タイムマシンとガムと永久脱毛剤
【登場人物】
名倉時人:高校三年生
????:謎の男。科学者
ユウミ:謎の美少女
進藤悟:高校三年生
俺は今、車に乗っている。車体がやたらに長い黒塗りのアレだ。名前が公園の椅子の名前に似てなくもない。俺は車には詳しくないが、座り具合でそれなりの値段は予想がつく(わかるのもどうかと思うが)
一応断っておくが、俺が運転してるわけじゃないぞ。なんたってまだ高校生だからな。
「時人様、もうすぐ到着いたしますが」
「正面の門に降ろしてくれ」
「かしこまりました」
大学が見えてくる。おそらくはこの日本でTOP3にその名前が載る大学だ。ああ、どこの何大学だなんて聞くなよ。俺のこの大学への興味は、日本人のイラク戦争に対する興味ぐらいなものだからな。
俺の人生に自由なんてなかった。生まれたときからだな。俺の家は戦後財閥解体された名家で、父親の権威は絶対だった。息子が俺だけだったからかもしれないが、生まれてこの方、俺は自分が自由だと思ったことなど一度もない。それほど、両親は俺を縛り付けた。ただひたすら勉強し、親の決めた学校に行き、親のために生きる。だが、そんな俺にも希望が生まれた。父親がこう言ったんだ、俺の決めた大学に行けば、後はお前の好きなように生きていいってな。
だから、俺はこの大学に入学したいわけだ。そして、今回が後期試験。
これで受からなかったら間違いなく、今後の俺の人生は親の奴隷で終わるだろう。
「到着しました」
「迎えはいいぞ。俺ももう子供じゃないしな」
「ですが、旦那様からは家まで送り届けるようにと言付かっております」
「…わかった」
「では、御武運を」
俺は、子供の頃からいいかげん聞き飽きた言葉に、政治家が選挙のときだけ言う都合のいい発言に苦虫を噛んでうんざりしている国民のような顔をしながら、試験会場に急いだ。
「やあ、時人。君の破滅的な方向音痴はこんなときにでも健在なんだな」
「ふん、天才のくせして一度試験に落ちたやつに言われたくはないな」
会場に入ると見慣れた顔が俺を出迎えた。
進藤悟、常に模試で全国一位の名を欲しいままにしている正真正銘の天才だ(本人は意識ゼロだがな)天才のくせして、前期に俺と同じ大学を受けて落ちた。なんでだろうな。ちなみに俺と同じ高校。 おまけに三年間同じクラスともなれば、それなりに話をする仲ぐらいにはなる。
「鞄は見つかったかい? トイレに忘れるとは、君も意外に間抜けなんだな」
ん?
「何のことだ。迷っていたのは本当だが、鞄は関係ないぞ」
今は試験五分前だ。自分で言うのもなんだが、迷いすぎだな、俺。
「さっき、ずいぶん早くここに着いたじゃないか。それで僕に変な質問をしてきたな。確か、今日は 何年の何月の何日かだったかな。それにしても、変な質問をすると思ったよ。今日は君の人生を賭けた試験の日で、どうやったって君が忘れるはずはないからね」
わけわからん。俺がそんなアホなことをするのは、コイツと無人島に二人きりになって少なくても三十年ぐらい経ってからだ。
「見間違いか、お前が寝ぼけてたんじゃないのか?」
「いや、あれは確かに君だったよ。慌てていて君らしくなかったのは確かだが、間違いなく名倉時人その人だったよ」
「ま、どうでもいいがもうすぐ試験が始まるぜ」
試験官数名が厳かに会場に入ってくる。悟は釈然としない顔をしながらも席に着き、俺もそれに習った。
午前の試験日程全てが終わり、俺はテラスのベンチに腰掛けていた。思わず顔が緩む。このままいければ合格は間違いない。立ち上がり、テラスを後にする。廊下の角を曲がったとき、急に目の前に何かが飛び出してきた。
「うわっ!」
「きゃ!」
真正面から思い切りぶつかり、上から重なるようにして押し倒された。
「大丈夫ですか? すみません、よく前を見ていなくて」
「あのさ、…早くどいてくれないかな?」
周囲にいたほかの高校生が面白そうな目で俺達を見ている。おい、お前ら。いくら試験その他が面白くないにしろ、ほかにやることはないのか。
俺を押し倒した女性は立ち上がり、手を差し伸べてきた。その手を取って立ち上がり、まじまじとその女の子の顔を見る。
「あの、どうかしましたか?」
ああ、どうかしてるな。アンタじゃなく、俺がだ。ぶっちゃけて言ってしまおう。もろ好みだった、というか、どんなに相手国に有利な判定をしようとしている国際試合の審判でも、ど真ん中のストライクと言うだろう。
