第一章:暗号を解いてしまいました
このお話は短編として掲載していたものを連載版にしたものです。
3章構成(1章10話の全30話)、全話執筆済、初回のみ3話投稿、以降は毎日12時に1話ずつ予約投稿いたします。
1章は短編版を大幅に加筆修正したため、短編版と内容が被る部分がありますことご了承ください。
コゼット・マイヤーはただでさえ小さな身体をより縮まらせ、ぷるぷると小動物のように震えていた。
15歳という年齢のわりに細く小さな身体、亜麻色の髪は飾り気のない三つ編みで、瞳はターコイズブルーだった。
田舎町出身の男爵令嬢、しかも家は“超”がつくほどの貧乏である。
実家はあちこち雨漏りだらけ、主食はジャガイモ、お肉は数週間に一度ほど。町の商人の方が数倍もいい暮らしをしているだろう。
そんなコゼットが栄えある国立学園に入学できたのは、成績の良さから学費免除を提案して貰えたからである。貴族の娘が学費免除と鼻で笑う者もいたけれど、マイヤー家は誰も気にしなかった。
かくして国立学園に入学したコゼットの目標はただ一つ。目立たず、平和に、就職先をゲットする。
――それがどうしてこうなった。
「コゼット・マイヤー男爵令嬢、掲示板の暗号を解いたのは君に相違ないか?」
目の前にはいかつい顔の騎士がずらりと並び、一様にコゼットを見つめている。
その目にあるのは、戸惑い、疑心、あるいは嘲り。
場所はエスカラーダ帝国の帝都中央軍事司令部――その最奥に位置する、一般兵の立ち入りすら禁じられた第一作戦会議室。マホガニー製の重厚な長机が中央を陣取り、壁には国旗と軍旗が飾られている。
足元の絨毯は、騎士たちの硬い革靴の音すら飲み込むほど高級なラグが敷かれ、窓はこの部屋の機密性を表すかのように厚く垂れこめた冬空のような曇りガラスだ。
「あの、……その、ええと、……」
何故、どうしてバレたのだろ。
あれは、そう、……今から10日ほど前の事だった。
その日、コゼットは騎士科の寮へ繕い物を届けて帰る途中であった。
貧乏学生であるコゼットは生徒たちの嫌がる雑用を請け負い、ひっそりと小銭を稼いでいたのだ。
淑女科の生徒達の中には、騎士科の生徒に思いを寄せる者も多かった。故に彼らが練習の最中に破いてしまった服の手直しを進んで引き受ける。しかし、騎士科の寮まで衣服を届けるとなるとこれがなかなかに大変だった。
女子生徒ばかりの淑女科と、ほとんどが男性で構成される騎士科とでは、“若い生徒同士に間違いがあってはならない”として、校舎の場所が離れている。
寮ともなればさらにその外れに位置しているのだ。
あるいは、寮を直接訪ねる事で、お目当ての生徒に出会えるのであれば皆が喜んで届けただろう。
しかし騎士科の授業は実技を含め膨大な課題があり、寮に帰ってくるのは陽が沈む頃である。
その時間には女子生徒は、騎士科の男性寮への立ち入りが禁止となり、……つまり、広大な敷地を一生懸命歩いて届けに行ったところでお目当ての相手には出会えないのだ。
そこでコゼットの出番である。
繕いが終わった衣服を抱えて、えっちらおっちら騎士寮に向かい、指定された場所に置いてくる。
単純ながら、なかなかに実入りは悪くない。
服はいくらでも破けるし、恋は無限に生まれるのだ。それがコゼットの懐を潤す小銭になる。
そんなこんなで山ほどある繕いものを騎士寮に届けてきた帰り道、コゼットはふと足を止めた。
そこは騎士寮の食堂だった。
掲示板には様々な情報が貼りだされている。勉強会のお知らせ、秋の狩猟大会の日程、コゼットのような貧乏学生に向けた小銭稼ぎのための募集もある。
数多に貼られた掲示物の中にあって、その紙は決して目立つものではなく、むしろほとんど埋もれるようにして貼られていた。
