24日(2日目)
朝6時。
僕は勝手に下りてくる瞼を擦りながら寝袋から這い出た。
「うー……寒……」
気温は明らかに氷点下。
拠点内の全ての暖房器具のスイッチをONにしてから厨房に向かった。
なんでこんな時間に起きたかというと、食当というやつである。
「別にじゃんけんで負けてないのに早起きとか、ちょっと損な気分……」
本来ならば前日のじゃんけんで負けた者数名が早起きして食事を作らねばならないのだが、今年は何故か初参加が多く、逆に去年も参加していた者が少ない。
佐井には僕を含めM生と、一昨年参加していたH大のOさんだけが初日からの参加だった。
つまり、朝飯の作り方を知っている者が3人しかおらず、現場指揮を執るためにこの3人のうち誰か一人は早起きしなければならなかったのだ。
「まあローテーションで入るから、とっとと済ませられるから良しとしよう……」
今日は僕、明日はOさん、明後日はM生というように、食当指揮に入ることになっている。
僕はさっさと終わらせたかったので初日に志願した。
「ふぁー……ねみ」
昨夜のうちに水につけておいた米を炊飯器につっこみ、スイッチを押す。
これで7時の飯の時間には炊き上がるはずだ。
「おはようございます……」
「おー。おはよう」
「寒いっすねー……」
朝食の準備をしていると、前日のじゃんけんで負けた面々が遅れてやって来た。
我らがG大のタッチーと、H大の富Tである。
どうでもいいがこの富TというH大2年生、去年参加していた現H大4年のK富さんとクリソツである。
名前も「富」の字が被っていることから、佐井の面々からはK富と呼ばれることが多い。
本人はめっちゃ嫌がっているが。
そんなに悪い人じゃなかったと思うけどな、K富(本物)さん。
「んじゃ、朝飯作るか。と言っても、H浦さんの奥さんが作り置いてくれたおかずがあるからやることなんてほとんどないけど」
「あ、そうなんですか」
「何置いてったんですか?」
「切り干し大根とニシンの昆布巻」
結構量が多いから、明日の朝食もこれでイケるな。
寒いから保存がきくし。
「つーわけで、今朝は味噌汁と卵焼きでも作るか。手抜き手抜き」
「「はい」」
ところで。
「食当じゃんで負けたのって、3人だったろ。あと一人は?」
「「T中さんです」」
「……………………」
あの人、明日再履修だな。
* * *
僕が卵焼きを作っている間に後輩コンビには味噌汁を作ってもらい(結局T中さんは起きてこなかった)、7時には朝食となった。
「ほらほら起きろ起きろー」
お盆におかずをのせ、男子部屋を通って居間に食事を運ぶ。
その途中何人か蹴とばした気がするが気にしない。
調査は8時出発なのでさっさと食ってさっさと準備する、これ鉄則。
H浦さんの奥さんのおかずは、北の生まれと南の生まれでだいぶ味の評価が分かれた。
まあこっちの食べ物ってしょっぱいしな。
僕はもちろんドストライクな味付けだった。
「えーと、今日の調査地は……」
朝食を食い終え、洗物は後輩たちに任せて調査地の確認をする。
「牛滝か。遠いな……」
拠点から南へ車で1時間ほどの山間部。
イガラシさんの車に乗って移動し、そこから徒歩で林道に沿って踏査するルートだ。
実は今回はメンバーの大部分が牛滝に飛ばされることになっている。
というのも、拠点のある原田川近辺が雪が全くと言っていいほどないため、足跡を追えないのだ。
そのため、初日は雪が幾分積もっている牛滝方面へ集中することになった。
「H大1年のO森です。よろしくお願いします」
「おう。G大3年の山大です。今日はヨロシク」
今回の相方のO森。
聞けば、H大クマ研だがあまり山には慣れていないらしい。
「まあ基本僕は変な所(藪とか崖とか)には入らないようにしてるから。それに今日は林道を歩くだけだし、そんなに大変じゃないよ」
「は、はい」
それにこっちでこんだけ雪が少ないってことは、向こうもそんなにきつくはないだろう。
* * *
甘 か っ た 。
「「ぎゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」
ええ、確かに積雪はそんなでもなかったです。
せいぜい20センチくらい、足首が埋まる程度です。
が。
「風雪やばい!」
「吹雪! 吹雪!!」
積雪は大したことなかったが、積雪してる最中だった。
横殴りなんてもんじゃない、耳がちぎれそうな猛吹雪と地吹雪で視界が完全にドロップアウトすることもしばしばあった。
「そいだば山大君! 車はここに置いとくすけ、戻ってきたら入って待っててけろ!」
「了解です!」
「2時までには戻ってこいへ!」
イガラシさんのチームと分かれ、指定されたポイントへ向かう僕ら。
車を停め辺りは牧草地で、吹きっさらしのため吹雪を直接喰らうこととなった。
「あー、やばい! さっさと林道に入っちまおう! 少しはマシなはずだ!」
「はい! あの、山大さん!」
「何!?」
「この辺っていつもこんな感じなんですか!?」
「吹けばこんなもん!」
地吹雪に晒されながら足早に林道へと向かう。
30分ほどかけて牧草地を抜けるも、実に腹立たしいことに、林道に入って少しは風を凌げるようになった途端に吹雪が止むとは如何なものか。
「まあ林道の中とは言え吹雪いてるよりも晴れてる方がマシなんだけど……」
「ですねー」
ザクザクとさっきの吹雪で積雪が増した林道を歩く。
というか、さっきの吹雪でサルの足跡消えたんじゃね?
