平凡な第一王子は聖女に嵌められた
「きゃっ!? いったぁ〜い」
廊下を歩いていると、曲がり角で女の子と打つかった。彼女は、ぺちんと尻もちをつく。ピンクブロンドの髪をした、愛らしい顔立ちの女の子だった。茜色の制服の胸元には、一年生を意味する赤いリボンがある。
「廊下は、走ったら駄目だよ」
そう、一言注意して女の子を避けて僕は廊下を進んだ。
冷淡だって? いいや、打つかって来たのは彼女の方だし、第一王子である僕が疵瑕もないのに謝罪することは出来ない。
「おはようございます殿下、本日もギリギリですわね。新入への挨拶は、おっしゃられた通りに、わたくしが務めさせて頂きましたわ。新入生の方々も殿下を拝謁出来ずに、さぞ残念だったでしょうね。」
嫌味を丁寧な言葉で着飾って話すのは、僕の婚約者兼任お目付け役であるソフィーリアだ。ピンと伸びた姿勢に美しい顔立ちは、気品に満ちている。美しい銀色の髪に透き通るようなブルーサファイアの瞳は、一見冷たい印象を持たれやすいが、努力家でとても世話焼きだ。
「ソフィーリアの挨拶は美しいからね、新入生たちも喜んでいるよ。ありがとうソフィーリア、今度の茶会には君の好きな、ファゼッセのマカロンを持っていくよ。」
「…あら、忘れないで下さいね? なるべく、予約も取るようにして下さい。いくら王族権限とはいえ、毎回ともなれば外聞きが悪いですもの。」
「善処するよ」
「…まあ良いですわ。エスコートしてくださる?」
「…仕方ないね、わかったよ」
「そこは、喜んでと仰ってください。」
「喜んでエスコートするよ、ソフィーリア。さぁ、お手をどうぞ?」
「最初から、そう仰られては、如何ですか? 二度手間でしょうに」
「少しでも手間を省けられる可能性があるならば、僕は命を賭ける」
「その情熱を立派な王子になる為に、向けらませんの?」
「僕がそんな事をすると、本気で思っているのかな?」
「いいえ、思いませんわ」
ソフィーリアは呆れたように小さくため息をつくと、僕の差し出した手を取って教室に入った。教室は固定席なので、僕とソフィーリアはそれぞれの席へ腰掛けた。
「またソフィーリア様に押し付けたのかよ」
隣の席の僕の友人でありオルガンが笑いながら声を掛けてきた。
「そうだよ、今回の対価は」
「ずばり、王家御用達の宝石店アッテルのペパーミント色のエメラルドのネックレスだろ!」
「ファゼッセのマカロンだよ」
「あぁ━━!! それ、それも思ってた!悩んだんぞ!? でも今はネックレスの方が流行の最盛期で、ファゼッセは下火に……あっ、そうか! ファゼッセはソフィーリア様の実家から遠かったよな、だから流通が行き届かなかったのか!?」
「いや、知らないけどね。答えはソフィーリアに聞くといいよ。」
「そうしてくる!…………ソフィーリアさま、お尋ねしたい事が……」
オルガンはガタリと席を立つと、後方でソフィーリアに呼びかける声が聞こえた。オルガンは、性格は悪くないが、流通や流行のマニアで、流行を作り出し、流行らせる側であるソフィーリアに興味津津だった。
そこに恋愛感覚は全く感じられないものの、2人が恋仲ではないのか? という噂もちらほらと耳にした。とは言え、耳にするだけであり、事実無根なので放置していた。
━━ガラッ!!!
教室の扉が勢いよく開いて、ピンク色の何がが飛び込んできた。それは、今朝僕と打つかってきた、可愛らしい顔立ちの女の子だった。
「助けて下さい、エメロードさま!」
シン…と教室中が静まり返った。僕の事を名前で呼ぶ許可はしていないし、彼女は僕と親しい訳ではない。ただ、どうやら切羽詰まっているようで……面倒事の匂いに僕は自然と眉根が寄るのを、必死で我慢した。表情筋を総動員して、キラキラ王子様ポーカーフェイスを作る。
ソフィーリアには、違和感があり過ぎて不評だが、彼女にとっては、そうではないらしい。その証拠にポゥと頬を赤く染めた。
「事情を聞かせてくれる?」
これ以上、彼女が失言を重ねる前に、僕は彼女を連れ出して、人気のない裏庭へやって来た。オルガンも後から付いてきた。ソフィーリアはいない。
「殿下、彼女は?」
オルガンが尋ねる。
「あたし、マリアです!」
オルガンが困ったような表情で、
「もしかして平民?」
「駄目…ですか?」
「いや、駄目じゃないが……殿下の恋人じゃ、ないよな?」
「はい、まだ…」
まだって……何が?
