾り気のない提灯を提げている。派手な客引きがないのは、閉鎖的な面のある山交では城下町といえど常連の割合が多く客引きの意義が少ないからだ。
その中から大工を探す。建材を置く必要もあるから外周部だとあたりをつけたものの、城下町というだけあって広く、見通しもよくない。時間が掛かりそうだった。
更には服を脱がずに繰り出したのも良くなかった。重いということは厚いのだ。見上げた空はここ数日の晴れの中でも一際冴えた青色で、陽射しは刻々と強くなる。有り体にいって暑かった。
路地の陰に入って涼を取りつつ、袂から一本の麻紐を取り出して腰許を縛った。羽織の前を解き、麻紐から上に布を少しだけ引き上げる。ゆとりの出来た羽織の袖から両腕を引き抜くと、重力に従って羽織が垂れ、腰の辺りからぶら下がった。胸下を帯で締められた長着までこうすることはできないけれど、幾分かはましになるだろう。幸いにも脇の身八つ口は開いていて、ここから空気が通る。
襟をばたつかせて涼んでいると、にわかに上から子供のような声が掛けられた。
「やい、そこの珍しい髪の嬢ちゃん。んなとこで何してやがってんだ」
驚いて見上げる。建物の軒の付け根辺りに、猫なら通れるかという大きさの小窓が開いていた。とても人間の使うものではなく、顔を出して私を見下ろすのは小人の男だった。
「よっこらせぇ――っと」
小人は軽い調子で窓から身を乗り出して、私の頭に落っこちてきた。衝撃に身体をすくめるけれど、その体は驚く程軽かった。両手に乗せて顔の前に持ってきても、お味噌汁の注がれた汁椀と同じくらいの重さしか感じない。
「やっぱ見ねぇ顔だな。んにゃ、赤い髪の奴なんて忘れるわきゃねぇけどよぉ」
「私は司式栞と申します。貴方は?」
「高木。鳶職っちゅうか町大工だな」
思いがけず目当ての大工に出会えたようだ。この小人に見てもらうか、あるいは他の大工のところまで案内してもらおう。
「にしても、司式ぃ? 聞いたことがあるようなぁ……」
「ほら、須々要の」
「あぁ神仕か。通りで身なりもいいわけだ」
小人が手を打つ。
須々要は良くも悪くも有名な半神の一人で、神仕はそういうものに仕える家柄の総称だ。須々要に対する司式、というように対応する。
「ところで高木さん。お仕事の頼みがあるんですけど、聞いてくれませんか?」
「なんだよ?」
「駕籠の茅葺屋根がですね」
「駕籠に屋根ってなんだよ?」
「……その疑問はもっともだと思うので、一回実物を見てもらえませんか?」
小人を手に乗せたまま来た道を逆に辿り、三の丸の駐車場まで戻ってきた。雀駕籠の前まで連れてゆく。
雀駕籠の屋根はぼろぼろだった。千切れた苅萱がささくれだったようにあちこちへ跳ね、端の方はめくれ上がってしまっている。
「なるほど、小屋みてぇだな。確かに茅葺の駕籠だけどよ、誰が運べるってぇんだ?」
「力自慢の式がいまして。それより、葺き直せませんか?」
「…………。んん、これはなぁ」
小人は難しそうな顔で唸った。
「やっぱりできませんか? 瓦しかないとか……」
「茅で葺くくれぇ当然できるさ。瓦で葺くまでもねぇ掘っ立て小屋なんかの需要はあるし、そのための苅萱も在庫がある。藁でやんねぇのはこだわりってもんよ。けどよぉ」
小人は小屋に跳び移るとよじ登って茅葺き屋根の急勾配にしがみついた。
「やっぱり燻して強くしてあんな。中に囲炉裏かなんかがあるわけでもねぇんだろ? んで、極めつけは」
小人はめくれた隙間から屋根の内側へ入る。引戸を開けて入って追いかけ、見上げる。
「どう考えたって特殊すぎる代物だわな」
天井はなく、太い桁が貫いている。その桁には綯えた茅の綱が肋骨のように絡みついていた。小人は肋の上を危うげなく渡る。
「こりゃどっかの宿場の社で見たことあんな。でっけえ上部構造の乗った桁だの梁だのを柱で突き上げて点で支えんじゃなくて、綱で重みを分散してんだろう。これの場合、屋根を使って綱に張力掛けてんだ。俺らの技術じゃ張力掛けたまま葺き替えろってのは厳しいぜ」
その社の宮大工なら余裕なんだろうけどよ、と小人は言った。たしかにこの雀駕籠は宿場の一つで特注したものだ。その時の相手が宮大工で、社での技を応用して作ってくれたのだろう。その宿場へは遠回りすれば帰りがけに立ち寄れる。もとよりここで直せなければそこに頼るつもりだったけれど、思わぬいわれを知ってしまったものだ。
「すまねぇな、役に立てなくてよ」
「いえ、こちらこそ。今度家の補修が要るとでもなったら頼らせてください」
「あんたの家か。どの辺りだ?」
「宿場沿いに半月程」
「他に当たんな」
小人の男は冗談めかしてしっしっと指で掃いた。
「まぁうちは建具も家具も扱ってんでね。変な物が欲しけりゃ三の丸の事務所を訪ねてくれよ」
小人の言葉に固まった。
「……三の丸って、ここじゃないか」
つい呟いてしまった。灯台下暗しだ。
話進まない……早く殺人鬼を暴れさせたいのにぃ……