「いや、気にしないでくれ。こっちも悪かったな、怪我とかはないか?」
「いえ、大丈夫です。急いでいますので、すみませんがこれで」
そう言うと、女性は走り去ってしまった。おいおい、また走ったらぶつかるぞ。名前を聞けなかったのが少しばかり残念な気もしたが、仕方ない。
まだ、試験は終わってないからな。
俺は試験会場で頭を抱えていた。
「ガルルル」
おまけに、自然と変なうめき声も出てくる。末期症状だな。
試験はラストの世界史だ。これさえ何とか乗り切れば薔薇色の未来が俺を待っている。だが問題を見たとき、そんな甘い夢は銀河の彼方に思いっきりぶっ飛んだ。どうしてか。簡単なことだ。その問いのほとんどが俺の守備範囲の外側だったからだ。さすがにピッチャーが外野のフライを取りに行くのは無茶というものだ。それぐらい、俺にとっては予想外の問題ばかりだった。
こういう時、どうして人は周囲を意味もなく見回したり、やたら落ち着かなくなるんだろうな。誰か、科学者にでもなって解明でもできたら、ぜひ教えてもらいたいね。それにしても、ほかの奴ら絶好調だな、シャーペンの動きが捉えられないぜ(そんなこともないがな)
いくら考えても答えが、ボトルの底に残って意地でも出ようとしないシャンプーみたいに出ないようだから、暇で仕方なく制服のポケットに手を突っ込んでみる。そんなことをしても無駄だということはわかっているんだ。怪しまれると嫌だから、俺は昨日からそこには何も入れてない。
「ん?」
指の先が何かに当たる。何だ? 入れていたものは、すべて昨日のうちに出しておいたはずなんだがな。これは、紙、か?
試験官を見る。一番前の教壇に立っている試験官二人は、揃って窓の外を見ている。他の試験管は、いない。おいおい、いいのか。今ならカンニングし放題だぞ。
紙を制服から取り出す。二つ折りにされた紙だ。周囲の生徒に気づかれないように、机と自分の間にあるわずかなスペースでそれを広げる。
「…」
絶句。いいのか、これで。いや、いいんだろ? 自分に問い直す。
その紙には、問1…、問2…、と書いてある。さらにご丁寧なことに、端っこには「世界史」の三文字。もうわかるよな。これは十中十、カンニングってやつだ。しかも、性質の悪いことに(いや、最悪だな)俺自身にこれを入れた覚えがないっていうんだから、もうお手上げだ。どれぐらいお手上げかというと、蛇に睨まれた蛙がそれでも必死で逃げようとしたら、反対側からもう一匹蛇が出てきたぐらいにお手上げだ。
自分の望む状況が全部お膳立てされておいて、それを無視する人間と、それに飛びつく人間の二種類がいると俺は思う。俺がどっちの人間かって? そんなもん、決まってるだろ?
試験終了後。
「よう、試験、どうだった?」
「まあまあだね。たぶん、合格してるよ。君は?」
「ばっちりだ、必ず合格だな」
「良かったじゃないか、これで、君が前から愚痴をこぼしていた親の支配というヤツからもようやく解放されるわけだ」
「まあな。ところで、気になったんだが、お前は常時全国模試一位の天才のはずだろ。なんでそれで前期試験に落ちたんだ?」
「なに、簡単な話だよ」
「ん?」
「出願を忘れていたんだ」
「ああ、そういや」
見かけなかったな、お前。
時は流れて合格発表当日。
大学内は、近所迷惑になるから少しぐらい気にしろよというぐらい、人々の狂喜乱舞した声で満ちていた。
「ったく、これだけ人がいると邪魔だっつーの。せめてパソコンで見れるようにしとけ」
愚痴をこぼしつつ、まるで砂糖に群がる蟻のような人並みをかき分けながら、掲示を見ようとする。
「やあ」
聞き慣れて、いい加減そろそろ声帯手術でもして一風変わった声でも出して欲しい奴の声が、背後から聞こえた。
「なんだ、悟か。どうせお前は合格だったんだろう、天才さんよ」
「ふふ、当然だよ。無事に出願をしていた時点で、僕の合格は決まっていたのさ」
「へ、そーかよ」
「君はどうだったんだい?」
「俺はだな…」
掲示を見る。俺の番号は1067。掲示の番号は、1000……、1059、1062、1065、1066、1068。
目を疑う。俺の番号が…、ない。きれいさっぱり、ない。今の俺の気分は、力尽きたポケモンの主人公のそれと同じだ。その様子を見た悟はすべてを悟ったらしい(ダジャレじゃないぞ)
