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六人の子供たち

 頭がぼーっとする。体が揺れている。時折聞こえる砂利を踏んでいく音 。頭が痛い。考えることを放棄したくなるほどの頭痛。しかし冷静になることは辛うじて出来た。ただ、自分がいま何処にいるかわからない、どこに向かっているのかもわからない、今より前の記憶がない。ひとつわかることは誰かが自分をどこかへ運んでいるということだけ。幸い、体は自由に動かせるようだ。しかしこんなにも暗く、自分の手元さえはっきり見えない空間でものを認識することはできない。試しに立とうとしてみたが揺れと頭痛によりあきらめた。今は少し横になっていよう。

 全身が汗で濡れているせいで不快感がする。頬触ると皮脂が出ているのを感じた。自分の皮脂だからそこまでの不快感は感じないものの、指が少しべたべたするのは気持ち悪いと思い、履いていたズボンに擦り付けた。とりあえず今は五感に頼ろう。しかしこの場合、光というものが全く機能していないので視覚には頼れないが。

 匂いはしない。全くの無臭と言ってもいいだろう。無臭の空間なんて存在するのか、と思うがやはり何の匂いもしない。自分の体に鼻を近づけると少し汗臭いだけだ。何か聞こえるだろうか。耳を澄ます。やはり砂利を踏む音。ということはあまり整備されていないようなところを走っているのだろう。人の話し声や動物の鳴き声、クラクションや電車が通る音なども聞こえない。音がない空間だ。あたりに手を伸ばす。光がない空間のため何かあったとしてもそれが何かまでは分からない。現状自分の周りには特別何かがあるわけではなさそうだ。傍から見た自分は少し何かを抱えている人、と思われてもおかしくない挙動をしていることだろう。最後は味覚…。味わうものなんて少なくとも私の近くにはない。この際だから自分の汗を少し舐めてみた。なんだかまずかった。私以外誰もいないことを願う。視覚について一応述べると何も見えるものはない。目隠しをされている気分だ。暗い場所に長時間いると目が慣れるなんて言う人もいるが、この場は目が慣れないほどくらいのだろう。実際何も見えないのだから。

 また頭痛。頭痛の波が来るたびに頭がグワングワンする。もともと頭痛持ちだったが脳が揺らされるような痛みは初めてだ。どんどん激しくなる揺れのせいでさらに悪化している。さっき舐めた汗を急に気持ち悪く感じる。吐きそうな気分だ。

 しょうがない。今は眠ろう。耐え難い頭痛から逃れるために寝ることを試みた。吐き気がたびたび私の入眠を邪魔してきたが気にせずに寝た。

 悪夢を見た。こんな悪夢。次々に自分の上に土がかけられていく。息が詰まるような気分。まって、まだ生きてる、死んでなんかいない。そう叫びたかったが口にはガムテープのようなものが貼られていた。声が出せない。それなら自分で起き上がるしかない。しかしうまく立ち上がれない。足が使えない。結束バンドか何かできつく縛られている。手も同様だ。自分には成す術がないのだ。頭が痛い。ズキズキ、ドンドンといった具合に痛くなってきた。せめてでも誰が自分を埋めているのか自分の目で確かめなくては。真っ暗な土の中。土のにおいがプンプンする。体に覆いかぶさる大量の土。土をかけているのは、自分だった。

 キキーっと音が鳴る。突然急ブレーキがかけられたようだ。せっかく眠りで頭痛やら吐き気やらを上手くごまかせていたのに邪魔された気分だ。悪夢だったが今の自分にとってはこの現実のほうがよっぽど悪夢だ。何が起きているかわからない恐怖感がここにはある。夢は結局何だったのだろうか。土をかけているのは見慣れた顔の自分。では私の視点はいったい誰のものだったのだろうか。いや、ばかばかしいな。単なる夢に意味を求めているのは時間の無駄だ。自己満足に過ぎない行動だ。最近巷で流行っているらしい夢占いなど果たして効果があるのか。

 それよりも、だ。自分を輸送しているだろう物が止まった。ブレーキの音からしておそらく車だろう。車で運ばれたということは運転手がいる。最も当たり前のことに今気づいた。そうだ、その運転手とやらに話を聞きに行けばいいのだ。なんだ簡単なことじゃないか。そいつがおそらく今回の首謀者なのだろう。首謀者じゃなくとも少しはこの件に関わっているはずだ。さっさと運転手に話を聞きに行こう。だがどうやって出ればいいかわからない。動きは止まったというものの光はつかない。しかしここまで来たら手探りで扉か何かを見つけて出よう。そうこうしているうちに先ほどは気づかなかった取っ手のようなものを見つけた。迷わずそれを引いた。明るい、わけではないが微量な光が差し込んできた。青白く、少し冷たいような光。月の光だった。

 自分はそこでようやく夜であったことに気が付いた。真っ暗な中で何時間も過ごしていたわけだから朝か昼か夜かも判断する材料はなかったのだ。まあとにかく夜でよかったと思う。朝や昼の強い太陽光は頭痛を悪化させるということを知っているから。

