[第一章:厄払い神、降臨]その2
「…」
男は[準線]を進む。
[本線]に近づくにつれ、向こう側に密集している[災塊]の影響が出始め、彼が歩く場所は[幸いの外界]の只中のような、絶対の安全地帯ではなくなっていく。
今の、[災塊]の移動によって意図的に歪んだ世界では僅かにあるだけの、ある意味自然な、幸いと災い、幸運と不運が混ざった空間を、彼は歩いていく。
「…向こう側は[災塊]の影響が圧倒的に強い。俺がいたようなぬるま湯の世界ではない…」
男は進む速度を緩めることなく、呟く。
「…幸い、幸福、幸運。それらの原因の[幸塊]の力が[災塊]の物量で弱い大地…」
彼が言う[幸塊]。それは[災塊]の対となる、幸福の原因となる球体状の存在である。
幸いを司る以外は[災塊]と同じように基本見えず、触れず、壊せない世界の構成存在であるそれは、[災塊]の研究が進む中で見つかり、同時期に性質の解明もされることとなった。
そこから、[幸塊]だけあれば幸せな世界になるだろうという判断が下されたことで、既に始まりつつあった[災塊]の[マガツイキ]への集約の動きは強く後押しされ、現在に至ることとなっている。
今、[マガツイキ]の外が[幸いの外界]と呼ばれるのは、[災塊]がないからというだけではなく、[幸塊]のみで満たされているからと言うのもあるのである(なお、[マガツイキ]にも元々あった分の[幸塊]があるが、男の言う通りに[災塊]の物量のせいで影響が弱い)。
「…俺の生まれたところとは違う、鬼畜になってしまった世界。…だが、だからこそ、あそこではできるだろう…」
彼は言う。
頭の中に、ある言葉を思い浮かべつつ、彼は進む。
既に、[準線]の終わりは近い。
超えるべき[本線]は、彼の前方に確かに見え始めていた。
▽―▽
「…ものの置き方や陣の描き方は悪くなかったはず。なら…失敗の原因は。…私が錫杖を少し、早く振りすぎた、あたりなのですね」
神社の半地下で、腕一杯にものを抱え、ミコは呟いた。
既に着替えは済んでいる。手にあるのは、失敗した先のことの再挑戦に必要なものだ。
彼女はそれを、入り口の横あたりに置いて、失敗の跡を片付けにかかる。
「…手早く、なのですね。悠長にやっている場合ではないので」
独り言と共に、ミコは自身の言葉通りに手早く片づけを行う。
部屋の隅に置いたゴミ箱に、陣の中心に置かれていたものの残骸を放り込み、焦げた陣を雑巾で拭き取り、あたりに散った微細なゴミも、早々に箒と塵取りで片づける。
そうして僅か五分で作業を終えた彼女は、手の汚れをぱんぱんと掃った後、次なる作業へ取り掛かろうと、意識を切り替える。
内容は勿論、先ほどと同じことをするための、陣の準備である。
その中で彼女が一瞬思い返すのは、自室の巻物に書かれた事柄だ。
(…神を降ろす。[災塊]に触る手段になるかもしれない、その存在を…)
あの巻物には、前書きどおりに全ての災いを祓うという神を降ろす、そのための方法が書かれている。
そしてミコは、その神が[災塊]に触ると言う、彼女が[奇災]解決のために求める手段を、力を持つものではないかと、前書きの文面から思っている。
むしろそうであることを求め、両親から存在を伝え聞いていた巻物を、丁度来ていた叔父の言葉もあって、倉庫の奥から引っ張り出してきたのだ。
(なぜそのようなものがあるのかは知らないなのですけど。でも、あるからには何かあると、期待したいところなのですね。)
そもそも、望む通りのものである明確な根拠はない。ミコの両親も、そういうものが何故か受け継がれていると言っていただけだ。
巻物を引っ張り出すことを、何故か少し嬉しそうに勧めた神主の叔父も、使うといいかもしれないといっただけに過ぎない。
[奇災]解決に繋がると言うのは、ミコが勝手にそう思っているだけのものかもしれないのだ。
(なのですけど。私の予想通りである可能性が、全くないと言うわけでもないはず。もしかしたら、多少無茶な期待かもしれないですけど。…それに)
「今はこれぐらいしか当てがない。ならば頼る他ないという物なのですね」
ミコは意を決す。
「…さぁ、やりましょう。神を降ろすための、[リーチュ]の準備を」
[リーチュ]、それはこの世界に存在する、やや特殊な技術である。
内容としては特定の条件(もの、場所、言葉や動作)を揃え、実行することで、望む結果を引き寄せるという物であり、やっていることの見た目は儀式であるが、科学実験にも似た側面をもつ代物である。
時には自然を超越する事象すら呼び起こすことができるほど、できることの可能性を持つそれは、科学よりも古くより活用され、ミコの生きる時代まで継承されてきている。
著しく安定性にかけることや、望む結果に対して準備がやたらかかる場合があることから、主流の技術になるまでは科学の発展によってイマイチいかないものの、この時代においてもその力は発揮されている。例えば、[災塊]や[幸塊]が発見、接触する手段が確立されたのも、[リーチュ]あってのものだ(発見は別の目的でした際の副産物であり偶然であったが)。