「そうか、君はダメだったのか。そんなに落ち込むなよ。人間、ジリ貧になっても、ぼろきれのような気持ちで生きていけばいいのさ」
…フォローになってないぞ、それ。
もう、終わりだな。何もかも。
家に帰る気分にはなれなかった。当たり前だな。閉じ込められるとわかっていて、自らの檻に戻ろうとするハムスターはそういないだろう。生活できなくなって、仕方なく犯罪を起こして捕まる奴はやるかもしれないが。
自分が一体どこをさまよっているかもわからなかった。基本的に移動は車だからな。道順をいちいち覚えなくていい代わりに、極度の方向音痴なんていう才能を得たわけだ(好きで得たわけじゃないがな)
暗闇となった街灯の下、丸くスポットの当たっている場所に二人の男女が立っていた。
男のほうは特徴がありすぎだ。見た目は四十代の中年男。Yシャツにネクタイ、その上に白衣を着ている。どこかの科学者風な格好だ。だがな、道端でその格好はナンセンスだと思うぞ、明らかに自分は怪しい奴だと主張しすぎているからな。だが、今まで挙げた特徴なんて上目遣いのチワワぐらいにかわいいものだ。中年男の頭には人工毛が乗っかっている。平たく言えばズラだ。しかも、大きすぎるせいだろう、ずれている。
女の方も、これまた男に負けず劣らず特徴的だった(奇抜と言い換えたほうが合ってるかもな)その格好は何故かメイド服で、メイドらしく両手を前に組んでいる、…なんだ?、俺はアキバかどこかにでも迷い込んだのか? しかも、絶妙に似合ってるしな。顔はちょうど街灯の灯りが当たっていないせいか、暗くてよくわからなかった。
白衣の男がじっと俺のほうを見ている。こんな変な奴らと関わりたくはないな。こういうときは無視して通り過ぎるに限る。
男の横を通り過ぎようとしたときだった。
「どこに行くのだ? 名倉時人?」
何なんだ? 俺はこの男を知らない。親戚にも、ズラを被ったヤツなんて思い当たらないしな。だがこの男は、俺の事を知っている風だ。
「あんた、何で俺のことを知ってるんだ?」
男は、俺の質問に答えず続ける。
「ワシに見覚えがなくとも、こいつには見覚えがあるのではないか? …ユウミ」
「はい」
「あっ!! あんたは…!」
暗がりから出てきたのは俺と同じぐらいの年の少女だった。というか、俺はこの女を見たことがある。試験の日に廊下でぶつかった女の子だ。だが、なぜこんなトコにこんな格好で、こんなハゲ中年科学者といるんだ?
「驚くのも無理はないが、まあ落ち着け。ガムでもどうだ?」
白衣の男はそう言って一枚のガムを指し出してくる。俺も混乱してたからな。とりあえず受け取って、噛んでみた。
「っ、…なんだこれは? 本当にガムか? まるで石みたいに硬いぞ」
「当たり前だ、三年は軽く経っている奴だからな。食べられる代物じゃない」
「じゃあ、なんで俺にこんなもの食わせようとすんだよ!」
「仕返しだ、三年分のな。そんなことより、お前は人生を賭けた試験に落ち、落ち込んでいたのではないか?」
心臓が一拍とんで鼓動を打った気がした。
「……」
試験の結果は、今の時点で俺と悟しか知らないはずだ。それを何故か知っている。十分だ、逃げ出す理由としては。二人に背を向け、もと来た道を駆け出す。だが次の瞬間、誰もいないはずの前方から誰かに思い切り強く抱きしめられた。
「ご安心ください。何も、時人様をとって食おうというわけではありませんから」
抱きしめている声の主はユウミと呼ばれた女の子だった。っていうか、背後からならまだしも、一瞬で俺の正面に回り込むとはな。しかも、その細腕のどこにこんなに力があるのか、まったく動けない。だが、そんなことは二秒ぐらいでどうでも良くなったな。
「ふ、安心しろ。ワシらはお前の味方だ」
自分が敵だとして、敵です、なんて自己紹介はないな。俺が言う場合でも、やはり味方だと言うだろう(そんなことはありえないがな)そんなことを考えていると、不意打ちのような質問を中年変態科学者が尋ねてきた。
「時人、お前。…過去に行く気はないか?」
「……は?」
「聞こえなかったか、過去に行く気は…」
「俺はあんたみたいなおっさんじゃない。ちゃんと聞こえてたぜ」
どうでもいいが、そろそろ離してもらいたいもんだな、ユウミ。まあ、そんなことは、思っても言わんがな。いや、むしろ言いたくないな。誰しも、自分の幸福をささやかに願わないヤツはいないだろ?
