26日(4日目)
4日目の調査報告:特になし。
以上。
……いくらなんでも二日続けて手抜きすぎ?
だって仕方ないべ! 本当に何もなかったんだから!
サルは目視どころか足跡もなかったし、特に険しい道を行ったわけでもないし迷ったわけでもないし!
そんかわり、その日の夜のサル調査会全体の懇談会とその後の二次会で色々あったから!
* * *
下北半島のサル調査会はおもに4地区で行われている。
風間浦村、大間町、佐井村、旧川内町の4地区である。
このうち、陸路で直接つながっていない(!?)旧川内町地区を除く3地区が、調査の折り返し日であるこの日に大間町の公民館に集まり、親睦を深めようという催しだ。
と、少し折り目正しく言えば聞こえはいいが、つまりただの飲み会である。
「今日までお疲れー。調査もあと半分残ってるから、怪我がないようにな。サル如きに命をかける必要はないからな。んじゃ、乾杯!」
『『『乾杯!』』』
H浦さんの音頭に各々の飲み物の入った紙コップをぶつけて口を付ける。
労働の後のビールが美味い。
「やっほー。お疲れー」
「おー、お疲れー」
大間班が用意していた麻婆豆腐を掻き込みながら酒を飲んでいると、今日大間に到着したらしいシッポがビール片手にやって来た。
「サルどう?」
「全然。今日まで足跡すらねえ。というか、雪が全然ないんだよなー」
「マジで?」
「うん、ここ数日でちょっと降って何とか判別できる程度には積もったけど」
それでも無い物は追えない。
シッポが今年の下北の状況にちょっと引き攣った笑みを浮かべていると、ビール片手に富TがM生に連れられてやってきた。
それを見て、シッポが一言。
「あ! K富さん! お久しぶりです! 大雪山以来ですか?」
「「ぶほっ!」」
「…………」
おもっくそ吹いてビールが気管に入ってむせる僕とM生。
対して、何とも言えない渋い表情のK富……じゃなくて、富T。
そして屈託のない笑みを浮かべるシッポ。
「くっ……ひひ……」
「……ちょっ……マジっすか……」
僕とM生は笑いをこらえるので必死だった。
不思議そうに僕らを見るシッポにネタばらし。
「シッポさんシッポさん。こいつK富さんじゃないっす」
「似てるけどな」
「え!?」
これまで僕ら佐井班は、富TをネタでK富と呼んできたが、シッポは素でK富さんと呼んだ。
「だからK富じゃねえっす……」
「シッポ、こいつH大2年の富T」
「えぇっ!? ごめん! 本当にゴメン!」
平謝りするシッポ。
けど、謝れば謝るほど、富Tは何とも言えない表情を浮かべる。
「ほら見ろ富T。やっぱお前、K富さんに似てるんやって」
「だからK富じゃねえって!」
吠える富Tが面白すぎて、僕とM生は腹の底から笑った。
* * *
その後は特に荒れることもなく、無事に懇親会は終了。
僕らは佐井村に戻り、酔った頭でざっくりと今日の報告会を済ませた後に2次会に雪崩れ込んだ。
今年の佐井村では、あるゲームが流行っていた。
地方によって呼び名は様々だろうが、僕らはこのゲームを「将棋崩し」と呼ぶ。
ルールは簡単で、将棋盤の上に将棋の駒が入ったケースをひっくり返し、そっとケースを取り除くことで駒の山を作る。
その山を順番に崩し、盤外に落としていくというゲームだ。
大まかなルールとしては、
・音を立ててはいけない。
・触っていい駒は1こまで。
・1度触った駒は放してはいけない。
・1回のターンで落していい駒は1コマで。
と言ったところか。
ただし。
そこは酒飲み集団、佐井のサル調査会である。
飲兵衛共にはこの他に
・音を立てた場合は酒を飲む。
・ただし未成年および酒が飲めない者は炭酸飲料を飲むか、酒を飲む代理を立てる。
というルールが加わる。
良い大人も悪い大人も真似しちゃだめよ!
まあ罰杯は中国の三国志の時代にはすでにあった文化だし、大目に見てちょ。
でもアルハラダメ、ゼッタイ!
