不貞疑惑?
「わたくし、見たんです……」
夫シグルドも、その同僚となったメラニーさんも出仕した後の時間帯。
玄関を箒で掃き清めていた時に203号室の住人、イエリン=ソートさん(27)がわたしにそう訴えかけて来た。
イエリンさんは王宮勤めの魔法文官で仕事一筋、生涯独身を貫くと宣言している女性だ。
何故結婚しないのかというと、極度の潔癖症なのだとか。
物理的な潔癖症なのはもちろん、人間関係など目には見えずとも不快を感じるものもその性分を発揮してしまうのだとか。
その為、必要以上な人間関係の構築が困難になり、またそれによる心的疲労の著しさを鑑みて結婚は無理だと判断されたらしい。
なんと潔い生き方だろう。
そんなイエリンさんがウチの下宿を選んでくれたのはズバリ、掃除が行き届いていて清潔だから。
ついでにわたしにも不快感を感じなかったからだとイエリンさんは言っていた。
その潔癖症のイエリンさんが眉を寄せてもう一度わたしに告げる。
「わたくし、見たのですよ……」
「何を見たんですか?」
わたしが尋ねるとイエリンさんは嫌悪感を露わにして言った。
「貴方の旦那さんと新しい入居者のメラニーとかいう女性が王宮の一部屋から二人で出てくる所を何度も……!」
「え?」
「王宮といえど、仕事といえど、扉を閉めた密室で男女が二人だけになるなんて普通はあり得ません!非常識です!きっと如何わしい事をしているに違いありません!不潔、気持ち悪いっ!アシュリさん、悪い事は言いません、今すぐ穢れた浮気旦那とは別れなさいっ」
そこまで一気にイエリンさんは言い放った。
途中で息継ぎする事もなく、その所為で肩で息をするくらいに。
「アシュリさん、貴女は清く美しい方だからわたくしは忠告するのです。ホントはこんな汚らわしい事に関わりたくもないんですっ、ホラ見て下さい、こんなにも鳥肌がっ……!」
イエリンさんはわたしに腕を見せつけてきた。
なるほど、もの凄い鳥肌が立ってる……
うーん、でもなぁ……
わたしはイエリンさんにどう答えるべきか悩んだ。
夫婦の事をどこまで他人に言って良いものか。
とりあえずわたしはイエリンさんに「きっと何か理由がある事だと思うから後できちんと夫と話してみますね」と、心配してくれたお礼と共に伝えておいた。
それでもイエリンさんは、同じ屋根の下で不貞を働く二人が一緒に居る事がどうしても我慢出来なかったらしく、その日の夕食時の食堂に飛び込んで来た。
その時は丁度、メラニーさんもジャンさんも一緒に食事を採っている最中だったのだけど……
「余計なお世話かとは思いますがっ、やっぱり白黒ハッキリさせた方が清く正しく美しくそして潔くて良いと思うんですっ!アシュリさん、旦那さんに浮気している事をさっさと認めさせてキッパリと離縁するべきですっ!」
バーンと食堂の扉を開け放って、イエリンさんがそう叫んだ。
「へ?……浮気?」
シグルドが素っ頓狂な声を出す。
大騒ぎするつもりがなかったわたしは、額に手を当てながらシグルドに端的に告げた。
「……朝、イエリンさんに忠告されたのよ、シグルドとメラニーさんが何度も密室に二人きっりになっていると……」
「なっ……!?」「まぁ♡」
シグルドとメラニーさんが同時に声を発した。
椅子に座っていたシグルドが慌ててわたしの元に寄って手を握って来る。
「アシュリ!違うっ、信じてっ!確かに部屋に二人で居たけど浮気じゃないっ!あくまでも仕事だっ!結界を施した部屋での術式の構築の為だよっ!」
シグルドのその言葉に、イエリンさんが反応した。