「簡単に言ってやろう。お前は試験を受けたあの日に戻り、過去を変え、お前の望む未来を手にしたくはないか?」
「あんたの言っていることはめちゃくちゃだ。もし、過去に行けるとしたら、俺だってあの日に戻りたいさ。だが、そんなこと不可能だろう?」
中年オヤジは嫌味な笑みを浮かべながら、ユウミを見て、言った。
「聞いたか、ユウミ。後のことはすべてお前に任せる。そいつの指示で動くように。すべてが終わり次第、ワシをまた迎えにこい」
「かしこまりました。……それでは時人様、『跳び』ますよ?」
そういうとユウミの周囲が眩く光り始める。ものの数秒で、俺の視界は真っ白になった。
視界が晴れると、俺たちは大学にいた。ユウミがようやく抱きしめていた体を離す。本音を言いたい、残念だ。
「ここは、どこだ?」
「時人様が受験された大学ですよ。補足すると、今日は試験の日の午前。あと三十分ほどで試験が始まります」
「…嘘だろ?」
「残念ながら、いえ残念か嬉しいかは時人様しだいですが、本当です。近くの方に聞いてみれば、本当かどうかはっきりすると思います」
駆け出す。タイムトラベルだ? ふざけるな。そんなものはSFの話だ。間違っても、単なる一個人の俺に起こるわけがない。ていうか、起こんな。
駆けながらあいつの所を目指す。あいつなら本当のことを言ってくれるはずだ。なんせ、天才だからな(根拠になってないが)冗談とか言ったら一発ぐらい殴ってもやる、多少本気でな。
会場のドアを開ける。そいつは机の上でカロリーメイト(チョコ味)をぼりぼりかじっていた。
「おい、悟! 今は、いや今日は何年の何月何日だ?」
「ん? いきなりどうしたんだい? 慌てるなんて君らしくもない。これでも食べて落ち着きなよ」
差し出されたカロリーメイト(チョコ味)を無視して、俺はさらに聞いた。
「そんなもんはどうでもいい! とにかく今日は何日だ? 早く答えてくれ!」
「ふう、君もせっかちだね。今日は君の人生を賭けた試験の日じゃないか、そんなことじゃ受かるものも受からなくなるぞ。今日の日付は……」
「……」
ありえない。ありえないはずだ。だが、俺が悟から聞いた日付はあの試験の日だった。念のため、悟の携帯も見せてもらったが、悟の言った日付とまったく同じだった。このことからわかることは唯一つだ。どうやら俺は、本当にタイムトラベラーになってしまったらしい。
「ところで、荷物も持たずにどうしたんだい?」
そうだった。ここに来る俺は荷物を持っているはずだ。
「ん? ああ、……えーとな、そうだ! 荷物はトイレに忘れてきたんだ。急いで取ってくるから、また後でな」
我ながら苦しい言い訳だ。だが、この言い訳どこかで聞いたような:::。まあ、いいか。今は悟から逃げ出せただけでも良しとしよう。
タイムトラベルした場所に戻ると、ユウミが待っていた。いつの間に着替えたのか(そりゃ、着替えるよな。大学内でメイド服なんて、マグロと生クリームみたいな食べ合わせだ)メイド服は、あのときの制服に変わっている。
「聞きたいことがある」
むしろ、突っ込みどころはその倍以上あったりするんだが。
「はい、なんでしょう?」
「あんたとあの中年オヤジ、一体何者なんだ?」
「あの人は、すばらしい科学者です。時間に関する研究をしていて、ついに数時間前、時間を自由に移動できる装置の開発に成功したのです」
「その時間を移動できるって話は、どうやら本当らしいな、今でも正直信じきれてないが」
「ふふ、そしてその装置こそ『ユウミ』である私自身なのです」
「……は?」
この台詞、二度目だな。
「聞こえませんでしたか? 私は、博士によって作られた人型アンドロイド兼タイムマシンなんですよ」
いや、それって実は、かの発明王エジソンも脳卒中で逝ってしまうような大発明じゃないのか。
「でもあんた、機械っぽくないよな?」
「私の容姿は、博士の趣味というか、願望そのものですから。タイムマシンの機能は早いうちから完成していたのですが、私のデザインと人間らしさの追求にかなりの時間を懸けて下さったようです」
やはり、あの中年オヤジは変態科学者だったか。だが、その追求ぶりには俺として、多くの敬意を表さなければなるまい。ついでに女の趣味もな。
「それでですね。私の役目は、時人様を望む未来に送ることにあります。平たく言ってしまえば、時人様の望むように過去を変えてくれてかまいません」
「じゃあ、俺の両親を抹殺しに……」
「それは、許可できません」
だろうな。冗談だ。九割九分ぐらい本気だったがな。
「時人様が変えられる過去は、この試験に関するものだけです。そのほかに、絶対に守っていただきたいことがあります」
「時間旅行の定番だな」
「過去の時人様に、ご自分の姿を見られないようにすること。これは博士の指示ですので、詳しい理由は申し上げられません」
