アルステラの失くし子
「さぁアシュリ、今日もババンと掛けちゃおうぜ!」
「……ねぇ、毎日毎日こんな事までしなくても……」
「ダメだよ!俺は1ミリもアシュリに疑われたくないからね、そしてキミに1ミリもモヤっとさせたくない。だから必要な事なんだ、頼むよアシュリ」
「シグルドがそうしたいなら……」
そう言ってわたしは、朝支度の一つになりつつある事をした。
その後、シグルドと共に朝食を食べていると、朝だというのにこの世の終わりのような容貌をしたメラニーさんがダイニングキッチンにやって来た。
下宿のダイニングキッチンは食事希望の入居者の為に共用スペースとなっている。
わたしとシグルドの食事を作るのも、それを食べるのもここになっている。
「……オハヨ…ゴザマス……」
「おはようございますメラニーさん、大丈夫ですか?どこか具合でも……?」
顔は浮腫み髪はボサボサ、やはりネグリジェの上に魔術師ローブを羽織った姿があまりに凄まじく、わたしは心配になってメラニーさんに声を掛けた。
「イエ……ダイジョブ……」
「え?」
声が小さすぎて聞き返すわたしにシグルドが言った。
「放っといていいよアシュリ。そいつは朝が弱過ぎていつも人外になるから」
「そう……なの?」
わたしはメラニーさんの様子を気にしながら食事の確認をする。
「今朝はポリッジなんですけどお嫌いではありませんか?」
「ポリッジ……メイプルシロップ……カケテ……」
「はい」
カタコトで消えいるようなメラニーさんの声を拾い、わたしはポリッジにメイプルシロップをかけ、スライスしたバナナも添えてテーブルに配膳した。
バナナにはシナモンパウダーをふりかけてある。
目が覚めるように濃いめに淹れた紅茶をミルクティーにしてそれも一緒に置いた。
メラニーさんはのそっ……とスプーンを手に取り、徐に食べ出した。
最初はもそりもそり……そして食べてるうち目が覚めてきたのか段々と食べるペースが上がってくる。
そして「ヤダなにこのポリッジ、めちゃ美味しい」とか「ちょっと温まったバナナがまた合う」とか言いながら貪るように平らげた。
そして食べ終わる頃にはすっかりいつもの(といってもよく知らないけど)調子をとり戻りしたメラニーさんが居た。
「ごちそーさまっ♪いやぁ、やっぱり食事付きの下宿にして正解だったわぁ~」
これ見よがしに言うメラニーさんにシグルドは「フン」と鼻白んだ。
「お口に合って良かったです」
「フフ、ねぇシグルドってば胃袋掴まれちゃって再婚したの?」
「それだけじゃねぇよ。てかお前なんかに絶対に教えない」
「まぁ相変わらず憎たらしい。そんな事ばっかり言ってると“アルステラの失くし子”を連れてくるわよ~」
揶揄うように言うメラニーさんに、シグルドは半目になって返した。
「ガキの頃じゃあるまいし、もうそんな脅し文句は通じないぞ」
「え?アルステラの失くし子?……」
アルステラの失くし子とは、十数年に忽然と姿を消した、アルステラという特級魔術師の娘の事だ。
もはや都市伝説と化している存在だけど……
わたしが訝しむとメラニーさんが言った。
「シグルドの奴、昔からアルステラの失くし子の事を怖がってるのよ」
「え?」
「今は怖がってないっ、ガキの頃はよく分かってなかったから変な怖がり方をしたんだ」
わたしはシグルドに尋ねる。
「幼いシグルドはそのアルステラの失くし子をどうして怖いと思ったの?」
「……魔力を奪えるって聞いて、それで怖かったんだ。俺は魔力が無ければなんの価値もないと言われていたから。俺も魔力を奪われたらどうしようと思って……」
「シグルド……」
「キャハハハハハッ!バッカみたいね。確かに高魔力保持者じゃなければウチも引き取らなかっただろうから、魔力が奪われてたら野垂れ死に必至だもんね!」
甲高い声で笑うメラニーさんの声を他所に、わたしはシグルドの頬に触れて彼に問う。
「今はもう怖くない?」
「今はもうね。俺だってみすみす魔力を奪われるほど柔じゃないし。今ならアルステラの失くし子だってそんな風に思われたら心外だろうなと思うしね」
「そう……良かった」
「アシュリ……」
シグルドは頬に触れているわたしの手に自身の手を重ねた。
「今は、アシュリに嫌われるのが一番怖い」
「ふふふ、シグルドったら」
互いに微笑み合うと、後ろからメラニーさんの低めの声が聞こえた。
「ちょっと……ワタシが居るの忘れてない?朝から目の前でイチャつかれんのムカつくんだけど」
あ、彼女がいるのを忘れていた。
シグルドがアルステラの失くし子が怖いというから心配になってそちらに気を取られていたわ。
「ごめ…
“ごめんなさい”と告げようとしたわたしを懐に抱え込んで、シグルドがメラニーさんに言い放った。
「食事が終わったのにいつまでもウダウダ居座るお前が悪い。それにお前だって時と場所も弁えずよく男とちちくり合ってたじゃないか」
「イヤン、シグルドったらもしかして傷ついてた?ごめ……
「?」
あら?メラニーさんはまだ何か話している様子なのに声が聞こえなくなったわ。
不思議に思ってシグルドを振り返ると、彼はシレっと悪びれる事もなくこう言った。
「アイツの声だけに認識阻害の魔術を掛けた。訳の分からん世迷言をアシュリが聞く必要ないからね」
「シグルドったら……」
そんな魔術もあるのね……
わたしはのん気にそんな事を思ってしまった。