このゲームは全員同意の上で参加しています。
「…………(ぷるぷる)」
「「「…………」」」
「…………(すっ)」
「「「…………」」」
「……今のセーフ?」
「まあ、いいんじゃないっすか?」「セーフで」「異議なし」
最初は普通に甘くて美味しいリキュールを使ってたんだけど、皆飲みたいがためにわざと音を立ててカパカパ飲んでいた。
そんなことをしていたらあっという間になくなってしまうのは自明の理。
なくなってしまったリキュールの次に登場したのは――佐井では「大男」だの「燃料」だのと呼ばれ、忌み嫌われている某焼酎。
イガラシさんが好きだから買って来てるけど、正直学生は飲みたがらない酒だ。
大男の罰杯がかかっているだけに、参加者はかなりガチ。
とても酒が入っているとは思えない慎重な指使いで将棋の駒を引き抜いていく。
まあゲームとしてはこれくらいの刺激があった方が良いよね。
……と、酒の力で親睦を深めていく僕らに差し掛かる、一つの影。
「おー何だよビビっちゃってー。もっと豪快にガバーッと取っちゃえよー」
「「「…………」」」
僕らが結構真剣に将棋崩しに勤しんでいる隣で、ガヤガヤと野次を飛ばす酔っぱらいが一人。
……T中さんである。
「T中さん、ちょっとうるさいです」
「黙っててください」
「というか寝てください」
明らかに泥酔してる。
今年はまだ天敵・N村さんが到着してないから、好き勝手飲んで好き勝手騒いでいるのだ。
「うるせー。俺は誰の指図も受けない! 寝るタイミングは自分で決める!」
「……なら、せめて静かにしててください……」
酔っぱらいに何を言っても無駄。
これまで1度や2度は酒に飲まれている僕らは、そのことは重々承知だった。
……のだが。
「…………(ぷるぷる)」
「「「…………」」」
「…………(すっ)」
「「「…………」」」
「…………(ぷるぷる)」
「「「…………」」」
「どーん」
「「「「!?」」」」
僕のターンの時だった。
かなり難しい感じに重なっていた駒を、音を立てないよう慎重に崩していると、横から誰かに突き飛ばされた。
言わずもがな、T中さんである。
「何すんですか!?」
「ゲームなんだからさー、もっと盛り上がろうよー」
「罰杯かかってんすけどこっちは!?」
「てか、今の粗相じゃね?」
「T中さん飲んでくださいよー」
「俺この焼酎好きじゃないから飲まないー」
我儘なオッサンだな!
「てか、俺も混ぜてー」
「あ、ちょっ!」
ガシャガシャガシャ!
「って全部崩れたがな!」
「罰杯! 罰杯!」
「自分で飲む物は自分で決めるし、飲むタイミングも自分で決めるー」
「「「「…………(ぷちっ)」」」」
何だかんだで、僕らも酔っぱらいであった。
沸点は相当低くなっている。
「いい加減にしろや!」
「寝ろ!」
「この酔っぱらい!」
年上に対する敬意も頭からすっぽ抜け、思いっきり蹴とばす。
床に転がったT中さんを2人がかりで羽交い絞めにし、T中さんの布団まで連行しようと結託する。
が、ぐでんぐでんに酔っぱらい、なおかつ腹が出てきた中年男は――クッソ重い。
しかも泥酔して我儘になっているT中さんが大人しくしてるはずもなく。
「はーなーせー!」
「げふ!」
「どお!?」
無駄に有り余っている怪力で逆に床に転がされてしまう。
「あはははは!」
笑うT中さん。
そう言えば常々不思議に思っていた。
僕らよりずっと年上で、しかも教授であるT中さん。
乱闘するにしても、これほどやりにくい相手はいないだろう。
と、なると、だ。
そろそろ齢50を迎えようというT中さんが、まだまだ男盛りで体力バカな30代のN村さんと、お互い酔っぱらっているとは言え互角に乱闘できるとはどういうことか。
それは単に、N村さんに容赦がないといことなのだろう。
酔っぱらったT中さんを止められるのは、N村さんだけだった。
「N村さん……早く来てください……」
僕らはN村さんの到着を心の底から願ったのだった。