「気になるが、こういうものは聞いちゃいけないんだろう?」
「申し訳ありません」
まあいい。とにかくも、俺はこの手で過去の自分を合格させられるんだからな。それ以上を望むのは欲張りってものだ。
「俺は過去の俺を受からせる。そのために協力してくれ、ユウミ」
「はい。かしこまりました、時人様」
俺を受からせるなんて簡単だ。要は、落とさなければいい。どうして落ちてしまったか。あの世界史のカンニングだ。別にばれたから落ちたんじゃない。合格発表の後、同時に張り出されていた解答を見て判明したことだが、あの紙に書かれていた解答は模範解答と微妙に、だが答えとしては完全にずれていた。俺がパッと見気づくことができないぐらいの間違いだ。例えば、レオ三世がレオン三世ってな具合にな。全部が全部そんな調子だから、世界史の点数は限りなくゼロに近かったはずだ。なら、完璧な解答を渡してやればいい(格好良く言っているようだが、所詮カンニングだ。良い子は真似するなよ。もちろん悪い子もだがな)
「さて、問題はどうやって世界史の解答を作成して気づかれないように俺に渡すかだな」
「ふふ、そんなの簡単ですよ」
そう言うと、ユウミは自分の制服のポケットに手を入れゴソゴソと動かし、一枚の紙を取り出した。
「世界史の解答~~~」
やたら無駄に抑揚をつけた声でユウミが言う。これは、いうまでもなくアレだよな。いや、突っ込まないぞ、意地でもな。
「これでよろしいでしょうか、時人様」
注意深くユウミの用意した解答を確認する。よし、完璧な答えだ。これなら、今度こそ本当に合格に間違いない。
「よし、それじゃ、この解答をこの時間の俺に渡しに行くとするか」
「お待ちください、時人様」
「ん? どうしてだ?」
「今、時人様が出て行かれては、過去の時人様に見られてしまう可能性があります。ここは私にお任せください」
「ああ、そうか。わかった、ユウミに任せる。あんたなら、なんとかできるんだろ」
常人離れした動きだって軽くやってのけるヤツだ。ユウミにとっては中学生が九九をやるぐらい簡単なことだろう。
「では、行ってまいります」
「ああ、任せたぜ」
そう言ってユウミは落ち着いた足取りでテラスに向かっていく。もうすぐ、過去の俺はユウミとぶつかるんだろう。何故わかるかって? 俺が経験済みのことだからな。違うのは、あの紙に書かれている解答がちゃんとしたものだということだ。
「で、ユウミ」
窓の外を見ながら、ささやき声でユウミに話しかける。
「? なんでしょうか?」
俺と同じようにして窓の外を見ているユウミがこれまたささやき声で答える。
なんで俺たちがこんな奇妙なことになっているかというとだな。すべては、過去の俺に解答を忍ばせた後のユウミの発言が始まりだった。
「このままでは、まだまずいですよ、時人様」
「どうしてだ?」
「過去の時人様のカンニングがばれます」
「? 俺はばれなかったが?」
「そこです。これから、私たちが過去の時人様のカンニングを見守らなくてはならないのです」
なるほどな。どうしてあのときの堂々としたカンニングがばれなかったのには、そんな理由があるわけだ。
「だがどうするんだ? あの会場には、別に試験官がいるはずだが」
「その辺は問題ありません。軽く記憶操作を施しておきましたから」
そんなことも出来るのか……、末恐ろしいぞ。
「一つ、聞いてもいいか」
「はい、どうぞ」
「俺には何もしてないよな?」
できれば、この辛い人生を幸福な記憶にすり替えて欲しかったりもする。
「ふふ、時人様にそんなことするわけないじゃないですか。あくまでも、非常手段ですよ。それと、これが背広です。急いで着替えましょう。これなら、生徒の目を欺けるのではないでしょうか? あとは、過去の時人様に顔を見られないように窓の外でも見ていましょう」
そんなわけで、こんな状態だ。ときおり、過去の俺をちらと横目で見る。よしよし、順調にカンニングしているな。
「時人様、何か私に聞きたいことがあったのではないですか?」
「いや、いいんだ。何でもない」
「?」
ユウミ、お前に聞いたら、簡単に答えてくれるんだろうな。過去は本当に変えられるのか、それとも変わらないのか。
世界史の試験も無事に終わり、俺はユウミを正面の門で待っていた。女性の着替えはいつだって時間のかかるものだからな、待っているさ。そもそも、ユウミがいないと俺は元の時間に帰れないしな。
「やあ、また会ったね。試験が終わったのに、こんなところで何をしているんだい?」
「ああ、ちょっとな。合格の喜びに酔ってたんだ」
「クス、君にとっての合格は、自由を手にすることだからね。だけど、それが本当に君にとっての自由なんだろうかね?」
気に障ることをいうやつだ。この大学に合格する他に、何が俺の自由だというんだ?