 月の光が出ているから多少の方向は見失わずに済んだ。加えて、あれだけの暗闇の中にいたのだから、このぐらいの暗さは平気になっている。自分は迷わず運転席に向かった。屈強な男がいたらどうしよう。逆にか弱そうな女性だったらどうしよう。どちらにしろ自分は穏便に済ませたいのだ。暴力沙汰になるのを望んでいないのはお互い様だろう。

 運転席だ。しかし人が乗っているかも分からない。ここからの角度では運転席の中はよく見えない。運転席に近寄り自分はそっと手を伸ばした。もし急に襲い掛かられても対処できるように力強く地に足をついた。扉は簡単に開いた。中には誰もいなかった。訳が分からなかった。自動運転だったのか?確かに人の話し声や物音などは特段聞こえなかった。自分以外の人間がいたとしてもおそらく一人か二人くらいだろうと思うほどだった。しかし一つの疑問を抱いた。もし、自動運転だったとしても、車に自分から進んで乗るのだろうか。やはり誰かにここへ運ぶように指示した記憶はない。ましてやこんな真夜中に外出なんてしない。…運転手は車を止めた後どこかへ行方をくらましたのだろうか。きっと後ろめたいのだろう。人を一人誘拐しているようなものだからな。運転手が逃げた先を追うかそれとも家に帰るか、二つを天秤にかけた。しかしここまできたのだ。もはやこうなる運命だったのだろう。せっかくの機会ととらえるのも悪くない。しかも逃げたということは素人であったに違いない。手慣れている者なら、きっと違う行動に出るだろう。また、きっとこういう経験は初めてではないのだろうか。そして何か手違いか何かがあって車を乗り捨てることになったに違いない。

 何が起こったのかはもはや問題ではない。だって自分は解放されたのだから。解放されてないにしろこうやって自由に探索もできている。自分は帰ることにした。もうひと時たりともこんな場所に居たくはなかった。夜であるにしろ暑い。服を着ているにしろ蚊は寄ってくる。自分は蚊に刺されたところを搔きながら、車が通ってきただろう道を辿った。

 何かがおかしい。どんどん闇は深くなる。車が止められていた道の真反対を進んでいるが一向に山を下っている気配はない。山だと気づいたのは急な斜面があったからだ。これだけで山と判断していいのかは分からないが、違うと異論を挙げる人もいないのでここは山でいいのだ。道が開けていなかったのも理由としてあげられる。平地であればどんなに田舎でもまだ救いはあった。遭難しているのか。確かに遭難するリスクは沢山あった。自分がどこにいるのかはもちろんわからない。何となくの見当もつかない。道ではない道を進むしかなかった。道がなかったから。車にいたほうが安全だったのかもしれない。自由には代償が付きものとはまさにこのことか。暗くなってきた自分の心をとにかく鼓舞した。遭難が何だ、正しい道を進んでいるのかもしれない、それを自分が否定してもいいのか。そんなことで遭難しているかもしれないと心配する自分の心を隠そうとした。

 意外と自分の試みはうまくいった。道を下っているのか上っているのかは定かではなかったが、車に残っていたほうが正しかったという選択肢だったという考えを捨てることができた。よく考えればそうだ、あのままあそこに残っていたって時間だけが過ぎる、もしかしたら帰ってきた犯人というか連れ去った人物に殺されていたのかもしれない。犯人はよく戻ると言うし。

 しかし進んでも進んでも光景にあまり変化が見られないのはやはり憂鬱なものだった。拭っても拭いきれないほどの汗をかいていた。そんな時だった。ペンションのような建物が目の前に現れた。なんだこれは…。そう思ったのも束の間治まっていた頭痛がまた再開した。こんな状態でまともに動けるわけがない。それにずっと動かしていた足はもう動きそうにない。歩けば歩くほど一定の箇所が痛む。ここに入るか。明かりも灯っていない。しかしどこか小綺麗なペンション風の建物の中に身を潜めた。

 どういうことだ…。建物の中に入ったは良いものの玄関と思われるところには靴があった。五、六人ずつぐらいのものだろうか。やっと一息つけると思ったのに人がいるようじゃそれも叶いそうにない。自分は諦めて出ることにした。もしかしたらこれと似たような建物で人が入っていないものがあるかもしれないと期待を込めて。

 自分は脱ぎ掛けていた靴を履きなおし、出直す決意をした。その瞬間、背後から物音がした。まずい、人にばれたのか。特段盗みや何やらはしていないが、深夜、眠っているところに見知らぬ人が存在するのはあまり嬉しいことではない。また、嬉しい嬉しくないで済めばいい話だが最悪の場合通報だってされかねない。姿を見られる前に出よう。ドアノブに手をかけた瞬間だった。ドアノブが自分の意志とは真反対の方向に動き出した。一瞬意味が分からなかったが、理解した途端、どう対処すればいいか頭の中がパニックになり、そのまま尻もちをついてしまった。

