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1793年1月21日

たった2歳だけだったが、自分よりも年上になってくれた息子をどう迎えればいいのか。



かつての王太子ドーファンであるルイ・フェルディナン・ド・フランスは、唐突な不安に見舞われながら、穏やかな川べりに立ち尽くしていた。



この世とあの世の境目には、涙が出るほど美しい青空とどこまでも広がる花畑が広がっていて、その中ほどに水面がきらめく美しい川が流れている。あの世に来たばかりの人々の魂はこの美しい花畑の中で目を覚まし、迎えの人に連れられて逝くべきところへ旅立つのだ。



1793年1月21日。ルイ・フェルディナン・ド・フランスは、断頭台ギロチンの露と消えた息子を迎えに岸辺を訪れていた。



ルイ・フェルディナンは、生まれながらに次の玉座を約束された男だった。神から先祖が与えられ、子孫に残した”Roi de France(フランス国王)”の座を受け取り、次の王につつがなく受け渡すのが、ルイ・フェルディナンの使命のはずだった。



だが、その使命は果たせなかった。



36歳で病に倒れ、気が付くとせせらぎの音が優しく響く花畑で、歴代のフランス国王たちに手を差し伸べられていた。王太子ドーファンの重責だけを、まだ10代の息子に残してしまった。



残された人々の姿は、様々な方法で垣間見ることができる。空から見ると、時代がのたうち回るように動き出していることがよく分かった。歴史の歯車が大きく動き出す時代に、息子は玉座を受け継いだ。



そう、息子は”Roi de France(フランス国王)”なのだ。ルイ・フェルディナンのものになるはずだった”ルイ16世”の称号は、息子のものだった。



悔しくないのかと言われれば嘘になる。嫉妬はあった。息子の功績が重なるにつれて王太子ドーファンのまま死んだおのれの名が薄れていくのを、空の上で歯がゆく思っていたのは事実だ。



それでも、激動の革命の時代に、家族と、先祖が残した誇りと、そして祖国を守ろうと、必死に立ち回っている姿を目を凝らして見守り続けた。



だが、時代は激しく動く。そして1793年1月21日の朝を迎えてしまった。



昨晩は、歴代のフランス国王を含む大勢の家族や、未だに慕ってくれるかつての部下たち、さらには勝ちては敵同士だった異国の友人たちまでもがかわるがわる訪ねてきて声をかけてくれた。そして彼らは口々に「まず起こしに行くのは父親の仕事だ」と言った。悲しみと戸惑いをどう言葉にすればいいかもわからないまま、ルイ・フェルディナンはこの岸辺に立ち尽くしている。



息子の姿は想像よりも簡単に見つかった。



飾りは少ないが質の良い白いシャツに黒いズボン。王としての姿ではなく、家族と共にくつろぐ時の服装だ。血や汚れは見当たらないことに、ルイ・フェルディナンは少しだけ安堵した。



「ルイ・オーギュスト……?」



ルイ・フェルディナンは、おそるおそる息子の名前を囁いて、そっと肩を叩く。自分とほとんど変わらない肩幅に、親子はこうもよく似るのだと思わず感嘆の想いが沸き上がってくる。



涙が出るほど美しい青空とどこまでも広がる花畑が広がっていて、その中ほどに水面がきらめく美しい川が流れている。川のせせらぎの音が優しく響く。



息子はまぶしそうに目を細めながらゆっくりと体を起こす。それからあたりを見渡し、不意に驚いたように首元に手を当てる。その刹那、息子の瞳に今日の色が陰る。



それから、息子は傍らに立つ私をじっと見つめた。最初は疑わしげに、それから何かを確かめるように、じっと私を見つめるのだ。その様子が、赤子の時とそっくり同じなので、私は思わず胸がいっぱいになった。



