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【短編小説】雨上がりの街

作者: 青いひつじ
掲載日:2025/10/26


京都の北の方。魚が美味しくて、自然に囲まれた、夕焼けが美しいこの街。

電車の扉が開き、吹いてきた風が心の隙間を通り抜けていった。

大切な場所だけど、重たい荷物を抱えたような、そんな気持ちにもなる街。


(ゆい)ちゃん、来てくれてありがとう』


晶子(あきこ)さん、お久しぶりです」


『相変わらず、べっぴんさんやね。さ、あがってあがって』


玄関は、近くにある万願寺とうがらし園の匂いがする。廊下を抜けると、ほのかな香煙が私を出迎えた。


一本の線香を手に取り、火をつけ、手を合わせる。

写真に映るのは、17歳のままの大好きな人。



(はる)と私は幼馴染だった。

転校したばかりでクラスに馴染めなかった私に、最初に声をかけてくれたのが晴だった。仲良くなってからは家が近かったこともあり、よくふたりで遊んでいた。


小学生の頃は、毎年一緒に近所の花火大会へ行った。晴が迎えにきてくれて、山を少し登ったところにある穴場へ連れていってくれた。


学校の行き帰りはいつも一緒だった。

中学に入ってすぐ、私の上履きが片方なくなったことがある。晴と私の関係をよく思わない女子たちからの嫌がらせだった。その事件以降、私は晴と一緒に帰るのをやめた。

ある夜、チャイムが鳴り扉を開けると、晴が立っていた。


『これ』

そう言って晴が差し出した袋の中には、洗濯され、きれいになった私の上履きが入っていた。私はその袋を抱きしめて、途端に涙が出て、晴にありがとうと伝えることができなかった。それでも晴は何も聞かずに、私の背中をそっと撫でてくれた。


高校生になってからは、私が晴を花火大会に誘うようになった。初めて誰かのために浴衣を着て、慣れない手つきで髪を結んで、バイト代で買った赤いグロスを塗った。でも晴は、花火でも私でもなく携帯ばかり見ていて、その瞬間なぜか心が痛くなったのを今でも覚えている。

ただくだらない話ができるだけで幸せだったのに、晴への気持ちはどんどん欲張りになっていった。


「晴、私のことどう思う?」


『何が?』


「その‥‥女性として?」


『ちびころ』


「‥‥私、犬じゃないのよ」


『知ってる』


「もーいいやぁ。こりゃ10年かかるかもだぁ」


『だから、何が?』


思い切って聞いたこともあったけど、はぐらかされてしまったっけ。それでも、市民病院前の桜並木を歩くふたつ影をずっと見ていたくて、それ以上踏み込むことはしなかった。


『唯ちゃんは、大学卒業してからずっと東京?』


「はい。就職して、今も東京で働いてます」


『そおかぁ、東京やったらかっこいい人もたくさんおるやろぉ』


「いやぁそれが、なかなか出会いがなくて。もう27なんで真剣に考えないとなんですけどね」



いい人がいなかったわけではない。それでもブレーキをかけてしまうのは、心に住んでいる彼が、いなくなってしまうのが怖かったからだろうか。



『実はね、今更やけど唯ちゃんと晴が付き合えばいいのになんて思ってたんよ』


「え!なんでですか?」


『あの子ぶっきらぼうやし、ちゃんと性格まで理解して受け止めてくれる子は唯ちゃんしかおらんって。まぁ唯ちゃんにとっては迷惑な話かもしれんけどね』


「でも、結構モテてましたよ。なんだかんだ頭良かったし、何考えてるか分かんないところがいいって女子の間でよく噂してました」


私も、好きだった女子のひとりである。


「あ、そういえば、晶子さん引っ越すんですか?」


『ん?なんで?引っ越さんよ』


「玄関のとこにダンボールがたくさんあったんで、もしかしてと思って」


『あぁ。あの子の部屋も少し片付けようと思ってね。前は入るのも怖かったんやけどね』


『そうそう』と言うと、晶子さんはひとつのダンボールからノートを取り出した。


『晴の鞄からノートが出てきたんやけど、字が綺麗なのがあってね、これ唯ちゃんのノートじゃないかな』


それは、晴に貸していた古典のノートだった。水に濡れたのか、少しふやけている。


「うわ、懐かしいです。古典の時間毎回寝てたから、よく貸してたんです。」


『あらやっぱり、あの子ったらほんまだらしないから、返すのに10年もかかちゃったわね』


ノートを開くと、右下にいくつもの絵が連なっていた。晴としていた絵しりとりだ。


「晶子さん、見てくださいよこの変な絵」


『なぁにこれ。絵しりとり?』


「やっとノート返ってきたと思ったら変な絵が描いてあって、貸す度にやってたんですよ。懐かしい」


久しぶりに見た晴の絵は、私をあの桜並木へと簡単に連れ戻した。



「晶子さん、ありがとうございました。久しぶりに会えて、元気な顔見れて安心しました」


『唯ちゃん、またいつでも来てね』


どんなに悲しくても、いつか思い出になる日がくる。綺麗事ではなく、本当にそう信じているけど、今も、何かやり残したような日々を過ごしている。



街灯を辿って坂を下っていく。頬を冷たい風が撫でて、少しするとポツポツ雨が降ってきた。


「寒いなぁ」


あの日も、こんな冷たい風の吹く雨の日だった。


10年前、卒業式の前夜。

ノートを返したいからと晴に呼び出された。4月から晴は京都の大学へ、私は東京の大学へ、私たちは別々の道を行く。長い間蓋をしてきた気持ちを話そうと思っていた。


しかし、どれだけ待っても晴が約束の場所に現れることはなかった。


その日の夜に電話があった。

車通りの多い交差点。飛び出した子供を庇った晴は車に撥ねられた。病室に向かう階段の途中で晶子さんの泣き声が聞こえて、私はその場に立ちつくした。

伝えたかった言葉は、今も両手にぶら下がったまま。



坂を下ってすぐの公園。あの日の待ち合わせ場所だった公園。昔、晴とよく遊んだ公園。ブランコに揺られ、私は古典のノートを開いた。


「ほんと、ひどい絵」


りんご→ごりら→らくだ→だるま……


「これ絶対ラクダじゃないでしょ」


‥‥きゅうり→りか→かもめ


「てか寝すぎ。真面目に授業受けなさいよ」


めだか→からす→すいか→かお


「晴……どこにいるの」


おかゆ→










ゆいがすき






これは雨だろうか、私の涙だろうか。

文字がゆっくりと滲んでいく。


「10年もかかんなかったじゃん」


少し暖かくなった風が、私の頭を撫でた。

涙が止まらない私を、晴が優しく撫でてくれたように。


「大丈夫‥‥頑張るよ」


どんなに悲しくても、思い出になる日が必ずくる。

心からそう、願っている。





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