[第一章:厄払い神、降臨]その1
災いが満ちる地[マガツイキ]は、紫の境界線…[幸災線]によって幸いの満ちた外界、通称、[幸いの外界]と隔たれている。
そして、地続きである二つの世界を分けるその線は、ただの線ではない。
また、ただの壁でもない。
[マガツイキ]と[幸いの外界]、二つの世界の余りの性質の違いから生まれたそれは、一方通行の境界線だ。
内側より[本線]、[準線]に分けられた[幸災線]は、前者が仕切りの本体となっており、その部分は外から[マガツイキ]に入る事のみを許している。
つまりは、外界の者が[マガツイキ]に入ってしまったが最後、まず脱出は不可能と言うことである。
仕切りの本体ではない、狭間の領域である[準線]ならばともかく、[本線]は一度超えれば後戻りできない。
それは[マガツイキ]が[マガツイキ]になる前、そのきっかけとなるあるもの(・・・・)が発見させる前より、その地に住んでいた者もまた、例外ではない。
加えて、脱出を阻む[幸災線]は完全に[マガツイキ]を包んでいる。
だからこそ、この地は閉鎖地方となっているのであった。
…そんな[マガツイキ]へ今、徐々に近づいていく者の姿がある。
「…」
やや身長の高い青年だ。
尖った髪型の彼は上半身に黒のタンクトップ、下半身に過剰に大きいズボンを纏い、腰には大きな棒を、手には巨大な巾着袋を持っている。
そんな彼は、単身[幸災線:準線]に足を踏みいれる。
周囲には誰もいない。
当然だ。幸せで満ちた[幸いの外界]に住まう者が、わざわざ災いの満ちる[マガツイキ]の近くへ来る必要はない。そもそも、[マガツイキ]が出来てしまった時点で、その目的が、望みが達成されている彼らは、自分達の世界での生活を満喫しており、基本的にかの地には無関心である。
故に、よっぽどのもの好きなど、一部の者しかここには立ち寄らない。
ましてや、この先に後戻りできない境界線があることを承知で進んでいく者など、そうそういるものではない。
…だが、その青年は、まさにそうはいない者の一人であった。
「…ははっ」
彼は笑う。
まるで何かを楽しみにするかのように、紫の地平線を視界に捉えながら歩みを緩めずに進んでいく。
そんな中で、彼は呟いた。
「……もう少しで、始められるぞ?」
その歩みは止まらない。
▽―▽
[マガツイキ]の外周部の中でも、さらに[幸災線]寄りに存在する名無しの小さな街。
そこで発生した光は、その源である奇妙な形の神社へと急速に収束していく。
その直後だった。
「なのですね!?」
突如、若干変な悲鳴と共に神社の中で爆発音がし、同時に軽く煙が上がる。
それに周囲の者たちは軽く驚きつつも、どうせ大丈夫かと言い(・・・・・・・・・・)、早々に興味を失う。
そして煙が徐々に晴れていく中、
「…ふぅ。どうやら失敗をしたようなのですね」
神社の半地下で、咄嗟に服で覆った顔以外、煤だらけになった少女はため息をついた。
彼女の目の前には先ほどの陣がある。
だがそれは、まるで火で直に炙られたかのようにその半分が焦げ、消えてしまっていた。
そして、陣の中心にあったものは弾け飛び、跡形もなくなっている。
少女の言葉通りに、明らかな失敗の現場であった。
「…鋏が飛んできても、ここに刺さっただけで済んだのはやっぱり、不幸中の幸いってことなのですね」
吐息し、少女は爆発で折れた錫杖を手放し、床に座る。
その右後頭部には、赤紫色をした粗い質感の植物らしきものが生えている。
そして、葉が先端に向かって巻かれたように細くなっているそれには今、先ほど陣の中心にあった鋏が刺さっている。
少女はそれを抜くために手を伸ばし、一息で引っこ抜き、錫杖の隣に落とした。
「…ふぅ。一発で上手くいってくれればよかったんですけど。残念なのですね」
陣を見ながら少女はそう言い、小さな穴が開いた後頭部の物体を摩る。
それは彼女がこの[マガツイキ]の住人、[マガヒー]の一人である証だ。