「何が言いたいんだ? 言ってみろよ」
「君は今まで、ずっと親の言うとおりに生きてきた。この大学に入ることも含めてだ。いわば、君は生まれてからずっと親の敷いたレールの上を走ってきた。仮に、君がこの大学に入ったとして君は本当の自由を手にしようとするのか?」
「当たり前だ、俺は自由のためなら何だってやってやる」
「じゃあ、君はもうとっくに親の支配から抜け出しているはずだけどね」
「……」
「わからないかい? 本当の自由なんて、どこを探したって見つからないんだよ。大事なのは、今この瞬間に自分が自由だと感じられることだ。親の決めた大学で過ごす日々に、果たして君は自由を感じるのかな?」
俺はこぶしを握り締め、思い切り悟の頬にぶち込んだ。
「ふざけんな! 俺がどんな思いで今まで生きてきたのか知らないからお前はそんなことが言えるんだ! 毎日毎日、勉強習い事! しかも、それすべてにおいていい結果を残さないといけないプレッシャーがお前にわかるか!? できなければお前は屑だと罵られ、いい結果を残しても褒められもしない! そんな人生に自由を見出すことなんてできるか!」
倒れた悟が立ち上がり、こっちに歩いてくる。殴るのか? それも悪くないな。俺は別にМじゃないが、今はお前に殴られてもいいと思ってるんだぜ。お前の言った言葉が俺のよりも、確かな真実だと思えたからな。
だが、違った。悟は俺の肩を軽く手で叩き、こう言った。
「頑張りなよ」
「お待たせいたしました」
「おう」
「?、どうかなされましたか?」
「いや、なんでもない」
こういう台詞は何かあったヤツが言うんだよな。我ながら馬鹿なことをやったな。悟に八つ当たりしたってどうにもならない。合格するにせよ、落ちるにせよ、変わらなければいけないのは俺自身だってのに。
「何か、あったんですか?」
思いがけず、声を荒げてしまう。
「なんでもないと言っているだろ!」
不意に、ユウミに正面から抱きしめられた。
「何か、悩みがあるのなら遠慮せずに私におっしゃってください。協力してくれ、と時人様は言って下さいました。どうしたらいいのか二人で考えましょう」
「……すまん」
ユウミの首に顔をくっつける。俺はそこに何かを見つけた。おそらく、完成日と製作者の名前。日付は今から二十八年後。タイムマシンてのは、案外近い未来に完成するんだな。俺が生きているうちは無理かと思っていたが。だが、そんなことは製作者の名前を見た時点で、もうどうでも良くなったがな。
~名倉時人 作~
ああ、何だ。そういうことか。それなら、これまでのすべてのことに合点がいく。なんで、俺の前に、あの糞変態科学者が現れて、いきなりタイムトラベルしてみるか、なんて聞いてきたのかも。そして、ユウミが過去の俺にでたらめな答えを渡した理由もな。
おい、糞変態ハゲ科学者(絶対認めたくないが、未来の俺)
あんたが時間研究で達した理論はおそらくこうなんだろう?
