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黄昏の吸血鬼  作者: 松井駒子
露草の恋
1/4

01

『ひろちゃん、ひろちゃん』


 名前を呼んで、幼い彼女はいつも泣きながら吉弘の後ろについてきた。

 吉弘と彼女は、隣同士に住む幼馴染。しかし、一つ年上の吉弘と、気の弱い彼女の歩幅は年をとるごとに少しずつ開いて、やがて絶望的な距離となった。二人の間の溝は、中学に上がるころには深く隔たったものとなった。


『ひろちゃん、大きくなったらお嫁さんにしてね』


 それももう、ひどく遠い――過去の約束だ。

 思春期になった吉弘と彼女の関係は、恰好の冷やかしの的となった。

 優しくしたいと思ったことも、もう過去のこと。吉弘は周囲の冷やかしの言葉に惑わされて、日々酷い罵倒の言葉を彼女に浴びせかけた。

 『あの日』も、そうだった。


 学校で、同級生に彼女との関係をからかわれた。それも間が悪いことに、その場に彼女が現れてしまった。周囲の好奇の目をそらすように、彼女に侮辱の言葉を吐いた。彼の重ねた言葉に、周囲は満足して去っていったが、彼女はそれに何の反応も示さなかった。暗い瞳は、吉弘を見ようとしなかった。いつもだったら、俯き震えて、時に泣いて見せるのに。

 だからこそ。

 彼女と自分、二人きりになったあと――吉弘は己の中に燻っていたものを、彼女に吐き出してしまった。先程までの照れ隠しの裏返しのような中傷ではない。黒く歪んで、形をなさなくなったものを小さな少女に投げつけた。それは、もう愛情と呼ぶには歪すぎた。

 

 その日、耐えられなくなった彼女は、声を失った。


 何度彼女を傷つけただろう。優しい少女を何度裏切っただろう。その果てに彼女は壊れてしまった。幼い愛情を壊したのは、他の誰でもない。自分自身だ。

 だから、そのあと起きたことは罰だったのだ。


 それから一週間後の夜。

 十四歳の朝岡吉弘は吸血鬼になった。


『黄昏の吸血鬼――露草の恋――』


「悪いが、受けいれろ」


 目の前に一人の男が立っている。

 少し青みがかった黒髪に黒目、顔の半分が髭で覆われた男は、恐らく三十代後半から四十半ば。青いマントを羽織っていて、傍から見れば変質者かコスプレイヤーだが、彼こそ吉弘を噛んだ吸血鬼だった。名前を水浅葱と名乗った。名乗った名前は偽名かと思ったが、吸血鬼としての本名とのことだ。

「でもって、あきらめろ、露草。それが肝心だ、人と大きく異なる俺たちには、な」

 露草つゆくさ

 それが新たな吉弘の名前だった。吸血鬼としての真名。ちっともピンとこなかったが、与えられるものは取り合えず受け取った。それに――


『ひろちゃん』


 どうせ、一番呼んで欲しい人に呼ばれない名前など、意味はない。

 吉弘は水浅葱を仰ぎ見る。それに気付いた男は、にっと笑った。

「吸血鬼だって、慣れれば楽しいぞ」

 はじめこそ恐れたが、彼は愛嬌ある吸血鬼で、丁寧に吸血鬼のことや『むこう側』について説明し、吉弘を導いてくれた。吉弘に父はいなかったが、もしいたとしたら、彼のような存在かもしれない。少し、心細さが薄れた。

 その水浅葱に連れられて、吉弘は今『むこう側』、吸血鬼の王国へと足を踏み入れるべく、人界と異界の狭間に立っていた。

 目の前には人一人の姿を十分に映し出せる大きな姿見。それを前にして、吉弘は息をのんだ。この向こうは、人間が踏み入れることの出来ない異形のものの世界。

「何だ? ずっと黙っていたのは、怖かったからなのか?」

「まさか」

 傍らの髭親父に吉弘は反論した。もちろんそれは見え見えの虚勢で、彼の体は震えていたが、水浅葱は見てみぬふりをした。

「大丈夫、大丈夫。今まで数多くの人間だった吸血鬼が足を踏み入れた。もちろん、俺もだ」

 その言葉に意を決して、吉弘は一気に鏡の中に片足をつっこんだ。すると、鏡面はどろりと解けて足を飲み込んだ。大丈夫だ、痛くもかゆくもない。どうやら平気のようだ。次に大きく息を吸って頭から。の、はずが、背中に衝撃を感じた。ゆっくりと顔を入れるはずが、全身ごと鏡にぶつかった。その身は転がるように、鏡の向こうへ――