「……父上、ですか?」



息子の少しかすれた声に、私は黙ってうなずいた。



「じゃあ、ここは、そういう場所?」



私はもう一度黙ってうなずく。息子の顔が、いろいろな表情で揺れ動いた。



「迎えに来たよ、ルイ・オーギュスト。」



もう長いこと聞いてこなかった父の声に、息子は何かを思い出したらしい。感嘆のため息が聞こえてきた。



「ああ、思い出しました、父上。父上の声はこんな声だった。」



「ルイ・オーギュスト、お前の声は随分変わったな。」



「もう、子供ではありません。父上の齢を超えたんですよ。」



私は笑って息子に手を差し出した。息子も思わず笑顔になりながら私の手を取る。ぐいっと息子の腕を引っ張ると、予想よりも重い衝撃が私の腕にのしかかった。



「おーい!見つけたかぁ?」



「あら、いるじゃない!」



「みんなぁ、俺たちの可愛い子孫はこっちだぞお!」



不意に聞こえた声に、私も息子も思わず驚いて振り返った。見ると、草原の向こうから色とりどりの衣装を着た人々が集まってくる。



「ああ、なんてことだ……!」



思わず私が漏らしたうめき声に、息子はきょとんとして尋ねた。



「あの、父上、あの方々は……?」



「親戚の皆様だ。まぁ、いわゆる歴代のフランス国王の皆様だな。」



息子の顔があっという間に驚きの表情に変わっていく。呑気な先祖たちは、激動の時代を生き抜いた”16番目のルイ”をあっという間に取り囲んで言いたい放題だ。



「いやぁ、上からみていたけれど、随分大変な時代だったなぁ。まぁ、ゆっくりしていけよ。」



短いケープを着た、随分古い時代の衣装の男が、息子の肩をポンポンと叩く。



「ルイ・オーギュスト、このお方はユーグ・カペーと言って……。」



「えっ、あの、カペー朝の?」



「流石、読書家なだけあるな。質素で慎ましく、国民のために尽くし、あのイングランドにもしっかりと対応し、王妃と子供を愛する。良い国王の分類に入るんだろうが、いかんせん時代が悪かったな。」



こう横やりを入れてきたのはフィリップ2世、”尊厳王オーギュスト”と呼ばれた王だ。私たちの遠い先祖にあたる。



「だが、立派な最期だったぞ。我が子孫に、神のご加護を。」



これはルイ9世、”聖王”と呼ばれた高潔な王だ。私たちブルボン家にとっては直接の先祖にあたる国王でもある。



「しかし、三部会を開催するとは。俺は個人的には嬉しかったが、こう結果を見ると何とも言えない気持ちになるな。」



これはフィリップ4世、”端麗王”だ。フランスでの革命騒ぎは、三部会の復活から始まっている。教会よりも優位に立つべく三部会を始めた張本人は、残念そうな顔をしていた。



「まぁまぁ、難しい話はまた今度にしてあげよう。まだここがどんな場所かもわからないのに、いろいろ言っては混乱してしまう。」



そう言っているあなたのせいで、息子はより一層身を固くしていますけれどね、フランソワ1世。



「まぁ、ざっくり言うと、あの世だ。ただ、ここでも神には会えない。」



ざっくりしすぎだ、アンリ4世。なお、この人懐っこそうな男が、我がブルボン朝の始祖にあたる。



「ざっくりしすぎですよ、父上。」



これはルイ13世。息子にとっては曾々々々祖父くらいにあたるはずだ。



「しかし、我がヴェルサイユがあのような状況になってしまうとは。いったい、何が悪かったのだろうか。」



あなたがやった数々の戦争での浪費が原因ではないでしょうか、と私は心の中でルイ14世こと”太陽王”に物申す。



「あらやだ、想像よりもイケメンじゃない!ねえフランツ、そう思わない?」



おおっと、ここでフランス王家を差し置いて乱入してきたのがオーストリアの女帝、ハプスブルク家のマリア・テレジアだ。彼女はそういう女である。だから家族にはなりたくなかったのだが。



「ああ、申し遅れました。私、マリア・アントニア……フランス語だとマリー・アントワネットでしたね、あの子の父です。生前にお会いできなかったので、妻はすごく楽しみにしていたのです。」



さすがフランツ1世。随分と細やかな気を使える人だ。息子も知らない顔に次々と囲まれて困っていたようだが、ようやく自分から自己紹介をしてくれる人が現れて少し安心したようだ。



