アシュリ、走る
いつもありがとうございます!
急遽王宮へ行くと言ったシグルド。
何かがあった事を感じ取れてしまう。
わたしに余計な心配を掛けまいと平然としてるのが分かってどうしようもなく不安になる。
「心配要らないから。すぐに戻るよ」
そう言って転移してゆく夫を見送りながら、
ありし日の記憶が蘇った。
『心配要らないよ。すぐに帰るから』
そう言ったおじさんは……
外出先で事故に遭い、帰らぬ人となってしまった……
わたしを辛い日々から救い出してくれた恩人。
わたしに人の温もりと優しさを教えてくれた人。
あの時見送ったおじさんの背中と、さっきのシグルドの姿が重なってどうしようない不安に襲われる。
だけど待ってろと言われた以上、家で待つほか仕方ない。
言いようのない焦燥感を抱えながら、ただひたすらに夫の帰りを待った。
どのくらい時が経ったのだろう。
シグルドが王宮へ向かって三時間ほど過ぎた頃だろうか。
瞬間、凄まじい魔力の波動を感じた。
王宮の方から絶え間なく感じる虚無の波動。
嫌というほど知るその波動を、わたしは只々怯えながら感じる事しか出来なかった。
その時、下宿の住人、医療魔術師のジャンさんが玄関のドアをもの凄い勢いで開けて駆け込んで来た。
「アシュリさんっ!!大変だ、王宮で魔術の大暴走が起きたっ!!シグルドさん達高位魔術師が結界や防御魔法を必死で展開したけれども防ぎ様がなく、どんどん広がっているらしいっ!さっき王都の民たちに避難指令が出たっ……魔術暴走はやがて王都全体を飲み込むだろうから、キミも早く逃げるようにと、シグルドさんから伝言を預かって来たんだっ!」
「夫は……シグルドは?」
「彼は最後まで死力を尽くすと言っていたよ。アシュリさんが無事に脱出できるまではなんとか時間を稼いでみせると言っていた。さぁ早くっ、王都から逃げるんだアシュリさんっ!」
ジャンさんの声がどこか遠くに聞こえた。
シグルドが王都を覆い尽くすほどの術を食い止める為に残る?
わたしに……彼を置いて逃げろというの?
さっきから感じるこの忌々しい魔力、わたしだからこそ分かる。
これは、この魔力は、わたしの能力を模してはいるが、似て非なるもの……だ。
きっとこの力は、大陸全土を覆っても消え去らない。
ーーシグルド、こんなものを相手にはダメ……!
「シグルド……シグルド……!」
「アシュリさんっ!?」
気付けばわたしは転移魔法を用いていた。
魔力を使ったのは久しぶりだったので加減が分からず、王宮の随分手前に辿り着いてしまった。
そしてもう一度転移する。
今度は何とか王宮の一画に転移出来た。
「シグルドは……シグルドはどこっ?」
彼の魔力を辿って走り出す。
広い王宮内を、只々愛しい人の元へ。
シグルド
シグルド……
お願い、どうか無事でいて。
もう二度と大切な人を失いたくない。
「タルバートおじさんっ、どうか、どうかシグルドを守って……」
わたしは懸命に走りながら、恩人であるおじさんの名を口にしていた。
タルバートおじさんは父であるガロム=アルステラの知人だったそうだ。
父に実験動物のように扱われるわたしを救い出してくれた。
血縁上だけの父親は、わたしを娘として……いや人として接してはくれなかった。
道具、魔術生物、……いや兵器。
そんな物としてわたしの持つ能力だけに目を向けていた。
「何も考えるな。お前に意思など必要ない。感情など捨ててしまえ。お前はただ、私の言う事を聞いていればいいのだ」
「はい……」
今となっては当時の記憶は所々曖昧だけれど、とにかく昏く苦しい日々を過ごしていたのが頭の隅に残っている。
そんな時、何度かアルステラ家に来ていたタルバートおじさんがわたしに言った。
「これから私が言うお願いを聞いてくれるかな?」
「……おねがい……?」
「どうかここから出て、おじさんと一緒に来て欲しい。その前にキミのお父さんの記憶から、おじさんの事を消して欲しいんだ」
「きおく……けす?」
タルバートおじさんは大きくて厚い、でもとても優しい手でわたしの頭を撫でてくれた。
