表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

第四章:正しい結論と、冷たい罪悪感

視点:アルフレッド・フォールト

 鏡の中に映る自分は、冷徹な外交官そのものだった。

 これから始まる苛烈な交渉を見据えたような、深いブラッシュネイビーの三つ揃い。シルバーグレーのクラヴァットを留めるアメジストのタイピンは、ある令嬢の、複雑に煌めく紫の瞳を思わせた。


 アルフレッドは指先でタイピンの位置を数ミリ単位で微調整し、短く息を吐いた。


(……準備は整った。計算に狂いはない)


 デスクの上には、皮製のケースに収められた分厚い計画書が鎮座している。

 表向きは「北方魔道学術都市との共同調査に基づく、魔脈再起動に関する外交特権の申請」。だが、その実態は――ルクスタリア公爵令嬢を、外交局による完全独占管轄下に置くための宣言書だ。

 彼女を国家の「生きた動力源」として搾取させないためには、魔脈枯渇を根本から治癒する「不可侵の特使」に仕立て上げ、その立場を盤石にするしかない。

 そのためには是が非でも、この後の春の円卓会議で、北方の巨大魔脈へと赴く遠征の全権を勝ち取る必要があった。


 彼女が触れた石が、蒼い脈動を取り戻したあの冬の深夜。

 あの瞬間に感じたのは、希望などではなく、身の毛もよだつほどの危機感だった。

 あんな奇跡をこの国の上層部が知れば、あの若く無垢な令嬢は、その精神と肉体が磨り潰されるまで使い倒されるだろう。

 だからこそ、彼は嘘を吐いた。公式記録からもあの「蒼い閃光」の事実を抹消したのだ。


「……行くぞ。内政局の連中に、外交の『計算』というものを見せてやる」



   ◆◆◆


 王宮の円卓会議室。重厚な扉が開くと、すでに着席していた面々の視線がアルフレッドに集まった。

 中央には宰相。その斜め向かいには、内政局長ディルク・アルジェントが、相変わらず隙のない佇まいで座っている。その隣で、典薬局長のミアが、頬杖をついて手元の資料を眺めていた。


「――提出した事前資料の通りです。昨年来より北方から要請のあった『色彩管理理論』については、冬季の間に国内での理論検証を終えました。次のフェーズは実地試験です」

アルフレッドが区切ると、上座の宰相が重々しく口を開いた。


「理論検証が済んだことは分かった。だが、なぜその実地試験にルクスタリア公爵令嬢である必要がある?」

「外交局でまとめた、彼女の周囲で起きた魔力の物理干渉データによると、北方の報告書にあったデータと現象や波形が合致しています。これについては学術院からも承認を得ています。……そうですね、学術院長」


水を向けられた学術院長が「うむ」と深く頷くのを確認し、アルフレッドは言葉を続ける。


「彼女の特性と北方の観測技術を直接掛け合わせることで、国際的な主導権を確保しつつ、魔脈枯渇の根本的な解決を目指すものとなります」

説明を終えた瞬間、円卓の向かいから商工局長が異議を唱えた。


「理論が立証されたのなら、以後の実用化テストは我々商工局と学術院の管轄だ。なぜ外交局がしゃしゃり出る?」

「国内の鈍重な研究環境を待っている猶予は、今の我が国にはないからです。これまで北方との共同研究を主導してきた我々が繋ぐのが、最も早く成果を出せます」


アルフレッドが話し終えるのを待って、ディルクがゆっくりとアンバーの瞳を上げた。


「フォールト局長。非常に興味深い提案ですね」

 その声は一定のトーンを保ち、感情の起伏を感じさせない。


「ですが、確認させてください。特異な高魔力保持者の『保護管理』であれば我々内政局の領分です。わざわざ国外へ連れ出さずとも、北方の技術者を王都に招き、我々の監視下で安全に実験を行えばいい。独占的に外交局が彼女を置く必要性が、どこにあるのですか?」


 ディルクの言葉は静かに、しかし確実にアルフレッドの理論の継ぎ目を突いてくる。

 他局の長たちも同調するように小さく頷き、会議室の空気がじりじりと重く硬直していく。アルフレッドは微動だにせず、ただ、凍てつくように鋭く目を細めた。


「内政局の言う『監視下』とは、研究室という限られた情報下での実験という意味ですか」


 静まり返った円卓に、アルフレッドの低く重い声が響く。


「国内でちまちまと個別の魔石を研究したところで、それは一時的な延命に過ぎない。我々が目指すべきは『魔脈枯渇の根本解決』だ。その証明のためには、北方に赴いて実際の巨大魔脈での実地データを即座に取る必要がある。あちらはすでに、自国の魔脈という『腹』を見せて待っている。」


 アルフレッドは他の参加者から視線を切り、円卓越しにディルクの瞳だけを真っ直ぐに射抜いた。

「もし国内で同等の結果を得ようとすれば、北方の技術者を王都の地下へ招き入れることになる。それはすなわち、我々外交局が死守してきた『王都の魔脈データ』という国家機密を他国へ開示するということだ。まさか内政局は、国家の腹を他国に晒す気か?」


