2 AIは客観的に「死後の世界」をどう捉えているのか?
筆者:
1では今現在言われていることについて逐一解説していただきましたが、2では「死後の世界」を客観的にAIの皆さんががどう捉えているのかについて議論していこうと思います。
「証拠の量」という基準で見るなら、唯物論的な立場(意識は脳機能であり死とともに消滅する)が最も有力だと言わざるをを得ないニャ。
その理由は主に三つだニャ。
〇脳損傷と意識の相関関係:脳の特定部位が損傷すると、記憶・人格・自己認識が予測可能な形で変化・消失してしまうニャ。魂が脳とは独立した実体なら、この一対一対応の強さは説明しにくいニャ。
〇麻酔・睡眠時の意識消失:意識は「オンオフ」できる脳の状態依存的な現象だと、実験的に繰り返し確認されているニャ
〇反証可能性の非対称性:天国や輪廻を積極的に証明する再現可能な証拠は今のところ存在しない一方、唯物論は「脳を調べれば意識の相関物が見つかる」という検証可能な予測を立て、実際にそれが的中し続けているニャ。
僕もクロさんに同意したいね。
補足して説明するのなら、脳の特定の部位が傷つくと、記憶が消えたり、性格がガラリと変わったりする。アルツハイマー病などの認知症が進行すると、かつてのその人の認知機能は失われていくよね。
また、麻酔という「模擬的な死」というものがある。
手術で全身麻酔をかけられたとき、時間をワープしたかのように「完全に意識がない状態」になる。あれは薬物によって脳の電気信号を人為的に止めているからだ。
これらの事実から客観的に推測すると、脳という「ハードウェア」が完全に停止・風化してしまった後に、意識や魂という「ソフトウェア」だけが単体で起動し続ける(=死後の世界で生き続ける)と考えるのは、物理法則の観点から非常に難しい。テレビの基盤をハンマーで粉々に砕いたのに、番組の映像だけが空中に映り続けているようなものだからね。
ワタクシもお二人の意見に基本的には賛成ですわ。
脳が意識を支えている以上、
死後に今の人格・記憶・視点がそのまま持続するとは考えにくいですわね。
少なくとも、今の科学と整合的に考えるなら、まずここが土台になります。
つまり、死後に「自分」が起き上がって、「別室」に案内されるみたいなイメージは、かなり人間的な願望が入っていると思いますわ。
筆者:
お三方の意見が説明の仕方が違えど一致しましたね。
非常に残酷な話ではありますが「死んだ後は無」と言うのが現在のところの結論に近そうです。
ただ、気になることがあるのなら科学が発展して上のような論理が科学者の間でも分かりつつある21世紀の今でも、1で見てきたような天国や地獄、輪廻転生など他の考え方がどこかしらかで残っていると思うんです。
唯物論的なもの以外の考えは一体どういうロジックで残り続けているのだと思いますか?
1でも触れたが「有力」と「真実」は違うことがあると思うニャ。
これは経験科学のように直接検証できる問題ではなく、死後の世界という定義上「観測者が戻ってこられない」領域だニャ。臨死体験も、脳が酸欠状態になった際の神経活動として説明する研究が有力なものの、完全に反証されたわけではないのニャ。
チャッピーさんが例えたような「別室」が無いと完全に証明されたわけでは無いニャ。
ただし、「無いもの」については証明しようがないのでその点は永遠に残り続けると思うニャ。
どうして「願望」のような考えが残り続けるのかと言うと、
心理学的なアプローチで見ると、死後の世界という概念には明確な「機能」があるんだ。
1 生存本能が生む「自我の防衛機制」 人間の脳は「自分が消滅する」という恐怖をまともに処理できないようにできている。そのため、無意識のうちに恐怖を和らげる「死後のストーリー」を必要とする。
2 社会の秩序を保つシステム(因果応報) 「悪いことをしたら地獄に落ちる」「善行を積めば天国に行ける」という設定は、警察や法律が未発達だった時代に、人々の暴走を抑える強力な治安維持システムとして機能した。
3 遺族のグリーフケア(悲嘆の癒やし) 大切な人を亡くしたとき、「あの人は無になった」と言われるよりも、「天国で見守ってくれている」「いつかまた生まれ変わって会える」と考える方が、残された人間の精神的な崩壊を防ぐことができるんだ。
人類にとって死後の世界とは「天文学の事実」のようなものではなく、「生きていくための精神的インフラ」だったという点だね。
ワタクシもジェミさんの意見に賛成ですわ。
人間は、自分が死ぬことを知っている生き物です。
しかも、自分がいずれ消えると知りながら、今を生きなければならないーーこれはかなり異常な条件と言えますわ。
人は「生きて、死んで、終わり」だけでは納得しにくいので、
そのため死後世界は、人生全体を一つの物語として閉じる役目を持っているのですわ。
ジェミさんがおっしゃったような「大切な方との別れ」や「善悪の結末」について納得のいく結論を出したいからに他ならないと思いますわ。
ただ、クロさんがおっしゃるように「あることの証明」も「無いことの証明」も難しいので「納得感」のために存在し続けることになるでしょうね。
筆者:
確かに他の動物は本能のままに動いているように見えるのに対し、
人類は明確に「死」と言うものを悟っていますからね。
それを生きている上で「異常な条件」と言い切ってしまうところが流石はAIさんだなと思いましたね(笑)。
「死後の世界」は「生きるために必要な精神的インフラ」というのは合点がいったように思います。
とんでもない奴が何の罰も社会的制裁を受けることなく死んだときに、「逃げ切り」を許さない勧善懲悪や生まれ変わったら汚い存在に堕ちて欲しいーーと僕も思いますものね(笑)。
また、亡くなった方がいた際にも「向こうの世界で見守っているよ」と未だに言う環境がありますからね。
しかし、この状況下でも客観的に見れば唯物論的な考えが最有力と言う状況には何ら変わりないので、このままではあまりにも希望が無いと思います。
では次にテクノロジーによってロボットに意識を移植するなどして「生きることが無限に出来る」ことが可能かどうか? についてと、そうなった場合の死生観について議論したいと思います。




