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連伊  作者: 現代和風
赤熱色の髪:司式栞
6/10

六話

 ()脈が()差すると書いて山交(やまかい)という地名だ。その名の通りの複雑な地形のせいで、この地域は点在する人里が山の隙間の道で結ばれるという形をとる。通りやすい道は限られていて、特に平坦で連続した稀少な道は優先的に使われ、その途上の盆地は活気ある町となった。その他の村は疎らな道を辿って町と交流している。

 かつての戦争においてそれら盆地は激戦地となった。盆地の一つが拠点の一つ。その取り合いという形で戦果がはっきりと数字になったからだ。一つ取られた、二つも取った、なんていう報せに当時の人たちは熱中してしまった。延々と取り合いが続き、ようやく今の府境が出来上がるのは当時の遠白山家が白葉川沿いに防衛線を築いてからだ。

 今日の夕刻、広く高い雨避けの下に雀駕籠を駐めて降りると、裃を着込んだ数名の役人が出迎えてくれた。周りには様々な荷車が整然と並び、所々の柱の高い所に取り付けられた虫籠状の飾りが涼しい式の光を放っていた。

 私に続いて降りたあやめが檜扇を取り出して拡げ、書かれた歌を指先でなぞり上げる。それにつれて駕籠の前後に立っていた牛頭と馬頭が暗がりに沈み込んで消えた。その様子を見た役人たちは少なからず驚いた風だった。

 あやめが荷室から細々としたを取り出す間に気を取り直した役人たちは深くお辞儀した後、私たちの頭の、赤い髪や獣の耳といった特徴を目に留めて頷く。

「司式栞様、それに、司式――」

「私はただのあやめで大丈夫ですよ。栞様の侍女ですから」

「分かりました。司式栞様、あやめ様でいらっしゃいますね。ようこそお出でくださいました」

 役人たちはもう一度礼をして、荷物を預かって私たちを駐車場の外へ案内する。ついていきながら後ろを見ると、あやめは慣れない敬称にむず痒そうにしていた。ついくすりと笑ってしまう。

 雨避けの下から出て見上げた空は茜色に染まっていた。そこから少し視線を低くすると、高くの瓦屋根は夕陽の色に照って、天守の破風を山の影が袈裟に切り裂いている。山の勾配に築かれた無骨な遠白山城だ。

 ここは遠白山城三の丸にあたる。城下町とは程近く、高低差もあまりない。そのため町役場や役人の宿舎なんかはこの広場に設けられている。そこらに見える間口の広い立派な建物や、三階建ての手摺に布団が掛けられた建物がそうなのだろう。他に白い湯煙も見えた。温泉が湧いているのかもしれない。

 広場の一角に造られた庭園に入り、黒っぽい飛石を渡りながらきょろきょろと庭を見渡す。玄武岩は辺りに生す苔や楓の若葉によく映える。起伏を流れる水のせせらぎが心地良い。

 庭に入ってすぐの邸宅は厳かな風格の建物だった。大きさこそ他のに比べればやや小振りではあるけれど、堂々とした入母屋屋根の垂木(たるき)、漆喰の真壁(しんかべ)の柱は太く堅牢さを物語る。

「こちらは領主のお屋敷です。迎賓用にはあちらに別棟が」

 役人の手の動きにつられて屋敷の脇を見れば、雨戸の閉じられたくれ縁と平行に飛石が打たれていた。その続く先は庭木が狭まって暗がりになっている。

 暗がりを抜けると順路は静かな池のほとりに差し掛かった。時折さざなみが立つのは鯉でも泳いでいるからだろうか。しばらく歩いて、池を西に見て、思わず息を呑む。

 鮮やな夕焼けの楔だった。池の向こうは渓谷になっていた。真っ黒な山の影の裂け目に橙色の空が切り取られ、半ばには細い三日月が浮かぶ。池の水面が逆さまに光景を映し出し、ふいに揺らめいて景色をぼやかした。

 振り返ると、池に面して真壁の宿が建てられていた。役人たちはしたり顔だ。

「如何でしょう? こちらがお二方を泊めさせて頂きます、遠白山邸夕月館になります」

「いや、驚きました。凄いものですね」

「そう言って頂けて幸いです。それでは、どうぞ館内へお入りください」

 役人に連れられて夕月館に上がり込む。飾り気のない玄関だけれど照明は眩しすぎないよう行き届き、敷石にも目立った汚れはない。下駄を預けて広い廊下を進む。一階には広間や風呂場などが設けられ、客室は二階にあるようだ。階段を上って二階へ行き、ある白い襖の部屋へ案内された。

 八畳程の広さに床の間と押入れまでついた部屋だ。座卓の傍に座布団が並べられている。座卓には駐車場でも見た虫籠が乗せられ、竹ひごの隙間から溢れる若草色の光が部屋の奥の障子を染め上げていた。

「こちらが部屋の鍵になります」

「はい、確かに預かりました」

 役人はあやめに紐付きの鍵を手渡した。あやめはそれを失くさないように首に掛ける。

「そうだ。夕食はお風呂から上がる日没頃に、質素なものを摂らせていただけませんか?」

「承りました。ご食事は三番広間にご用意いたしましょう。では、私たちはここで失礼いたします。ごるゆりとお過ごしくださいませ」

 役人は室内に荷物を置いて、一礼して去っていった。

 二人きりになった部屋で背筋を伸ばす。ぐ、ぐ、ぐ、と上半身を引き上げ、ふっと力を抜いて仰向けに倒れ込んだ。天井はやたらと広く見える。八畳といえば雀駕籠の客室の四倍だ。久し振りにくつろげるだろう。