「私こそ、生前にお会いしたかったですが叶わず、お手紙でのあいさつばかりで申し訳ありませんでした。」



「ええ、覚えていますわよ。一生懸命、ドイツ語で書いてくださったお手紙で、大切にどこかにしまったと思うのだけれど。」



マリア・テレジアは、私の息子を感慨深げに見つめていた。



「それから、申し訳ありません。あなたにお手紙で約束したのに、私は玉座も、妻も守れなかった。」



息子は、そう言って女帝に向かって首をうなだれた。マリア・テレジアの顔が、優しくて朗らかな母の顔から、冷徹な統治者の顔に変わる。



「ええ、その件に関しては、いずれじっくり話し合いましょうね。私からも言いたいことがいくつ……。」



「母上、時代は変わるのです。あまり義弟おとうとを責めないでやってください。」



私の息子は、その声に瞳を輝かせた。オーストリアのヨーゼフ2世。息子とは何かで顔を合わせているはずだ。彼は啓蒙専制君主として新しい国づくりをしようとして、道半ばでこちらの世界に来ている。



「そのような言い訳は聞きたくはないわ。どちらにせよ、また皆でいろいろと話し合わなければ。そういえば、あの親父は?」



不意に、彼女が声を荒げた。それとほぼ時を同じくして、向こうから耳障りな笑い声が響いてきた。



「ああ、あれは……。」



息子が思わずため息をつく。私もまたため息をついた。私の父、ルイ15世である。



「俺としちゃあ、あのボンクラの孫がアントワネットちゃんと、あんなことやこんなことができたっていうのが、もう感慨深いというか。結婚式の夜だって、もう笑っちゃったもんねぇ。だってさぁ、まず準備の段階で……。」



さすが、真昼間から親族の集まりで下ネタを連発できる男だ。



最も、歴代フランス国王はそういう気質の者が多い。さっそくフィリップ2世やルイ14世がにやにや笑いながら集まっている。一方で、ルイ9世のような真面目な先祖は眉をひそめている。まぁ、子孫がいる時点でいろいろ言いたいことはあるが。



「で、今日の主役の孫は?」



私は、そっと息子の背を推す。周囲の親族たちもまた、そっと道を開けた。耳障りな笑い声の主は、ようやく孫の姿を見つけたらしく、にんまりと笑っている。



そして、押されるように先代の国王の前に進み出た私の息子は、祖父の姿を見た瞬間、目を見開いて固まった。



そのグレーの瞳からは、涙が一筋零れ落ちる。そのまま涙が零れ落ちるのと同じ速さで膝が折れていった。



ルイ15世が、2人の曾孫を連れて来たのだ。



「ルイ・ジョゼフ……。」



絞り出すように、息子の名前を呼んで手を伸ばす息子の姿を、私はじっと見つめていた。今、私が感じている、再会の喜びと救えなかった後悔の入り混じった感情を、私の息子もまた、この瞬間に感じているのだと思うと、不思議な気持ちだった。



息子の手は、何かにおびえているかのように震えていた。



「お父様……。ああ、お父様がいる……。」



私の孫にあたるルイ・ジョゼフもまた、おびえたように父に手を伸ばす。



「すまなかった、ルイ・ジョゼフ……。父さんは、お前に会いに行けなかった……。」



ルイ・ジョゼフがたった7歳で病で死んだのは、まさに三部会が紛糾しているさなかの出来事であった。病状が悪化する子の傍に、国王であったルイ16世はいられなかった。早馬が息子の死と妻の悲嘆ぶりを伝えて来た時、我が息子は議員たちからの質問に答えるべく、側近たちと様々な書物を調べていたのだという。



「ううん。お母様が、そばにいてくださったから。僕はだいじょうぶ。」



私の孫、ルイ・ジョゼフは、一生懸命喋った。



「お父様は、だいじょうぶだったの? 三部会が大変なことになっているって、お姉さまやルイ・シャルルが怖い思いをしていないか、ずっと怖かったんだ。」



「きっと、大丈夫だよ。お母様に後はお願いしたから、お姉さまもルイ・シャルルも、きっと元気だ。」



その時、赤子の泣き声が私たちに襲い掛かった。そう、ルイ15世の腕にはもう1人、私の孫娘が抱かれている。



「ああ、マリー・ソフィーを泣かせてしまった。これはお母様に怒られてしまうな。」



「きっと、マリー・テレーズお姉様も怒るよ。弟や妹をいじめてはいけませんって、いつも怒るんだ。」



ルイ・オーギュストとルイ・ジョゼフの親子は、困ったように目を見合わせると、くすりと笑った。それから、ルイ=オーギュストは立ち上がって、私の方をちらりと見てにやりと笑うと、ルイ15世の方に向き直った。