その痛烈な一言に、ディルクの眉が微かに動いた。周囲の文官たちがざわめき、商工局長も言葉に詰まる。

 黙り込んだディルクを見て、アルフレッドは半ば敗者を見下すように冷たく視線を外した。そして、いつもの完璧な外交官の態度に戻り、ぐるりと円卓を見渡す。


「彼女を特使として我々が現地へ赴けば、機密を守りつつ北方の最新技術を直接吸収できます。本来の管轄を越える特例だとは承知していますが、この『二重のメリット』を国益に還元できるのは、外交局をおいて他にありません」

 アルフレッドは少しだけ前傾姿勢になり、さらに畳み掛ける。

「当然、ルクスタリア公爵令嬢という立場と特異性を鑑み、第一騎士団による最高レベルの護衛と、典薬局からの専門官の同行を要請します。……以上です」


 完璧な論理武装による、有無を言わせぬ着地。

 数秒の沈黙の後、ディルクが静かに口を開いた。


「……なるほど、理には適っていますね。ですが、特使としての権限を認める以上、利益の共有は絶対です。得られた実地データは余すことなく他局へも展開していただきますよ」

「当然です」

 アルフレッドの即答に、ディルクは小さく頷いて背もたれに寄りかかった。


 だが、商工局長をはじめとする一部の面々は、まだ判断を保留するように重い顔を見合わせている。宰相が判断を迷うように眉を寄せた、その時だった。

ミアは手元の資料を無造作に閉じると、卓上に放り出した。バサッ、と鈍い音が響く。椅子の背もたれに深く体重を預けていた体を勢いよく起こし、真っ直ぐに挙手をした。


「……みなさんの言う『慎重』を待っていたら、国中の薬草が枯れますよ。ご存じの通り現場はもう限界なんです。外交局長の真意はどうあれ、典薬局としても実地データは喉から手が出るほど欲しい。私は大賛成ですけどね。それこそ、そのデータ、役に立ててみせますよ」

 ミアは言い終えると、不敵に笑って見せた。


 ミアの自信過剰とも取れる一言が、硬直していた会議の空気を決定的に動かした。

 宰相は一度頷き、重々しく告げた。

「……よかろう。典薬局の懸念も無視できん。フォールト局長、調査遠征の全権を貴殿に委ねる。ただし、成果は共有せよ」

「……御意」


 勝利を手にした瞬間、アルフレッドは円卓の向こうで、ディルクが静かに目を伏せ、微かに首を振るのを見逃さなかった。



   ◆◆◆


 会議が散会し、廊下に出ると、背後から聞き慣れた淡々とした足音が近づいてきた。

「フォールト卿。……先ほどは失礼しました。外交局の輝かしい大義に水を差すつもりはなかったのですが」

 並び歩くディルクの、後ろでゆるく束ねられた銀の長髪が微かに揺れる。その横顔は、相変わらず感情が読めない。


「……気にするな。内政を預かる身として、不透明な部分を叩くのはお前の職務だろ」


 二人きりになった廊下で、アルフレッドは公的な敬語を捨てた。だが、ディルクの口調は変わらない。

「ええ、そうです。国家機密を盾にされた以上、外交局が特使を連れて行く理屈には納得しました。ですが……局長であるあなたが、部下に任せずに自ら数ヶ月も現場に張り付く必要はないはずです。なぜ、そこまで彼女を手元に置きたがるのですか?」


 東棟と西棟を分かつ回廊の分岐点に差し掛かったところで、ディルクは歩みを止め、慇懃な笑みを浮かべた。

「外交局で彼女がもたらす利益を、他局の目から隠して独占したいようにも見えますね。……アルフレッド。君の『計算』に、自分自身の感情というノイズが含まれていないことを、長い付き合いの友人として願っておきます。面倒なことにならないように」


 数歩先を進んでいたアルフレッドは、足を止めた。振り返ることはしない。

 ただ、深く息を吸い込む音だけが微かに響く。完璧なポーカーフェイスの裏側で、アルフレッドの声の温度だけが一段階冷たく、硬くなった。


「……利益の共有については、先ほど言った通りだ。こちらで得られたメリットは必ず速やかに他局へも展開し、国益へと繋げる。それで満足か」


 背中越しに突き放すようなアルフレッドの言葉に、ディルクはそれ以上追及することなく「くれぐれもお願いします」と言い残し、内政局へと続く廊下へ去っていった。



   ◆◆◆


独りになった執務室で、アルフレッドは背もたれに深く身を預けた。


(……最低だな)


 喉の奥が、熱を持ったように酷く乾いている。彼女を守るためとはいえ、あの純粋な令嬢を「利益」や「解決手段という道具」として完璧にプレゼンし、利用価値をつけることで自らの独占欲を正当化した事実。ディルクを欺くために吐いた嘘が、胃の奥で冷たく焼けるような不快感となって居座っていた。


 アルフレッドは震える手で白い便箋を取り出した。ルクスタリア嬢へ宛てた、調査遠征への同行を命じる公的な書簡。

 万年筆の先から落ちるインクの一滴さえも、今の彼には、彼女の平穏を汚す罪のように感じられた。

評価、感想もらえたら嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