頭を撫でられるなんて初めての経験で、只々その温かさと心地よさに驚いたのを覚えている。
「キミを利用する全ての者から、キミを隠したい。でもキミの存在を知る私からキミの居場所を突き止められてしまうだろう。だからそうならない為に、キミのお父さんの記憶からおじさんの事を消して欲しいんだ。おじさんは王宮魔術師団とはあまり関わりのないただの下宿の大家だからね。キミのお父さんの記憶さえ無くしてしまえばキミを隠す事が出来る」
「かくす……」
おじさんは頭を撫でてくれた手をわたしの目の前に差し出した。
「おいで。こんな所に居てはダメだ。国は当てにならない。キミはおじさんと一緒に暮らして、普通の子どもとして生きるんだ」
「いっしょ……くらす……」
その時はおじさんの言っている事は全く理解出来ていなかった。
だけどどうしてもその温かい手を取らずにはいられなかった。
この手でずっと頭を撫でていて欲しい、そう思ったから。
わたしは、おじさんに教えて貰った通りの方法で魔力を使い、父であった男の記憶からタルバートおじさんの事を消し去った。
人の記憶を操作する事は、本当は魔法律で禁止される行為なのだそうだ。
それにまだ幼く、魔力が上手く扱えないわたしに、全ての関係者から記憶を消す事は無理だった為、父親の記憶のみを操作したのだ。
そしてわたしはおじさんと共に家を出て、おじさんのお父さんが作ったという下宿で暮らし始めた。
おじさんは魔術でわたしの髪色を変えた。
そして“アシュリ”という新しい名をくれた。
本当の名はもう覚えていない。
実の父親から一度も呼ばれた事はなかったし、父以外の人間とはあまり接する事もなくて名を呼ばれる事もなかったから。
おじさんは何も知らない、何も出来ないわたしに一つ一つ丁寧に教えてくれた。
生きていく上でのアレコレも、人とコミュニケーションを取る上で必要で大切な言葉も。
一人でも生きていけるように。
強く生きていけるように。
「でもねアシュリ。私はキミには愛し愛される人と出会い、恋をして結婚して、子ども達と賑やかに暮らす……そんな幸せも知って欲しいんだ」
わたしが年頃になった時に、おじさんはそう言った。
この下宿で暮らし続けてもいいし、愛する人が出来たならその人とどこへだって行ってもいい。
そんな風におじさんは言っていた。
でもわたしの望みは、わたしの幸せはこの下宿でいつまでもおじさんと一緒に暮らす事だったし、もし将来おじさんが天に召されても、この下宿を大切に守ってゆくつもりだったから、その時はそんな気はないと答えたのだった。
そしておじさんを事故で亡くした数年後にシグルドと出会った。
本当は王宮魔術師である彼と結婚するつもりはなかった。
何がきっかけで本当の素性がバレてしまうか分からないから。
でも懸命に想いをぶつけてくる彼に、いつの間にか絆されて、いつの間にか同じ想いが胸の中に溢れていて……
おじさんに背中を押されたような気がした。
おじさんが遺してくれた下宿で出会ったシグルドが、おじさんからの最後の贈り物のような気もした。
気が付けば彼の手を取っていた。
あの時おじさんの手を取ったように、シグルドの大きくて温かい手を取った。
それからの日々は本当に幸せだった。
シグルドの腕の中に包まれて暮らす日々は穏やかで賑やかで楽しくて。
かつておじさんがわたしに知って欲しいと願った幸せな暮らしが、そこにあった。
狂おしいほどに愛おしい、わたしと彼の暮らし。
大切な、大切な……
お願い、どうかわたしからその日々を奪わないで。
大切な人を奪わないで。
わたしはどうなってもいいから。
この身を、わたしの全てを引き換えにしてもいいから、どうかシグルドを奪わないで。
「シグルドっ……シグルドっ……!」
彼の元へ走るわたしの頬に冷たい何かを感じた。
それが自分が流した涙だと理解する余裕もなく、わたしはただ走り続けた。
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次の更新は明日の夜になります。
火曜更新の「無関係だった……」は更新ありますよ
(〃ω〃)♡
よろちくびです♡