この地の住民なら誰もが、形は違っても体のどこかに必ず生やしているそれには、大きな傷はない。そのことを確認した少女は、息をついて立ち上がる。
「この程度まぁ、放っておけば一日で治りますですね。…服の方は、まぁ煤掃って洗濯すれば、なんとかなりそうなのですね」
端からあまり心配していなさそうな様子を見せていた彼女は、名をミコ・フチュサと言う。
この奇妙な見た目の神社の巫女であり、唯一の住人である彼女は、軽く体の煤を祓い、ダメになった陣から視線を外す。
「とりあえず着替えてから、また準備のし直しなのですね」
前向きな雰囲気でそう言って、ミコは陣のある部屋から出、地上へ繋がる縦階段に足を踏み入れる。
その中で、彼女は思う。
(…この[マガツイキ]に満ちる奇妙奇天烈な災い、[奇災]の全てを祓う。その大事業の前では、たかが一つの失敗で立ち止まっていてはいけないなのです)
階段を上り始める彼女が、内心で言及する[奇災]。
それはこの[マガツイキ]に十年以上前から常に複数、各地で発生している、おかしいにも程がある内容の災害の事である。
明らかに自然の範囲を逸脱し、誰かの意思が働いているとしか思えないような内容のそれらは今、この[マガツイキ]の各地を襲い、日々住民たる[マガヒー]を苦しめている。
具体的な例としては、先刻彼女が言っていたように、転んだ瞬間に尻から火を噴き、空中で高速横回転することになるものや、巨大な流しそうめんに吸い込まれ、巨大麺と共にどぶ川に流されるなど、である。
そんな異常災害と共に[マガヒー]達の生活はあり、ミコはある理由からそれをどうにかしようと思い立ち、今、動いているのであった。
「…今、この街には[奇災]がしばらくは発生していない。そのうちに、なのですね」
ミコの神社がある街は現在、幸いにして[奇災]に見舞われてはない。
以前に小規模なものが発生したことは何度かあったが、ここ最近は落ち着きを見せていた。
何か重要なことを行うなら今をおいて他にない。
もしこの機を逃せば、大事なことを行っている最中に内容の予測などできない[奇災]によって、全てを台無しにされる可能性がある。
それを避けるために、ミコはまず、ただちに着替えを済ませに行く。
「…さて、早々に地上です」
言葉と共に、ミコは手狭であった階段を登り切り、地上へ出る。
そうして彼女の視界内に広がるのは、地下の六倍ほどの、苔むした石と背の非常に低い草で構成された四角い庭園だ。
階段の入り口、そのすぐ近くに小さな本殿を構え、四方を門のように鳥居で囲ったそこは、落ち着いたデザインに加えて他に誰もいないことも相まって、非常に静かな雰囲気をしている。
ミコはその雰囲気の中、見慣れた本殿内へ入り、すぐに自室へと辿り着く。
「…すぐ着替えて再準備。ですね」
ミコの部屋は全面木張りの、落ちついた色調の四角い部屋だ。左端に衣装棚を置き、奥には机が、右の壁に横長の窓がついたそこの入り口で、彼女は着ている巫女服を脱いでいく。
その中で、ミコの目にあるものが止まる。
それは、机の上に乗った巻物だ。
彼女はそれを見、思う。
(幸不幸を司る神を祀るここ…。私の神社に代々伝わり、亡くなったお父さん達が残したもの)
今から五年ほど前に、病弱だったミコの両親は他界してしまっている。
それから彼女は、誰もまともに参拝などしない廃れ気味のここで、基本的に一人暮らしてきている。一応、稀に父の実兄であり、本来の神主でありながらここを弟に任せている叔父が、大丈夫か様子を見に訪れることはあったが、やはりミコは一人暮らしが基本となっている。
そして、そんな彼女に両親が残したものの一つであり、最近ミコが倉庫から引っ張り出してきたのが、今彼女の目の前にある巻物であった。
(…神を降ろす方法を、書いたもの…)
書かれているそれは、ミコがやろうとしていることに繋がるかもしれない。そのために、彼女はその内容に従い、先ほど失敗した、儀式のようなものを行っていた。
