27日(5日目)
下北半島サル調査も後半戦。
そろそろ肉体的にも精神的にも疲れてきた頃。
事件は起こった。
この日の調査地は牛滝方面。
メンバーは僕とヤギ君。
そして佐井村役場のカントクさんと、一昨日到着して昨日初調査だったG大1年のマスちゃんが調査地まで車で同行することになっていた。
車で約1時間半。
普段は冬季閉鎖中の国道を走っている時だった。
「……ん?」
座席で居眠りしていた僕は、その異臭に目を覚ました。
パッと見上げると、フロントガラスの外に白い煙が。
最初は舞い上がった雪で前が見えなくなっているのかとも思ったが、何か変だぞ、と寝ぼけていた頭が一気に覚醒した。
「やばいやばいやばい!!」
運転していたカントクさんが慌てて車を停める。
慌てていてもゆっくりブレーキを踏むあたり、さすが雪国の人だと感心する。
「これやばい! 降りろ!」
僕も、ヤギ君とマスちゃんの1年生コンビに檄を飛ばし、下車させる。
外に出ると、異臭はさらに強くなった。
学生を遠くに離れさせ、カントクさんがフロント部分の蓋を開ける。
「うっ……」
もわっと白い煙が上がり、シューッと嫌な音が聞こえてきた。
蛍光緑色のオイルも車の下から垂れている。
「……壊れてら。ワイヤーがエンジンに巻き込まれて切れちまってる」
「こ、こんな山奥で……!」
素人見立てだが、どうやらこれ以上走らせるのは無理そうだ。
かと言って、ここはいつもなら閉鎖している部分だから誰かが通りかかるということはありえない。
加えて山奥故に圏外。
ケータイで助けも呼べない。
「一旦電波が通じるところまで登るか下りるかします?」
「いや、そこ山の切れ目があるから、ひょっとしたら届くかも」
ザクザクと雪を踏みしめながら、カントクさんが自分のケータイの画面を見ながら坂を登って行く。
「お」
結構進み、大分小さく見る辺りで足を止め、ケータイに耳を当てた。
どうやら何とか電波が入ったらしい。
離れていて声までは聞こえないが、何となく事情を説明しているのは伝わってきた。
「どうでした?」
戻ってきたカントクさんに訊ねる。
「今H浦さんが車手配してくれるってら。んだども、時間かかるすけ、おめだぢは3人1班で先に進んででけろ。わはここに残る。地図見せてみ」
「はい」
「えっと……今たぶんこの辺な。ちょうど地図の境目。この国道沿いに歩けば山大たちが担当する辺りに出るすけ、そこから調査開始で」
「了解しました」
佐井村に調査に来て3年目。
まさか車が故障する現場に立ち会うことになるとは思っていなかった。
* * *
まあ車が壊れたからと言って、その日サルが見れるわけでもなく。
珍しいものと言えば、移動中、雪を掘り進んでいたら僕らの足元に出てきてしまったヤチネズミを捕獲したくらいか。
珍しいは珍しいけど、2日目にM生が捕まえていたから、何となく「おー本当に捕まえられるんだな」という程度だった。
サイズと性別、写真をとってから逃がした。
「ただいまー……何コレすげえ!?」
拠点に帰って来た後の僕の第一声がこれである。
玄関に大きな発泡スチロールケースが置いてあり、そこには大きなカレイと大量のカワハギ、そして小ぶりではあるがイシダイがギュウギュウに詰め込まれていた。
「どうしたんですか玄関の魚!?」
先に帰って来ていた大鈴木さんに訊ねる。
「あ、お帰り。車壊れたんだって? 大変だったなー」
「あ、はい」
「あの魚な、調査に参加できなかったカントクさんが、昼間のうちに知り合いの漁師さんに付いて行ってもらって来たんだって」
「へー!」
流石、転んでもタダでは起きない。
特にカワハギ美味そうだな……!
刺身にして肝を醤油に溶いて食べたら絶品だぞ!
「あ、カントクさん、新鮮なカワハギはもう捌いて刺身にしててくれてるよ」
「マジっすか! さっすが! 分かってらっしゃる!」
今夜は酒が美味いぞ!
「ただいまー」
「おうM生。K富。お帰りー」
「だからK富じゃないですって……」
ワイワイと今夜の肴で盛り上がっていると、M生たちが帰ってきた。
「山大さーん。これお土産ー」
「ん?」
M生から何やらビニール袋を渡された。
山の調査でお土産というと、山菜とかを思い出すが、今は冬。
山菜が生えているわけもなく。
動物の糞を研究テーマとして扱っている人にはそれがお土産とも言えなくないが、僕は関係ないし。
「何コレ?」
袋を開いて中を見る。
すると中には雪が入っていて――その下に、なぜかイワシが20匹くらい敷き詰められていた。
「……M生」
「はい」
「お前……どこに行ってきたん?」
山に行って何でお土産がイワシなんだよ。
「ボクら今回、海沿い行ってきたんです。で、磯に下りて遊n……磯に下りてサルの群れを待ち構えてたら水溜りに大量に泳いでたんですよ。なあK富」
「そうなんですよ。網があったらもっと捕まえれたんですがねー。あとK富じゃねえって」
「ボクらが近寄っただけで水面から跳ねて陸に上がって来たんで、めっちゃ楽しかったです!」
嬉々として語る二人。
しかしイワシか……前にT中さんがイワナ捕まえてきたことがあったらしいけど、やっぱりこういうのも調査の醍醐味だよねー。
「ただいまー」
「あ、T中さんお帰りなさーい」
噂をすれば、T中さんも帰還。
なお、今朝のうちに確認したが、昨夜のことは本人はすっかり忘記憶からすっぽ抜けている模様。
「山大君、これお土産」
「え?」
ポンとビニール袋を渡される。
M生に続き、今度は何だ……?
「「「……は?」」」
中身を取り出すと、その場の面々が素っ頓狂な声を上げた。
それは、直径5センチくらいの泥のついた葉っぱの塊―—フキノトウだった。
「何でこの時期に!?」
「なんか雪がない所にちょくちょく生えてたから採ってきた」
「最近暖かかったから出てきちゃったんかね……」
まさかこの時期にフキノトウが食えるとは……。
自然ってすげえな。
カントクさんの魚も、M生のイワシも凄かったが、T中さんのフキノトウが一番インパクトあった。
なお、カワハギは当初の予定通り肝を和えた刺身、イシダイは一部を煮付けに、イワシはフライに、フキノトウはばっけ味噌にして食べた。
さらにカレイは捌いて外に吊るして一夜干しに加工しておいたので、明日以降のツマミになる予定だ。