時間は繰り返され、同じところを辿る。残念ながら過去は変えられない。
まったくもって残酷な話だな。だがあんたの理論に乗ってやるよ。何故かって? 簡単な話だ。あんたがやってる時間研究のほうが、こんな大学で退屈な人生を送るよりはよほど面白そうだからだ。自由だと思えそうだからだ。間違っても、あんたはここで時間の研究はやらない。あんたは俺だもんな。だからわかるぜ。
「ユウミ」
最後の答えあわせだ。
「はい?」
「あんたを作ったのは、未来の俺だな?」
ユウミは一瞬のためらいも見せず、答えた。
「はい」
なら、俺が言うことは一つしかない。
「ユウミ、俺をもう一度過去に『跳ば』してくれ。過去の俺を、このまま受からせるわけにはいかないからな」
ここで俺が何もしなければ、過去の俺は間違いなく受かるだろう。だが、そうすると矛盾が生じる。俺が過去の俺を落として初めて、俺の時間がつながる。そうすることが、いわば時間の流れってヤツなんだろ?
「では、『跳び』ます。時間は、私が過去の時人様にぶつかる十分前です。時人様、しっかり捕まっていてくださいね」
ユウミが白く輝きだす。どうでもいいが、抱き合ってないと時間移動できないのかね? さすがは変態科学者。あ、未来の俺だったな。いや、俺はあんな風にならんぞ、決してな。
気がつくと廊下にいた。ふと、ユウミがいないことに気づく。おいおい、時間移動で迷子なんて笑えなさすぎる冗談だ。あせって周囲を見回すと、壁によりかかってぐったりしているユウミを見つけた。
「おい、どうしたんだよ。今はあんただけが頼りなんだぞ。もうすぐ、過去の俺がここに来る。あんたには、あの間違った解答を渡してもらわなくちゃならないんだ。そうしないと、時間がつながらないんだからな」
「…すみません、時人様。…どうやら、さっきの時間移動でバッテリーを使い切ってしまったみたいなのです」
うかつだった。ユウミは人間に限りなく近いにしろ、元は機械だからな。そりゃ、電気も食うさ、はは。いや、笑ってる場合じゃないがな。
「どうにかならないのか?」
「…安心してください、今から予備バッテリーを作動します。…ですが、そのために一旦システムをダウンして、その後再起動させなくてはいけないので、少なくても30分はかかると思います」
30分。あと10分で過去の俺とユウミがぶつかる。
「くそ…」
どうする。
「…時人様、これを」
そう言って、ユウミが制服のポケットから取り出したのは一枚の紙だ。その紙が何なのか、俺にはわかっていた。黙ってそれを受け取り、二つ折りにする。だがな、ユウミ。これを過去の俺に渡したのは、お前だったんだぜ? 決して未来から来た俺なんかじゃない。
「…この時間にいる、もう一人の私にそれを渡してください。…大丈夫、どの時間の私だろうと、私は貴方の味方ですから」
そういうと、ユウミは静かに目を閉じた。
そうだな。その手があった。それにしてもだ。ユウミ、渡すときに三人目の俺に会ったんなら、少しぐらい俺に言ってくれてもいいのではないかね?
俺は、前にユウミと別れた廊下を目指す。極度の方向音痴も、今は嘘のようだ。やたらと時間とやらを駆け回ったおかげだな。
二つ目の廊下の角を曲がったところで、前方にユウミを見つけた。
「時人…様?」
そりゃ、驚くだろうな。予定から言えば、過去の俺にぶつかるのは今から十分後ぐらいだ。ここで俺に会うなんて思っても見なかっただろう。
「ユウミ、頼みがある」
そう言って俺は、二つ折りした紙をユウミの目の前に差し出す。
「今、あんたが持ってる正解が書いてある紙の代わりに、これを過去の俺に渡して欲しい」
受け取った紙を見て、ユウミはさらに驚いたようだった。
「…これは!? しかし、よろしいのですか? これを過去の時人様に渡すということは、あなたが…」
ためらわずに、俺は言う。
「悔いはないな。俺は、俺自身が自由だと思えることをしたい。これは悟ってヤツの受け売りだがな。それと、お前と一緒にタイムトラベルしてわかったことが一つある。時間旅行ってのは楽しいな。こんな楽しいことが、わざわざ未来の俺によってお膳立てされてるんだ。乗らないほうがどうかしてる」
「クス、かしこまりました。では、過去の時人様に、これをこっそり渡します。それで、過去の時人様は試験に落ちることになるでしょう。…もう一度だけ伺います。本当によろしいのですか?」
「ああ、頼んだぜ」