「『住まう地が禍つ地となったとき、この先の指示に従い、神を降ろすがいい。全ての災いを祓い、世界を正しき形に戻すために、その力は使い手と共に振るわれる』ですか…」
ミコは巻物の序盤、前書きとして書かれた内容を思い出す。
そして、言う。
「…この先に書かれていることはもしかしたら。[奇災]、その原因たる[災塊]を曝け出すことに繋がっているかもしれない」
上半身を下着姿にしたのに引き続き、黒ずんでしまっている袴を地面に降ろしつつ、ミコは思う。
彼女が言及する[災塊]、それは彼女の言う通り、[奇災]の原因ではある。だが、その言葉はこの存在の一部を表したに過ぎない。
では、[災塊]とは何なのか。
それは。
([災塊]…この世界の全ての不幸、災いと呼ばれるものの原因…)
そう。彼女が言う通り、[災塊]とはこの世界におけるありとあらゆる不幸、災いの原因となる球体状の存在だ。
意志がなく、ただそこにありながら、基本的に知覚することも触ることもできない。
そのために、この存在は近年まで誰にも知られておらず、そのままであるはずだった。
だが、[マガツイキ]が出来てしまう二十年ほど前、それはあること(・・・・)によって偶然にも見つかることとなる。
そして、たった一つの見、触ることができるサンプルから始まった研究によって、[災塊]を見、触る方法は確立される。さらに研究が進んだことで[災塊]は世界に一定数、散らばって存在し、活性化することで不幸や災いを引き起こす、決して壊せない世界の構成要素であることが、時間をかけて暴かれるに至った。
そして、そのことを知った、現在の[幸いの外界]の住人たちはあることを考えるに至る。
[災塊]は結局壊せなかったが、それらを一か所に集めれば、そこ以外は不幸も災いもない幸せな世界になるのではないか、と。
その考えがある程度広がった時こそが、[マガツイキ]誕生の始まりであった。
当時は[マガツイキ]の名はなかったこの地を囲う、全ての地は裏で結託し、[災塊]のことをこの地に知られないように情報封鎖した上で、密かに世界的な[災塊]の移動を開始した。
自分たちが幸いでありたい。ただそのために、この地を生贄にしたのである。
そうして数年をかけ、この地には異常な数の[災塊]が運び込まれ、この地には災いが満ち始めた。
さらに、他の地からほぼ全ての[災塊]がなくなったのに対し、この地にだけは密集してあることで二つの世界には大きすぎる性質の違いが生じ、それは[幸災線]の発生を誘発した。
こうして[マガツイキ]は今の閉鎖された形になっている。
そして、その中にかなりの高密度で閉じ込められた[災塊]達は、同時に活性化し、相互に影響を及ぼすことによって今までにない形の災いを発生させることになる。
それこそが、今[マガヒー]たちを苦しめ、ミコが解決に挑もうとする[奇災]なのであった。
「[奇災]を解決するためには、活性化した[災塊]を叩いて鎮静化しなければならない…」
[マガツイキ]が出来上がる前後、外界の、良心が痛んだ者たちによって、[マガヒー]達は[災塊]の情報をある程度は得ていた。
[災塊]を見、触るための方法についての情報はついに知ることはできなかったが、 [災塊]は叩かれることで鎮静化し、活性化によって起きていた災いが収束するということは知ることができ、今やミコ含めた多くの[マガヒー]がそのことを知っている。
「…後は、触る方法を得るだけ。そして、それに繋がる可能性が少しでもあるならやらなければならないのです、私は」
着替えを終え、強い使命感を帯びた雰囲気と共に、ミコはそう言う。
「着替えは終わりましたなのです。では、もう一度やりましょうか」
言って、彼女は部屋から出、準備のために歩き出す。
「…必ず、[奇災]解決の手段を、手に入れるのです」
(私こそが、やるべきだと思うのですから)
そうして、強い彼女の意志と共に、その足は床を踏みしめた。