「…大丈夫?」そう声を掛けられたが度々の頭痛と疲労により、とうとう自分は倒れてしまった。

 見慣れない風景だった。部屋には豆電球が付いている。まだ少し頭が痛む。ふかふかの布団に包まれているのに気が付いたのは少し経ってからだった。辺りを少し見渡してみた。物置小屋のような場所でおそらく普段はあまり手入れされていないのだろう。自分の汗と部屋の埃のにおいが混じっていた。モップやほうき、小さいが蜘蛛の巣なんてのもあった。しかし自分には文句を言う気なんてさらさらない。昨夜に比べたらこんなにもいい寝床を用意してもらっているのだから。昨日は固い地面に動き回るような寝床だった。軟禁状態にされている可能性も考えて、少しは危機感を持ったほうがいいのかもしれないが、危機感を持つ余裕なんてなかった。いまはただ安息感とともに寝ていたいのだった。まだ夜は明けていないようだ。その証拠に窓からは暗闇しか見えない。自分は再度眠りにつくことにした。

「大丈夫ですか?」今度は確かにそう声を掛けられた。大丈夫だと返事をしたかったのだが、のどが渇いて声が出せなかった。「あ、水持ってきますね。」相手もそれを察したのか、水を用意してくれるようだった。水を用意してくれるなんていい人じゃないか。何でもかんでもいい人にイメージを結びつけるのは違うと思うがこの場合、嬉しい上に何より助かるものだった。

 こんこん、と扉をたたく音がする。自分は何も声を出せなかったが、相手は「失礼します。」と言って入ってきた。先ほどは気にも留めなかったが、ものすごい美人だ。自分はお世辞にも‘‘容姿が整っている‘‘という形容詞からは程遠く、今の相手と並ぶととても見劣りするものだった。

 出された水を飲む。ここでも特段疑いなどはしなかった。疑う理由も疑わない理由も特段ない。うまい。乾いたのどが潤っていく。きっと砂漠で何日も歩き疲れた人もこのような反応をするのだろう。

 自分は出された水を飲むことでやっと話す気にもなれた。「ありがとうございます。」と一言感謝を述べた。「いえいえ。体調はどうですか。」やけに丁寧な言葉を話す人だった。それが鼻についた。しかし彼女の容姿と釣り合っている言葉遣いだったため、ばかにするような気持ちにはならなかった。不思議と警戒心が説かれていくような気分だった。そもそも警戒心を抱いていたのかもどうか疑問だが。

「体調?ああ、大丈夫です。それよりもベッドを貸してくださってありがとうございます。」自分はまたも礼を述べた。必要な礼は何度でも述べていいのだ。「体調大丈夫なんですね。いえいえ。」必要な会話だけ済ませたら、その場はしんとしてしまった。次は何を話そう。どうも美人を目の前にすると言葉が出てこなくなるようだ。私の態度を見かけたのか、彼女が一言。「下に降りませんか?皆さん居らっしゃいますし。」ここにいるのは彼女だけではないのか。よく考えてみればそうだ。自分のこの重い体を彼女一人が持ち上げたり動かせるはずがない。自分は今までの勝手な自分の勘違いを自覚して照れくさい気持ちになった。彼女は気づいていないようだった。とにかく今は状況を把握するためにも降りようと思った。「はい。そうします。」と答えた。

 中は二階建ての洋館風の広い家だった。見た感じ、部屋は六部屋ほどで自分が寝泊まりしていたのはそのうちの一室のようだった。おそらくその他の五部屋は使われているのだろう。一階に降りるため階段を下りた。降りた先の光景を見るのが少し怖かった。

 降りた先には広いダイニングテーブルと椅子が六脚。部屋の数と同じ数、椅子が用意されていた。そして人々。四人座っていて、自分のことをじっと凝視してきた。それはそうだろう。仲間と暮らしているところに自分のような人間が突然やってきたのだから。自分もじっと見返した。左から順に女、女、男、男。そして自分と自分を案内してくれた彼女。おそらく自分 。。を除いた五人でここで生活しているのだろう。自分はぺこりと言った感じでその場で一礼して、彼女に案内された椅子に座った。まるで自分のための椅子みたいだ。ちょうど人数分の椅子が埋まった。五人で暮らしているにしては広い家である。それに加えて彼らは…なんというか見た目が幼い。まるで養護施設といった具合だ。

「で、この人結局何者か分かったの?」自分のことに関する質問だろう。一番左に座っている女が口を開いた。疑われるのもおかしくない。「いえ…まだお名前すらわかってなくて。」と先ほどの彼女が答える。「名前教えてよ、名前。」とまた左側の女。自分は質問に答えることにした。「田宮です。よろしくお願いします。」 「やっと口開いたね。てか名字だけなの?まあいいけど。」左側の女はずっと喋っている。おそらく自分に関する質問なのだろう。煩わしいから無視をすることにした。

 ここは施設か何かだろうか。宿泊用のコテージか、それとも個人が所有している建物なのだろうか。はたまた自分のように彼らもまたここに迷い込んだ羊なのだろうか。聞いてみたほうが早そうだが、既に人間関係が出来上がっている空間というものは新参者の自分にとってみたら馴染めない空間そのものだった。