「おじい様、子どもたちをありがとうございました。」



ルイ15世は、腕に抱いていた曾孫のマリー・ソフィーを、そっと孫に返す。赤子を抱いてあやす息子の姿は手馴れていて、彼がいかに良い父親であったかを十分に物語っていた。



「マリー・ソフィー、お父様だよ。会いに来てくださったんだよ。だから泣かないで。」



ルイ・ジョゼフは、妹の足をさすりながら優しく話しかける。



「さては、お父様の腕がお気に召していないのだな、お姫様?」



「お父様、僕がやってみるよ!」



「大丈夫か? じゃあ、ゆっくり、気をつけて抱っこするんだぞ。」



「だいじょうぶだよ。僕もお兄ちゃんだもん。それに、ルイ・シャルルだって抱っこしたんだから。」



私は、息子と孫たちの姿をぼんやりと眺めていた。それはとても幸福な光景でもあった。ここが、あの世でなければ。彼らは皆、死んでしまったのだと思うと胸が締め付けられるような痛みが走った。



「ルイ・フェルディナン。」



「ん? あっ、はい。」



突然、父のルイ15世に話しかけられて、私は思わず不愛想な返事を返してしまった。



「俺は、ルイ・オーギュストが一丁前に父親をしているのが、1番嬉しいんだ。わかるか?」



「まぁ、確かに。あの子は人見知りをする子でしたからね。縁談がどうなるのだろうか、と気にしていました。」



「お前も、なかなかの人見知りだったがなぁ。」



「一途って言ってくださいよ。むしろ父上が酷すぎるんです。」



「俺の先代の方が凄まじかったぞ……。まぁ、お前が死んで王太子ドーファンになってから、ルイ・オーギュストはすっかり気持ちが落ち込んでしまってな。元々お前に似て不器用なところもあったとはいえ、アントワネットちゃんと家族になっていけるか、本当に不安だった。」



「まだ、あの子も幼かったですからね……。私がここに来た時は、残したあの子たちのことを想って、心苦しかったです。」



「ヴェルサイユの繁栄が永遠ではないことは、私も、あのオーストリア女も、プロイセンの野郎も、みんな薄々気づいていた。ルイ・オーギュストにはいろいろ苦労させるだろうなぁと思っていた。まぁ、こんなにも急に革命が始まるとは信じられなかったが……。」



「……私が生きていれば、ルイ・オーギュストがフランス国王でなければ、他の子たちのように逃げることもできただろうに。」



言っても仕方のない後悔を、思わず私は漏らしてしまった。



「でも、あの子には家族がいる。いてくれてよかった。俺はそう思うことにしている。」



”最愛王”ルイ15世は、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。



「さあさあ、そろそろ戻りましょう。可愛い我が義息子のルイ・オーギュスト。あなたの母上も邸で待っていますよ。」



「って、あのオーストリア女! なんでお前がフランス王家のことを取り仕切っているんだよぉ!」



マリア・テレジアの笑い声に、歴代のフランス王家の人々の笑い声が重なる。息子たちもつられて笑っていた。それはとても寂しい光景のようで、とても幸せな光景だった。



「どうか、我が家族フランスに、神のご加護を。」



ルイ・フェルディナン・ド・フランスは、誰にも聞こえないほど小さな声でそっと囁いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ルイ16世に焦点が当たっている話が中々なく、このような暖かく、少し切ない気持ちになる良作に巡り会えてとても嬉しい気持ちです。 ありがとうございます。 [一言] もし、この作品の続きのような…
[良い点] 世界観に入り込めて読んでいて楽しかったです。 [一言] 早く続きが見たいです。
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