「っぷはっ!!!」

 転げ落ちた向こうで、這いつくばった顔を上げる。

 広がるのは、夜だけの世界、吸血鬼の王国。そこには、鳥居がずらりと並ぶ、奇妙な空間があった。吸血鬼と聞いて洋風なものを想像していたが、目の前に広がるのは異質ではあるが見覚えのあるものだ。

「すごいだろう」

 呆然とする吉弘の後ろから、声が聞こえた。

「鬼の道だ」

 振向くと後ろから水浅葱が続いてきた。こちらから見ると、鏡があったわけではなく、石垣から水浅葱が出てくるように見えた。奇妙だ。

「ってか、水浅葱、テメエ! 今後ろから蹴っただろう!!」

「いや、まあ、お前が遅かったから。怒るなって。ほら見ろ」

 鏡から出てきた水浅葱はすっと腕をあげ、延々と続く鳥居の向こうを指差した。視線のずっと向こうまで、そのまた向こうまで鳥居は続く。

 ほうと、思わず息をついていた。

 永遠に続く鳥居。それは夢のような、幻想的な空間だった。

「何が……見える?」

「鳥居……すっごい数の、鳥居……なんだこれ、すげぇ」

「そう、か。そう……この鳥居を千抜けたところに、黒の屋敷があるんだ。あそこに黒の王がいる」

 呆然と吉弘は目の前の光景に圧倒されていたが、ふと聞きなれない単語を耳にして、我に返って尋ねた。

「……黒の王?」

「そう、俺たち全ての吸血鬼の王様」

「……え? オレたちって青の吸血鬼じゃなかったっけ」

 水浅葱は確かにそう言っていた。だからこそ、水浅葱も露草も二人そろって青い色の名前がついているのだと。そして青の吸血鬼を束ねるのが、青の当主『うつろ』なのだと。

「青は、黒を守る守護の一族の一つ。俺たちの主である青の当主も、黒の王に仕えているんだ。青、赤、白の守護の三家は黒に仕える、黒の三代国王・鉄鎖てっさが定めた不変の理だ。そして黒は、守護の三家から配偶者を娶り、子をなす」

「あれ? 吸血鬼って子供が出来ないんじゃなかったっけ」

 一番初めに水浅葱の説明を受けたとき、彼がそんなことを言っていたはずだ。

「お前なあ、言葉をそのまま受け取るな。あれが全てじゃない。大体、ダンピールって言葉を知らんのか。一部例外もあるんだよ。本当にわずかだが、吸血鬼にも稀に子供が生まれる。まあ母体は大体死ぬけど」

 十九、二十、二十一……数多の鳥居をくぐり抜けながら、本当に千なのかと、数を数えていたが面倒になってやめた。かわりに、吉弘は水浅葱の言葉に耳を傾ける。彼の言葉は、これから吉弘が住むことになる世界の話なのだ。

「もっとも黒だけは特別だ。黒は吸血での繁殖が出来ない。いや、できるといえば出来るが、それで増えた血族は純血の黒ではない。まがい物の黒だ。まがい物は色あせて、すぐに黒から灰色に変わってしまう。灰は黒の召使として存在するが、決して黒ではない。だからこそ、王たる黒は結婚し血族を増やして初めて――王と認められる。今の黒は継いだばかりで、伴侶がいないんだ」

「ふうん」

「お前が吸血鬼に選ばれたのは、吸血鬼になったばかりで不安な黒の女王を癒すためだ。そして黒の伴侶に選ばれ、青に繁栄をもたらすため、なんだよ」

「そっか」

 つまりは、見ず知らずの化け物女と結婚することが吉弘の運命というわけだ。

 吉弘が感情のこもらない声でそう言うと、先を歩いていた水浅葱が振向いた。

 そして曖昧に笑った。


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