「今日は期待できないなー」
足跡があったらあったで、それはついさっき付けられたものだろうから、追えば目視できるかもしれないが。
もっとも、これまでの僕のエンカウント率とこの状況を考えれば、端から期待のきの字もないのだが。
で、まあ、大方の予想通り、何も発見することなく1時間ほど歩いた辺り。
進路上に分岐が見えたので一度立ち止まり、O森に地図を読ませてみる。
「今どのへんだと思う?」
「え、えっと……?」
「まー落ち着いて、時間はあるから」
O森に地図を読ませている間、こっそりスマホのGPSで現在地を確認したのは内緒。
「んー……ん!?」
スマホをしまい、何となく周囲を見渡していると、近くのスギの枝の辺りで何かが動いた。
サイズ的にはサルではないが……。
「リスか……あぁっ!?」
「!? どうしました!?」
「モモンガ!」
「へ!?」
地図から目を離し、僕の視線の先を探るO森。
しかしすでにその小さな影は見えなくなっておr―—もう一匹出てきた!?
つかちょっと飛んだ!
「見えたか!?」
「見ました!」
「リスじゃなかったよな……?」
「じゃ、ないと思います……飛びましたし」
「だよな……」
リスにしては妙に尻尾が細かったし、全体的に白っぽかった気がするし……。
何より飛んだし……。
「何でこの時間帯に出歩いてるんだ……?」
しかも2匹も。
珍しいもん見れたからいいけどさ。
* * *
2匹のモモンガでこの日の運を使い果たしたのか、まあ予想通りと言えば予想通りなのだが、サルの痕跡は皆無だった。
しかも昼頃から再び猛吹雪に見舞われ、危険と判断し早々に退き返すことにした。
集合場所である車が止めてあるところに着いた頃に吹雪が止んだことは言うまでもない。
「あー……疲れた……」
イガラシさんのチームが帰ってくるのを車で待ち、とっとと拠点に帰還。
拠点に戻ったらO森に調査報告書の書き方を教え、厨房に行って米の支度をする。
今日は風呂の日だから行く前に水につけておこう。
「今日の夕飯は……っと?」
その前に冷蔵庫を確認。
するとそこには、昨日使ったはずの鍋用のタラの切り身のパックが……。
「あ、あれ? ひょっとして、昨日のうちに全部使うんだったのか……?」
手前に鶏肉が置いてあって見えなかった……。
うわー、どうしよう……。
「Oさーん」
「なーにー?」
僕らよりも先に戻ってきていたOさんを呼ぶ。
「なんかタラがまだいたんですけど」
「え、ウソ。どうしよう」
「また今夜も鍋にします?」
「でもそれだと少し足りなくない?」
ですよねー。
残っているタラは3パック。
これだと20人近い調査員の腹は満たせない。
……いや待て。
「鶏肉がありますし、2種類作るという手も……」
「お! 水炊きとタラ鍋? 豪勢ー」
「幸い野菜類は豊富にありますし。あ、ネギがない……」
ネギがない鍋……寂しいな……。
「ネギがないなら――」
「「H浦さん!?」」
いつの間にか厨房に来ていた我らがボス。
おもむろに厨房の窓を開けてそこから見える民家を指さした。
「そこ、俺の家だから、庭に生えてるネギ引っこ抜いて来い。どうせ食わないで放置してるやつだから」
「はい!?」
「裏門は壊れてて開かないから、塀を飛び越えて行けよ」
「う、うす!」
H浦さんは相変わらず豪快だった。
* * *
最低限の夕食の準備をしてから大間の温泉へ向かう僕ら。
さすがに3年目なので特に感慨もなく370円の入浴料を払って疲れを癒す。
冷え切ってたからお湯につかる指先がヒリヒリするぜー。
「いい湯だった……ん?」
ロビーでくつろいでいると、何だかコソコソしてるT中さんを発見。
何となく気になって付いて行くと、入り口付近の食事処に入っていくのが見えた。
これから夕飯なのにここで食うの?
疑問に思って覗いていると、しばらくした後、店員がジョッキに入ったビールを持って来てT中さんの前に置いていった。
「……………………」
もう飲むんかい。
「何してんですか」
「お、山大君」
思わず店内に入ってT中さんを問い質す。
「実は僕、毎年初日の風呂の日はここでビールを飲むって決めてるんだ」
「はあ」
「でも残念。経営者が変わったらしくて、おつまみが付いてこなくなっちゃった。去年までは枝豆がセットで出てきたのに」
「いや知りませんよ」
全くこの人は……。
天敵であるN村さんがまだ佐井に到着してないからって、好き勝手だな。
この数日後、僕はN村さんの苦労を身をもって知ることになるのだが、それはまた、後日話そうと思う。