「…おーい…さっきから黙ってばっかりだけど聞いてんの?」また左側の女の声だ。男たちは一向にしゃべる様子がなくただこちらをじっと見つめている。聞いてるけど、と返事をした。「じゃあ紹介しま~す。まず私は姫宮ルイ。お姫様の姫に宮殿の宮ね。いつかでっかいお城に住むのが夢なの。そして私の隣に座ってるこの子は私の妹なの。姫宮2みたいなもん。妹の名前はね、ユリ。この子あんまりしゃべらないけどわざとじゃないから責めたりしないでね。そしてあんた、田宮だっけ?田宮をここまで案内してくれたのは金森だよ。金森カナコ。感謝しなさいよね。」どうも左側の女は姫宮というらしい。正直名前と彼女の態度が釣り合ってるようには感じられないし姫宮なんてまるでお姫様みたいな名字は聞いたことない。偽名か何かだろう。妹は一切口を開かず男二人同様にこちらを見つめるだけだった。…この場合、偽名か本名かなんてどちらでも構わないが。そして自分を案内してくれた彼女の名前は金森カナコというらしい。姫宮もカナコも同じ年くらいだろう。この中だったら自分含めて姫宮の妹であるユリが一番幼かった。確かにそれに似合っている風貌だ。残る男二人の名前はケンジとハヤトというらしい。名字は名乗られなかった。ケンジと思われる人物の方が説明をした。ケンジは見た目のわりに声は幼いといった印象で、ハヤトの方は年齢相応といったような感じだった。普通、年長者であろうハヤトが説明するべきだがと思ったが二人の関係性、いや五人の関係性や力関係は全く知らないのでこの件に関して考えるのはやめた。

「田宮ってなんでここに来たの?起きた時に田宮の存在、カナコに聞いただけだから。」 「いや、それが正直よくわからなくて。」自分は自分のことを馬鹿だと思った。目的があって集っている者たちの中にこんなバカが存在するなんて、とだれもが思ったことだろう。「俺たちと一緒か。」男の声がした。おそらくケンジの方だろう。一緒?どういうことだ。彼らもまた自分のように彼ら自身の意志でここに来ていないということなのか。「どういうこと?皆お泊りやら何やらでここに集まっているわけではないの?」自分は思ったことをそのまま質問した。「うん…。そうだけど何?」姫宮が答える。勿論、答えるのは姉の方だ。そうだけど何…って。質問に答えられてないような気分がした。まあそれが答えならいいのだが納得はできなかった。「親とかは何も言わないの?ご飯はどうしてるの?」ありきたりな質問をしたが気になってしょうがない。この生活の基盤はいったい誰が支えているのか。「親は別に関係ないじゃん。ご飯っていうか、食料はいつも家の前に置かれてるの。週に一回おいて行かれるの。」どうやら彼らによると、食べ物やその他日用品は毎週必ずどこかの曜日に家の前に置かれるらしい。誰が運びに来ているのかを確認するため一人一夜ずつ監視したこともあるそうなのだが、結局分からずじまいなのだそうだ。料理は基本女性陣が行い、男性陣はというとこの辺りの散策を行っているらしい。自分たちの置かれている状況、自分たちをここにやった第三者の目的などを探るための散策だそうだ。しかし話を聞いているうちに彼らの状況が悪いものだとは思わなくなった。食料の安定的供給に加え毛糸や裁縫セットや本などの時間をつぶせる道具だって送られてくるのだ。送られて来た洋服、と言って彼らが来ている服は決して安っぽいものではないし、彼らには十分なお金がかけられているようだった。粗末な扱いはされていないようだ。「正直俺らもここの生活に満足してるんだ。ここでの生活は何不自由ないものだからな。」ようやくハヤトの方が口を開いた。確かにここでの生活は何不自由ないものだろう。「でも時々俺さ、考える。いつかこの生活が突然奪われたら?俺らはこの生活に依存しているだけなんだ。誰かは分からないけど養ってもらってるんだ。ただいつまで養ってもらえる?いつまでここで過ごす?歳とってジジイ、ババアになっても誰かに養ってもらわないと俺らは生活できないのか?そんなの俺は嫌だね。だから毎日この家の周りケンジと歩き回って少しでも状況得ようとしている。」ここで生活を送ることは充実感と同時に彼らに不安を抱かせるのだろう。周りの彼らは黙ったままだったが、否定はしないようだった。「ここに来た理由は?ここまでの道中の出来事は?いつ頃ここに来た?」自分は思いついた質問をそのまま彼らにぶつけた。彼らは皆、ここに来た理由も目的も、どうやってここまで来たかすらも覚えていないそうだ。いつ頃ここに来たかというと初めがカナコ、次にケンジ、そしてハヤト、姫宮姉妹、最後に自分、の順番だそうだ。カナコは大体一か月前に来たらしく、掛けられたカレンダーに来た日であろう日付に赤い丸がされていた。「私たちあんまり役に立たないかも。ごめんね。」 「いや、大丈夫。そういえば皆ここに来たときはどんな感じだった?自分の場合玄関で倒れてしまったけど。」皆各々ここまでの行きつき方が違うはずだ。カナコが答える。「私は気づいた時にはもうこの家にいたの。一番初めにここにたどり着いて、ケンジが来るまでしばらく一人だったから寂しかったよ。寝てたら家のチャイムが鳴らされて、チャイムに出たらケンジが立ってて、ハヤトも同じ感じかな。姫宮ちゃんたちに関してもそう。皆ここを訪ねてきた感じ。私に関しては…ごめんなさい。ここまでの記憶が無くて。」それは自分も同じだ。ここまでの道中の記憶は激しい頭痛により途切れ途切れなものであり、あてになるものではない。「そういうことで私達が今、田宮さんに教えられるのはここまでかな。」 「十分だよ。」自分含めて六人分の記憶がここには存在しているが頼れるものは何一つなかった。振出しに戻ったことを実感した。「これからどうすんの?」姫宮が問いかける。これから行く当てもない自分を心配してのことだろう。「自分もここら辺を散策してみようかと思う。何か得られるものもあるのかもしれないし。」ここまでたどり着いた道のりはもちろん覚えていない。でももしかしたら自分が何か痕を残しているかもしれないことに期待をした。 「無駄だとは言わないけど、あまり期待しない方がいいよ。ここは周りは竹で覆われてるみたいなものだし、方位磁石なんてないから東西南北の位置関係すらわかりはしない。俺たちはいつも縄で互いのことを縛っているから、迷うことはないけど、一人で無装備で行こうもんなら命が危なくなるぞ。行くなら俺たちとだな。ここで一生を終えるのも嫌な話だが、わけも分からない森の中で死ぬのはもっと嫌だろ?死にたくないんなら、俺らの言うことを聞くことだな。」夜には気づかなかったが、たしかにこの辺りには竹が生い茂り、日の光でさえ少しばかりしか入らないようなところだった。方向感覚が狂うのも無理はない。しかし何もしないわけにはいかなかった。自分は一刻も早くここを出る必要があったし、留まるわけにはいかなかった。「無駄かもしれないけど明日にでも散策するよ。その時は二人もお願い。」ケンジとハヤトは顔を見合わせてゆっくりと頷いた。明日にでも、という言葉に違和感を覚えたかもしれないが、自分には明日があるのだ。今日ここに寝泊まりする覚悟も出来ている。彼らが許可するかは分からないがきっと許してくれるだろう。「明日って…何あんたここで寝泊まりする気なの?」姫宮が怪訝そうな顔でこちらを見る。「ああ、勿論。」自分は少し嫌味を含めた顔で姫宮を見返した。