「今日、彼女が廊下で打つかって来たんだ。」
「へぇ〜…」
オルガンが珍妙な生物でも見るように、彼女を見つめてから、やばいな、と視線で訴えてきた。
僕は、頷いた。そう、この子は貴族が多く通う学園にやって来たにも関わらず、全く貴族に対しての常識を知らないのだ。貴族とは、王族とは、平民からすれば絶対的な存在だ。
貴族が不敬罪だ!と叫べばそれが真実でなくとも、平民なんて一発で退学だ。最悪牢屋行きもあり得る。そんな相手の機嫌を損ねてはならないことは、小さな子供でも分かるだろう。
平民がこの学園へ入るには、学力や魔法で好成績を残し、特待生として入学するしかない。とは言え、貴族への常識のチェックは有る筈なのに、なぜ入学出来たのか不思議だった。
「入学したら殿下に頼るよう、国王陛下に言われたんです」
「そうか! 君があの」
「はい!」
「なぁ、あの、って何だよ?」
「国家秘密なんだ。」
「そうか。それで問題って結局なんなんだ?」
「虐めです。」
「入学初日で?」
「平民、と言ったら生意気な口を効くなと怒られたんです。でも、良く分からなくて。」
「…あぁ…貴族の名前は許可されるまで呼んでは駄目だし、声を掛けられるまで話もしても駄目だ。それに常に敬語じゃないと、だめだよ。」
「そ、そうなの!?…ですか?」
「分からない事は、同じクラスの平民に聞いて、どうしても困った時は僕らに相談すると良いよ。それと、基本的に貴族と話せば、難癖を付けられると考えていた方がいい。なるべく話さないようにね。」
「分かりました! ありがとうございます!また、相談させてね…下さい!」
こうして、とある一幕は終わった。しかし、その後も彼女は頻繁に僕にはなしかけて来た。すると、なるべく短時間で済ませても、やはり噂は立つもので……僕と彼女が愛人関係にあるとか、ないとか……もちろんそれは、婚約者のソフィーリアの耳にも入るので、弁明と共にプレゼントの費用が加算された。
けれども、ソフィーリアはいまいち信じられないようなので、彼女も交えて三人で相談に乗ると、噂も次第に薄れて行って……むしろソフィーリアが彼女のサポートを先回りして、するようになった。するとあら不思議、彼女の目は日に日に光を失い、無事に飛び級して卒業した。ソフィーリアの指導の賜物だろう。
そうして、卒業後、聖女として国民に発表された。
「お久しぶりです、王子殿下」
「久しぶりだね、聖女さま」
「どうぞ、マリアと呼んで下さい」
「マリアには、これから聖女として国を支えてもらう。心構えは十分かな?」
「正直、不安で仕方ありませんが……精一杯、努力させて頂きます!」
その瞳は、希望に満ちあふれていた。どうやら、良い方向へ変われたらしい。
「そう、期待してるよ」
僕はその場を立ち去ろうとしたが、
「お待ち下さい! 私の聖女としての成長をどうぞ、お確かめ下さい!」
熱意に溢れる瞳は、とても眩しくて、同時に、断り難い圧力というか……気迫を感じた。これは今断ってもまた、お願いしてくるだろうな、と思われた。ちょうど予定も入っていないし、確かに聖女の力には少し興味がある。
文献には、聖女の力は、つよい!スゴイ!まじヤバい!みたいに、褒め讃える記載しかなかったので、本当かどうかは、前から気になっていた。
「では、そこのソファーに腰掛けて下さい。今から、国民の皆様に掛ける予定の祝福の光魔法を王子殿下にお掛けしますね。」
僕は、側に控えている騎士に頷いて見せた。
「では、ご覧下さい。」
彼女は光魔法の呪文を唱えた。しかし、その言葉の内容は、偉烈で少々の違和感があった。強い光の輝きが、僕へと通り抜ける。何かが、体内へ侵入してくるものすごい違和感と共に僕は意識を失った。そこからは、良く覚えていない。ただ、気がつくと僕は、ソフィーリアを上から見下ろしていて、悲しげな表情を隠すように立ち去る姿が、妙に印象に残った。
そうして、しっかりと意識が戻った時は、冷たい鉄格子の中に、僕はいた。どうして、と思った。けれども漠然と僕は間違った事をして、捕まったのだと気がついた。
なんだかなぁ、と思いつつ処刑される日を待った。その間は、平常心を装いつつも、やはり現実味はなくて、夢のようで、誰かが僕を助けてくれるのでは? という、淡い期待もあった。