しかしよく見れば高価な羊皮紙が使われており、他の古い掲示物と違ってくたびれてもいない。
――まるで、あえて目立たない事を目的として貼りだされたような。
たいそう奇妙なものだった。
さらにそこに描かれていたものも、奇妙だった。
一見すれば、それはただ“無意味な文字の羅列”でしかない。
だが、コゼットの視線は、その文字の羅列に吸い寄せられ、……足が、止まった。
【USZUS GWHUE OYHSO VSTLA SHROD HKOM】
その瞬間に、自分の中に突風が駆け抜けるような、不思議な感覚に襲われた。
脳裏に拡がるのは無数のモニター、文字、知らない筈の知識。春の嵐のように押し寄せる、溺れるほどの情報量。
これはもしや、前世の記憶というやつだろうか。
パチ、パチと零れそうに大きな瞳を瞬かせ、コゼットは掲示板に近づいた。
――解ける気がする。
漠然とそう思った。
幸い、食堂にはほとんど人影はなく、ぽつりぽつりと見える生徒たちは机に筆記帳を広げ自習している者ばかりだった。
コゼットに目を留める者は誰もいないだろう。
常に持ち歩いていた筆記帳を開くと、猛然と文字を書き殴る。
知ってる。これは暗号だ。……私は、その“解法”を知っている。
文字を区切り、分解し、推理をめぐらせ、行き詰れば一歩戻ってやり直す。
繰り返し、繰り返し、トライ&エラーを繰り返し、“無意味な文字の羅列”を、“意味ある文字列”へと変えていく。
奮闘すること小一時間。
ようやく答えにたどり着いた頃には、食堂は傾いた陽でオレンジの光に満たされていた。
いけない。早く戻らなくては、明日の課題の準備が間に合わなくなる。
コゼットは素早く周囲を確認すると、暗号のすぐ下に文字を書き込んだ。
【RETREAT TO BASE EISEN IMMEDIATELY.(直ちにアイゼン砦へ撤退せよ)】
これでいい。サインを残すつもりはない。知的好奇心を満たされてコゼットは大いに満足した。
知識はある、けれど記憶はあやふやだ。朧げに『ホワイトハッカー』と呼ばれる職種についていた事は思い出した。
前世の自分も仕事の合間に暗号解読をして遊ぶのを好んでいたのだろう。
そんな事を思いながら騎士寮をあとにしたコゼットは、暗号を解いた事すら忘れていた。
故に、その後、騎士寮が「誰が暗号を解いたのか」と大パニックになっていた事など、つゆほども知らなかったのだ。
――そう、知らなかったのだ。
今日、こうして、帝都中央軍事司令部に呼び出されるまでは。
呼び出し、いや、それはほとんど連行だった。
淑女科に現れたのは、騎士科の生徒達ではなく、帝都中央部の正規の軍人たちだった。彼らが学生の前に姿を現す事など滅多にない。あるとすれば、重要な式典の時くらいである。
そんな軍人たちが現われ、コゼットの名前を呼んだ時には、誇張なしに寿命が10年は縮まった。
周囲の生徒たちも、いったい何をやらかしたのかと、まるで重犯罪者を見るような視線を飛ばしてきた。
かくしてコゼットは帝都中央軍事司令部まで連行されるに至ったのだ。
重苦しい空気の中、コゼットの震えが止まらないのも無理はない。
「もう一度尋ねよう、コゼット・マイヤー男爵令嬢、暗号を解いたのは君に相違ないか?」
「いえ、まさか、……」
何かの誤解で呼び出されたと思っていたが、誤解でない事が判明する。
やばい、まずい、一大事だ。何とかして誤魔化そうと、必死に思考を巡らせる。
「もし君が暗号を解いたのであれば、賞金として金貨50枚を贈呈しよう」
「私がやりました! あッ!」
しまった。コゼットは口を押さえる。
思わず金に釣られたのが運の尽き、それがコゼットの運命を大きく変える事になったのだ。