「じゃあ田宮さんはここの部屋でね。荷物は特にないみたいだから大丈夫だね。洗濯は毎日一回、午前十時にするから、それまでにお願いね。お風呂は午後八時にここに来た人の順から入るの。田宮さんは一番最後。毎回前の人が次の人に声を掛けるルールだから。まあ今は田宮さんの次の人がいないから声を掛ける必要なんてないけど…。ご飯は一日三回。七時、十二時、十九時。あとは…特にいうことはないかな。分からないことがあった何でも聞いてね。」カナコはここでの生活のあれこれを大体説明してくれた。家事はカナコ・姫宮姉妹が中心に行うらしい。その時間は自分含めた三人は散策を行う。この家の構造は二階建て。一階にはリビングルーム・キッチン・トイレ・浴室。二階には個室が六室と物置部屋一室。自分は先ほどまで物置部屋で過ごしていたが現在は個室に移っている。彼らの配慮だろう。自分がここから出るには彼らとの協力が必須だ。これからの暮らしが長期化するのかは今はまだ分からないが手伝えることは何でも手伝おう。

現在の時刻は午前十一時。朝食を食べなかったから小腹がすいている。カナコに何か頼んだら貰えないだろうか。自分は階段を降りることにした。「…はい。そういうことで、…お願い。」誰の声だ?カナコか?姫宮ルイか?姫宮ユリの姿が見えた。ただ自分の方をじっと見つめるだけで声を掛けたりなどは何もされなかった。妹の方の声だったのか?それとも中に姫宮姉かカナコがいるのか?どちらにしろその声の主は女であることには違いなかった。まだ声だけでは人を判別できない自分がいた。中をのぞく。中にはカナコとルイがいた。どうやら話し込んでいるようだ。自分についての話だろうか。話の内容は気になるが聞き耳を立てるのは何だか後味が悪くてカナコを待つという名目で壁に寄りかかった。「…まだ…あのことについて思い出す?」カナコの声だ。「いや…今は…気にしてもどうにもならないから…。」カナコの声に答えるルイの声。「ユリちゃん…早く…」そこで会話は聞こえなくなった。そちらに目をやると、むっとした表情のルイが立っていた。「なんか気配がすると思ったのよね。盗み聞きなんてたちが悪いわよ。」 「いや、盗み聞きのつもりはなくて…」必死に弁解しようとしたが無駄だったがカナコが救いの手を差し伸べてくれた。「ルイちゃん。隠すことじゃないんだし、これを機に田宮さんにも話してみたら?会話の内容で察しついてるかもしれないけど。」「絶対話さない。話したら最後どんな目で見られるか分からない。」ルイは意味深な発言をして立ち去った。話したら最後どんな目で見られるか分からないとはいったい何のことだろうか。ルイは普段の調子からは全く異なる雰囲気を持つ喋り方だった。カナコは待って、と声を掛けたがその言葉はルイには届かなかった。「ごめんなさい。普段はもっと明るいのにね。あの調子じゃ今日はご飯一緒に作ってくれないのかなあ。」「人には触れられたくないことの一つや二つあるだろう。それを探ったりなんかしないよ。」「そうだね。それで…私に何か用でもあった?」「小腹が空いてしまって。お菓子か何かないかな?」「あるよ。今取り出すね。」カナコはそう言って棚からお菓子がたくさん入った箱を取り出し、お菓子を選ばせてくれた。クッキーを手に取り自分は自室へ戻ろうとした。「さっきのこと気にしないでね。」ある種の口止めか何かか?と思ったが自分は頷くだけでその場を済ませた。階段をのぼる。古い階段なのか踏むたびにぎいーっと音がする。ふいに個室の方に目をやると、姫宮姉妹の妹の方であるユリが誰かの部屋の前で立っていた。ユリは通常通り何も言わずただ立っているだけだった。極度の人見知りか何かだろうか。自分も幼いころは人見知りをするものだったから彼女の気持ちは分からなくはない。「ユリさん、こんにちは。」少し甘ったるめな声で声を掛けた。ユリは相変わらず無表情のままで声を発さなかったが、そっと腕を伸ばし、ユリが立っている部屋の前に指をさした。「この部屋に何かあるの?」ユリは何も言わない。腕もおろしてしまった。困ったなと思いながらもユリが示してくれたものを解釈しようとした。「ここは誰の部屋なの?」予想はついていたが返事はない。困ったなあ…立ち去ろうか。するとユリはドアの近くへ駆け寄りドアに耳を当てた。ユリの行動はよく分からないものだったが自分もそれを真似してみた。すると微かにだが泣き声のようなものが聞こえた。おそらくルイの泣き声だ。