けれども、たくさんの罵声ととともに、太陽の光を受けて鈍く輝くギロチンを見た時、そんな都合の良い事は、あり得ないと、これが現実だと理解した。
執行人に言い残すことはないか?そう聞かれて僕は薄く笑いながら、
「夢みたいだ」
と言った。そうして、瞳を瞑った。しかし、幾ら経っても痛みもなければ、意識は続く。何だと思って顔を上げると、見覚えのある人間が、堂々と僕を背にして立っていた。
「殿下を誑かしていたのは、聖女マリアです。殿下は、聖女の強力な魔法に掛かっていました。」
風魔法で声広げているのか、彼女の声は、よく響いた。ゆったりと、しかし厳然な口調で、彼女は言葉を紡ぐ。
「国王陛下。殿下の騎士は聖女と愛人関係にあります。それは、殿下が罪を犯すずっと前からです。証拠もあります。聖女が魔法を行使した時から、殿下は狂ってしまわれた。その騎士がいた時です。この裁判、考え直していただせませんか。」
口調は疑問系なのに、そこには肯定しか、許さない、という強い意志を感じられた。
軽口を叩き合っていた、彼女とは考えられないが、彼女は元々侯爵家の令嬢、それも王妃教育を受けていた。王者たらんとする自覚は、元から王族である僕よりも、きっと強い。覚悟が違う。そう思った。
「この処刑、一時保留とする。」
重苦しい国王陛下の言葉が響いた。
「殿下、誠に申し訳ありません」
「どうして謝るの? ソフィーリアは助け出してくれたじゃないか。僕が何をしたのか、ハッキリと覚えていないけれど、君に酷い事を言っていた。そんな僕を見捨てずに助けてくれて感謝感激だよ。」
僕は、おちゃらけながら、告げた。
「ですが、もっと早く気がついていれば…」
己を責めるような表情でソフィーリアはぎゅっとドレスの裾を握りしめている。こんなに感情をあらわにしたソフィーリアは、幼少の時以来、初めてみた。
「ソフィーリア。僕は君に感謝しているんだ。君を泣かせたくて感謝している訳じゃないんだよ?」
「申し訳ありません…」
上手い言葉じゃなかったな…こう言うのは苦手なんだけどなぁ……と思いながら、僕はゆっくりとソフィーリアの背に腕を周す。ソフィーリアが息を飲むのが、聞こえた。
「ありがとうソフィーリア。僕は、大丈夫だ。終わり悪くて、全て台無しだろ?」
「ふふっ、それを言うなら、終わり良ければ、全て良しでしょう?」
「ソフィーリアには、笑って欲しい。自分を必要以上に責めないでよ。ソフィーリアは、十分頑張ったんだ。後は、僕も居るから、大丈夫だよ。」
肩を震わせて、すすり泣くソフィーリアが泣き止むまで、背中を探り続けていた。
僕の出番は、殆どなかった。聖女に魔法を使われた残り香を検出すること、記憶が殆どない事を証言して、後は彼女の証拠とともに、聖女を糾弾した。
「エメさまは、私を愛しているのよ!?ソフィーリア様が、誑かしたのね!」
「僕の名前を呼ばないでくれるかな? 正直、不快だ。」
「え、エメさま…」
「聞こえなかったかい?」
聖女は顔を青ざめる。そうして、涙目になり、上目遣いで、被害者面して、
「ひどい、エメさまひどいです…」
と、涙した。しかし、僕が何の反応も示さないと分かると、ソフィーリアをキッと睨みつけて反論した。しかし、ソフィーリアの確固たる不貞や犯罪の証拠を前にサッと顔を青白くし、遂に逃亡しようとして捕らえられ、牢屋に入れられた。
罪状は、国家反逆罪だ。牢屋から出ることは出来ずに、永遠に幽閉されるか、処刑されるかの二択で、彼女は幽閉を選んだらしい。だが、生きていられるとは言え、何も出来い環境で一生を過ごすという孤独に、本当に彼女は耐えられるのだろうか?むしろ、処刑された方が彼女の為ではないか?
とは言え…彼女の選んだ選択だ。僕がとやかく言う必要も、考えを費やす必要も、ない。
僕は、当初の予定通りソフィーリアと結婚した。子供は男の子2人と女の子が1人生まれた。三人ともソフィーリアにそっくりで、とても愛らしい。
また、幽閉された聖女が、どうなっているかは不明だった。ただ、あの輝くような貪欲な瞳が、日の目を見る事は永遠にないのだ。
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