「はい」
ユウミが嬉しそうに、笑った。
三十分後。俺は回復したユウミと共に三度、時を『跳んだ』
一応、確かめておきたかったからな。本当に、俺が望んだとおりの未来に変わったのか(実際、合格結果は変わっちゃいないんだがな)
視界が戻ると、俺は掲示板の前にいた。ユウミと抱き合ってるのがバレバレだったが、そんなことを気にするヤツは誰一人といなかった。何故かって? そりゃ、合格発表ってのは堂々と抱き合える場だからな(理由になってないな。ま、喜びを素直に表現できる場だってことだ)
ユウミがゆっくりと身体を離しながら言った。
「今は、時人様が試験の結果を知って落ち込まれ、フラフラと夜の街をさまよい歩かれていた時間です」
…事実だが、そこまで他人から詳細かつ冷静に言われると、多少なりとも頭にくるものはあるな。そんなことを考えていると、背後から聞き慣れた声がした。
「時人、大丈夫か?」
「ん? ああ、なんだ悟か。どうしたんだ? そんな心配そうな顔して」
「いや、だってさっきの君は、なんだか自殺でもしそうな顔をしていたからな」
否定は出来ないな。過去の俺なら(そう言っても、感覚的には数時間前だったりするんだが)それぐらい平気でやってのけるかもしれん。
「あれ? 君、本当に時人かい?」
「あ? 何言ってるんだ? 俺は正真正銘、名倉時人だ」
何を言い出すかと思えば。冗談を言うにしても、もっと気の利いたことを言えよな、天才。
「そういや、俺は試験に落ちたんだよな?」
「? …そうだけど? やっぱり君、どこか頭でも打ったんじゃないのか?」
冗談じゃない。一回頭を打つごとに、いくら脳細胞が死滅していくのか知らないのか? 確か数は、…覚えてないな。
「そうか、俺は試験に落ちたんだったよな」
「大丈夫かい? 人生生きていれば、そのうち何とかなるものだよ。ガムでも一枚どうだい?」
「ああ、ありがとな」
ガムを受け取る。悟が、俺の顔をもう一度まじまじと見ながら言う。
「やっぱり、君はさっきの時人じゃないな。何か、吹っ切れているという気がする。一体、何があったんだ?」
ああ、やっぱお前は天才だよ、悟。
俺に、何があったかというとだな。
「秘密だ」
お前にも、これだけは話してやれないのが残念だぜ。
悟と別れた後、俺はユウミに四度目の時間旅行を頼んだ。
どうしてもやりたかったことが残っていたからな。
『跳んだ』のは、俺の時間からおよそ二十五年後。場所は、未来の俺の研究室だ。
「ZZZ」
お、よく寝てるな、未来の俺。俺としては好都合なことこの上ない。
正直なところ、俺は未来の俺自身にムカついていた。未来を、過去である俺に教えるなんて反則だ。しかも、それによって俺はわざわざ親に逆らってまで、茨の道を辿ることになるわけだ。しかも、その道は一本道だったりするわけだからなおさら性質が悪い。そんな現実を突きつけておいて、自分はユウミと一緒に楽しく時間旅行だあ? ムカついたので、そんな未来の俺に、俺はささやかなイタズラでもしてやることにした。
よし、このときの俺はまだハゲていないな。くっくっく。
無防備に寝ている未来の俺の傍らに、さっき悟からもらったばかりのガムを置く。俺の、小さな小さな良心からのプレゼントだ、ありがたく受け取れよな。
「ユウミ、今から俺の言うものを出してくれ」
「はい、何でしょう?」
「こいつの頭には少し大きいカツラと、永久脱毛剤だ」
~Fin~
【登場人物】
名倉時人(Tokito Nagura)十八歳。175cm。66キロ。
年相応な背格好。少し屈折した性格。結構、暴走する感じも。壊滅的な方向音痴。
????(????)四十三歳。175cm。78キロ。
中肉中背。かなり屈折した性格。人をからかって面白がる傾向あり。背広に白衣。ハゲ。カツラを被っている。
ユウミ(Yuumi)二十二歳。164cm。52キロ。
美少女。基本はメイド服。動力源は電気。かなり高性能な反面、すぐに電池切れに陥る。モデルとなった女性は、実は????の奥さんだったりする。
進藤悟(Satoru Sindou)十八歳。169cm。57キロ。
少し小さめな印象。飄々としているが、物事の本質をよく見る。全国模試常時一位の天才。天然なところがある。
ここまで読んでくれた方、どうも、作者です。
この作品は、昔書いた短編です。
その時載せたものを、一部、本編等、加筆・修正してお送りしております。