泣きすぎているせいか少し過呼吸気味になっているのが感じとれる。自分は軽くドアをたたいた。「大丈夫?」ルイから返事は返ってこなかった。泣き声が一瞬止むのが聞こえた。微妙な表情の変化だが、ユリも心配そうにこちらを見ている。ユリはルイのことを心配しての行動をとったのだろう。無口だが自然と行動に現れるユリの優しさに自分は少し感心した。「ルイ…さん。大丈夫なら返事をしてほしいな。」自分は精一杯の声掛けをした。自分はこれ以上何をしてあげればいいか分からなかった。するとドアがゆっくりと開いた。そこには目を紅く腫らしたルイがいた。「大丈夫?」自分は二度目の声掛けをした。すると腕を引っ張られ中に連れ込まれた。ユリも後に続きルイの部屋に三人でいることになった。「私が泣いてたこと絶対言わないで。言ったらあんたの首飛ばすから。」「絶対言わないよ。だから腕から手を離してほしいな。」腕を掴むのはやめてくれたが自分のことをまだ睨んだままだった。「私のこと軽蔑してるでしょ…。」「いやそんなことはないけど」軽蔑はしてないがルイが泣いている理由はよくわからなかった。もしかしたら先刻の出来事が関係しているのか?「私の話聞いてたでしょ。カナコと話してたの。」「いやだから聞いてないって。」もういいよ、気を遣わなくてとルイは言うが聞いていないのだから気の遣いようがない。ユリ、こっちにおいでと言い、ユリとルイは手をつなぐ。「この際だから話すけど、あんた以外の皆、私の事情知ってるから特別扱いだなんて思わないでね。どうせ時が来たら話すつもりだったし。私泥棒なの。人のもの盗む癖があるの。勝手に手が動いちゃうの。頭の中ではもうこんなことやめようって分かってるし盗んだ後はいつも後悔してる。盗みを働いた店が何軒も潰れていくのも見てきた。盗みをするために外に出る。最初は親に言われてやってたの。親って言っても片親だったから母親だけだったんだけど…。私の親は窃盗で家庭を養ってた。食べるもの着るもの消費するもの全部盗んだものだった。でも親が捕まって、窃盗の前科持ちだってことが噂になって広がって、家の近くの店舗、全部出禁状態だったから盗みすらできなくなってた。私が近所を歩くたびにあの娘だよ、と指をさされたりひそひそ声で噂をされたりした。盗みができなくなった親は、監視カメラに映らず盗む方法も、もし見つかったとしても子供だから許してもらえるってことを私にすべて教えたの。親が働いて家計を支えればいいじゃんって思った?無駄だよ無駄。働きに出てもすぐクビになっちゃうんだもん。何でかわかる?盗んじゃうんだよ。人の財布とか化粧品とか何もかも。とにかく人からすべて奪っちゃうの。そういう人なんだよ。それにね噂っていうのは本当にすぐ広がるの。親は働きに出ようとしても採用すらされなくなった。次第に親は面接に行こうって考えも失ってしまって、最終的に家族の生活は私の盗みでほとんどを支えてた。ユリが四歳になって一緒に盗みに行くように言われて二人で盗みに行くようになった。二人の方が効率がいいって考えたんだろうね。実際そうだったし。私は盗みの全てをユリに教えた。私は一回以上行ったことのあるお店でしか盗みはしないのよ。監視カメラと商品棚の把握をするためにね。二人もいれば効率も上がる。一人が盗んで、残った一人は盗んだものをバッグに入れておけばいいんだから。店舗にトイレがあるならトイレも有効活用できる。私が服の中に商品を隠して、ユリをトイレで待たせて盗ってきた商品を渡せばいいだけだから。ユリは店舗を経由する必要がない。トイレについている小窓から出入りができるんだから。トイレには監視カメラもないしね。でもユリに盗みを実行させるようなことはしなかった。手を染めるのは私だけでいいの。…盗みをした日はすごい褒められたの。盗んできたもののうち一つを自分だけで食べられる特権が与えられるの。変な話だよね。私が盗んできたものくらい私が好きなように配分してもいい気がするんだけど。家に帰る前に食べちゃうっていう手もあったけど何だかそれはやる気になれなくて。人に与えてもらうのが好きなのかも。失敗したことだってあった。ある日、どうしても瓶に入ったジュースが飲みたくていつものように盗ったんだけど、ユリに渡すためトイレに運んでいる途中で落としちゃって。瓶だったから破片が飛び散って、ジュースで辺り一面濡れて、どうしたらいいか分からなくなった私は逃げたんだよね。その場から。盗んだ商品もユリも置いて。