「部屋に二人で居た事は認めるんですね!でもそれなら余計に不貞を働いていないという立証なんて出来ない、怪しすぎますよ!」
「煩い、アンタは黙っててくれ」
責め立てるイエリンさんにシグルドはバッサリと言い捨てる。
その時、メラニーさんがとんでもない発言をした。
「シグルド……ワタシ達は元は夫婦だったんだからそういう関係だと認識して貰ってもイイんじゃない?」
「は?」
「やっぱり!!お二人は不貞行為をっ……不潔ですっ!」
「違うっ!不貞なんかしていないっ!」
「も~シグルドったらテレちゃってぇ~♡」
「ふざけんなっ!誰がお前なんかとっ!」
「いやっ!汚らわしいっ!最低っ!」
「ア、アワワワっ……!」
…………もうアワワと言ってるジャンさん以外、誰が何を言っているのかわからない状態になった。
カオスだわ、とわたしは思いながら大騒ぎする皆を見ていた。
するとシグルドが必死になってわたしにしがみ付いて来た。
「アシュリっ!信じてくれっ!俺は絶っっ対にそこの性悪オンナと浮気なんかしてないっ!!」
「……はぁぁっ……」
わたしは盛大なため息を吐いた。
思いの外大きなため息に、皆がこちらを凝視する。
「ア、アシュリぃぃ……」
不安そうな顔をするシグルドの両頬を、わたしは手で挟んで彼に告げた。
「落ち着いてシグルド。あなたはこんな時の為に、わたしとの間に誓約魔法を交わしたんじゃないの?」
「っ……!そうだった……!」
一瞬驚いた後、シグルドはパッと表情を明るくした。
「誓約魔法……?」
イエリンさんが訝しんでその言葉を繰り返す。
わたしは彼女に説明した。
「シグルドは毎朝、わたしと誓約魔法を結んでから出仕しているの。誓約内容は不貞行為全般。指先のキスでさえ、誓約違反と見做されて術式制裁を与えられる厳しいものよ」
制裁を施す術式は多岐に渡る。
最も重い制裁は、体を繋げた瞬間、誓約者と不貞相手と双方の性器が腐り落ちるというエゲツナイものだ。
魔術師であれば誓約魔法の恐ろしさはしっかりと学んで熟知しているはず。
その誓約魔法をワタシ達夫婦が交わしているとなると、不貞を疑う事自体が無駄だと瞬時に理解出来る。
「な、なんだ……そ、そうなんですか……じゃあ……浮気は出来ないですよね……」
イエリンさんが気が抜けたように言った。
「ごめんなさい、朝にきちんとお話すれば良かったですね。わたしの事を心配して下さり、ありがとうございます」
イエリンさんはふるふると首を横に振った。
だけどメラニーさんが小さく舌打ちをしたのを、わたしは聞き逃さなかった。
彼女の為人は理解した。
わたしは尚更シグルドが心配になり、彼に向き直る。
「シグルド、貴方の判断は正しかったわね。その誓約魔法のおかげでわたしは余計な心配をせずに、貴方を信じる事が出来たもの」
「アシュリぃぃ……!」
顔をくしゃりと歪めて、シグルドがわたしに抱きついてきた。
ジャンさんが手をパンと叩く。
そして「さぁ!誤解も解けた事だし、これ以上仲良し夫婦にあてられるのも何なので解散しましょう!各自お部屋に戻って下さいね」
とそう言って、イエリンさんやメラニーさんを引き連れて食堂を出て行った。
ジャンさん、巻き込んでしまってごめんなさい。
空気を読んでくれてありがとう。
また蜘蛛が出たらいつでも頼って下さいね。
わたしはしがみついたままのシグルドの背に手を回し、ぎゅっと彼を抱きしめ返してあげた。
大丈夫だよ。
貴方がわたしとの関係を守ろうとしてくれる限り、わたしは必ず貴方を信じる。
その気持ちを込めて、シグルドが落ち着くまで抱きしめていた。




