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屋内にて

 白い湯気が立ち昇るカップを、伊野はぼんやりと見つめていた。さきほどの失態が未だに心の中で渦巻き、なんとなくテーブルを挟んで向こう側に座っている幽香に顔を向けることができない。

 あれからたっぷり十分ほど放置されて今ようやく家の中に入ることができたのだが、あの時の幽香の、呆れたような顔を思い出すと、そのまま帰りたくなっていた。しかし、転びそうになったから帰るのではそれもまた情けなく思える。結局は赤くなる顔を隠しながら家に入っていったのだ。

 鬱々とした心の持ちのまま、カップを覗き込んでみる。カップの中には薄赤の液体がたぷたぷと波打っていた。

 見ている内にその液体が少しずつ、自分の中で無意識のうちに違うものに変容していく。薄赤がゆっくりと黒を帯びて濃厚な赤へと変色する。

 ――血だろうか? 湯で薄めた人間の血。それがカップの中で波を打っているのだろうか?

 伊野は首を振った。いくらなんでもおかしな考えだ。妖怪が人間を食すのは自然理ではあるが、だからといって人間である自分にそんなものを出すわけがない。そもそも幽香は人間を食うのを止めたと、前に話していた。

 悪い癖だと思う。幾らでも他人を疑ってしまう、疑うと全てが変容して見える。伊野は分かっていながらも止めることのできない悪癖だと思っていた。

「あの、幽香さん。これは紅茶ですか?」

 顔はカップを覗き込んだままだが、聞いてみた。正解がわかればいいのだ。解らないままもやもやとしているよりか遥かに良い。

 俯いているため、伊野から幽香がどんな表情をしているのか、どんな動きをしているのか、解らない。ただ、かちゃりと、ソーサーにカップを置いた音だけが確かに聞こえた。

「呆れた。貴方これをコーヒーかジュースだとでも思ったのかしら? 最近人里で見かけたから買っただけのただの紅茶に決まってるじゃない。さっきのユニークなポーズといい、今日の貴方、何か変よ?」

「ああ、確かにコーヒーはこんな色しませんね。それに、熱したジュースも聞いたことがないです。……どうやら今日の僕は色々と抜けていますね」

 伊野は思わず苦笑した。

 フタを開ければやはりこういうものだ。バカみたいに疑いすぎる。

 気の抜けたまま、ようやくカップの一口目を(すす)ると、今度は幽香が話しかけてきた。

「そういえば、最近天狗共に聞いた話なんだけれど、人里の乳牛教師と仲が良いらしいじゃない」

「……は? 乳牛? いきなり何の話ですか?」

 聞き間違えかと思い、まともに見れないということも忘れて伊野は顔を上げ幽香を見た。彼女は無表情のままこちらを見据えている。

 ますます解らなくなった。 

「あれよ。人里に住み着いていて、歴史を喰ったり隠したりする器用な半妖。確か貴方もあの半妖の授業を受けていたとか言ったじゃない」

「ああ」

 そこまで言われて幽香が誰のことを言ったのか理解することができた。人里に住んでいる半妖というのは、伊野には一人しか思い浮かばない。

 急激に力が抜け、顔を下げるのすら億劫になった。

「乳牛って、慧音さんの事ですか……。あの人は別に牛の妖怪とかじゃありませんよ。ハクタクとか言う妖怪とのハーフです」

「いや、私が言ってるのはそういうことじゃなくて、比喩しているのよ。あの半妖の、まぁ何と言うか……アレを」

 そう言って幽香は少し言葉を濁した。

 最後まで言うのが気恥ずかしかったのだ。

「アレを比喩? ううん、すいませんがよく分からないです」

 伊野がそう言うと、幽香は狼狽したように額を手で覆い、

「もうそれはいいわ。とりあえず、最近貴方が人里のあの半妖と仲がいいというのは本当なの?」

 そう言った。

 伊野は少し気になる気持ちもあったが、話題を変えられて尚聞き出そうとも思わず変えられた話題の方に乗ることにした。

「そう、ですねぇ。自分が子供の頃は教師と生徒っていう関係だったんですが、ちょっとしたきっかけから今は仲のいい友人みたいなモノですね」

 何故こんな事を幽香が聞くのかはわからないが、伊野は人里の半妖――上白沢慧音――との関係について話した。あの失態は徐々に薄れつつある。

「そうそう。この間慧音さんから野菜のおすそ分けをしてもらったんですが、幽香さんも食べますか? 一人じゃ食べきらないんで」

 両手を打ち、思い出したように話す伊野。しかし彼は気づいていなかった。楽しそうに慧音のことを話すたびに、部屋の空気が暗く重く冷たく静かになることを。 

 

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