それがいけなかったの。この子…ユリは偉いからさ私をずっとトイレで待ってたの。ずっと。私は失敗したことを親に怒られることが怖くて怖くて…家に一人で帰って布団の中でくるまってた。その時親はちょうどいなかった。男遊びか何かしてたんじゃないかな。とにかくすぐには怒られずに済んだ。何時間も怒られることへの恐怖に耐えた。数時間経った後だったかな、家のチャイムが鳴ったの。親にはいつも出るなって言われてたんだけどユリが帰ってきたような気がしてのぞき穴も見らずにドア開けちゃったの。警察だった。警察とユリが立ってた。警察は優しそうな顔をしてたけど内心怒っているのがよく分かった。ユリは目を赤くしてた。きっと泣いちゃったんだろうね。お話聞かせてもらえるかなって言われて家から離れることになった。何日もよく分からない場所で過ごした。その間、ユリと二人きりだったのが救いだった。一人だったらとても耐えられそうになかった。ただ私、ユリを詰問してしまったの。警察に何を話したの、なんで警察が家にやってきたのって…。ユリは自分の身に何があったのか、そして自分が警察に何を話したのかを全部打ち明けてくれた。私はそれを聞いた瞬間に何もかもを失った気分になった。盗みがばれた。もう盗みを働いていた店舗には行けなくなる。警察にもマークされる。また近所の人に噂される。親と盗みだけで築いてきた信頼関係がなくなる。私はユリを責めた。何時間も何日も。全てをユリのせいにした。何で警察になんか喋ったんだって、お前のせいだって…。そうしたらユリ、その日を境に喋らなくなった。表情も固まったままになった。話しかけても何も答えようとはしなくなった。ユリ…よく笑う子だったのに…私のせいで…。ユリ…きっと私を責めてる…。」ルイは身の上に起きた事を話して、またわんわんと泣いた。ユリは表情を何一つ変えずただルイと手をつないでいた。自分はどう反応するべきか分からなかった。慰めるべきか叱責するべきか分からなかった。明るくてどこか冷たい彼女の本当の姿を知った気持ちになった。ルイの勘違いで始まったこの話は自分の想像のつかないところで着地した。ルイが泣いていたのも自分を責める気持ちからだろうか。今は問うことはできなかった。しかしユリはルイを責めているようには思えなかった。ユリの不思議な行動は、泣いているルイを心配してからのことだったのだろう。ユリはルイと手をつなぐことも嫌がらなかった。ユリは…ルイを憎んでなんかいないのだろう。しかしそれにルイが自分で気づくのにはまだ時間がかかりそうだった。ただ自分には一つ、いや二つ引っかかることがあった。「泣いてるところ申し訳ないんだけど…なんでカナコやケンジ、ハヤトに話そうって気になったの?」「今聞くことなの?…だからさっきも言ったじゃん。癖なのよ。癖だから無意識的にしちゃうのよ。全員の部屋に盗みに入ったわ。欲しいものなんて何一つなかったけど。田宮がここに来るまでに一度カナコにばれたのよ。カナコは私のこと責めなかった。でもこの件には皆に話してほしいって言われたから田宮以外に話したの。自分からこんな話、得意げにするわけないじゃない。二度もこんな話をするなんてもうこりごりだわ。だったら盗みなんてしなきゃいいじゃないってね。本当に笑えてくるわ。」そうだったんだ、と自分は返答をしたがこれ以上に言葉が出てこなかった。彼女がこの話をしたがらない理由も頷けた。盗みを一度した人には少なからず盗みをする人としての印象が紐づいてしまう。彼女が一番そのことを理解していたのだろう。自分はこれ以上気まずくなる前に最後の質問をした。彼女の母親に関する質問だ。母親はどこへ行ってしまったのだろうか。「ちなみに母親はその後どうなったの?」自分は意を決して質問をした。「知らないけど餓死でもしたんじゃない?親がどうなったか知らないうちにここに来たから。とにかく親のことはもう忘れたい。親がいなかったら私、盗みなんて絶対にやってなかったからね。」最後は半ば強引に会話を打ち切られた。親の影響によって盗みをやったのか。親からの命令でやっていたものがいつの間にか習慣化してしまう人間の行動の影響力に驚かされた。最後に一言声を掛けられた。「別に私だけじゃないから、ここにいる皆だってそう。言わないだけで何か抱えてるんだから。」早く部屋から出て行ってと言わんばかりの顔をする彼女を横目に自分は部屋を出た。ユリはただこちらの方を見つめるだけだった。