そんな[リーチュ]の形で、巻物には神を降ろす方法が書かれている。
ミコは今また、神降ろしのその[リーチュ]を、実行しようと準備をしているのだ。
「…まずはこれで陣を描いて…」
ミコは手に白いチョークを持ち、それで先ほどのものと全く同じ陣を描いていく。
動作はそこまで早くはないが、非常に丁寧だ。
なによりも正確さを大事にしたその動きで、先ほどのものと寸分たがわない正確な陣が描かれていく。
(…[災塊]に接触可能にする[リーチュ]や、それを機械的に再現した機器でもあれば、こんなことをしなくてもよかったなのですけど)
失敗を防ぐため、書き間違えないようにという思いのせいか、ミコは一度手を止め、そんなことを考える。
しかし、実際問題として、ミコが考えているようなものは、[幸いの外界]によって特に、伝わらない、渡らないようにされている。結局は、彼女は今巻物に書かれた[リーチュ]の他に当てがない。
それが分かっている故に、ミコはないものねだりの思考をすぐにとめ、作業を続行。陣を描き上げる。
「…次は」
陣を描き終えたミコはチョークを置き、この空間に戻る前に用意していた、陣に置く物体を持ち上げる。
「…はてさて。こんな奇妙なものでいいのやらと思わなくはないのなのですが」
四方の円に置く物体に加え、中心に置く粘土と鋏と鳥の翼と藁人形、それに鏡を混ぜた物体を、ミコは陣に置いていく。
明らかにふざけているとしか思えない見た目のもの達ではあるが、これが指定されているのだから仕方がない。
ミコはそれぞれ置いた位置に間違いがないか確認し、立ち上がる。
「…よし、問題なし。陣もOK。後は…」
陣の方の準備が完了したことを確認し、ミコは壁に立てかけてあった錫杖を手に取る。
後は、これで儀式を、[リーチュ]を始めればいい。
「…ふぅ。…少し、緊張しますね。後は…不安、と言ったところでなのですね」
錫杖を持って陣を振り返り、ミコは息をつく。
先ほど、万全の準備をして行った[リーチュ]は結局、失敗に終わってしまった。今度もまた、そうなるのではないか。そんな不安が僅かにはあるのだ。
「…でも、だからといって止まるわけにはいかないなのですね」
ミコは先刻自分が思ったこと、呟いたことを思い出す。
「…[奇災]の解決のために。一つの失敗程度で立ち止まったりしない。必ず、[奇災]解決の手段を手に入れる」
自身の意思を再確認し、すぐに心を落ち着ける。そうしてミコは、再度の[リーチュ]実行の覚悟をすぐに決める。必ず成功させると、心に決める。
「さぁ、始めますなのですね。神を降ろす[リーチュ]を…!」
その言葉と、力強く眼を開く動作を起点に、彼女は再び儀式を始める。
「…来るのです」
両手が、自身の身長より長い錫杖を、先ほどより丁寧に振る。
「…来るのです」
錫杖の軌道が、鮮やかに、そして正確に五芒星を描く。
「…ここへ。災いの満ちるこの地に。この禍つ地に」
宙の五芒星に、錫杖が投げ込まれる。
中心を通過したそれが、陣の中心に突き刺さる。
瞬間、先刻と同じように陣が光を発する。
「…さぁ、さぁ、さぁ!神よ!今こそここに来るなのですね!」
言葉と共に光はより強くなる。
どこまでも、どこまでも。
その源をしっかと見るミコの口より、最後の言葉が響く。
「…降臨するのです、厄払いの神よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
必ず、[奇災]を祓う。
そのために必要なものを得る。得てみせる。
ミコのそんな、非常に強い思いに応えるように、陣は一度目よりも強い光を放ち、さらにその光を黄金色へと返る。
…そして。
どこでもない暗闇の中、それは自分を形作られる。
決められた設計図に従って、その身が組み上がる。
人格が、知識が、力が、あり方が、遥か昔に、ある者が決めた通りにできあがる。
そして、彼女は生まれる。
意識が目を覚ます。
「…!」
ミコは見る。
まばゆい光の中、陣の中心の物体へ向かって四方の物体が、弧を描いて向かって行き、一つになるのを。
続いて一つになったそれらが、新たな形へと変わっていくのを。
そうして、ほどなくして急速に光が収束する中、ミコの目の前に一人の少女が降り立つ。
「…」
黄金色の髪に、赤い瞳、細い手足と胴体。それらを覆う、しめ縄を思わせる露出の多すぎる白い衣装を着た少女は、神々しい雰囲気と共に、開きかけの目でミコを見る。
神と言った雰囲気のものが、今確かに、そこにいる。
それが示すのはおそらく、[リーチュ]の成功だ。
なんとか二度目で、ミコは無事に成し遂げられたのだ。
「…ついに…!」
まずは、[リーチュ]を成功させられた。
そう思い、ミコが嬉しさで笑みを浮かべたその直後だった。
「…儂のおっππ、見ないか?」
目を完全に開いた少女は、胸元の衣装をひらひらさせて、笑顔でそう言った。