「……ふぅ。綺麗な夕焼けでしたねー。一日早く来られて得しました」

 同じく背を反らしていたあやめが言った。

 山に挟まれたあの場所に月が現れる時刻は月が満ちるに従って遅くなり、空も暗くなって山と空との色彩差は曖昧になる。あれだけ映える景観は月始め、夕月の頃に限られるだろう。

「明日も見られるといいね」

「楽しみですね。そういえば道中湯気なんかも見えましたし、お風呂に入りに行きませんか?」

「そうしようか」

 立ち上がって部屋を出る。去り際にあやめが襖の骨に鍵を挿して回すと、かつんという音が鳴って部屋が封じられた。仕組みは簡単で、内側に鈎付きの針金を回して引っ掛け固定する構造があり、それを外から合い鍵で動かせるというだけのものだ。これに白襖を組み合わせるとなかなか効果があって、あやめのように制約の緩い第一種妖精であっても合い鍵抜きには破ることは出来なくなるらしい。

 階段を下って、廊の突き当たりに赤の暖簾と青の暖簾が見えると、あやめはたっと駆けていって赤い暖簾をくぐっていった。

 遅れて私も暖簾をくぐり更衣室に入ると、あやめはこの短い時間で既に濃紺の浴衣へと着替え終えて私を待っていた。息が上がり、鍵の乗る胸を上下させてはにかんでいる。やはり私に肌を見られたくないらしい。吐息し、背中を向けて両腕を広げ服を脱がしてもらう。下着まで脱ぎ終えると、袂がない広袖の薄紅色をした浴衣を着せられ、脱いだ衣服は簡単に畳まれて籠に重ねられた。その隣の籠を見るとあやめの着物が乱雑に放り込まれている。

 露天風呂に出てみれば、丁度誰もいない貸し切りのような状態だった。湯気の立つ岩風呂の傍に屈んで指先をお湯に浸し湯温を確かめる。適度に温かくいい具合だ。

 柄杓でお湯を掬ってもらい、頭から被る。顔に流れ落ちてきた分を払い、両肩口や袖先、足にも注いでもらう。次いであやめ自身が同様にした後に、あやめの髪を緩く結わえてやった。

 二人揃ってお湯に浸かる。全身に熱が染み込み、代わりに疲れが抜け出してゆくかのようだ。

 個々の家のお風呂はいざ知らず、この種の大衆浴場では男女とも同じ風呂に入る。浴衣を着て入浴するのは身体を隠すためだ。自然浴衣も柄に凝ったものが出回っているけれど、女性には特に黒や紺のような色の濃いものが人気だ。濡れても透けないから。例えばあやめの浴衣がそれで、対して私の着ているような色の薄いのは、代わりに生地を厚く作っている。

 あやめが大きく息を吸い込んで止め、ちゃぷんとお湯に沈み込んで頭の耳の先まですっかり水面の下に潜らせる。数秒で浮かび上がり、びしょ濡れの頭を振った。それから満足げに獣の耳や髪を指で弄る。

「うむうむ、毛並みに良さそうな泉質です」

「そんなのあるの?」

「よく分かりませんけど、多分そうですよ。こんなに気持ちいいお湯なんですから。――よいしょ、と」

 私たちの他に誰もいないのをいいことに、あやめは襟下をめくって太ももを露わにし片手を差し込んだ。あやめは生尾人だ。その字の通り尾も生えているから、その毛並みも気にしているのだろう。この目で見たことこそ一度もないけれど、特別に触らせてくれた時は耳と同じような手触りだったと憶えている。

「さて、と。私は一足お先に上がらせてもらいますね」

 一通り整えたのか、あやめは立ち上がって岩風呂から出て、麻の裾や袖を絞ってお湯を抜く。

 更衣室への戸に手を掛ける間際、こちらを振り返った。

「大丈夫だって。勝手に覗いたりしないよ」

 手をひらひら振って応える。あやめは頷いて今度こそ更衣室へ戻った。

 風呂の短いあやめと違って私は長風呂する癖がある。空に残っていた赤みが山の陰に隠れ見えなくなるまでだらだらお湯に浸かって、そろそろ岩風呂から這い上がった。お湯を吸った厚手の服は私には重い。軽く絞って更衣室へ入る。

 更衣室の戸の近くは一段低い石畳で、浴衣はここで脱ぐようになっている。待たせていたあやめは、いつもの着物姿に毛羽立った厚手の手ぬぐいを羽織るように掛けていた。さっきまで着ていた濃紺の浴衣は戸の近くの衣桁に干してある。

 あやめに浴衣を剥いでもらって、身体を手ぬぐいで拭かれ、元の衣装を着せたれた。

 再び暖簾をくぐり、次いで夕食の用意された三番広間へ向かった。先程部屋へ案内されたように、一日早い来訪でも問題なく持てなせるようだけれど、どうせ明日には豪勢な宴会があるのだ。楽しみは明日に取っておいてもいいだろう。

 簡素な食事を食べ終え、あてがわれた客室に戻った。襖の鈎を回して掛ける。あやめは座卓を隅へ追いやって、押入れから布団を出し始める。もう慣れたことだけれど、こういう力仕事を見ているだけというのには心苦しさを感じる時がある。かといって手伝おうとしても邪魔にしかならない。隅にいても手持ち無沙汰で、邪魔にならないよう気をつけつつ戸締まりの確認をした。

 布団を並べ終えたあやめは帯を緩めて上着を脱ぎ、長襦袢一枚になった。寝間着の代わりだ。私の装いは普段の寝間着と変わらないから、着替えることなく床に就いた。布団の中から座卓に乗る虫籠へ手を伸ばす。

「おやすみ、あやめ」

「おやすみなさい、栞様」

 そう言って虫籠を撫でた。灯りがふっと消える。

書き溜めなんてなかった_(:3」∠)_

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