クッキーの破片が床に散らばる。あれだけ空腹だったのにクッキーさえ喉を通らなくなっている。姫宮の境遇に胸を痛めるというよりかは、姫宮本人からは感じ取れない闇に触れ、驚いている。それに最後の姫宮の言葉がどうしても気になる。ここにいる彼らも、とはカナコ・ケンジ・ハヤトも彼女のような事情を抱えているのだろうか。あれだけ平気そうな顔をしている彼らもそうなのか。ケンジ・ハヤトはおろか、カナコからはそのような雰囲気は一切感じ取れない。この場合聞いてみたほうが早いかもな…。時計が十二時を指す。自分は立ち上がって、リビングに行くことにした。空腹ではなくなってしまったがタイミング的にもかえってちょうどよい。階段を下りて用意された席に座る。ケンジとハヤトが先に来ていたようだ。「田宮、お前も散策に行くか?」ケンジに声を掛けられた。自分は少し悩んだが、折角なので行くことにした。家の中で過ごすにしては姫宮のことが気になるし、特段やることもないので暇を持て余すよりかはいいだろうと思いからだった。ケンジとハヤト、そして自分の三人で散策に行くことになった。一人で行くのは避けたかったから誘ってもらえたのは都合がよかった。ハヤトが立ち上がりキッチンの方に行く。カナコに献立の内容を聞いているようだ。対してケンジは椅子に座って窓から森の方を眺めているようだ。リビングには大きな窓が一つ備え付けられていてそこから森の様子がうかがえる。先刻は気にする余裕がなかったが、森の様子はやはり暗く、そして深いものだった。「田宮、お前も気になるか?」「何のこと?」森の様子を見ていたらケンジに突然声を掛けられた。「森だよ。森。お前今見てたじゃんか。」「…ああ、気になる。この森どこまで広がってんだって。」「知らないけどな、俺たち散策の時に竹にバッテン印つけてるぜ。そうしたら道にも迷わないで済むし、どこまで進んだかっていうのが分かるだろ。俺たちも何も考えずに散策を行ってるわけじゃないんだ。ただここは光が入ってきにくいから印が役に立たないこともある。今日は散策したところまでロープを括りつけようと思ってる。」自分は山登りなどの経験や知識を持ち合わせていないため、どう反応すればいいか分からなかった。ケンジが実行しようとしていることが無意味などは思わなかったが、はたして意味があることなのかどうかはよくわからなかった。良いと思う、とだけ答えて自分はまた窓の外を眺めた。竹は伸びに伸び上がってこちらの視界さえ遮る。自分がこの家までどうやって来たか不思議でしかない。導線か何かなければきっとこんな場所たどり着けない。それか運が特別よかったのか…。冷静に考えてみればどうすればここまでたどり着く?正直、運だけではここにたどり着けない何かがある。この上ない限りの強運の持ち主でも難しいのではないか。実際に森に出たことはないから何も言えないが、よく自分はあれだけの頭痛を伴いながらもここまでやってこれたように思える。案内札があったわけではないし、道が作られていたわけでもない。はたまた誰かに連れて行ってもらった記憶もない。自分は思い出せるだけのことを思い出したが、それでも思い浮かぶものがこれといってなかった。

「…田宮さん。」自分はわっと声を挙げた。名前を呼ばれているのに気づかなかった。何?と振り返るとカナコが立っていた。「姫宮さんのところまで料理運んでくれないかな。私はこっちで準備しないといけなくて…。待っても来ないから今日は皆で食べないみたい。でもきっとお腹をすかせていると思うの。だから彼女のところまで持って行ってくれない?」自分はカナコの頼みを快諾し、姫宮のところまで料理を運ぶことになった。ここでの姫宮は姫宮姉妹のことを指すのだろう。プレートには二つの皿が用意されていた。自分はこぼさないようにそっと運んだ。なぜカナコが自分に頼んだのかは分からないが、こちらが暇そうだったのに加えて、やはり先刻の出来事が関係しているようにしか思えなかった。ただ料理を運ぶ役目はそれほどまでに大変な仕事ではないし、文句を言うつもりなんて一切なかった。プレートを床に置く。前も似たようなことをしたなと思いながら、コンコンとドアを鳴らす。勿論返事はない。返事返ってくるはずないよな、なんて思い、ここにご飯置いておきますからね。と一言声を掛けた。その後も特に返事が返ってくることはなかったため自分はリビングの方に戻ることにした。





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